120話 薔薇庭園でお茶会を・1(こうどな こうしょうじゅつ)
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オズヴァルト子爵に先導されてセレスティナとクロエが訪れたのは、帝城の中庭に位置する庭園だった。
初夏の頃になると色とりどりの薔薇が咲き乱れ、セレブな貴婦人達の社交場になるのであろうその場所は、シーズンオフのため人気も温かみも失われていた。
緑はあれど花の一輪も咲いておらず、中央に設置された大きく優雅な噴水はこの時期に見ても和むものでなく、全体的に色彩が乏しい印象で。
そんな中、氷のように冷たくなった椅子に座ったセレスティナ達の前に、厚手のケープを着込んだ女官達がお茶を注いだカップを並べ、逃げるように退席していく。
「さて、まずは我が国の勇者が往来で突然斬りかかった件の謝罪をせねばなるまい。当然の事ながら帝城側は先の件に対して一切の指示などはしておらず、勇者シャルラ本人と彼女が帰属する技術庁の職員の独断であるがな」
「ふむ」
「従って、その責は実行者及び保護者が負うものとするが、幸いにも怪我人は出ていないようであるし、破損した衣服の損害賠償をまず立て替えようではないか」
そこまで言ってオズヴァルト子爵はテーブルの上に皮袋を置いた。中身が詰まっているようで重く硬い音が響く。
「あれを『怪我が無かった』と言うのは結果論の極みのような気がしますが……」
ボロボロに焼け落ちた袖から伸びる、白い長手袋に包まれた自分の右手を見つめながらも貰える物は貰っておくセレスティナ。
先の戦闘で負った火傷は《治癒》により完全に癒えて白磁のような美しさを取り戻しているが、聖剣の威力は凄まじく彼女の機転と魔術の腕とそれを支える魔力が無ければ一生残る傷跡どころか腕が焼失してもおかしくない程だったのは確かだ。
尚、今回は魔封じの手枷を嵌める処置は要求されなかった。一応対策はしていたが前回の事を踏まえると帝国側も無理筋と判断したことが伺える。
袖が焼け落ちたドレスもこの程度の損傷率なら拠点に戻れば修復可能だが、それはわざわざ言う必要も無いだろう。
「不満があるなら本人達に直接責任を取らせよう。一応謹慎及び賠償として帝城が立て替えた分の減給ということにはしたが……」
そこで言葉をとめて考えるオズヴァルト子爵。いや、恐らく答えは最初から用意しているのだろう、考える素振りだけ見せる。
「……そうだな、それ以上を求めるとなると、勇者本人はまだ14歳の未成年ゆえ広い心で許してやって頂きたい。その代わり保護者が責を負うということで勇者を唆した技術庁職員と勇者の育ての親である孤児院寮母の首を差し出そう」
「首、と言いますと?」
「無論、首を刎ねて死体を引き渡す」
「……要りませんのでどうか寛大な処置の方でお願いします」
「承知した。ではこの件はこれで手打ちということにしようではないか」
帝国流ジョークなのか本気なのか判断がつかなかったのでとりあえず固辞しておいた。交渉人としては失格の対応なのかも知れないが人道を捨ててまで実入りを狙う案件でもないのでセレスティナは後悔しない。
「では私も何かと多忙の身ゆえ一旦これで。そちら側の望む停戦交渉については実務協議の担当者を向かわせるからそれまでゆるりと我が帝城の誇る薔薇庭園を楽しまれると良かろう」
「了解しました。担当の方にも宜しくお伝え下さい」
そう言い残してオズヴァルト子爵も衛兵達を引き連れて城内に戻り、庭園にはセレスティナとクロエの二人だけが残された。
夏場に涼む目的で風通しが良くなるように造られたのだろう。時折冷たい風が吹き抜けて体温を容赦無く奪って行く。
早速ベヒモスの黒毛皮マントを取り出して着込んだクロエが、湯気に乗って芳醇な香りが漂う紅茶に口をつけて毒づいた。流石に女官衆はこの場でアイスティーを出す程命知らずではなかったらしいが、それでも憤懣やるかたないご様子だ。
「さっきの襲撃といいこの対応といい、帝国の奴等はもう一度宣戦布告してくるつもり? もう滅ぼしても良いわよね?」
「どうどう。傍目には喧嘩売ってるようにしか見えませんが、今回は前と違って帝国側も停戦交渉を進めたがってるのが分かりますので」
「……そうなの?」
思わず目を丸くして問い返すクロエに、セレスティナも同じく防寒用の黒マントを羽織って答えた。
「そうですよ。大体戦争なんてお金と労働力を無駄に消費するだけですから帝国としてももう続ける余力もないでしょうし」
「とてもそういう態度には見えないんだけど」
クロエの懐疑的な言葉に彼女は温かいお茶を一口飲んで喉を湿らせ、言葉を続ける。
「戦争を中断するにしてもできるだけ有利な条件を望むのは万国共通ですし。だからこうやって嫌がらせして怒らせたり冷静さを奪ったりするのが帝国流の高度な交渉術なのでしょう。相手に早く帰りたいと思わせれば妥協点がその分一歩二歩後退することもありますから」
「高度って何だったかしら……?」
「あとは私の見聞きした事例だと、会談にわざと遅れて相手を待たせたり、晩餐の料理や議場の花にあまり好ましくない政治的メッセージを含めたり、嫌がらせにもお国柄が表れますよ」
「理解できない世界ね……」
諦めたように呟くクロエにセレスティナも素直に頷いて同意を示した。
放置プレイは時間が勿体無いのでする方もされる方もあまり好きではない彼女としては、前哨戦は最低限で終わらせて本題の交渉に入りたいのが本音である。
「まあこれ以上帝国のペースに付き合ってると今年中に帰れなくなりますから、オズヴァルト子爵が引き伸ばしを続けるならそろそろ魔国流の高度な交渉術が火を噴くことになりそうですが」
「……高度って何だったかしら…………?」
などとひとしきり高度な外交談義を繰り広げ、それから手持ち無沙汰になった彼女達は賠償金として頂戴した皮袋の中身を確認することにした。
中から出てきたのは、個別に布で包まれた色とりどりの石の数々で、一応貴族令嬢の肩書きを持つセレスティナは一目でその正体に気付く。
「成程。現金かと思いましたが宝石の原石ですか。大きさも形も立派なものですしサツキ省長辺りが喜びそうですね」
「宝石? なんかただの色の付いた石ころにしか見えないけど」
「鉱山から掘り出した原石は大体こんな感じですよ。これを熟練の職人さんが加工することで輝きや透明度なんかが出せるようになるのです。が……」
宝石そのものよりも、職人の技術の方に興味が向いていそうな技術者の顔になって、彼女は言葉を続ける。
「名のある宝石職人はルミエルージュ公国に多く居ますから、今の帝国は原石を輸出して完成品を幾らか買い取るのが主流のようですね。勿論帝国にも宝石職人は居ますが、美術品方面にあまり力を入れてないのと優れた職人さんは軍事に取られてしまうのとで他国に比べると弱いようです」
「貧乏人には縁の無い贅沢品だし、しょうがないわね」
そう悟ったようなことを言いつつも人並みの乙女心の発露か宝石が気になるようで耳と尻尾を時折小さく動かすクロエを、セレスティナは微笑ましく眺めつつ彼女にどんなアクセサリが似合うか暇潰しも兼ねて思索し始めていた。
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「待たせてすまないな。担当者の選出については帝城の方で協議中であるが治安維持の観点上直接顔を合わすべきではないという声も多いのだ」
「……治安を語るのでしたらまずは自国民による暴力行為を取り締まって頂きたいです」
暫く時間を潰していると再びオズヴァルト子爵が薔薇庭園に現れたが、講和に向けての進捗は些か期待外れとなる返答だった。
「善処しよう。だが戦場の災厄たる“白い魔女”かも知れない相手と同室で対話しなければならない危険と比べると可愛いものだろう。戦場経験の無い文官には荷が重いという事情をどうか酌量して頂きたい」
「だとしたら、今日みたいに嫌がらせに勤しむのは、実際の交渉担当者の足を引っ張る愚策になりませんか? 現場の勝手な行動が結果的に味方に迷惑かけるパターンに陥ってる気がします」
自国でも軍部の暴走に振り回された経験が多いせいか、セレスティナの言葉にはまだ見ぬ交渉担当者に対する同情が強く感じられる。
オズヴァルト子爵も外務省所属とのことだったので交渉担当の一人かと当初は期待していたが、実際は帝国の都合を一方的に伝えるだけの伝書鳩に過ぎないようで、苦情の一つも言いたくなるのは仕方の無いことだろう。
「そういう訳なので上層部にお伝え願いたいのですが、低レベルな嫌がらせにはこちらも対抗措置を講じたいと思います。私が和平の使者として直接帝都に赴いた事が理由で帝国側が足元を見て強気になってるとしたら、その認識違いを正さなければいけませんので……」
魔国も国内事情が厳しいからわざわざ講和を望んで外交官を遣わしたに違いない――こういう帝国の思い込みがこの日の傲慢な対応の数々へと繋がったものと考えられる。
そして恐らくは帝国が大きくなる過程で周囲の国々を併呑した際も降伏の使者に対して同じようなことを続け、無理難題を押し付けてきたことに慣れているのだろう。
それ故に想定問答集も作られているようで、オズヴァルト子爵は余裕の態度を崩さずに薄く笑った。
「フッ。まさか、城内で暴れる気かね? 外交使節が暴力行為を働いたなど国の恥であるしその後の交渉に大きなマイナス点を残すだけになるぞ」
「そういう短絡的な路線からは少し離れるべきだと思います。差し当たりこの寒い中を今後も待たされるのはちょっとなんですのでここは一つ小粋な暖房器具でも準備させて貰いますね」
そう答えるセレスティナの真意が分からずについ眉を顰めるオズヴァルト子爵。
当のセレスティナは気にした様子も無く、手を高々と掲げ、言った。
「――来い、レーヴァティン」
「……は!?」
彼女の呼びかけに応じて手の中に転移してきたのは、見間違えようも無い帝国の国宝。赤く輝く大きな刀身が特徴的な炎の聖剣レーヴァティンだった。
それを見たオズヴァルト子爵は顎が外れんばかりの間の抜けた顔と声を晒し、セレスティナの奇行に慣れた筈のクロエでさえもツッコミが間に合わないようで呆けた表情になっている。
「……ふぁっ、重っ……よ、っと」
だがセレスティナの細腕で支えるには無理があったようで、殆ど取り落とすようにして足元に《石壁》の魔術で低く拵えた台座に切っ先を下に向けて突き刺した。
同時に柄から意識的に軽く抑えた魔力を流し込むと、赤い刀身が光と熱を帯びる。
「流石、炎と電気に親和性のある緋緋色金は暖房に最適ですね」
「しっ、神聖な聖剣を暖房にだと!? い、いや、それよりも! 貴様っ! 何故その聖剣レーヴァティンをっ!!」
早速聖剣の側で暖を取り始めたセレスティナの背後から、先程の余裕が根こそぎ消え去ったオズヴァルト子爵が絶叫した。振り向いたセレスティナは落ち着いた態度を崩さずに回答を述べる。
「どうやら先の戦闘の際に私が聖剣の新しい持ち主に選ばれたらしいですね。市井の噂でも“聖剣に選ばれた勇者”という言葉が登場しましたし、まあ割と良くある事ではないでしょうか」
「良くあってたまるかっ! そんな話は箔付けの情報操作に決まってるだろうが! 帝国の至宝をよりによって暖房扱いなどと……っ! 即刻返して貰おうっ!!」
「ですが、子爵閣下ご自身が手打ち宣言されましたよね。つまり勇者シャルラさんとの戦闘により発生した全ての結果において解決済みな訳でして、それを蒸し返すおつもりなら新たに条約とか合意とかそれなりの枠組みが必要になりますが」
「ぐっ……!」
最初に見せていた冷静さの仮面は今やすっかり剥がれ落ちたオズヴァルト子爵が顔を赤くして言葉を失った。
その機を逃さず畳み掛けるセレスティナは交渉人と言うよりもカードゲームの熟練者を思わせる雰囲気を纏っており、必要な場面と判断すると切り札を次々と切っていく。
「こちらとしては対等な立場での協議を希望しますし本来はそんなものは無条件で用意されるべきものですが、あえて見返りは用意しましょう。今日中にマトモな交渉担当者と場所を決めて頂いて明日から停戦交渉が始められるようになったその暁には、『この国の勇者は聖剣に見放された偽勇者だ』という無責任な噂話は言いふらさないでおいて差し上げます」
「なっ!? き、貴様っ! そ、そんな噂が広まったらっ……!」
「そんなに難しい要求ではない筈ですので、ご対応の程、宜しくお願いします」
「くっ……! しばし待て! い、いや、待って頂きたい!」
目に見えて慌てた様子で踵を返し、城内へと戻っていくオズヴァルト子爵。見送るセレスティナは聖剣の熱で身体を暖めることで優しい気持ちになったのか、穏やかな声音で返答した。
「了解しました。こちらとしても最重要な案件ですので城門が閉まるまで待たせて頂きます。あ、でもあまり遅くなるとお腹が空きますのでその時は聖剣で目玉焼きか焼き肉でも作りたいですね。聖なる炎で焼くとどんな味になるか興味深いです」
「やめてくれ! 城の女官に命じて茶菓子と軽食を用意させるから! だから頼むから何もせず大人しく待ってくれ!!」
最後は悲鳴のような声を響かせ、オズヴァルト子爵の姿が城内へと消える。それを見送ったセレスティナは、一つ疲れた溜め息をついた。必要なこととは言え、嫌がらせに嫌がらせで応酬する不毛な報復戦はどうも性に合わない。
「なんだかねえ。魔術が絡むとティナは相変わらずおかしいわね」
いつものこととはいえ、おかしい存在を見るようなクロエの目が心外だ。だがこの日はそんなクロエの目がふっと優しくなった。
「……でも、ちょっとスっとしたわ」
そう言って、良い仕事したとばかりに親指を立てたクロエに、セレスティナは複雑な笑顔で頷くのだった。




