115話 国家大戦略会議・2(色仕掛けも辞さない)
▼前日談
「さて、まずは基本方針からかしらね。明日の国家戦略会議、あたしがメインで対応するからね。ティナに喋らすと不毛な言い合いが始まってまた色々やらかす事になるのが目に見えてるし」
「あうぅ……了解しました……」
時は会議の前日にまで遡り、省長室のテーブルにサツキ省長とセレスティナとおまけのジレーネがお茶やお菓子を囲んでミニ作戦会議を開いていた。
前回の会議では外務省の意見が一顧だにされなかった反省を活かし、今度は少しでも有利な条件を引き出したいので、セレスティナは不満そうな表情を見せつつもここはサツキ省長に任せた方が良さそうだと判断する。
「でも、根本的な話、議会の票数は軍務省が過半数で外務省はゼロなんですよね? 普通に考えて相手にされないんじゃあ?」
クッキーを遠慮なく頬張りつつ小首を傾げるジレーネの疑問に、サツキ省長は優雅な仕草でお茶を一口飲んで答える。
「そうね。軍部としては魔国から攻め入る方針で進めたいでしょうけど、そこに外務省が真っ向から反対意見をぶつけたところで踏み潰されて終わりね」
「内務省を始めとした文官側を仮に味方にできたとしても、票が足りないですからね……」
つまり、何とかして本丸たる軍務省に切り込んで軍幹部の誰かを味方につけなければならない。
いざ冷静になって考え出すと、ゲーマー気質のセレスティナでもコントローラーを投げ出したくなる難易度だった。
「改めて考えてみても、絶望的な戦力差だねえ」
他人事のような口調でお手上げの仕草をするジレーネに、それを承知の上で打開策を示さねばならない二人は揃って溜め息をつく。
「……そうね。だからあたし達の執るべき手としてまずは、軍の主張する方針に真っ向から逆らわない事。一方的に議論を打ち切られてすぐ票決、ってなりかねないから」
「ふむふむ」
「基本は軍務省と同じ方向に乗っかりつつ、そこに相反しない形で外務省の希望を捻じ込むくらいが限界かしらね?」
「その場合も、主張するポイントを絞って一点突破を目指さないと、話が長くなりすぎて打ち切られそうですから要注意ですね」
ジレーネが理解したような顔でとりあえず頷いている間にも、作戦が次々と決まって行く。持ち前の演技力も相まって端からは3人が熱い議論を交わしているように見えなくもない。
「あとはお土産に使えそうなカードの確認かしらね。タダでこっちの主張を聞いて貰おうなんて虫の良いことは期待しちゃ駄目よ?」
そう言って意味ありげに笑いかけるサツキ省長。セレスティナという特異点は外務省にとって極めて大きなアドバンテージになり得るからだ。
その意を汲んだセレスティナは、背筋をピンと伸ばし敬礼して、元気良く答えた。
「承知しました。色仕掛けも辞さない覚悟で挑みます」
「ティナが色仕掛け!? その胸で!?」
「むっ! 胸は関係っ! ……ま、まぁ、全く無いとは言いませんがっ!」
▼再び、大陸暦1015年、轟弓の月13日
場面は国家戦略会議室へと戻り。
前日に打ち合わせをした通りの流れに沿って、まずサツキ省長が軍務省へと問いかける。
「外務省省長、サツキ・ノエンスです。仕事柄、帝国の地理や気象や政治情勢は常に最新のものが集まっておりますが、それを踏まえて。勿論冬の間に帝国に攻め入るといった暴挙はなさらないご予定ですよね?」
「……無論だ。バルバス伯の作戦立案書にも既にそのように修正を加えている」
修正が必要だった事実に軽い絶望感を覚えつつセレスティナがこっそり溜め息をついた。サツキ省長も気持ちは同じだったらしく一瞬悲しげな顔つきになるがすぐに真顔に戻って発言を続ける。
「帝国の冬は寒く、積雪量もテネブラとは比べ物になりません。雪が溶けてまともに移動ができるようになる走牛の月まで出征は見合わせるべきだと考えます」
「大規模な遠征には相応の準備が必要になる。言われなくても来年の春先辺りまでは出撃できぬだろうな」
流石に冬の帝国に攻め込むような脳筋は軍部でも非主流派のようでサツキ省長が安堵する。これでもし日にちを空けずにすぐ報復を、という流れになれば外務省には打つ手が無く難儀するところだった。
「さて、そんな世間話で終わりではないだろう? 今度は何を企む? 外務省は」
「……企むなどと人聞きが悪いですわ。ともあれ本題を申し上げます。両軍の動きが止まる冬の間、外務省に降伏勧告の使者をお任せ頂きたいと思います」
大方の予想の範囲に収まる発言だったが、それでも軍務省の中で特に好戦的な一部の者は目つきを険しくして拒否感を露わにする。
そんな血気にはやる部下達を手で制しつつ、今度はアークウィング軍務省長の側から質問を繰り出した。
「ふむ。確かに先程外務省が指摘したように帝国の冬は寒い。そして国土も広く守りに適した地とも言えよう。ならばこそ帝国の奴等が有利な持久戦に持ち込もうともせずにあっさり降伏するとは思えぬが」
「帝国の……言い換えますと人間族の思考など我々魔族と大きく離れて正確な予測は不可能でしょう。でしたら相手の意思を勝手に決め付けず王者の慈悲として一度くらいは謝罪と命乞いの機会を与えても良いのではないでしょうか?」
「だが、首都を攻め落とす場合のように無条件降伏を受け入れさせることは出来ないであろう?」
「仰る通り、難しいと思われます。その代わり大規模な進軍に伴う物的・人的・時間的リソースが大きく浮くことになりますのでトータルの収支はプラスに振れるのではと……」
それに、戦争が激化すると戦費が嵩んで結局は帝国の国庫に銅貨一枚残らず、分捕れる戦利品が何も無いという結果になるのが目に見えている。
残る問題は真っ向から敵を粉砕して勝利を掴み取りたい軍部のプライドがメインだろう。
「外務省の言い分は理解した。では票決に移るとするか」
「でしたら、票決の前にもう一つだけ」
あまり心を動かされたように見えないアークウィングが進行役のデアボルス公爵に採決を促すも、サツキ省長はまだ伝えたい事があるらしく発言を続ける。
「ここで外務省の主張を一方的に押し通すつもりはありません。ちゃんと交換条件も用意してあります。もし外務省の今回の案が採択されて降伏勧告の使者を遣わすようになったその暁には……」
そこでセレスティナの方にちらりと視線を向けると彼女は真面目な表情で頷いた。これも昨日打ち合わせ済みの内容ということだ。
「帝国側からの返答の内容に関わり無く、外務省の優秀なスタッフであるセレスティナ外交官が各省の依頼を何でも一つずつ聞く、ということで如何でしょう?」
「何でも……? 良いのかい? そんな約束しちゃっても」
「待った。私利私欲で議会の票を操作するのは重罪のはず。知らないとは言わせぬぞ」
再考を促すかのようにデアボルス公爵が問いかけてきたが、それに被せて鋭い声が上がった。
声の主はダークエルフの魔剣士ヴェネルム。軍務省情報室で様々な情報の取り纏めを行う重鎮でクロエの上官だ。
「勿論存じ上げております。ですが、その罪に問われる条件は私利私欲で国益を害した時のみです。今回の外務省からの提出案は国益に資する内容ですので批判には当たらないと思われますが」
「し、しかし、軍務省として長期的な国益を考えると……」
「過去にも同様の事例が残ってます。先々代……あたしの祖母が外務省長をしていた時代の法務省長の話ですが、第二種結婚詐欺罪を通す時にも色々と……」
「あぁ、いや、皆まで言わずとも構わん。これくらいは特に問題にならん」
慌てた様子で現法務省長の獅子獣人のレークス侯爵がサツキ省長の言い分を認める。あまり掘り返されたくない何かがあるようだ。
それを聞いて片目を瞑って笑いかけてきたサツキから引き継ぐように、セレスティナが神妙な顔つきで発言する。
「――ですので、私からも各省のお手伝いをすることで業務の効率化が計れるならそれも一つの国益に繋がります。それを考えますと残念ながらあまり業務に関わりの無いえっちなご依頼は受けられませんが……」
「あ、そういうのは別にいい」
すごく真顔で流された。ヴェネルムのみならず皆心底どうでもよさそうだった。
「……ぐぬぬ。そ、それはさておいて先日一部の部署に貸し出ししました魔術式演算機に少し改良を施しまして割り算と平方根計算ができるようになりました。業務上必要でしたらご相談の上でまた貸し出したいと思います。国益の為に」
彼女の言葉に一転してざわめきが起きる。特に文官組の目の色が尋常ではない。釈然としないものを感じるが、それだけ魔術式演算機が好評だったということだろう。
「少しいいか? その魔術式演算機だがこの前みたいな貸与ではなく正式に買い取らせて欲しいのだが。財務省は数字を扱う仕事が多いからあのような魔道具は非常に便利だからな」
「その件につきましては、後程内務省長も交えて相談しましょう。私としては問題無いと考えていますが、組織運営上新しい技術が無制限に出回るのは背反するリスクが大きいですのであまり急激な変化は避けたいのが本音でして」
財務省長ノックス侯爵の食い気味の要望に慎重な態度で安請け合いを避けるセレスティナ。それ以前の問題として外務省の提案が過半数を取れなければ立ち消えになってしまう話なので現時点で決めようとするのは性急すぎるとも言えるだろう。
その事実をデアボルス公爵も指摘し、会議室の熱を一旦冷まして採決へと移ることとなった。
▼
結論を述べると、サツキ省長の持ち込んだ降伏勧告案に対する開票結果は、賛成3票、反対2票、棄権2票でギリギリ認可された。
内務省と法務省と財務省が賛成に回ったのは思惑通りだが、軍務省が2票を棄てたのは外務省への温情と言うよりは留守を任せることになる内務省への配慮だろう。
同時に採決された軍務省の出征案は当然の事ながら満場一致で決定し、軍部としては『形だけの降伏勧告の使者を出して断られたら戦争を継続』という未来図を描いているのは明らかだ。
「さて、ではセレスティナ・イグニス外交官にはまたシュバルツシルト帝国に赴いて終戦協定を突きつけて貰うことになるね。命令書は後日準備しておくから準備だけ進めておいてくれるかい」
「はっ。今度こそ必ずや帝国の石頭達を和平のテーブルに引っ張り上げて見せます」
デアボルス公爵の言葉に背筋を伸ばして立ち上がりびしっと敬礼するセレスティナだったが、軍務省長のアークウィングとしてはそこまで望んでいない様子だった。
「いや、こちらが妥協して条件を緩めて無理に講和を結ぶ必要は無い。まあ無理の無いように程々にやってくれ。それからサングイス公よ、クロエ諜報官の現役復帰の手続きを頼むぞ」
「心得た。ついでにフィリオとフィリアの双子も遊ばせておくには損失が大きいか。次の仕事を用意してやらないといかんな」
大きく拓けた未来に向けて各組織が慌しく動き始める。そんな中、デアボルス公爵が得心したかのような面持ちで一つ頷いた。
「成る程ね。開戦前にセレスティナ君があえて不完全な機能の魔術式演算機の貸し出しという行動に出たのも、全てはこの日の為の仕込みだった訳か」
「流石にそれは深読みが過ぎるかと思います。あの時は色々と慌しかったのもありまして、機能と数量の配分を考えつつ当時の最善を目指した結果です。で、最近は首都から動けずに暇がありましたので改良を加えるには丁度いい機会でした」
「……理屈は通ってるけど素直に信用する気になれないのは日頃の行いかな」
「…………便利な魔道具を開発したりで、日頃の行いは良い方だと自負しておりますが……」
セレスティナのやけに強気な発言に、デアボルス公爵を含め普段の彼女を知る何人かがあからさまに目を逸らした。




