119話 炎の聖剣の勇者(魔物絶対殺すガール)
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「覚悟しろおっ!!」
もはや金属塊と呼ぶに相応しい両手剣レーヴァティンを軽々と振りかざし突進してくる“炎の聖剣の勇者”シャルラ。
その腕力と脚力は明らかに人間離れしており、噂で耳にした『選ばれた者以外扱えない聖剣』という表現がある意味で間違っていないことを認識する。
固まったままでいると纏めて薙ぎ倒されかねない。一瞬の判断でセレスティナは迎え撃つように前方に踏み出し、シャルラの内懐へと入り込んだ。
「《防壁》、5枚!」
聖剣のえげつない攻撃力に対して防御魔術は薄紙程度の効果しかない。なのでセレスティナは横薙ぎに振るわれる聖剣の刀身ではなく柄とそれを握る手の軌道上に《防壁》を展開させた。
だが、剣の柄が防壁に衝突したその結果、耳を突くような破砕音と共に幾重にも張った防御魔術の外側2枚に亀裂が入る。
「――えっ!?」
「どりゃああああああああああっ!!」
そのままシャルラは強引に腕を振り抜くと、セレスティナの軽い身体は《防壁》ごと真横へと吹っ飛ばされた。
「ティナっ!?」
今の一瞬で馬の尻を叩いて広場の外に避難させたクロエが鋭く叫ぶ。
その視線の先でセレスティナは二、三度石畳にぶつかって転がり、最終的に《飛空》を発動して強引に体勢を立て直した。
息をつく彼女のすぐ背後には帝城を囲む高く厚い城壁と深い堀とがあり、立て直しがあと少し遅れていれば壁に激突して冷たい堀に転落していたであろうことが伺える。
吹き飛ばされることで結果的に間合いを稼いだ彼女は、この隙に集中を高め、切り札である魔眼を解放した。両の瞳が人ならざる輝きを放ち、身体の周囲に膨大な魔力が渦を巻く。
黒い帽子もさっきの衝撃で脱げ落ちて銀髪が曝け出され、隠そうにも隠せなくなった魔族特有の異形にシャルラの眉が不快そうに跳ねた。
「遂に本性を現したか! この化け物め!」
「……化け物はお互い様かと思いますが。さっきの馬鹿力、魔族でも滅多に見ませんよ。鬼人族の末裔か何かですか?」
「っ! 五月蝿いっ! 黙れっ!!」
煽り耐性は低いようで、彼女の怒りに呼応して聖剣の纏う炎が更に一段階勢いを増した。
「ティナ! 援護するわ!」
「いえ、クロエさんは周囲を! きっと黒幕が居ます!」
横手から銃型クロスボウを手に狙いを定めてくるクロエに対し、セレスティナはシャルラから目を逸らすことなく鋭い声音で制止をかける。
偶然の邂逅にしては場所もタイミングも合いすぎて不自然であるし、それに何より目の前の少女は控え目に言うとあまり思慮深そうに見えないため、ここにシャルラをけしかけた上官なり保護者なりが居ると踏んだのだ。
それにクロエのように隙あらば狙撃する援護役も隠れているかも知れない。なのでそちらの対処を隠密慣れしたクロエに任せるのは適切な対処と言えよう。
渋々といった顔で愛用の黒毛皮マントを羽織り、クロエが闇に溶けるようにして姿を隠す。
そのクロエと入れ替わりになるように、目の前の脅威であるシャルラは再び、焼け付くような存在感と威圧感を持って迫って来た。
真紅のポニーテールを水平に近い角度でなびかせ、まるで勢いと重量で轢き殺すつもりなのかと錯覚する程の突撃。
背後に逃げ場も無く絶体絶命と思われたセレスティナは、その場を一歩も動くことなく、どこからか取り出した魔道具と思しき銀の腕輪を装着して待ち構える。
今度こそ追い詰めた。そう確信したシャルラが制動も兼ねて地面に足が沈む程強く踏み込み、獣のような咆哮と共に聖剣を水平に振るう。
「――《石壁》」
そこに足元に杖を打ち付けセレスティナが発動させたのは、石の壁を立てる防御魔術だ。
シャルラの視界を灰色の防壁が埋め尽くす。だが彼女は勢いを一切落とさずに炎の聖剣を石壁へと叩きつけた。自分の腕力と聖剣の攻撃力があれば壁諸共に胴を両断するのも容易いだろう。
「レーヴァティンを、舐めるなあああああっ!!」
轟炎を伴った一薙ぎが、強固な壁をあっさりと両断。そして上半分が真っ赤に焼けた断面を晒しつつ向こう側に倒れ、大きな水柱を上げて堀に沈む。
勝ち誇った顔でその様子を見届けたシャルラだが、一瞬後、目を見開いて驚愕の声を上げた。
「居ない!? ど、どこに隠れたっ!?」
「後ろですよ」
「――なっ!?」
慌てて振り返ったシャルラの視線の先、大剣の間合いから少し距離を置いたセレスティナが杖を彼女に向けていた。
種を明かすと、せり上がる壁を目晦ましにして飛行魔術で頭上を飛び越えて背後を取ったのだ。
ドレス姿で空中を駆けるのは色々と犠牲も大きかったりするが、今日は黒タイツなので恥ずかしくない。
それはさておいて、強烈な魔力を発射寸前の弓矢のように向けられて気圧されたようにシャルラの動きが止まる。帝国にも高名な魔術師は多く居るが彼女が今まで出会ったどの魔術師よりも遥かに危険な相手だと本能が警鐘を鳴らしていた。
「さて、もし私に殺意があれば今ので勝負がついてましたが、生憎私は残酷な魔女でも戦闘狂でもなくただの平和を愛する小市民です。なので正直もうちょっと詳しく見たいとこですが一旦その物騒な聖剣を仕舞ってこちらの話を聞いて下さいませんか?」
若者に教え諭すような口調で落とし所を提案するセレスティナ。だがその言い分はシャルラのプライドを不用意に刺激したようだ。
「黙れ! 魔物のくせにアタイを馬鹿にするなっ! 殺さない程度に痛めつけろって言われたけどもう我慢ならん! ぶっ殺してやる!!」
「……その発言の出所と意図が気になりますが、聖剣で殺さない程度にって無理が無いですか? 切っ先が掠っただけでも《防壁》ごと真っ二つですよ」
「先っちょとか言うな」
潜伏して姿は隠していても突っ込みは欠かさない律儀なクロエの声が届く。そのやりとりで緊張を解しながら後退して間合いを取ると、今度はその場から動かずにシャルラが聖剣を大きく振るう。
「っらあああああああ!」
「――飛び道具ですか!? 町中で!?」
聖剣から放たれた灼熱の炎が砲弾の如く飛来するのを見て、慌てた声を出すセレスティナ。
アルビオン王国でも勇者リュークが聖剣から光の刃を飛ばしたのは覚えているので予想された機能の一つではあるが、まさか街の真ん中でそれを使うとは思わずに虚を突かれる形となってしまった。
避けられない間合いではないが、回避を考えた瞬間セレスティナの胸と良心に痛みが走る。
同時に彼女の脳裏にフラッシュバックしたのは、戦場で彼女が撃った炎に飲み込まれ恐怖や恨みを抱いたまま次々と焼け死んだ帝国兵達の姿――
もしここで逃げた結果流れ弾が住宅街を襲ったならば、あの時の地獄がまた現出してしまうだろう。しかも今度は勇者と聖剣が加害者になるという救われなさだ。
「っ! 《防壁》、10枚っ!」
受け止めて火の勢いを消すしかない。即断したセレスティナは魔眼の魔力を全開にした今の状態で《防壁》の硬度を損なわない最大枚数を展開し、迫り来る炎を受け止める。
だがセレスティナの覚悟を嘲笑うかのように、聖剣の炎は防御障壁を易々と砕いた。
「――ティナっっ!?」
クロエの悲鳴が鼓膜に響く。脆いガラスに似た破片を散らしつつ《防壁》を貫いた炎は火力を大幅に削いでいるものの致死的なエネルギーを今も尚維持しており、セレスティナは生き延びる為に次なる手段を講じなければならない。
「《魔力変換》!」
杖を掲げ、以前にアリアとの魔術談義で見せた切り札による無力化を試みるセレスティナ。右手首に光る銀製の腕輪に刻まれた補助回路が忙しく明滅し、莫大な熱量を純魔力へと変換していく。
だが、聖剣の放つ炎を全て吸い尽くすのは無理だったようで、杖を握る右腕が炎に包まれた。
「ふぎゃっ!?」
繊維と肉が焼ける匂いが鼻をつき、反射的にセレスティナは雪の残る地面を幾度か転がって火を消した。そのついでに変換した魔力を《治癒》に回して右腕の火傷を癒す。
「しぶといな! でもこれでっ! 消し炭になれえっ!」
だがそんな絶好の隙を見逃す程シャルラはお人好しではない。今度は聖剣を下段に構えて剣先が地面に着くかどうかの軌道で大きく振り、地表に沿って奔る軌道で炎を飛ばしてきた。
地面を転がった無様な体勢では避けることも受けきることも不可能。その筈なのだが、迫り来る炎を見るセレスティナの魔眼には焦りや絶望の色が無く、冷静な分析者の光を帯びていた。
「《防壁》、10枚!」
強度も枚数も先程と同じで上限目一杯。だが今回は真正面から炎を受け止めることはせず水平方向から少しずつ角度をつけて受け流す構成にした。さながらセレスティナの古い記憶に残るバイクレースのジャンプ台を模擬したものだ。
そして地を這う炎は目論見通りに《防壁》の上を滑りセレスティナの左斜め上へと軌道を逸らされる。
《防壁》にヒビが入る音と空気の焼ける匂いを置き土産にどうにか直撃を免れた炎は、放物線を描き後ろの庭園へと着弾し、そして巨大な火柱を立てた。
勿論人の気配がしないことを確認の上で誘導してある。ここが帝都の中心部で景観の為に邸宅よりも庭園や広場の割合が多かったのが幸いしたと言えるだろう。
「街を火の海にするつもりですか!? ……って、おや?」
素早く立ち上がって苦言を呈しつつ更なる追撃に備えるセレスティナだったが、シャルラが動きを止めたことに不信感を抱く。
彼女はさっきまでの威勢の良さが嘘のように、顔色を白くして聖剣を握る両手もカタカタと震わせていた。
「……ち……ちが……そんな……つもりじゃ…………」
「あー、事の重大さに今更ながら気付いた、ってところでしょうか?」
後方で赤々と燃え続ける炎を見て、もしあれが人や家に当たっていたら、と最悪の事態を考えたのだろう。
気付くのが遅すぎる気もするが、戦場で多くの命を奪ったセレスティナとは違い、彼女はまだ一線を越えていない。短気で直情的な少女だがまだ人の心は失っていないのを認めどう言葉を掛けるか迷っていると、不意に横手から聞き慣れない声がした。
「シャルラ! 作戦は終了だ! この場は退くのだ!」
横目で見ると、役人風の痩せた男性がシャルラに指示を飛ばしていた。彼の片腕は背後のクロエに限界まで捻り上げられており、この短時間で彼を発見し捕縛した彼女の斥候職としての優秀さが垣間見える。
ただ、セレスティナとしてはその手際の良さに不満があったようで、手を挙げて異議を唱える。
「あ、すみません。もう少し延長でお願いします」
「何言ってんのよこのポンコツはっ!」
「あだだだだだっ!?」
シャルラが渋るならまだしも完全の予想外の方向からの苦情にクロエが思わず怒鳴り返し、その弾みでつい腕に力が入ったことで役人風の男が情けない悲鳴を搾り出すが、そこは不幸な事故と割り切って貰うことにしてセレスティナが言葉を続ける。
「だって、こちらの勇者さんは“殺さないように痛めつけろ”という命令を受けたそうですから、これは帝国流の盤外交渉術の一環ですよね? だとしたら今のタイミングでの割り込みは傍目にはこちらが押されてるところに助け舟を出されたように見えて不本意です」
仮に帝国側の思惑が勇者をけしかけて魔国大使がピンチになった所で助けを差し伸べその後の交渉を優位に進めることだとしたら、そうする口実を与えないようセレスティナが優位になるまで待って欲しいということだ。
「それに、炎の聖剣への防御もコツが掴めてきたところですしせめてあと1回ぐらい実験――あ、えっと、戦闘民族の魔族を代表して来た身としましては、降りかかる火の粉はきっちり振り払ってからでないと次の交渉の舞台に進めないものですから。そうですね。これで行きましょう!」
「……まあ良いけど、やるからにはきっちり勝ちなさいよ」
本音が零れそうになり慌てて言い繕うセレスティナにクロエが溜め息をつきながら了承する。彼女も人一倍負けず嫌いなので自分が戦うのでなくても目の前で勝ち逃げのような真似をされるのは我慢ならないのだろう。
だがその態度にシャルラが激昂した。赤い瞳に怒りの炎を閃かせ、聖剣を強く握り直す。
「……き、貴様っ! 折角見逃してやろうと思ったらつけ上がりやがって! だったら今度こそ黙らせてやる!」
闘志を再び奮い起こしたか、既に腕の震えは止まっていた。
聖剣から吹き上がる炎に一瞬戸惑いを見せたが、気合いの声を上げて強引に身体を動かし、高く跳んだ。
「必殺、兜割り! 食らええええっ!」
跳躍から大上段に振りかぶった聖剣を、落下の勢い、武器の重量、そして卓越した腕力、その全てを利用して叩き込む正に必殺技。
しかも真上からの攻撃ゆえに流れ弾が住宅地に飛ぶことも相手が《飛空》で上空に逃げることもない。極めて合理的な一撃だ。
「《氷壁》!」
対するセレスティナは杖で地面を叩き、蒼く透き通る氷の壁を立てた。それを見たシャルラの口角が勝利を確信して僅かに上がる。
氷の壁など、幾ら厚かろうと炎の聖剣の前には無力に等しい。壁ごとセレスティナを両断するべくシャルラが聖剣を流星の如き勢いで振り下ろし――
重く鈍い音を響かせ、彼女の身体ごと聖剣が弾き返された。
「うぐっ!? ばっ、馬鹿な……っ!」
空中でバランスを崩され着地に失敗して尻餅をついたシャルラ。その状況でも聖剣を手放さないのは流石と言えたが慌てて立ち上がった彼女の手は既に力を失っていた。
肩には激痛が走り手も痺れて、さっきまでは軽々と振り回していた聖剣がピクリとも持ち上がらない。
「聖剣が弾かれたのは初めてでしたか? 威力の全てが腕に跳ね返ってくる訳ですから、下手をすると肩が砕けるところですよ」
「や、やめろ……来るなあっ……」
自分の攻撃が通用しないという初めての恐怖にシャルラが幼子のように怯える中、近づいたセレスティナは聖剣を握ったままの彼女の両手を優しく包み込む。
「畜生っ……勇者は最強なのに……最強じゃなきゃ居場所が無くなるのにこんなことっ……あれ? ……痛く、ない?」
「後遺症が残らないように《治癒》だけかけておいてあげます。平和の使者として参上した訳ですからその証拠を示す為にも、ですね。あ、後でちゃんと専門医の方にも看て貰って下さい」
「……で、でもっ、貴様らはアタイの故郷のルイーネをっ……」
「私は今年で15歳なので14年前に実施されたルイーネの町への襲撃には参加できる筈もないのですが……間違った情報が飛び交ってますね」
「何……だって……?」
セレスティナの語る事実にシャルラの目が冷水を浴びせられたように見開かれた。帝国のお国柄や勇者という存在の特殊性を考えると彼女がどれだけ偏った情報を受けてきたかは想像に難くない。
同じく『大陸最強の勇者』という自称も帝国の軍事大国としてのプライドによる虚飾だろう。
セレスティナの体感では、アルビオン王国の勇者リュークに比べると身体能力や聖剣の攻撃力は決して見劣りしないが、シャルラは技量や戦闘経験が圧倒的に未熟だ。
幾ら威力の高い聖剣であっても腕力任せで闇雲に振り回すだけでは、大型の魔獣には殴り勝てても爵位持ちの高位魔族にはまず通用しない。
だがそれは今ここで言っても本人のプライドを無駄に傷つけるだけなので一旦心に仕舞って、代わりに別の話題を切り出すことにした。
「あとは……すみません。壁が硬すぎましたね。最初の《防壁》で受けて《魔力変換》するのがどうもイマイチだったので順番を逆にしてみたのですが……《氷壁》は魔力を注ぎ込めば溶けても自己修復できますので先に《魔力変換》で聖剣の炎から魔力を貰ってそれをそのまま防御に転用してみる設計方針にしてみたら思いの外強固になり過ぎてしまいまして……」
「……ちょっと何言ってるか分かんねーぞ」
尚、その設計の中心となる《魔力変換》との連動部分も彼女がまだ不慣れな複合魔術であり、今回は腕に嵌めた補助具に頼っている。なので精霊神より賜った聖剣に生身で対抗するにはセレスティナ自身もまだまだ技量や経験が不足しておりあまり人の事は言えない。
「ともかく、これから新しい時代を築く新しい世代としては憎しみの連鎖は早々に断ち切っておきたいのです。魔国でも同様の問題は抱えていますし正当な怒りや報復はあまり否定できないところですが、加害者の子や孫の世代に責任を被せたり誤った情報が原因で目を曇らせたりしないよう少しずつでも――」
「おっと、帝国の大事な勇者にあまり変な事を吹き込まないで貰えるかね」
そこに新たに投げかけられた不機嫌そうな声。いつの間にか西門が開いて堀にも架け橋が降りており、数人の兵士に囲まれた城勤めの高級文官らしい中年男性が近くに居た。周囲の兵士の中には門番に話を通したゲオルグ隊長の姿も見える。
「テネブラ外交官セレスティナ・イグニス嬢だな。私は外務省中央管理局所属ランドルフ・フォン・オズヴァルト子爵である。我が神聖シュバルツシルト帝国は貴殿を歓迎しよう」
言う程歓迎している雰囲気でないのは帝国の方針かそれともオズヴァルト子爵の生まれつきの面相ゆえか。
いずれにしても、前回の経緯を考えるとこの先どこに連れて行かれて何が待ち受けても驚かない。気を引き締めたセレスティナは母親仕込みの完璧な挨拶を返し、オズヴァルト子爵に連れられて帝城の敷地内へと入って行った。




