111話 屍山血河・6(全てを飲み込む虚無の大渦)
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「――チッ、殺しても殺しても次が湧いて出て来やがる! おかわり自由っつっても限度があるだろ!?」
最前線で戦い続けていた狼獣人のルゥは、今や疲労の極地にいた。
両手に持った軍刀が、ずしりと腕を引っ張る。以前にセレスティナが語った言葉から着想を貰い、速さと切断力を突き詰めて作った特注品だ。
それまで握っていた剣よりも腕に馴染むはずの武器が、気付けば鉛のように重い。
速度を重視したルゥの戦い方は、疲労が積み重なると戦闘力を大きく落とす弱点がある。種族特性的にも持久力より瞬発力に大きく傾いており、軍に入って半年の訓練ぐらいでは克服できなかったのだ。
既に見渡せる範囲では同期の新兵は皆負傷もしくは戦死により戦線から離脱しているようだ。
ルゥ自身も何度か被弾してしまったが、以前のベヒモス退治のお礼にと貰ったベヒモスの黒毛皮のマントのお陰でどうにか無事を保てていた。重装備を嫌う彼としては軽くて格好良くて防御力も高く、夏場に暑いことを除けばまさに理想の防具だ。
「っだあああ! もう! いい加減にしろよてめぇら!!」
尚も自分自身に鞭打つようにして、ルゥが目の前の敵兵達に攻撃を繰り出す。
敵兵の側を掠めるように走り、そして同時に剣を振るうことで、脚力と腕力を剣速に乗せる疾風のような剣技だ。
一人目の盾を構えた徴募兵はその速さに対応できずに、盾の守備範囲からはみ出た頭の上半分を斬り落とされた。
二人目の魔術師殺しを持った正規兵も、魔剣ごと首を斬り飛ばされた。
だが、心身にのしかかった疲れが、彼の剣閃から本来の速さと鋭さを奪っていたようだ。
三人目、白銀に輝く鎧と大盾に身を固めた騎士の盾によって、ルゥの双剣のみならず彼の突進の勢いまでもが完全に止められていた。
「――なっ!? オレの剣を、こうもあっさりと!?」
「ここまでだ。死ね!」
「うわあっ!?」
強烈な斬撃を受けても傷一つついていない防御魔術に覆われた銀の大盾で押し返され、疲労とダメージで退避が一歩遅れたルゥがバランスを崩してしまった。
そこへ、銀の騎士は剣を大上段へと振りかぶり、全体重を乗せて振り下ろす。
「――くっ!」
「コラ! ボサっとしてんじゃねェ!!」
次の瞬間、横手から大剣が割り込み、騎士の剣の一撃をルゥの頭上すぐの高さで止めた。
「大将!? 助かったぜ!」
「けっ! 根性が足りてねェぞ! それでも男かよ!?」
大将と呼ばれた彼、ルゥの所属部隊の隊長である大柄で筋肉質の虎獣人バルバス伯爵は、悪態を吐きつつも手にした身の丈ほどに大きな両手剣を旋回させるように振り回し、眼前の銀の騎士に叩き付ける。
がぃん! と鈍い金属音と火花を散らしつつ、恐るべき膂力で全身鎧の騎士を距離にして十歩分程弾き飛ばし、不敵に口の端を吊り上げた。
「あの女が言ってた聖盾騎士団とやらか。脆弱な奴のフカシかと思ってたがなかなか骨がありそうじゃねェか」
見ると、今の攻防で彼の鋼のような筋肉に覆われた左腕に赤い筋が走り、血が流れ落ちている。このことからも聖盾騎士団がただ硬いだけの置物ではないことは明白だ。
「魔物の指揮官級か。大した馬鹿力だが我ら聖盾騎士団の敵ではないな。その首取らせて貰う!」
「ほざけ! 木偶の棒が!! テネブラ軍獣牙連隊長、トラファルガー・バルバス、推して参るッ!!」
「――っと、そこでストップ。バルバス伯爵に司令部からの連絡が来てるんだ」
一騎討ちの如く、再び距離を詰めて切り結ぼうとした時、戦場に似つかわしくない穏やかな声が彼の頭上から降ってきた。
だが、バルバス伯爵は振り向きもせずに怒鳴りつける。
「うるせえッ!! オレはオレより強ェ奴の言う事しか聞かん! 伝令兵ごときがオレの戦いに口を出すなッ!!」
「……うああ……た、大将。上、上……」
「ふむ、だったら尚更僕の言葉には従って貰わないとね」
静かな口調を崩さず、その伝令役は上空からバルバス伯爵の前方、聖盾騎士との間に割り込む位置へと降り立った。
その姿を見て、バルバス伯爵の顔色が変わる。
尚、ルゥは既に顔面蒼白で尻尾をきゅっと丸めていたりする。
「まさか、デアボルス公爵!?」
「そうそう。戦いに熱中すると周りが見えなくなるバルバス伯の悪い癖が心配でね。念の為に僕が来て良かった」
強大な魔力の込められた錫杖を手に現れたのは、国内でも3本の指に入る実力者のアレクサンドル・デアボルス公爵。きっと魔国軍の歴史の中でも最も贅沢な伝令兵だろう。
「さて、見応えのある一戦を邪魔するようですまないけど、残念ながら個人戦に時間を費やす余裕は今の僕達には無いんだ。ここは僕が貰うよ。――《徹甲石弾》」
しゃらん、と涼やかな音を立てて手にした錫杖を振ると同時、岩を砕くかのような轟音が響く。
《徹甲石弾》は彼が《石弾》に独自の改良を繰り返して魔改造した術式で、獄魔族の高い魔力による基礎攻撃力の高さに加え、石弾に捻りを加える事で貫通力を大幅に上げているのだ。
まず一撃目で堅牢なる盾を弾き飛ばしてその勢いで左腕も捻じり折り、続けて撃った二撃目で鎧の上から心臓を貫いた。
格の違いを見せ付けたデアボルス公爵はその戦果を誇るでもなく、すぐに次の魔術を解き放つ。
「着陸場所が必要だね……《石壁》」
続いて彼が錫杖で地面を叩くと、魔国軍と帝国軍とを隔てるように、まるで城壁のような幅と厚みと高さを持つ壁が出現した。
「倒れろ」
その城壁をデアボルス公爵が手で軽く押すと、それはゆっくりと傾き、やがて帝国軍がひしめく中へと落ちていく。
「に、逃げろっ!」
「邪魔だ! どけえっ!」
「駄目だ! 間に合わな――」
整然とし密度の高い隊列が災いして逃げることもできない帝国軍の上から、巨大な石の壁が倒れかかった。足元を揺らす地鳴りを響かせ、石壁の下から大量の土煙と血が飛び散る。
それからデアボルス公爵が上空に向けて手で合図すると、獄魔族の精鋭達が次々と横倒しになった石壁の上へと降りてきた。そして早速、それぞれの得意な攻撃で手近な帝国兵達を蹂躙し始める。
「ここで暫くは僕達が敵軍を食い止めるけど、人数が少ないから敵全員に対応できる程の守備範囲は取れない。なるべく早くルーベル伯と交代を完了して欲しい」
「オレ達に、敵前逃亡しろと、そう仰るのですか!?」
司令部からの通達を伝えても尚食い下がるバルバス伯爵。だがデアボルス公爵もそういう血の気の多い部下の扱いは心得ていた。
「逃亡じゃなくて、“転進”だよ。軍全体の勝利と言う目標の為に君達には別の方向へと進軍して貰う、それだけだよ」
「う……そ、そう言うことでしたら……」
強引に納得させられたバルバス伯爵が“転進”していく気配を背後に感じつつ、デアボルス公爵はあくまて穏和な口調を崩さずに、この場に集った臨時の部下達を鼓舞した。
「さて、ルーベル伯が到着するまでこの場を守るとしようか。少しぐらい後ろに抜かれても本陣はむしろ喜ぶと思うから、まあ無理せず安全第一で行こう」
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バルバス伯爵率いる獣牙連隊が雑に後退した後をルーベル伯爵率いる鉄爪連隊が雑に埋めていくという雑な連携は、戦場での軍事行動に関してはほぼ素人のセレスティナの目から見てもちょっとどうかと思う。
きっと、軍上層部もこの光景を見て、これからは隊同士の連携を意識した訓練も必要だと痛感していることだろう。
だが、デアボルス公爵による時間稼ぎが功を奏したようで、敵軍が隊列を立て直して攻勢に出るより早く鉄爪連隊が前線へと到着し、強靭な肉体と魔力とを乗せた一撃を与える事に成功する。
「……あの獣牙連隊の猛攻を我慢して凌いで疲れさせて、ようやく反撃のチャンスが来たと思ったら今度は鉄爪連隊が相手とか、私だったら泣きたくなりますね……」
その状況を作った間接的な要因が自分にもあることを棚に上げて敵軍を同情するセレスティナ。きっと彼女の心の棚は空間魔術で塔のように高く拡張していていくらでも物が置けるに違いない。
一方、左側を支える鬼角連隊は一進一退の攻防を続けており、彼らの文字通り大きな背中が頼もしい。
とは言え、戦況は何がきっかけでどう変わるか知れたものではない。
そして、現時点では魔国軍が有利に見えるそれを決定的にする為のあと一押しとして、ゼノスウィルの大魔術が遂に最後の1ピースを積み上げる。
「ふおお……」
初めて間近で初期工程から完成までの流れを目撃し、戦闘中なのも忘れてセレスティナの魔眼が歓喜の光を帯びた。
基礎部分となる巨大な魔法陣を中心に、周囲を無秩序に補助回路が取り囲むその様は、増設を繰り返してバランスが崩れた前衛的な芸術家の屋敷のようだ。
本来、発動に時間がかかる上に失敗すると自分と味方を消滅させかねないこの魔術は、敵の妨害が予想される戦場の真っ只中にして真っ最中で気軽に使えるものではない。
戦場の中心部に一種の空白地帯を作り上げるというセレスティナ達の奇跡じみた戦果の集積があってこそであり、その結果希少な魔術を目撃できることは大きな報酬と言えるだろう。
その芸術的とも言える魔術回路群に、セレスティナから見ても非常識な魔力が充填されて行く。
額に珠のような汗を浮かべつつ、ゼノスウィルは仕上げに蓄積された魔力を、前方に向けて残さず解放した。
「消し飛べ! 《崩壊烈風》っ!!」
巨大な魔術回路から、同じぐらい大規模な漆黒の渦が伸びる。
触れた物全てを消し去ると言われるそれは、疾風や激流をも越える速さで突き進み、正面の帝国軍本隊を呑み込む。
光や空気や音すら蹴散らして進むような錯覚さえ感じるそれは、あまりに黒く、あまりに速く、そしてあまりに静かに、敵軍に滅びをもたらした。
闇の渦が通り過ぎた後には、帝国軍の群列に同じ直径の大穴が空き、そこには何も残らなかった。
その通り道となった地面も、渦の形に沿うような緩い弧を描いて綺麗に削られて、周囲の草原と比べて明確な破壊の跡を残している。
「……凄ぇ……」
ヴァンガードもクロエもフィリオもフィリアも等しく呆然と佇む中、ゼノスウィルは呼吸を整えつつ疲れた様子で汗を拭う。
「ふぅ、やはり年寄りの体力には堪えるのう。もう一撃は流石に無理じゃ。では後は頼むぞ」
そしてそう言い残すと、杖に乗り本陣へと帰って行った。
敬礼して祖父を見送ったセレスティナは、先程の魔術回路を魔眼に焼き付けるかのように目を閉じ、情報を整理する。
「やはり見立て通り触れた物を分子レベルまで分解する術式のようですね……そうするとやっぱり逆流防止回路の存在が肝に……でも遮断しきってしまうと今度は推進力が伝わらないですし……では爺様はどうやって両立を……?」
「お、おい、ティナ……」
「……あ、すみません。少し現実逃避していました。まだ戦闘は終わってないですから油断大敵、ですよね」
ヴァンガードに呼ばれて、改めて惨状という名の現実を直視する。それは当初目標としていた、できるだけ敵味方の死者を抑えて帝国軍を追い返すという理想形からは程遠い。
戦場の只中にも関わらずつい魔術談義に走りがちになってしまうのは、根が小市民な彼女の心がこの光景に耐えられないからだろう。
「……それにしても、ここまで崩れてまだ撤退しないんですか? 帝国軍の司令官は空っぽの御輿か何かですか?」
自分がそれを言うのは偽善か自己満足でしかないと感じて良心がズキリと痛んだが、それでも部下の命を使い捨ての駒のように見ているであろう敵軍司令官への怒りもまた良心から湧き上がるもので、つい愚痴の一つも出てしまう。
尚、この時点でセレスティナ達が知る由も無いが、実のところは先の《崩壊烈風》が運悪く帝国軍本陣を通過しており、ゼクトシュタイン公爵も幕僚諸共跡形も無く消えてしまっていた。
そんな訳で、指揮権の継承が完了するまで帝国軍は動くに動けないという状況なのである。
「こうしている間にも、双方の死傷者が無駄に増えるだけなのですが……」
降参を促そうにも、セレスティナには場所を移動することはできない。その原因は彼女自身が要求した命令書にあるのが皮肉なところだ。
「敵本陣の座標が判れば、降伏勧告の矢文を転送して撃ち込むのですが……」
「それ、撃たれる方からすれば新手の暗殺にしか見えないんじゃない?」
「うむぅ……」
ここでただ見ていることしかできず、悔しそうに歯噛みして血塗れの拳をぎゅっと握り締めていると、ようやく帝国軍に動きが生じた。
無条件降伏を示す白旗が、帝国軍後方から次々とドミノ倒しのように上がって行き、前線へと伝播する。
「やっと、ですか……はぁ、しんどかったです……」
玉砕覚悟の全軍攻勢に付き合うことにならず安堵したセレスティナは、そのまま力が抜けたかのようにへたり込んだ。
いわゆるぺったんこ座りと呼ばれるあざといポーズだったが、本人にそのような意図や女子力は持ち合わせておらず、単に身体が柔らかい故に脱力したら自然とこんな格好になった点のみ補足しておく。




