112話 苦い勝利の味(甘さ控えめな大人の味)
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帝国軍から上がる白旗にセレスティナがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。
魔国軍の勢いは止まらないどころかますます強まっていくことに、彼女は気付いた。
「……え? 何故? 白旗が見えてないんですか!?」
『総員突撃だ! 敵は一兵たりとも生かして帰すな!!』
拡声の魔道具から響く総司令官アークウィングの命令と共に、全軍攻撃を伝える銅鑼の音がけたたましく戦場を覆った。
勢いに乗っている鉄爪連隊は勿論、これまで戦線維持を第一にしてきた鬼角連隊や休憩中だった獣牙連隊までもが攻勢に出て、逃げ惑う敵軍を蹂躙している。
言いにくそうにしているヴァンガードの代わりに、フィリオが種明かしをすることにした。
「そりゃお前、奴らニンゲンどもが今まで俺らにしたことを考えてみろよ。密猟に盗掘に挙句は人攫い。奴らが俺らを対等に見てない証拠だろ? だったら、奴らに慈悲をかけてやる理由が少しでもあるか?」
「うぐ……そんな……」
「ここで奴らを見逃せば、必ずまた魔国に侵入して奪っていく。その時に浚われるのが俺らやクロエやお前の子供になるのかも知れないんだぜ?」
母親を人間に奪われた恨みもあってか、追撃戦の様子をフィリオは薄い笑いすら浮かべて眺めている。
クロエやヴァンガードも、そこまでの根深い恨みは秘めていないにしても、狩りの様子を見るような目をしており一刻一刻と数を減らしていく帝国軍に対する哀れみは感じられない。
自分だけが異端なことを改めて思い知り、セレスティナの胸を無力感が支配していく。
帝国軍は我先にと川向こうの祖国まで逃げ帰ろうとしているが、魔族軍に追いつかれた者から順に、次々と惨殺されていた。
それは、元から足の遅い者だったり、重装備の兵士だったり、運悪く最前線に居た為最後尾になってしまった者だったり……
そして、先程セレスティナが足だけを焼いた兵士達もまた然り。重荷になるのが分かっていてそれでもあえて背負って逃げるような仲間はおらず、取り残された彼らは一人残らずこの地で命を終えることとなる。
「………………っ!?」
少しでも死者を減らしたかった故の戦い方だったのに、性質の悪い喜劇のように裏目に出てしまったことに、セレスティナの目に絶望の陰りが差す。
「――ふっざけんなあっっ!! 畜生っっ!!」
そして彼女は、慟哭のような叫びを上げ、へたり込んだ姿勢から拳を固めて、何の罪も無い地面へと振り下ろす。
「おい、ティナ!?」
だがその拳は空しく空を切った。ヴァンガードが一瞬早く、セレスティナの腰の辺りを片手で抱えて持ち上げたからだ。
「今のは聞かなかったことにしておくが、戦時体制中の軍への悪態を含む誹謗中傷は処罰の対象になり得る。頼むからこれ以上は勘弁してくれ……」
「……………………申し訳ございません。自分の無力さ故につい頭に血が上ってしまいました……」
「……うむ。謝罪を受理しよう。さて、ティナももう限界のようだし状況も終わりかけだ。これ以上この場所に留まってもできることは無いだろうから今度こそ撤収するぞ」
こういう時に一番ゴネるセレスティナは力尽きたかのようにヴァンガードの腕からぐでーんと垂れ下がっている。彼女さえ黙っていれば一応は部隊指揮官である彼の意見がそのまま通るのは自明の理だ。
本当はもっと女性相手に相応しい運び方もあろうものだが、自力で飛行できないクロエの手も掴んで飛び立たねばならない都合上、荷物のようにセレスティナを小脇に抱えるしかないことだけが彼にとっては心残りだった。
――かくて、後に聖魔戦争とも呼ばれることになるこの“フルウィウス草原の決戦”は終結を見ることになった。
神聖シュバルツシルト帝国軍5万の内、生きて祖国に戻れたのは半数の2万5千。多大なる戦死者もさることながら、ゼクトシュタイン公爵を始めとした指揮官達や精鋭兵たる聖盾騎士団を数多く失ったことは、帝国の上層部に強烈な衝撃を与えることとなる。
対して、テネブラ軍の死者は約300人程度に留まり、勿論重軽傷者は相当数出たものの数字だけ見ると大規模軍勢同士の戦いでは歴史上三本の指に入る程に一方的な勝利だった。
そしてこの瞬間から、“魔界の魔物は個人能力頼りで戦術・戦略的に未熟であり大規模戦闘に弱い”という通説が過去の物になり、テネブラ軍の勇名が大陸全土で恐怖と警戒の対象となるのであった。
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月31日
あれから戦地のキャンプで一晩休んだセレスティナは、翌日に首都セントルムテネブラへと帰還した。
正規の軍人達はあの後も敵兵から戦利品を剥ぎ取ったり遺体を片付けたり引き続き国境付近を警戒したりと仕事は山盛りであるが、彼女を含む志願兵は早めに帰宅許可が下りたのだ。
特に仕事を放ったらかして参戦していた内政の要と言えるどこかの省長はその日の内に追い返されていた。
「セレスティナ・イグニス、戻りました……」
昼過ぎぐらいに首都入りしたセレスティナは、その足で早速外務省の省長室へと向かう。
もし仕事をサボって不在だったらと少し心配もしたが、サツキ省長はいつもの執務机に就いて優雅にお茶を味わっている最中だった。
「あら、ティナ、お帰り。まあ無事で良かったわ」
セレスティナの両腕の袖から包帯が巻かれて痛々しい様子が見え隠れするが、戦場帰りだと五体繋がっていて自分の足で歩ければ無事扱いで問題ないだろう。
「でも完勝って聞いたのにまるで敗者みたいな顔してるのね」
「……外交官としては、戦争になった時点で敗北ですよ。それより情報が早すぎないですか?」
既に伝令は飛ばしているのだろうが、正式な発表は内務省や軍務省を通してになる筈なのでもう少し時間はかかるだろうと予想していただけに、サツキ省長の言葉に戸惑いを見せるセレスティナ。
「ウチにはジレーネが居るからね。伝達が早くて口が軽くてフェイクが多い歌鳥族ネットワークを舐めるんじゃないわよ」
「……後ろ二つはもうちょっと何とかなりませんかね……」
その情報の拙速さは時に捏造の領域にまで踏み込む。以前に被害にあったのもありセレスティナがつい口を尖らせた。
「まあそこは半分種族特性だからどうにもならないと思うけど…………でも良いの? 先に実家に戻ってゆっくりしてくれば良いのに」
あまりの仕事熱心ぶりに感心半分、呆れ半分と言った顔でサツキが問うが、セレスティナは弱々しい笑顔で首を横に振り、珍しく弱音を吐く。
「……正直、家に帰り辛くて……なのでできれば今日は一晩、どこか空いてる部屋を使わせて頂けませんか?」
「んー、戦争なんだし誰もティナの事を責めないに決まってるから、そんなに怖がることもないのに」
「いえ、本当に怖いのは、あれだけ沢山の人を殺したのに誰もそれを非難せずに慣れてしまう事だと思います。価値観の磁軸が歪んだまま元に戻らなくなって、次はもっと感情も顔色も動かさずに人を殺すようになってしまうかと考えると……」
誰も責めないのなら自分で自分自身を責めるしかない。そういう強迫観念に陥っているようで、サツキの目からも今のセレスティナは非常に危うい状態に見えた。
「ティナはいつも考え過ぎなのよ。ほらもうちょっと前向きに、ね? そうだ。あたしの胸でも揉んでみる? 元気出るわよ?」
「……………………………………………………今はそういう気分になれませんので、チケットで下さい…………」
「…………んー、これは重症、なの、かしら、ね?」
微妙な間と葛藤の様子が垣間見えて自信なさそうに診断するサツキ省長だが、やがて一つ溜め息を吐くと、重い腰を上げて椅子から立ち上がった。
それからセレスティナを予備の椅子に半ば無理矢理座らせると、自分は資料棚をスライドさせた奥にある隠し戸棚から酒瓶とグラス二つを持って戻って来る。
「この前ティナが帝国からのお土産に持ち帰った一品、今開けちゃおっか」
そう言うと封を切り、グラスに琥珀色の液体を注いでいく。真昼の省長室に本来あってはならない強いアルコールの香りが広がり、セレスティナが硬い声音を発した。
「さ、じゃあ飲もっか。ティナが無事に帰還したことと大人の階段を一歩昇ったこととを祝って、乾杯~」
軽くグラスをぶつけて、サツキ省長はそのまま酒精の強い蒸留酒を煽り、嬉しそうに一声。
「はーーーっ、たまらんわー。やっぱり仕事中に飲む酒はまた格別ね」
「自分が飲みたかっただけですよね……」
そう言いつつも、サツキ省長なりに元気付けようとしてくれている厚意は感じているので、それに応えるようにセレスティナも神妙な顔つきでグラスに口をつけ、そしてすぐにその表情を変えた。
「……苦」
「うふふ。その苦味が大人の味なのよ」
「そもそもお酒飲んでも、問題から目を背けるだけで問題そのものは無くならないじゃないですか……」
「それは子供の意見ね。お酒は問題に立ち向かう心構えを補助する役目があるのよ。大体敵兵を1万人や2万人殺したぐらいで何なのよ。英雄になるには二桁程足りてないし中途半端じゃないの。ティナは素面だから目の前の問題にばっかり目が行ってこういう柔軟な考え方ができないのよ」
「むぅ……」
なんか違うとは思いつつも上手く反論できないでいると、サツキ省長は優しそうな表情を浮かべて話を続けた。
「大人になるとね、苦しくて、辛くて、どうにもならないような出来事が次々襲い掛かって来るし。だからみんな、お酒を触媒にして、その中から旨みを少しでも取り出そうとするのよ」
「旨み、ですか……」
「そ。人生の苦味や辛味が避けられないのなら、こうやって上手く付き合っていくしかないわよ」
そう言って微笑むサツキには、酒と人生の先輩としての風格すら感じられ、セレスティナはつい納得させられそうになってしまう。
「それとも、ティナはもう嫌になった? このお仕事辞めたい?」
そう問われて、弱々しくも即座に首を横に振るセレスティナ。その反応を見て、サツキ省長は満足げに笑い、グラスに2杯目を注ぐ。
「それだけ決意が固ければ、ティナはいずれ自力で問題を乗り越えることができるわ」
そう断言するサツキの声には強さと優しさが込められており、セレスティナの心を重くする血と泥のような不安を洗い流すかに思えた。
「それは今日明日のことじゃないかも知れないけど。……ま、今までむしろ働きすぎだったんだし、その時が来るまで少しぐらい休んでも何処からも文句は出ないと思うわよ?」
「サツキ省長……」
グラスを置いて目を上げたセレスティナの顔を見て、サツキ省長は優しげな笑みに悪戯っぽい眼光を閃かせる。
「あら? ティナってそんな儚げなお嬢様っぽい顔もできたのね。もしかして今のにグッと来ちゃった? なんならお姉さんの胸で泣いても良いわよ?」
「な、泣きませんよっ! こ、これも全部お酒のせいですからっ!」
「はいはい。責任転嫁されるのもお酒の重要な役割の一つだからしょうがないわね」
お胸は勿体無かったが、男子の意地として涙だけは必死で我慢した。それから照れ隠しのようにグラスを煽る。
苦味が熱となって全身を駆け巡り、両腕の怪我と化学反応を起こしてか熱い痛みが走ったが、彼女は気にすることなく今日この日だけは全てを酒のせいにしてサツキ省長とグラスを重ね続けた。
第7章 鉄血の国との聖魔戦争 ―終―




