116話 出撃前準備(尺の都合によりダイジェスト風味でお送りします)
▼大陸暦1015年、轟弓の月16日
国家戦略会議が行われたその翌週、交換条件として打ち出したセレスティナへの依頼事項が早速サツキ省長の元へと集まってきた。
「内務、法務、財務の3省は予想通り魔術式演算機の購入要請ね。特に財務省からは多数揃えて欲しいって要望が来てるわ」
「一応20台ほど用意しましたので軍務省も入れて各省5台ずつを想定していましたが……その口ぶりですと軍からは別の要求が入りましたか?」
その問いへの答えとしてサツキは、4枚目の発注書を取り出して執務机に置いた。つられて目を落としたセレスティナの顔が次第に深刻なものへと変わっていく。
「《魔力弾》と他の術式を組み合わせた複合魔術“銀の弾丸”を撃ち出す魔道具の試作品と回路図の納入、ですか……資材部で生産体制を立ち上げる腹づもりでしょうね」
先の会戦でセレスティナが聖盾騎士団や聖翼騎士団を撃墜した新技、それにどうやら軍部は目をつけたようだ。
あの時調子に乗って祖父であるゼノスウィル参謀長に“銀の弾丸”を見せてしまったのは失敗だろうか。
一瞬そんな後悔も頭をよぎったが、サツキ省長に声を掛けられてふと我に返る。
「そんな難しい顔しないの。ほらここをご覧なさい? 完成品は軍部の眼鏡に適うものなら1種類につき最大金貨10枚で買い取るそうよ。これだけで外務省の冬のボーナス超えるじゃないの」
「複数種類作らせる気満々じゃないですか。この前使ったのは防御魔術を貫く《防壁破壊》と射程を延ばす《氷槍》の二つだけでしたが、絶対他にも隠し玉があるって見抜いてる書き方ですよ」
「そう考えてるからこそ、こうやって高額な報酬で釣って出し尽くさせようってことよ。……あー。サクラのお婆ちゃんが遺した《時限式爆炎球》も魔道具に落とし込めれば今頃あたしも遺産で大金持ちだったのに」
「……《時限式爆炎球》は状況に応じて回路が変わる都合で素撃ちしないと持ち味が活かせないですから……それもあってサクラ女伯の論文もなかなか注目されなかったのだと思います」
それに比べてセレスティナの見せた“銀の弾丸”は固定の魔術回路を刻み込んで全力で撃てば目的が十全に果たせる為、魔道具化と相性が良いという訳だ。
その有効性は自分でも不本意ながら認めるところで、彼女は短く溜め息をつきながら気持ちを切り替えた。
「……まあ、やるからには技術者の矜持として最善を尽くします。本格的な着手は帰国後になりますが。ところで、話は戻りますけど魔術式演算機を譲り渡す件で条件を追加したいのですが……」
続けてセレスティナが言うには、魔術式演算機の技術流出を防ぐ目的で、分解や転売の禁止を盛り込みたいとのことだ。その代わりとして、セレスティナの側からは故障や不調の際の保守修理を無償で引き受けるという交換条件を提示した。
その慎重な態度に苦笑しつつもサツキ省長は了承の意を告げる。
「それくらいなら向こうも了承すると思うけど、どうせなら軍部からの話みたいに回路図を高く売っ払っちゃった方が得なんじゃないの?」
「いえ、計算機は発展していくとコンピュータと呼ばれる電子頭脳……えっと、魔力頭脳へと化ける潜在能力を秘めていてある意味“銀の弾丸”以上の危険物ですので、できるだけ関連技術は自分で囲っておきたいのです」
「なんかいまいちピンと来ないけど、ティナは一体どこに行こうとしてるのよ」
「私が生きてる間にどうしても実現させたい魔道具があるんです。その為にも更に進んだ魔術の腕前だったり演算回路の技術だったりが必要になりまして」
どうせまたロクでもない物なんだろうなー、と思いつつも顔には出さず「ふーん、頑張ってねー」とやる気の無い応援を返す大人なサツキ省長だった。
▼大陸暦1015年、轟弓の月18日
別の日、内務省の会議室では関係者を交えて、帝国に突きつける講和条件についての議論が交わされていた。
主な出席者は国家間条約の承認印を持つ立場のデアボルス公爵を纏め役とし、外務省からはサツキ省長とセレスティナが、軍務省からは参謀府からセレスティナの従兄弟にあたるラークス子爵が、それぞれ所属する部署の主張を携えて火花を散らすことになる。
「まず絶対必要な条件としては、捕らわれたテネブラ国民の解放と速やかな帰国、それから互いの国土や資源や国民の侵害を禁じる相互不可侵条約の締結でしょうか」
「それに加えて今回の戦費と今まで被った損害に対する賠償、更には皇帝直々の謝罪。少なくともこれらは軍部が譲れない最低ラインですね」
早速セレスティナとラークス子爵が戦端を開いた。同じ師匠の下で魔術の訓練を受けて時々魔術談義で盛り上がる事もある兄妹弟子の間柄であるが、だからこそこういう場でも遠慮や容赦は一切無く真っ向から切り結ぶ事になる。
「ティナも判ってると思いますが軍が望むのは和平ではなく帝国が戦争の敗北を認めてこの先二度とテネブラに逆らわないことの確約です。自分達の立場を理解しないようであれば必要なのは言葉でなく更なる鞭だということを、大前提として頭に置いて頂きたい」
「つまり軍部の主張する賠償請求は懲罰的側面が強いと、そういう事ですね……」
ラークス子爵は軍務省でも一際温厚で話が通じやすい人物であるが、それとは関係なく軍の基本方針は強硬なものだった。
交渉を何としてでも纏めたい彼女と交渉決裂して再び戦争状態になるのを望むきらいのある軍部との意識の隔たりを痛感しつつも、少しでも成功率を上げる為に手を尽くす。
「帝国の国家予算を超える規模の賠償金となれば、すんなり纏まるような奇跡はまず考えられないですから……分割や一部物納もアリということで宜しいですか?」
「……それくらいは良いでしょう。但し、支払いが滞納したら即攻撃を開始してその責も全て帝国側が負う事、これを条文に盛り込んで頂きたい」
「承知しました。では外務省からも軍務省に要望を挙げさせて頂きたいのですが、先の会戦での帝国軍兵士達の遺品を交渉の際に届けたいですので、戦場で回収した戦利品の中から認識票やお守りなんかを分別しておいて頂きたいのですが……」
「確約はできませんが、上に伝えておきましょう」
「お願いします。もし金銭的価値のあるような遺品があれば私が個人的に買い取っても良いです。その場合はご依頼のありました“銀の弾丸”の件の納入代金から天引きして頂ければ……」
恐らく帝国との交渉でも一番難航しそうな条項がこの賠償金要求になるであろう。ひとまずの落とし所を決めて大きく息をつくと、休む間もなく今度はサツキ省長が次の話題を投げてきた。
「あとは、本命を通すのに交渉の途中で取り下げても良いようなダミーの要求も幾つか用意しておかないとかしら? 戦争責任者の処罰とか、技術庁の解体とか、他にも領土の割譲とか要る?」
「そうだね。要求通りに事が進むのはまず考えられないから最初の要求はできるだけ詰め込んでおくのが良いかな」
「……いえ、領土の割譲については何かの間違いで痩せた寒い土地とお腹を空かせた国民を押し付けられてもかえって困りますから、どこかの鉱山の利権ぐらいにしておきませんか?」
デアボルス公爵の相槌に勇敢にも異を唱えるセレスティナ。
そこへサツキ省長がからかうような笑みを浮かべつつセレスティナの肩を抱き寄せ小声で茶々を入れてくる。貧しき者を殺しにかかる横乳テロだ。
「ふふっ、尤もらしいこと言うけどティナの本当の目的は魔道具の主原料になる銀板目当てじゃないのかしら?」
「ふおおおおおっ、って、そ、そんなこと、ありません、ですよ?」
「よし、今回の交渉を上手く纏めたら成功報酬として外務省がその鉱山利権を囲えるよう稟議書提出しよっか。ティナは銀さえあれば宝石類は石ころ扱いの残念な子だからそっちはあたしが貰うとして……」
「うーん、まあそこは財務省長の承認を得られるよう頑張ってくれたまえとしか……」
女子トークに水を指す愚は犯さずデアボルス公爵は絶妙の力加減で話題を流す。それから後、追加の講和条件のリストアップや優先順位付けを続行し、纏めの段階に入った。
「さて、ではセレスティナ・イグニス君には今回、准全権公使という立場で講和に赴いて貰う。最終的な調印は議会が受け持つけど、今日の会議で決まった範囲内で帝国と講和条件を詰める裁量権を与えることになるから」
「はっ。この命に代えましても――」
「とは言ったものの、セレスティナ君の仕事の主要な部分は帝国と交渉を纏めることじゃなくて降伏勧告を突きつけて返答を持ち帰ることだから、生きて帰ることが成功条件ってのを忘れないでね」
「……ぅぐ」
「内務省長の仰る通りです。交渉が決裂しても良いように軍部は粛々と制圧準備を進めてはいますが、会戦の理由が外交使節への攻撃というのは僕としては嫌ですからね」
出鼻を挫かれてセレスティナが言葉に詰まるが向かいの席のラークス子爵は近所の兄貴分のような表情で頷いた。敵地への出張は家族や知り合いに心配をかけることになる事実を改めて認識し、小さく会釈する。
「期限は軍務省の意向を反映して今年一杯とするよ。それを過ぎるようなら軍の準備もあるから交渉を打ち切ること」
「承知しました。移動時間を除外すればタイムリミットはほぼ1ヶ月ですね」
交渉の期限については特に異議は無い。決して長いとは言えないが1ヶ月貰って条件を纏め切れないぐらい難航するなら何年話し合っても無駄だろう。
「どんな結果になっても僕とサツキ省長でフォローするから、必ず生きて結果を持ち帰るんだよ」
「はっ。身命を賭して生還してみせます!」
「哲学だね」
デアボルス公爵の締めの言葉にセレスティナが元気良く敬礼で返し、こうしてこの日の会議は閉会となった。
▼大陸暦1015年、轟弓の月21日
あれから正式な命令書を内務省に貰い、戦場で散った帝国兵達の遺品も軍務省より譲り受け、魔術式演算機の納品も無事完了し……
出発前夜にセレスティナは自室で最後の準備を行っていた。
具体的には、全身鏡を前にして色気も恥じらいも無い風情でドレスの裾をたくし上げていた。
「……ティナは一体何がやりたいのよ……」
休暇を終えて早速セレスティナに同行する任務を命じられたクロエが同じように出発の準備を進める中、なんかおかしいものを見る目を向けてくるのに、セレスティナはたくし上げポーズのままで答える。
「何って、見ての通り黒タイツの透け感の確認です。帝国は寒い国ですのでフォーマルな装いとして公式の場でも黒タイツが認められているのですが、もし何かあった時に外交的非礼にならないぐらいの程よい透け感を保たないとダメですから。あんまり下着がスケスケだと北国では寒々しいですし全く透けないのも不誠実ですし……」
「ごめん何言ってるか全然わかんないけどティナがダメダメなのは十分伝わったわ」
「それにしても、私は以前は生足派でしたがいざ自分でスカート履くようになると黒タイツの良さが身に染みますね。ジャージのような安心感と言いましょうか……」
どこから突っ込むべきか困るがジャージの安心感についてはジャージ系女子のクロエも同感で、内心頷きつつ愛用のジャージや獣人用タイツ等を衣装籠へと押し込んでいく。
「ハンカチ入れた?」
「抜かりはないです」
やがて、纏め上げた荷物をセレスティナが鏡の裏の“隠れ家”に収納して準備完了、である。
「ではクロエさんや、またサポート宜しくお願いします」
今度は寂しい一人旅にならず嬉しそうにそう言うセレスティナにクロエは一瞬「うにゃっ!?」と口ごもる。
「べ、別に、上官の命令だから仕方なくよ。もうほんとにティナはしょうがないんだから。背中はあたしが守ってあげるからしっかりやるのよ」
早口でまくし立ててそっぽを向くクロエだったが、毛並みの良い自慢の黒い尻尾は上機嫌にパタパタ揺れていた。




