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魔物の国の外交官  作者: TAM-TAM
第8章 武人の国々の和平交渉
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123話 和平交渉・2(難航中)

▼大陸暦1015年、轟弓(第11)の月26日


 アルテリンデ皇女の人柄により極めて和やかな雰囲気で始まった轟弓(第11)の月24日から始まった和平交渉だが、その話し合いはお世辞にも順調とは言えなかった。


 まず、テネブラ側の提示する講和締結条件は次に挙げる十ヶ条。

 一、拉致された魔族の民および略取された資源の速やかな返還。

 二、今後の密猟や盗掘や侵略を禁止する不可侵条約の締結。

 三、正式な国交回復に向けた作業部会の設置。

 四、戦争責任者の処罰。

 五、皇帝ヴォルフラムによる公式の謝罪。

 六、一部鉱山採掘権のテネブラへの割譲。

 七、技術庁の解体。

 八、アルビオン金貨1500万枚相当の賠償金の支払い。

 九、国境の河上流の水門を含む、国境付近の帝国側軍事施設の破壊。

 十、和平記念日として祝日の制定。


 勿論これらの条項は出発前に内務・軍務両省と入念に打ち合わせして等級付けを行っている。テネブラとして絶対譲れないものが一、二、五、八で、他の項目は現場の裁量で譲歩可能な材料である。


 そして帝国側も最初の要求は強気で突きつけられることを予測していたが、実際に書面を受け取ってみると予想以上らしく、アルテリンデ皇女も「厳しいわね……」と眉間に皺を寄せたのが印象的だった。


 当初の想定通り帝国側が最も難色を示したのが八の賠償金で、財務官僚のノルドハイム伯爵が言うには「銅貨一枚たりとも出す訳には参りません」とのことだ。

 だがセレスティナとしては賠償金を分捕れない決着は議会の承認が降りないのは確実で、どうにかして帝国側の首を縦に振らせなければならない。


 そんな訳で、初日は賠償金の払う払わないで紛糾し、二日目はそこを保留にして他の条項から詰めて行き、三日目に再度賠償金の話題へと戻ってくるのだった。


 尚、賠償金以外の条項の手応えとしては、一と二は人道的立場から、三も特にリスクが無いのでいずれも採択の方向で、四と五はプライドの観点から帝国側が渋り、七と十も内政干渉に当たると帝国側が拒否。

 九については資産保護を帝国側が訴えてきた為、平和利用に作り変える条件で妥協し、その代わり六の鉱山利権を一つ頂戴することに成功した。





「そもそもの話、金貨1500万枚が帝国の国家予算何年分になると思っているのですか。帝都から遠く離れた帝国領ですらない場所でたった一度敗走しただけなのに、まるで帝都を包囲したかのような態度は困りますぞ」

「これは戦費のみに限らず、我が国から不当に連れ去られた魔族同胞に対する慰謝料や持ち去られた資源の賠償なども含む金額ですので、妥当な計算だと思っております」


 お金の話になると帝国の交渉団の中では財務官僚のノルドハイム伯爵が主導権を握るようで、今日のセレスティナは専ら彼と舌戦を繰り広げている。

 セレスティナと同様、彼もハッタリを交えつつこの交渉の妥協点を探っているところであろうが、経験豊富な役人だけあってなかなか真意が表情から読み取れず、妥協点が測り難い。


「ほう。しかし、賠償金を搾り取られるより戦争を継続する方が安くつくのであれば徹底抗戦するのもやむなしですが宜しいですか?」

「お得意の平原決戦であれだけ大敗を喫しておきながら、防衛戦だと勝てるおつもりですか? なかなかの自信ですね」


 ノルドハイム伯が交渉の決裂をちらつかせながら凄んで見せるが軽く受け流すセレスティナ。

 実情としては彼女の心中は戦場で数万の敵軍と対峙した時ぐらいに焦っているのだが、聖剣レーヴァティンが楔となって帝国側がそう簡単にこの交渉を打ち切らないという確信がある為にどうにか自信満々の態度を保てている。


 だがこの緊迫した空気に耐えられない者が居た。アルテリンデが堪らず「待って!」と議論に割り込む。


「帝国の財政はこれ以上の戦費の支出に耐えられない筈よ! それに今回の出兵で地方の農村は多数の働き手を失ってるし、更に負担を増やすなんて――!」

「……姫様、少々こちらへ……」


 帝国の窮状を暴露してしまったアルテリンデをノルドハイム伯爵とオズヴァルト子爵が部屋の隅へと連れて行く。

 和平交渉が始まってからたまに見る光景だが、きっと初心者のアルテリンデに交渉のイロハを伝授しているのだろう。さしずめ今日のテーマは『内情を隠してハッタリを利かせることについて』とかになりそうだ。


 セレスティナの斜め後ろで直立不動の姿勢を取るクロエが、その様子を見て小さく呟いた。


「……てんで素人よね。楽勝じゃない?」

「油断は禁物ですよ。初心者は時折定石外の一撃を予想もしない方向から繰り出してきますから」


 楽観的なクロエに釘を刺して、彼女は「それに……」と言葉を続ける。


「皇女殿下は女子力が高そうで正直なところ苦手なタイプです。おっとりした見た目に騙されがちですがああいった方は小手先の技術や理詰めが通用しなかったり嘘を見破る魔眼を搭載してたり本音でぶつかって心を揺さぶらないと動いてくれなかったりと厄介なんですよ」

「ふーん、まあ頑張れ」


 なんか実感の篭もった声で嘆くセレスティナをクロエが雑に激励する。そうしていると帝国交渉団が席へと戻って来た。


「待たせたわね。それで先程の続きだけれど、帝国としては首都までの広大な国土に縦深陣を敷いて迎え撃てばテネブラ軍といえども多大にして無用な犠牲は避けられないのは明白よ」

「あ、そこまで戻られるのですね」

「つまり引き分けも同然ということよ。だとしたら和平を結ぶにしても対等な条件で双方納得してからにすべきだわ」

「……すみません。侵略戦争仕掛けておいてその言い分は些か苦しいかと…………」

「…………やっぱり貴女もそう思うわよね…………」


 引き締めた表情をへにょん、と崩して項垂れるアルテリンデ。ハッタリで押し通す交渉術は向いていないらしい。

 つい頭を撫でて慰めたくなる衝動に駆られるが、交渉の場ではその油断が命取りに繋がる。意識して心の温度を冷ましたセレスティナは冷然と事実を告げる。


「それから……帝国の皆様が誤認しているように見受けられましたが、戦争の継続に関して『帝国が厳しいのだから魔国(テネブラ)も厳しい筈だ』と思い込んでいませんか? 実情は軍部の方は戦争エンジョイ勢揃いでして、攻め込む気満々なのを外務省がどうにか押し留めてるだけですので、戦争の継続を仄めかしても我が国に対しては脅しにならないことをご理解頂ければと……」


 その言葉にカルチャーショックを受けたらしいアルテリンデが驚いた様子で顔を上げると、「姫様、騙されてはなりませんぞ」とオズヴァルト子爵が殊更低い声で忠告する。

 信じるべきか疑うべきかしばし苦悩したアルテリンデは、やがて真剣な表情になり試すような問いを投げかけてきた。


「だとしたら、外務省は……いや、貴女自身は、どうしてそこまでして和平交渉に拘るの? 平和を願うだけで軍に反発して単身で帝都まで来る程のリスクを負えるものなの? それとも利権だったり名誉だったりの為かしら?」


 講和条件そのものとは無関係なように思える質問だが、ここが重要な局面であることをセレスティナは肌で感じ取った。

 間違いなくアルテリンデ皇女はこの問いに対する答えから、セレスティナという人物が信頼に値するかどうか見極めようとしているのだろう。


 もしセレスティナが少しでも嘘や誤魔化しの混じった回答を返し、そのことをアルテリンデが見抜いたならば、待っているのは信用の失墜。

 それはつまり、事態はこの和平交渉の行く末が危ういだけに留まらず、この先セレスティナがアルテリンデ皇女と仲良くなって一緒にお風呂に入れる希望も絶たれてしまうことを意味する。


 先程彼女自身が語った本音でぶつかって心を動かさなければならない局面が意外と早く訪れたことにこっそり溜め息を吐き、暫くの沈黙の後にセレスティナは理由を述べた。


「私が平和を望む気持ちはアルテリンデ皇女殿下と同じだとお伝えしたいところですが、更に決定的な出来事が最近ありまして……」


 気付いたら喉が渇きを訴えていたので、そこで言葉を区切ってお茶を一口味わう。ここからは交渉のセオリーから外れた賭けの領域であり、彼女が得意とする理論武装が役に立たない。


「……先の魔国(テネブラ)と帝国の戦闘――“フルウィウス草原の決戦”の時に、実は私も砲台として従軍しておりました。勿論出たくて出た訳ではありませんが結果的にそうなってしまった訳です……」

「――っ!?」


 声にならない驚愕が帝国側交渉団3名の喉から漏れる。斜め後ろではクロエも「それ言っちゃって良いの!?」という顔を浮かべていたがセレスティナからは見えない位置なので彼女には伝わらない。


「――やはり、貴殿が“魔界の白い魔女”なのか!?」


 オズヴァルト子爵が机を叩いて腰を浮かし詰問してくるのに対し、慎重に答えを選ぶセレスティナ。


「……そのあだ名は帝国側が勝手につけたものですので誰の事を指しているのか確かめないと何とも言えませんが、帝国領内の噂を効いた限りだと半分ぐらいは事実無根です」

「では、帝国軍が降伏したにも関わらず攻撃の手を緩めず広範囲の炎の魔術で焼き払ったというのは事実なの?」

「私に限って言えば虚偽です。本当は追撃する軍部も止めたかったのですがそんな権限も発言力もありませんでした……」


 優雅な佇まいながらアルテリンデの言葉はまるでレイピアを喉元に突きつけるかのようなプレッシャーを帯びている。

 セレスティナは彼女の目を真っ直ぐに見つめて答えた。恐怖に打ち勝って一歩ずつ慎重に前に踏み込まなければならないのはまるで綱渡りをしているかのようだ。


 先日の勇者シャルラとの戦闘時以上に心と神経が磨り減っていくような錯覚に捕らわれつつ、セレスティナは話を続ける。


「ですが、両軍がぶつかり合っていた会戦の途中、私の魔術で多くの帝国兵の命が燃え尽きたのは確かです。その時は一人殺す毎に手に血の匂いが染み付いて……心が次第に黒く塗り潰されて、自分が人として大事なものを失い恐ろしい化け物に近づいていくような、そんな絶望感を味わいました」

「……魔界の魔族も、思ったより私達と感性が似てるのかもね」

「殺された側にしてみれば被害者面するなと言いたくもなるでしょうけど、実際に戦場に出たからこそ本当にもうこれ以上殺すのも殺されるのも他の人に同じ思いをさせるのも御免だと強く思って、帝都(ここ)まで赴きました」


 そこまで語り終えたセレスティナに、アルテリンデは怒ったような悲しむような様々な感情がない交ぜとなった瞳を向けてくる。

 女子力に乏しいセレスティナが彼女の思いを遠心分離機にかけて分析しようと悪戦苦闘していると、やがてアルテリンデ皇女が静かな声で語りかけてきた。


「……色々言いたいことはあるけれど、テネブラ側にとっては国土の防衛戦なのよね。同情はしない代わりに責めることもしないわ。貴方達もそれで良いわね?」

「む、むぅ……」

「い、致し方ありませんな……」


 左右に控える相談役の文官達を目で牽制するアルテリンデに、セレスティナは「ご理解、感謝いたします」と頭を下げた。


「本当なら、白旗を掲げた後の攻撃は人道に対する重大な罪なのだから大幅な請求権相殺の材料になったものを、デーゲンハルト卿があんな書類残していくものだから……」

「宣戦布告証明書の事ですね。帝国の勝手な都合で侵略戦争を仕掛けてくるからどれ程の反撃を受けようとも自業自得だと一筆貰ったあの時の…………そう言えば、そのデーゲンハルト閣下はどうされてますか? てっきり今回の交渉にも噛んで来るかと思っていましたが」

「彼は外交官の職務を降ろされたわ。帝国が不利になる書類に独断で署名した事に加えて、聞けば職務で外国に出張した際に隠し子を作ってたなんて破廉恥極まりない噂が出て来て、帝国外交官の格と信頼を損ねたのよ」

「酷い話もあったものですね……」


 非道い話もあったものである。


「それで、セレスティナ外交官が平和を望むのは分かったけれど、これ程の額の賠償金を課されたら分割だとしても帝国の民が孫や曾孫の代まで奴隷状態にさせられることになるわ。それだとただ戦争状態にないだけで経済的に虐殺されているも同然で平和とはかけ離れていると、そう思わない?」

「……仰りたい意味は理解できます」


 実際、セレスティナの知る地球の歴史でも二度に渡る世界大戦に至った経緯から懲罰的な賠償金で国民生活を圧迫するのは悪手であると理解はしている。

 これに関して強硬な軍部の主張とどう折り合いをつけていくかも彼女にとっては頭の痛い問題だった。


「貴女はこの賠償金の算出の根拠に、過去に連れて行かれた国民や資源の分も含むと、そう言ったわね? だとすると以前にテネブラの軍事攻撃で破壊されたルイーネの町の被害分も帝国側から請求できる筈よ」


 その要求に、セレスティナは交渉の潮目の変化を感じ取った。今までは賠償金を払う払わないの問答だったのが減額交渉に切り替わったからだ。

 先程のアルテリンデの問いかけに対する正直な返答がきっかけかどうかは推測の域を出ないが、何れにしても交渉が大きく前進したのは間違いない。


 内心の歓喜を表に出さないよう細心の注意を払いつつ、セレスティナが応じる。


「……そうですね。国の方針もありますから賠償という形は取り難いですが、お見舞いの名目で減額に応じる事はできます」


 直接の交渉相手がノルドハイム伯爵やオズヴァルト子爵のような老練な人物だったらここはもう少し渋っても良い場面だが、根が素直なアルテリンデには同じように素直に対応した方が有効だろう。そう判断したセレスティナは手元の紙の数字をあっさりと1500万から1300万へと修正した。


「……も、もう一声!」

「下町のお店じゃないんですから……」


 これ以上は更なる交換条件の提示が必要ないわゆるオプション取引となる。暗にそう伝えたセレスティナに今度はクロエが「ティナ、ちょっと……」とドレスの端を引っ張った。


「何考えてるの!? 賠償金は軍部からの絶対条件なのに独断で減らすなんて! 議会で通すアテでもあるの!?」


 部屋の端で小声ながらも鋭い語調のクロエにセレスティナは申し訳無さそうに答える。


「いえ、元々こうなることを見越して軍部と合意した金額からは外務省の独自裁量で引き上げてますのでまだ許容範囲内です」

「聞いてないわよ!」

「そこは申し訳ないですが、予め全部伝えておくとクロエさんの反応からこちらの状況とか限度額なんかが読まれてしまいますので……」


 裏を返せば、今のような小芝居をあえて相手方に見せることで交渉の確かな手応えを感じさせ、話が纏まり易くなるようにする作戦らしい。先程の帝国側のやり取りを見てクロエがアルテリンデ皇女を見定めた事の逆視点という訳だ。


「~~っ!! ……来る途中美味しそうな串焼き屋があったから帰りにティナの奢りってことで手を打つわ」

「はい。金貨100万枚単位のせめぎ合いに比べたら安い経費です」


 そうやって話を纏めて自席へと戻ると、居住まいを正したアルテリンデが待っていた。


「……お待たせしました。その様子だとまた新たなご提案がありそうですね」

「そうね。確か賠償金以外の条項だと戦争責任者の処罰と皇帝陛下直々の謝罪が棚上げの案件になっていた筈……」


 決意を秘めた顔でこちらを見据える彼女が続けた言葉は、まさしくセレスティナが危惧した斜め上の角度からの痛撃。


「私、アルテリンデがこの度の戦争の責任を取って身柄をテネブラに差し出すわ。這いつくばって謝罪もするしそこで処刑されても構わない。それと引き換えに罪の無い帝国臣民への負担はどうか手心を加えて欲しいの」



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