107話 屍山血河・2(虚空より襲い来る狩人の矢)
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視点はセレスティナ達の居る最前線から外れて後方へと移る。
簡素なやぐらの上に簡単に設営された、テネブラ軍の本陣。一際大きな国旗が掲げられたここでは総司令官のアークウィングと数人の幕僚および客員参謀が戦場の様子を見渡していた。
「開戦の号砲はかく鳴り響く、と言ったところか。……ときにゼノス老、号砲と言えば先程の落雷はティナ嬢の仕業だと思うか?」
「……あのような大技が使えるとは聞いておらぬが、つい最近魔眼の封印を解いてやったから新しい武器の一つや二つは手に入れてもおかしくないじゃろうな」
そこまで答えたセレスティナの祖父のゼノスウィル参謀長は、「じゃが――」と続けると勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「どちらにせよ、わしが前陣に出ていた頃と比べると非力もいいとこじゃな」
「ゼノス老の《崩壊烈風》を基準に考えてはいかんだろ……それにしても、強さを証して出世するにつれて前線から遠ざかって行くのはどうにかならんものか」
後方で座って戦況を見てるだけなのがつまらなさそうにアークウィングが零した。そんな彼の斜め後ろから呆れたような響きを帯びた声がした。
「魔族は自分より強い者にしか従わないからね。それに、“魔王”が最前線で配下を引っ張って戦った時代とは違って、人数が増えて戦域が広くなると個人の武勇が戦局を左右することも滅多に無いし」
軽い口調を投げかけたのは、職業軍人ではなく志願兵扱いでこの場に来ていたデアボルス公爵だった。内務省長という重要な立場であるがテネブラの興廃を決めかねないほどの重要な一戦であるので仕事を部下に押し付けて赴いたという訳だ。
おかげでセレスティナの父親のウェールが残業続きでなかなか帰宅できないという二次被害が生じている。これも戦争が悪い。
「強さで言うならデアボルス公もここで指揮を執る資格は十分にあるのだがな……どうだ? 俺の代わりに総司令官をやってみないか?」
「……勘弁して欲しいね。かつての魔王は軍事に専念したいからと内務省長の役割を側近に押し付けた訳だけど、現在の魔王が前線に出たいからって今度は総司令官を押し付けるとか、負けず劣らず頭悪くないかな?」
「否定はせん。だからこそ頭の良い奴に本陣で全体を俯瞰する役を任せるというのは理に適うと思うがな」
そう答えると、アークウィングは無駄話を打ち切り戦況の監視に専念する。
帝国軍は左右両翼を先行させた陣形を少しずつ狭めているところだった。
それに応じてテネブラ側もラークス子爵の魔眼を酷使しつつ慎重に迎撃の時を見極める。兵の質はともかく数で劣るため、タイミングが早すぎると突出し孤立したところを包囲されるし遅すぎると包囲が完成してしまうのだ。
未来視の魔眼は連続で使うには負担が大きいらしく、時折魔眼の能力をオフにして常備してある胃薬を口に放り込むラークス子爵。色々な意味でここが我慢のしどころのようだった。
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その頃、セレスティナ達は帝国軍の弓兵達と本格的な射撃戦に突入していた。
「隙を見せるな! 敵が勢いづくぞ! 各自正面の敵と応戦!」
フィリアが等間隔に立てた《石壁》に身を隠しつつ、壁の隙間から前陣号砲術士の面々が火炎魔術で応戦する。
数に勝る帝国軍の物量は脅威だが、それは裏を返せば人口密度が高くなり撃ち合いの際の被弾率が上がることを意味することになり、一見大雑把な魔族軍の方針であるが帝国軍中央部の進軍の足は確実に鈍っていた。
そんな中、セレスティナは魔術による火砲には参加せず、クロエと組んで狙撃に勤んでいた。
「じゃあ、次行くわよ」
「はい。お願いします」
クロエが自分の身の丈ほどもある剛弓に矢をつがえて引き絞る。その弓を握り矢を支える左手に、自分の右手を重ねるセレスティナ。
一呼吸挟み、発射。そしてその瞬間にセレスティナの魔術が発動する。
「《瞬間転移》」
射出した矢がふっと消え失せる。転移先は勿論敵陣の中、それも魔術に対する防御の要になる敵魔術師の胸のすぐ前だ。
前線で斬り合う兵士のように鎧を着込んでいる筈もない軽装ゆえ、出現した矢は胸を貫き背中から飛び出す。血が噴き出し、あちこち黒く焦げた大地を今度は赤く染める。
「――!!」
距離と戦場独特の喧騒で悲鳴は届かなかったが、離れているにも関わらず見えない糸を伝ったかのように確実な手応えを感じ、つい顔をしかめた。
その様子にクロエがぶっきらぼうに告げる。
「今のはあたしの矢で倒したんだから、撃墜数もあたしが貰うわよ。良いわね?」
「……お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です。背負う覚悟はできてます」
強がるように反論し、セレスティナが次を促した。クロエは軽く頭を振ったがあえて何も言わずに矢筒から次弾を取り出し、二射、三射と撃ち出していく。
射られた矢は最高速度に達して弦から離れた瞬間に、その都度セレスティナの《瞬間転移》で転送され、帝国軍の魔術師を討つ。例え急所を外したとしても重傷となるのは間違いなく、この戦闘からは離脱するしかないだろう。
「Fの11区域はあらかた仕留めました! 次は12、13を狙います!」
「よし! 聞こえたか! 総員、Fの11区域に集中砲火だ!!」
セレスティナの報告を受け、ヴァンガードが叫んだ。それを受けて術者達のターゲットが正面の一点へと向く。
「っしゃあ! 行くぜ! 《火矢》!!」
大砲のようなフィリオの炎の槍と、機関銃のようなフィリアの炎の雨とが、同時に飛ぶ。少し遅れて他の者達の魔術も後を追う。
炎の奔流のような集中砲火が、貴重な魔術師を多数失い防御魔術が殆ど張れなくなった帝国軍を飲み込み、押し流す。
小動物でも狩るようにいとも簡単に敵兵を蹴散らす光景もそうだが、それ以上にヴァンガードはセレスティナの非常識とも言える発想と技術に驚きの声を出した。
「矢を放った瞬間に《瞬間転移》で跳ばす、か……確かに理論上は可能なんだろうが……」
「うーん、射手との息の合ったコンビネーションがあって矢を見切る動体視力があって素早く座標計算と《瞬間転移》の発動が可能で敵側の正確な位置が観測できていれば割と簡単に成立しますから、フィリオさんとフィリアさんクラスなら少し練習すれば出来そうに思えます」
「面白そうだな。今度俺らも試してみるか!」
「でも、あたしとティナの方がよっぽど上手くできるわよ」
何故か双子に張り合い始めたクロエが一際強く弓を引き絞り、そして放つ。セレスティナの魔術で転送された矢はあやまたずに敵軍の魔術師を討ち、追い討ちをかけるようにフィリオ達の火炎魔術で兵士達を焼き尽くした。
「なんだ。思ったよりも楽勝じゃねえか?」
「いや、敵の両端には自分達の攻撃は届かない。正面を少し削ったぐらいで全体にどれだけ影響があるか不明だから油断はしない方が良いだろう」
楽観的なフィリオの言を、ヴァンガードが総司令部所属らしい視点で諌める。
帝国軍の右翼側と左翼側も弓兵を配置して撃ち合いながら包囲を狭めているが、そちら側はほぼ無傷のままでテネブラ軍のバルバス伯爵とフェルムス伯爵との率いる部隊に迫っているのだ。
「それに、あまり暴れすぎるとそろそろ怖い人達が出て来そうなので、気を引き締めておきましょう」
セレスティナが言うように、帝国には対魔族に特化した戦力が控えている。彼女の声は一足早い冬の風のように、ともすれば油断に繋がりかねない空気を冷やし、現実へと引き戻した。
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「どうした!? 何が起きていると言うのだ!?」
シュバルツシルト帝国軍本陣。戦列の最後尾に位置するそこでは、炎に巻かれて前線の兵士もろとも焼け死んだツヴァイト男爵に代わり、ゼクトシュタイン公爵が軍全体の管理と兼任して第8師団の指揮を執っていた。
だが第8師団が敵の魔術師達と激戦を繰り広げている前線と本陣には少しの距離がある為、戦いの様子が目視で確認できず伝令兵が情報を持ち帰るまでのタイムラグもあり、ヴァンガード達の猛攻に対して後手に回っている状況だ。
「申し上げます! 銀杖騎士団の魔術師達が次々と狙撃され、《防壁》の維持ができなくなった所に砲撃を受けてているのです!」
跪き、そのまま地に伏しそうなほどに顔を下に向けた伝令兵からの報告に、ゼクトシュタイン公の声が怒気を帯びる。
「狙撃だと!? 魔術師を最前列に配置する馬鹿は誰だ! 訓練で今まで何を学んできた!」
指揮官が立て続けに死亡した異例の事態に現場が混乱しているだろうことは理解するが、それにしても軽装の魔術師をのこのこ前に出して見殺しにするのは無能すぎる。
その怒りは前線の無能な兵士達に向くが、真正面から余波を受ける羽目になった哀れな伝令兵は萎縮しつつも声を絞り出した。
「そ、それが……矢がどこから飛来したか不明なのです!」
「矢は前からしか飛んで来んわ! 皆眼球を祖国に置き忘れたとでも言うのか!?」
「そうではなくっ……畏れながら、盾兵の背後に居た者も周囲に《防壁》を展開していた者も、気付けば矢に貫かれておりまして……!!」
「何だと!? …………ふむ? 前線は視界が悪く視野も狭くなるゆえ見間違いだとは思うが、でなければ魔物共の卑劣なる計略の一つかも知れぬな……」
落ち着きを取り戻したゼクトシュタイン公が肉の厚い顎に手を添えて思案する。そしてすぐに、一つの決断を下した。
「このままずるずると消耗させられるのは良くないな。――聖盾騎士団に命令を出す! 速やかに出撃し、我が軍を愚弄する敵の魔術師共を蹴散らし、その首を刎ねよ!!」




