122話 和平交渉・1(第一印象で場を支配せよ)
▼大陸暦1015年、轟弓の月24日
「姫様、交渉事の基本はまず第一印象で優位に立つことです。そんな地味なお召し物だと舐められてしまいますよ」
「そう、かしら? 交渉に赴くのだからパーティのような派手なドレスは場違いだと思ったのだけど……」
その日の朝。テネブラとの和平交渉に赴くアルテリンデ皇女が決戦の場に着ていく戦装束を選ぶと、横からお付きの侍女であるエーファが異を唱えてきた。
薄いピンク色をした標準的なデザインのドレスは素材も縫製も勿論最上級の品質で外交の場に相応しく、彼女もお気に入りの一着だったが、エーファには不満があるらしい。
「だって会談の相手は魔界の使者ということでしたよね? この前殿方向けの本で見た闇の暗殺者サッカバスのようにこの寒い中でも水着みたいな際どい服で下品な乳と尻を見せびらかしながら登場するに違いないですよ。だってサッカバスは半裸がユニフォームですからっ!」
「……どこで仕入れた知識なのよ……」
「でしたら姫様も威圧負けしないよう対抗して頂くのが最善と思います。幸いにして姫様はプロポーションも素晴らしいですから、きっと大人っぽい衣装もお似合いになられると思いますっ」
そう言うエーファの手には、少しばかり――アルテリンデの基準では顔から火が出る程に際どい真紅のドレスが掲げられていた。誰がいつの間に仕立てたのかは謎だが多分アルテリンデの体型に合わせて作られたのだろう。
「さあ姫様! これも帝国の未来、ひいては帝国の子供達が無事に大人になれる平穏な治世の為です!」
「そ、そんな言い方は卑怯よ!?」
迫り来る圧に思わず後ずさるアルテリンデだったが、元々押しに弱い彼女がエーファの勢いに流されるのはもはや時間の問題だった。
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会談の場所に指定されたゼクトシュタイン公爵の屋敷は、帝都中心部に陣取る貴族邸宅の中でも一際広大でそして豪奢だった。
手入れだけで十人単位の庭師が必要そうな庭園を抜け、本館へと招き入れられると、広い玄関ホールには元の主人のイメージからは想像できないような繊細な調度品や絵画の数々がセレスティナとクロエを歓迎する。
「せ……セレスティナ・イグニス様ですね……? そ、それでは、お部屋にごあんにゃい致します」
屋敷の使用人の一人であろう、まだ若いメイドが進み出てセレスティナ達を応接室へと先導する。
何か失礼を働けば取って食われるなどと失礼な事を考えているのか、蒼白な顔色でガチガチに緊張しているのが気の毒だった。
「はい。宜しくお願いします」
「ッ!? は、はわわわわ……こここ、こちらこそ恐れ入ります!」
対するセレスティナも敵意が無い事を伝える為に笑顔で淑女の礼を取ったが、その動きが僅かながらぎこちなかったのをクロエは見逃さない。
手と足を同時に前に出しつつがしゃこんがしゃこんと歩む目の前のメイドに気取られないよう、小声で囁く。
「……ねえ、ティナ。もしかして昨日の戦いの怪我がまだ残ってる?」
「……怪我自体は治ってますが、魔眼解放したりレーヴァティン持ったりした後遺症ですかね。筋肉痛と魔力路痛が少々……」
そう答えたセレスティナの窮状に、クロエは何故か得意げな笑みを浮かべた。
「ふふん。まあティナって剣より重い物は持てないひ弱なお嬢様だからしょうがないわね。もしもの時はあたしが守ってあげるから安心して良いわよ」
「……ではピンチの時は頼りにしてますね」
最近裏方仕事続きで暴れ足りないという本音がぴこぴこと索敵レーダーのように動く猫耳に宿っているのが見て取れる。
とは言え彼女に好き勝手に暴れさせると大抵死人や行方不明者が出るので手綱はしっかりと握っておかなければならない。
また魔獣狩猟ツアーでも開催しようか、などと落とし所を探っているうちに、彼女達は重厚な扉の前へと辿り着いた。
「で、では、こちらの応接室にお入り下さい。ごごご、ごゆっくりどうぞです」
案内のメイドさんがそう言って転びそうになりながらそそくさと退出するのを見送り改めて応接室を見回すと、権力や財力を誇示する内装に負けない程の存在感と輝きを纏った令嬢が彼女達を待っていた。
「お初にお目にかかるわ。私は神聖シュバルツシルト帝国皇帝ヴォルフラムの娘にして、外務省付き特別秘書官として貴国との交渉を担当することになった、アルテリンデ・フォン・シュバルツシルトよ。両国の未来と平和の為にも誠実に対話に応じることを精霊王と精霊神に誓うわ」
そう言って優雅な所作で右手を差し出してくるアルテリンデ皇女。
完璧に結い上げられたダークブラウンの髪は身体を大きく見せて精一杯威嚇する小動物のようで可愛らしいが、そこに装着された色とりどりの宝石を抱く髪飾りの数々の総額はきっと可愛さとは対極に位置するだろう。
身に纏う真紅のドレスは身体のラインをくっきりトレースしたタイトな仕上がりで、彼女が動く度に深く切り裂かれたスリットから黒い薄手のストッキングに包まれたおみ足が見え隠れする。
そして極めつけは大きく深く開いた胸元だ。ドレスの上から締め付ける黒皮のコルセットがたわわな果実を「ぎゅむっ」と押し上げており、何かの弾みで零れ落ちないか期待……ではなく、心配が尽きない。
「…………初めまして。テネブラ外務省所属筆頭外交官、セレスティナ・イグニスと申します。アルテリンデ皇女殿下の実にご立派なおっ……えっと、想いは、確かに受け取りました。私としても目指す先は同じですのでどうぞ宜しくお願いいたします」
吸い込まれそうになる見事な谷間から慌てて目を逸らし、筋肉痛を堪えて握手に応じるセレスティナ。
その後、セレスティナの侍女兼護衛を勤めるクロエおよびアルテリンデ皇女の両脇に控える二人の帝国側文官を互いに紹介し、顔合わせを終えた。
帝国の文官は両者とも城内でも立場が高そうな中年男性で、そのうち片方は宰相の下で財政問題に携わるウルリッヒ・フォン・ノルドハイム伯爵、そしてもう一方はセレスティナ達が昨日会った人物だった。
「帝国外交部からの相談役はオズヴァルト子爵閣下でしたか。その節はどうも」
「うむ。それよりも聖剣レーヴァティンは帝国の至宝。何としてでも返却して頂きたい」
「そこは交渉次第なので今すぐ確約はできませんが……ただそれに先立ちまして、“フルウィウス草原の決戦”の戦没者達の遺品をまずお届けする用意はございます」
その申し出を聞いたアルテリンデ皇女達が言葉を失くす中、セレスティナの代理でクロエが荷物から幾つかの木箱を取り出し、机に並べる。
セレスティナとしては、死者の弔いまで外交カードにしたくないのと遺品に帝国兵達の怨念が篭もってそうで可能なら早く手放したかったのが半々という感傷に傾いた事情だが、帝国の交渉団には予想以上に好意的に受け止められた。
「武具や貴金属の類は戦利品として扱われましたので、それ以外の認識票や手作りの御守りとかご家族からの手紙が主ですが……」
「いえ、十分すぎるくらいよ……本当に感謝するわ……」
目に涙を浮かべつつアルテリンデが謝辞を述べ、オズヴァルト子爵も神妙に頭を下げて箱を受け取った。
人の命が軽くて安い印象のある帝国だが、臣民の死に対して心を痛める感性は他国と比べてさほど違いが無いように思え、これ以上の無益な戦争を避ける目的に向けてセレスティナは確かな手応えを感じ取る。
「それにしても、セレスティナ外交官は予想通り優しい心の持ち主で良かったわ。我が国の勇者との戦いの時も、彼女が怪我をしないよう気を遣ってくれたのでしょう?」
「ひ、姫様! 以前からも申し上げておりますが外見や第一印象で欺かれてはなりませぬぞ!」
「そ、そうですよ! 私は優しくなんてないですから! クールでクレバーな外交官ですからねっ!」
皇女の昔の教育係の一人でもあったというノルドハイム伯爵の苦言に同調してセレスティナも照れ隠しのように否定すると、その様子にアルテリンデ皇女が「ふふっ」と場を和ませる笑顔を浮かべた。
好ましい人柄なのは間違いないが、交渉人の立場からだと素直すぎて悪い人に騙されないか心配が湧き上がる。
「魔界からの使者もそういう冗談を言うのね。やっぱり自分の目で確認しないと人の噂なんてあてにならないわ」
「軽く流されました!? ……ですがそれを言うのでしたらアルテリンデ皇女殿下こそ、お噂で聞いたイメージと比べて随分と――」
「その話は止めて。私だって早まったと思ってるのだから。幾ら魔界が常識の通用しない魔境と言っても半裸の痴女が公式の場に現れるなんてどう考えてもありえないのに」
「ソ、ソウデスネ……」
手の中で広げたゴージャスな扇で胸元と顔の下半分を恥ずかしそうに隠しながらくぅと歯噛みするアルテリンデ皇女。
一方、祖国に帰れば年中下着同然の姿で出歩く淫夢族のお姉さま方に知り合いが居るセレスティナとしては目を逸らして棒読みで返すのが精一杯だった。華やかで一部の人には大人気の種族ゆえに人間の国でも逸話や伝説が残っていたのだろう。
淫夢族の僅かな名誉の為フォローするなら、彼女達も会談等のフォーマルな場ではきちんとガーターストッキングや網タイツを着用して露出を抑えているのできっとセーフだ。
そんなセレスティナの動揺を知る由も無いアルテリンデは、地の底から這い出るかのような声で低く呟いた。
「……エーファ、後で絶対しばく……」
「この業界だとご褒美ですね」
「なんで!? 本当になんで!?」
姫君を騙す奸臣は意外と近くに居たらしい。その辺の事情を察して羨ましそうに目を輝かせるセレスティナに、業界人でないクロエの心底理解できないといった疑問の声が応接室に空しく響き渡った。
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そのようにして顔合わせと雑談を終え、本格的な講和会議を午後から開始することにして一旦休憩に入った交渉団一同。
だがアルテリンデが昼食後に戻って来た時、その装いは慎ましやかな薄いピンクのドレスと白タイツに変貌していた。
豊かなブルネットも編み込みを解いて背中まで流し、申し訳程度の髪飾りが添えられていて、先程までよりずっと清楚で落ち着いた印象を受ける。
「……ああ、貴重な谷間が…………」
きっとこれが彼女の本来の姿なのであろう。そう分かってはいるがそれでも残念そうに肩を落とすセレスティナと帝国側文官2名。そしてそんな残念なおっさん3人を見やりクロエも残念そうに眉を落とした。
「え? 何? 皆どうしたの?」
「……いえ、美しさはその儚さゆえに更に価値が高まる……そのことを今日は心の奥底で理解しました。花見に行きたいと思った時には既に桜が散った後というのが世の常なのですね」
そこまで言ってセレスティナは微妙な空気を振り払うように自分の頬を叩いて気合いを入れ直し、これから始まる両国の命運を賭けた決戦の舞台へと座すことにした。




