108話 屍山血河・3(鉄壁を嘲笑う毒の蝶)
▼
「おい、オレ達も負けてられねェ! 行くぜ野郎共ォ!!」
本陣にまで届くほどの雄叫びを上げ、バルバス伯爵率いる獣人部隊の“獣牙連隊”が包囲を狭めつつある帝国軍左翼側へと向けて迎撃を開始する。
これまでも弓矢での撃ち合いを続けながらじわじわと距離を縮めていた両軍だったが、一定の、つまり自分達の牙が届くと判断した間合いに入った瞬間、獲物を狙う肉食獣さながらのスピードと迫力をもって駆け出したのだった。
ウオオオオオオオオ、と大地を揺るがすほどの大音声を響かせつつ突進する獣人軍団の姿は圧巻で、総司令部の面々も満足げにその様子を眺めている。
「……気合い十分だな。“前陣”の者達の勇戦に触発されたか」
「友軍の鼓舞こそが前陣号砲術士の主要任務じゃからな。ティナの奴も最低限の戦果は挙げたようじゃしイグニス家の名に傷をつけずに済んだか」
アークウィング総司令の言葉に素っ気無く返すゼノスウィル参謀長。その内心は孫娘が無事に帰還できそうな雰囲気に安堵していることは疑いないのだが、どうせ本人が素直に認める筈も無いので誰も指摘しなかった。
そうこう話している内に、戦場の左側と上空でも激突が起こる。
左側では、フェルムス伯爵率いる鬼人族主体の“鬼角連隊”が隊列を維持したまま整然と徒歩で移動して帝国軍右翼を食い止めた。
そして上空では、総司令部直属の竜人族と獄魔族とによる少数精鋭である“竜翼特務兵”達が敵航空戦力の聖翼騎士団と交戦を開始する。
対して、中央部で敵主力を迎え撃つ予定のルーベル伯爵率いる汎魔族主体の“鉄爪連隊”は、未だ待機中だった。
この時点でテネブラ側がそこまで把握できている情報ではないが、前陣号砲術士達の効果的な砲撃により立て続けに敵軍中央部の指揮官が死亡し、同時に前線の兵士達にも多大な被害が出ており、侵攻が遅れていて陣形に歪みが出ていたからである。
「ルーベル伯は堅実な判断じゃな。ここで猪突すると孤立したところを叩かれかねん」
「バルバス伯だったら気にせず出ていただろうな……さて、そのバルバス伯だが攻撃一辺倒な分息切れも早い。ラークス子爵よ、彼らの“未来”を注視して敵を粉砕するのが先なら良し、もし先に崩れそうになるならば早めに報告せよ」
「はっ…………僕が“視える”範囲では押してる模様です。……ただ、むしろ中央部の方に異変が…………」
橙色に輝く魔眼を細めながら不穏な報告を行うラークス子爵。それを聞いたゼノスウィルが片眉を跳ね上げた。
「何じゃと? ルーベル伯の“鉄爪”に何か起きると言うのか?」
「……いえ、それが、その段階まで行かないようです……最初は僕の見間違いかと思ったのですが…………」
そう言うと彼は、一旦胃薬を手に取って深呼吸をしてから詳細な説明を続けるのだった。
▼
「あれが、ティナの言っていた聖盾騎士団か……」
視線の先、散々焼き払った帝国軍中央部に新たに登場した銀色に輝く鎧と盾が特徴的な騎馬兵の一団を認め、ヴァンガードが呟いた。
「はい。帝国軍で最高位を表す“聖”の名を冠する二つの騎士団の内の一つ。対魔族や魔術師を想定した戦力で勇者に次いで警戒が必要な相手です」
「……頭上に居る聖翼騎士団よりも、か?」
上空に展開されている《飛空》を込められた魔道具の絨毯の編隊を見上げるヴァンガードに対して、セレスティナは考えるそぶりも見せず即答。
「聖翼騎士団も飛べない者からすれば手の届かない上空から攻撃魔術を降らせるのは脅威ですが、私達みたいな魔術師には聖盾の方が圧倒的に相性が悪いです」
元々、空を飛ぶ絨毯による空戦部隊は、帝国の聖翼騎士団に限らずアルビオンやルミエルージュでも存在する兵科である。一方的に制空権を取られると上空から《爆炎球》を落とされて壊滅してしまうので対抗する手段としても必須になるからだ。
その運用も、1枚の絨毯に《飛空》の維持担当と攻撃担当と防御担当の最低3人の兵士を乗せるところまでは各国共通だ。その際、《飛空》担当は当然魔術師にしかできないが、他の役割は弓兵や盾兵で代用することもある。
上空を飛ぶ聖翼騎士団は、対魔族を意識してか3人とも魔術師を起用し、更には複数の絨毯同士の位置関係や距離までも綿密に定めてそれを保つよう訓練を重ね、相互の連携を重視しているようだ。
それは攻めよりも制空権を奪われない為の守りに偏った陣形で、さながら一つの空中要塞のように機能している。竜人族や獄魔族といった自前の翼で空を飛べる上位魔族を想定したものだろう。
とはいえ、それぞれ単体での攻撃力と防御力は人間族の戦力の範囲に納まっており、目の前に並んだ聖盾騎士団の突出した防御力を考えるとまだ聖翼騎士団の方が崩し易いだろう。
余談になるが、“聖”の名を冠しない騎士団も多々ある。例えば鋼剣騎士団、鉄槍騎士団、銀杖騎士団などだ。それらはいわゆる一般兵相当であるので、油断は禁物だが魔族にとってはそこまで脅威でもない。
「それを考えれば、ここらで退くのも一つの選択なんだろうがな……」
前陣号砲術士としては既にかなりの戦果を上げているし、それに加えて左右の戦場ではバルバス伯爵やフェルムス伯爵の率いる部隊が白兵戦に移っている。ここに居る魔術師の殆どを正規の軍人が占めているが、彼らをそろそろ本来の部隊へと帰す必要がある訳だ。
「でもさ、苦手だからってここで逃げるのは俺らの流儀に反するぜ。そうだろう? 隊長殿」
「フィリオの言う通りだ。――皆よく聞け! 最後にあの騎士達を討ち取る! あと一頑張り頼むぞ!」
ヴァンガードが檄を飛ばしたのを受け、魔術師達が気合いを入れ直す。
時を同じくして、敵陣側から聖盾騎士団達が銀色に輝く馬上槍と大盾を掲げ、隊長と思しき者の号令の元、馬を駆った。
その数は大体20騎程。聖盾騎士全員ではないにしても主力のかなりの部分を投入していることから、帝国軍もヴァンガード達の脅威を決して過小評価していないことが見て取れる。
この戦いの趨勢を左右しかねない局面を迎え、セレスティナも杖を持つ手に自然と力が篭もる。
隊列を組み、土煙を上げつつ駆けてくる騎士達を睨みすえ、ヴァンガードは迎撃命令を下した。
「総員、火矢、斉射ッ!!」
その声に合わせ、セレスティナを含む魔術師達が一斉に《火矢》を射出する。初歩の攻撃魔術とはいえ魔族の中で魔術に秀でた者達が一斉に撃てば、その火力は雑兵ならダース単位で火葬する程にも及ぶ。
だが、聖盾騎士団も先日セレスティナと対峙した時と同様、突撃の勢いは緩めずに盾に《防壁》を張り、正面突破を試みる。
「効かぬっ!!」
先頭を走る推定隊長の騎士が一喝し、まるで雨粒を傘で防ぐかのようにあっさりと炎の雨を突っ切る聖盾騎士団。
初見ではその固さに舌を巻いたセレスティナだが今回は心構えが出来ており、このまま火力勝負を続けて時間を無駄にする愚を避けるべく即座に方針の転換を具申した。
「密集した陣形を維持することで《防壁》のカバー範囲を広げて二重三重に重ねてますね。これで敵の固さはお解り頂けたと思いますので……プラン2番を提案します」
「……気は進まぬが、良いだろう。――指示変更を伝える! 聖盾騎士団は自分達5人で引き受ける!! 他の者達は攻撃目標を騎士団から後ろの兵士に切り替えて各自個別に応戦!!」
硬い盾役が攻撃を集めてその隙に後ろから他の兵士が悠々と進軍するのも、敵を蹴散らす以外の聖盾騎士団の副次的な運用になる。
それを阻止すべくヴァンガードが目標の変更を指示し、その声に従った魔術師達が今度は聖盾騎士団の頭上を飛び越えるような放物線の軌道で敵の後続を狙い出した。
同時に、ヴァンガード、クロエ、フィリオ、フィリア、そしてセレスティナの5名は、予め提出しておいた聖盾騎士団対策の作戦案に従い、それぞれの役割に応じた準備を進めつつ敵が一定距離まで近づくのを待ち構える。
「――《石壁》!!」
初手はフィリアが構築した石の壁の魔術。彼女の射程距離ギリギリに立てられた旗に敵の騎士団が差し掛かろうとした瞬間、行く手を遮るように無機質な灰色の壁が地面から伸び上がったのだ。
「――なっ!?」
突然の異変に慌てた声を上げる彼らだったが、密集陣を崩さぬままに馬を走らせる技術からも分かるように彼らは戦闘のみならず馬術も超一流だ。咄嗟に手綱を引いて馬を跳躍させ、勢いを落とさぬままに壁を飛び越える。
だが、《石壁》越えられる高さに抑えられていたのはフィリアの意図通りで、そこに彼女の、そしてこの作戦を立てたセレスティナの罠が隠されていた。
「《氷刺棘》っ!!」
その着地点を狙い、真下からセレスティナが《氷刺棘》の魔術で突き上げる。
魔眼解放時の魔力でぶっ放したそれの威力は凄まじく、地面から乱立した氷の槍はさながら樹氷のような光景を見せ、騎士達の愛馬の腹を次々と貫いていく。
「あの盾は前方からの攻撃に対する防御力はとんでもないですが、騎馬の構造上どうしても真下が死角になりますから……さて、次はクロエさんお願いします」
「ん」
馬を串刺しにした勢いで騎士達もかなりの勢いで地面に投げ出されるが、セレスティナも知る通り彼らの鎧の防御力だと馬による機動力を奪うだけで大したダメージにはならない。このままだとすぐに立ち上がって今度は自分の足で突撃を続行するだろう。
だからそれより先にクロエが矢をつがい、射る。
勿論それは刺殺を目的とした市販の矢であろう筈がなく、鏃の代わりに毒々しい紫の粉末の入った小瓶が結び付けられた特殊なものだった。
その粉の正体に気づいたフィリアが鋭い声を上げる。
「――まさか、それって!?」
「お察しの通り、私が小さい頃からコツコツ溜めてた猛毒アゲハの鱗粉です。一匹から取れる量がごく僅かなのでこれだけ集めるのは凄く大変だったのですが……」
それに付随して、夏休み明けにその猛毒アゲハの標本を教室に持ち込んで激しく怒られた彼女の姿を思い出したヴァンガードが一瞬遠い目になるが、それはさておきクロエの放った矢は地面に転がった騎士達の真ん中に着弾し、辺りに紫色の粉が舞った。
「ぐっ! 何だ!? これは!」
「の、喉が……熱……!」
「まさか、毒か!?」
「は、早く、毒消しを……ッ!」
殺傷力の高い毒を吸い、もがき苦しむ騎士達だったが、防御力の高いフルフェイスの兜が仇になって毒消しのポーションを飲むより早く毒が回り動かなくなる。
そこへ、最後の仕上げとばかりにヴァンガードとフィリオの攻撃魔術が飛んだ。
「これで終わりだ。《爆炎球》!!」
圧縮された炎の塊が、着弾と同時に破裂して騎士や馬達を炎で包み込む。
炎の威力自体が彼らの防御魔術を込められた鎧に対して有効かと問われると微妙なところだが、炎の燃焼による酸欠で生き残った騎士達に止めを刺すことが目的の一つ。
そしてもう一つはいわゆる書類上の都合である。
「……軍部には毒殺を卑怯な手段として忌み嫌う方も居ますから、毒を燃やして証拠隠滅しつつ記録上は火炎魔術で頑張って焼き尽くしました、ということで一つお願いします……」
「それは良いが、要警戒の敵をこんなにあっさり全滅させるとは……えげつないにも程があるな」
ヴァンガードの言葉に、いつもなら「えげつなくなんかないです」と軽口を返す筈のセレスティナは、今日は重く苦い表情を向けた。
「私だって……もっと力があれば、殺さずに制圧して捕縛して身代金をせしめたかったです……」
「う……その……なんかすまん」
空気が暗くなりかけたところで、今度は先程の毒矢に疑問を抱いたフィリオが追求を開始してくる。
「ちょっと待った。さっきの矢で飛ばした毒は粉だったよな? 俺らの時は毒液だった筈なんだが、あれは何だったんだ?」
「すみません。あれはハッタリ用の香水です。庭の花から母が手作りした独自ブランドですので、店売りとはデザインが被らずに誤魔化せるかな、と……」
「何だってェ!? 騙しやがったのか!?」
「実際、予想外の襲撃でしたから、毒の粉なんて危険物は簡単に取り出せませんでしたし」
あの時点では“隠れ家”の奥の素材置き場に厳重に保管していた為、手元にあった小瓶で代用したということだ。
だが、その回答を受けて今度はフィリアが疑問を呈してきた。
「うーん。でもセレスティナって女子力壊滅してるのに香水は常備してたの? なんか意外な感じね」
「……以前にちょっと色々ありまして、身嗜みの品は常備しておくよう、母にきつく言われているんです……」
「あぁ、あの時のアレね。そりゃティナの自業自得よ」
その昔、顔を洗ったセレスティナがハンカチを忘れたことに気付いてドレスの裾を持ち上げて拭いたら丁度その場面を母セレスフィアに目撃されてしまい制裁を受けたという女子力とか色々足りていないエピソードがそこにはあったのだが、戦場でする話でもないので詳細を暴露するのをクロエは勘弁してやることにした。
「そんな事より、生き残りが一人居るみたいよ? どうする?」
一瞬で戦士の顔つきに戻ったクロエが指し示す先、そこには石の壁の裏側から怒りに満ちた足取りでこちらへと向かう聖盾騎士が一人。
おおかた馬を御すのに失敗して壁越えができなかったのが結果的に幸いして毒の鱗粉から逃れたというところだろう。
状況はそうそう目論見どおりに進展しない。今更ながらその事を痛感したセレスティナは、迫り来る帝国の騎士を前に小さく嘆息した。




