121話 薔薇庭園でお茶会を・2(高度な技術論)
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その日の夕刻、ノイエ・アイゼンベルグ城の皇帝執務室に国政に関わる主要メンバーが緊急招集された。
“白い魔女”が勇者シャルラを撃退し、更には国宝たる聖剣レーヴァティンを奪い取ったという情報が、それだけ帝国上層部に大きな衝撃を与えたということだ。
「どういうことだ! 何故聖剣が奪われる!? 持ち主以外には使えないのではなかったのか!?」
第一皇子エドヴィンが射殺さんとするような凶相で睨みつけると、その視線の先に居た技術庁の役人がびくりと身体を強張らせる。
「も、勿論です。皇子殿下もご存知の通り、炎の聖剣レーヴァティンには使用者登録の機能が備わっております故、使用者の固有の魔力波形を鍵のように認証しますので他人には決して扱えない筈でございます……」
「ならば勇者が呼べばまた戻って来るのではないのか!?」
「た、試してみましたが反応が無く……し、しかしながらっ、使用者登録を書き換えるにはまずその時の使用者である勇者シャルラ自身による開錠の魔力認証が必要になりますので、他人による成りすましは不可能かと……」
魔力波形は声と同じで目に見えないし意識して変えようとしても限界がある。従って他人のふりをして認証を突破するのは技術庁に所属する彼の知識や経験をもってしても不可能と断ずる程である。
よしんば自分達人間族の常識を超えた魔物特有の魔力操作がもしできたとしても真似ができるのは目の前で見た炎の魔術のみで、普段使うことのない施錠や開錠の魔術をゼロから再現できるとは到底考えられない。
補足すると、勇者が裏切ったり急死したりした時に備えて技術庁を含む帝国上層部が管理者権限で使用者の登録や解除を行えるが、それをするには聖剣本体がその場に必要だ。
しかし聖剣を“呼ぶ”機能は現場の使用者にしか許可されていない。前線で戦っている最中に聖剣が勝手に手から離れる悲劇を防ぐ目的なので仕様通りの動作である。
「チッ、大陸最強の勇者が聞いて呆れる。勇者も技術庁も、此度の失態にどう責任を取る!?」
「……兄上。技術庁から説明があった内容はあくまで『これから実戦経験を積む事で大陸最強になれる程の潜在能力を秘めた勇者』というもの。都合の良い単語を切り出して曲解した挙句に失敗の責任を配下に全て被せるのは上に立つ者としての器量が問われましょう」
そこへエドヴィン皇子に苦言を呈することのできる数少ない人物のジークバルト第二皇子が口を開いた。
もっともその説明以前に、孤児院出身で最近まで碌な教育や戦闘訓練も受けてこなかった小娘がいかに聖剣の力を得ようとそう簡単に大陸最強になれる筈もないのはこれまで戦闘に触れてこなかったアルテリンデでも少し冷静になって考えれば結論に至る話であり、「大陸最強」という言葉に踊らされて判断を誤るのは余程の脳筋だけだろう。
そのアルテリンデは兄の言葉に思わず頷きそうになり、慌てて首を固定した。両親を含む周囲の大人達から過保護に育てられた結果、政治的な発言やそれに近い態度は極力抑えることが頭と身体に染み付いていたのである。
耳に痛いジークバルトの言葉を受け、エドヴィンが怒りの矛先をそちらに向けようとしたその時、この部屋の主である皇帝ヴォルフラムが重い沈黙を破った。
「エドもジークも優先順位を見誤らぬように気をつけよ。この場でまず第一に決めなければならないのは何だ? 責任者探しではなかろう」
敗戦の報を受けてから少し憔悴したところはあるが、それでも一睨みで息子二人を黙らせ、会議の本道へと修正する。反射的に居住まいを正す王子達。
「はっ。どうやって炎の聖剣レーヴァティンを我が帝国の手に取り戻すか、でございます」
「……エドよ、目の前の事象しか見えなくなると判断も曇る。間違ってはいないが不十分だ」
「魔界から来た外交官にどう対処するか、でございますね」
「ジークの答えは無難だが具体性に乏しい傾向がある。時にはもっと大胆に切り込んで見せよ」
性格も得意分野も正反対な二人の皇子に駄目出しをしつつ心の中で嘆息した皇帝の目線の先で、細い手が控えめに挙がった。
こういった場では同席していても殆ど聞き役に徹する事が多かった彼女が発言を求めるのは珍しく、皇帝ヴォルフラムも意外に感じつつも彼女に発言を促す。
「ふむ。アルテも何かあるのか?」
「はい。政治にも軍事にも疎い非才の身ではございますが、それでも火急に決めるべきは魔界の外交官との明日から始まる会談に誰が責任者として座るか、その一点だと愚考します」
既に会談を規定路線と断じた彼女の言葉に、執務室にざわめきが広がる。
それでも否定の声が出てこないのは、他に手の打ちようが無いことに皆が薄々感づいていたからだろう。
先の会戦での大敗に加え、帝都の往来での襲撃の件もあり、今や帝国の外交的失点は挽回不能な程に積み重なっている。その事実が重く濁った空気となってのしかかる中、この場に居る皇帝の配下の面々が言い難い事実を彼女が勇気を総動員して指摘したのだ。
「……そうだ。勇者と聖剣の力を見せ付けて交渉を優位に進めるつもりが、今や主導権は向こうの側にあることを認めねばなるまい。責を負うとすれば余を含めて先の会議の場で賛意を示した皆ということになるが……」
「へ、陛下っ! 滅多な事を仰るものではっ!」
「ならばこの件の責は不問とする。それよりもアルテの言うように会談責任者の方が重要な問題だ。知っての通り少しばかり難しい交渉になるが帝国の命運を賭けた栄誉ある任務であるぞ」
そう告げて臣下を見渡すヴォルフラム。だが彼らとしては皇帝が満足する形での成功の見込みが極めて少ない交渉は栄誉より恐怖が先に立つ。
交渉の難しさについては皇帝自身も言及したので失敗したら即処刑とまでは行かないだろうが、実績に大きく傷がつき今後の出世も期待できなくなるだろう。それに最悪の場合、交渉相手の“白い魔女”の怒りに触れてその場で撃ち殺される末路もあり得る。戦場慣れしていない者が大半を占める文官組にとっては想像しただけで足が竦みそうだ。
「ここはやはり、専門職である外務省の外交官を出すのがよろしいかと」
「いやいや、事は既に外務省の手に余る大きさに至っておりますれば。恥ずかしながら宰相閣下にお任せする他ないと思われます」
早速宰相と外務大臣が“生贄”の押し付け合いを始めた矢先、母親譲りの穏やかな眼差しに決意の光を秘めたアルテリンデが再び挙手した。
「他に適任者が居ないのでしたら、僭越ながらその大役、私めが引き受けたく思います!」
「――なっ!? 正気か!?」
娘のその言葉は予想外だったらしく、ヴォルフラムが珍しく慌てた声を上げた。
「元より先の戦争で婚約者を失い、最早失う物はこの命を除いて何も残っていない身。ならば後は帝国の為にこの身を燃やし尽くすのみです」
「ダメだ! 危険すぎる! 相手はあの暴虐な“白い魔女”! 自衛の能力を持たないアルテをそんな奴の前に出すのは許さん! それならば代わりに俺かジークがっ!」
エドヴィン皇子が制止をかけようとするも、アルテリンデに引き下がる気は無いようで、穏やかな態度は崩さないままに反論を述べる。
「いいえ兄上、そこまでの危険は無いと思うわ。報告の通りなら、勇者との戦いの時に魔界の使者は攻撃魔術を一切使っていないもの。撃退するだけなら……ここではちょっと言い難いけど、もっと、その、一方的な決着になった筈よ」
「なっ……」
「更にその魔界の使者は怪我をした勇者に治癒魔術をかけてあげたでしょう? これは平和を望むという明確なメッセージであって、帝国側も誠実に受け取って向き合うべき。そうやって初めて交渉のスタートラインに立てると思うの」
このメッセージを素直に受け止めきれず相手を野蛮な魔物と蔑む傾向が強い兄皇子や城の重鎮に交渉を任せても、恐らく決裂するだろう。彼女にはそんな確信めいた予感があった。
「第一、戦場で間近で顔を見た者も居ないのにどうしてあの者が“白い魔女”本人だと決め付けるの?」
「それはっ……あれ程の力のある魔女が同時期に二人現れるなどありえないだろうっ……」
「髪の色と兵種が似てるだけなら性格が正反対の姉妹という可能性だってあるわね。第一外交官が戦場で攻撃魔術を繰り出す方が余程ありえないと思わない?」
「ぐ、ぐぬ……だがもし万が一、アルテの身に何かあったりしたら……っ!」
「その時は、魔界の外交的失点として帝国が有利なカードを一枚手に入れるだけよ」
あっさり言い切ったアルテリンデの言葉に今度こそ一同が言葉を失う。
家族や臣下達が抱く彼女の人物像は、見目が麗しいだけでやや夢見心地な言動のある典型的な“お姫さま”であって、帝国の窮地に彼女がこれ程の覚悟と強さを表すとは誰が想像しただろうか。
「それに、魔界の使者と言えども同じ乙女同士。美味しい物でも食べながら話し合えばきっと分かり合えるはずよ」
ふんわりとした笑顔でそう断言する彼女を見て臣下達は「ああ、いつものアルテリンデ姫殿下だ」と少し安堵した。
やがて、彼女の決意が固くこれ以上の説得も難しいと見たヴォルフラムが、重い口を開いて判断を下す。
「……………………良かろう。ではアルテ。いや、アルテリンデ第一皇女に帝国の命運を託すことにする。今日付けで外務省付き特別秘書官へと任命し、魔界テネブラとの交渉権を付与する」
「――陛下っ!?」
「……謹んで、拝命いたします」
「うむ。但し、実務面での補佐として宰相と外務大臣が一人ずつ選任せよ。その際は念の為遺書を書かせておけ」
皇族として相応の教育は受けているが国家間交渉に関してアルテリンデは素人同然だ。従って交渉の窓口そのものは彼女が担うとしても実際に条件を検討したり証書を作成したりするには専門家の助けが必要である。
だがそれでも、交渉の矢面に立つのは彼女自身であり、ただのお飾りのお姫様ではいられない。帝国の未来を繋ぎ止める為にもプレッシャーに押し潰されそうになる心を必死に奮い立たせる彼女だった。
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その後、帝国側の決断はオズヴァルト子爵を通してセレスティナ達にも伝えられた。
すっかり日が落ちた時間であるが、篝火代わりに突き立てた聖剣レーヴァティンのお陰で薔薇庭園は春の日の真昼のように明るく温かい。
対応する担当者はアルテリンデ第一皇女、そして講和会議の場所は今や持ち主が居ないゼクトシュタイン公爵の帝都での別荘に決められた。考え得る中でも最良の結果と言えるだろう。
「委細、了解いたしました。ご対応感謝いたします。それでは明日からまた宜しくお願いいたします」
「ぐっ…………」
今日の戦果に満足して笑顔で撤収準備を始めるセレスティナに、対照的に苦い表情になるオズヴァルト子爵。
その無言の苦情を受け流しつつ、今回の最大の功労者であるレーヴァティンを台座から引き抜こうとして、自分一人では力が足りずにクロエに手伝って貰いつつ何とか《容量拡大》を施した鞄に収納して、最後に台座を土に帰してノイエ・アイゼンベルグ城を後にした。
重い聖剣を自力で運べずに城内に捨て置く事を期待したのか、見送るオズヴァルト子爵の視線は恨みがましさの篭もったものであった。
国の方針に振り回される下っ端の悲哀はセレスティナも十分身に覚えがあるので心の中で謝りつつ、改めて聖剣レーヴァティンの交渉カードとしての価値を思い知る。
実際にあの後女官達が慌てたように持って来た茶菓子も高級な小麦やバターをふんだんに使った贅沢な物で、聖剣一振りにここまで掌が翻る様子を見るのはなかなか貴重な体験だ。
「それにしても、レーヴァティンの使用者権限を上手く乗っ取れたのは大きかったですね。本来使用者登録された魔道具は指紋や声紋みたいな本人固有の魔力波形を認識するものなのですが……」
「……うわ、面倒そうだからあえて聞かなかったのに遂にコイツ勝手に喋り出した」
やがて城を出てこれから今日の宿を探そうとしたところで、説明したがりの技術者の血が騒いだらしく隣を歩くクロエにだけ聞こえる声で解説を始めた。
「フーリエ変換という算術を使えば波形をベクトル形式で管理できるようになりますから、レーヴァティンの炎を変換した時にシャルラさんの魔力波形を分析して私の固有波形との差分を割り出すことで、あとは魔力認証の鍵も差分をベクトル加算して逆変換すれば再現できるという寸法なんです」
「難しい話はちっとも分かんないけど……じゃあ実際に乗っ取ったのは治癒魔術かけた時に?」
「そうです。魔剣の類は柄が制御板の役目を備える物が殆どですから柄に触れる必要がありまして。予想通り聖剣も同じでしたね。あと暗算は今の私ではまだ無理ですから腕輪型の補助具を使いました。高速フーリエ変換は出来合いの電子回路が確立してますから魔道具に落とし込むのも比較的楽で――」
余程喋りたかったのか一つ聞くと二つか三つになって帰って来る多分高度なのであろう技術論の大安売りにクロエが苦笑しつつ、これ以上の情報流出を防ぐべくセレスティナの頬をむにゅっと摘んだ。
「そういうのは夜道で散歩がてら話して良い情報じゃないでしょ? 講演会でも開けば参加料取れそうな内容なんだからもうちょっと気をつけなさい」
「ちょっ、ひひゃいっ!?」
セレスティナにこれ以上好き勝手に喋らせると絶対眠ってしまう。そう本能で察したクロエは頬を摘む手を緩めつつも彼女の口は封じたまま、手頃な食事処と宿を探すべく平民街の雑踏へと引っ張って行くのだった。




