106話 屍山血河・1(戦場に咲く炎の華)
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「敵の先頭集団、緑の旗を越えたわ!」
「よし! 総員砲撃態勢! 距離180! 初撃は予定通り“二段式”で行く!!」
木筒にレンズを2枚嵌め込んだだけの簡素な望遠鏡を片手にクロエが報告し、それを受けたヴァンガードが前陣号砲術士全員に指示を飛ばした。
その言葉にセレスティナも杖を構え、使い慣れた主武器の一つである《火矢》の魔術回路を組み上げる。
目の前でいきなり指揮官の一人を失った帝国軍は、動揺か恐怖か、隊列と足並みがやや乱れていた。
だが、そう簡単に引き返す気はないらしく、国境の河を越えてテネブラの領土を土足で踏みにじり、所々に立てられた邪魔な旗も蹴り折って彼我の距離を縮めていく。
杖を握る手に無意識に力が入るセレスティナの肩を、クロエがぽんと叩いた。
「良い? 奴等は敵。魔国の領土と資源を奪い取ろうとする侵略者よ。殺らなきゃ殺られるのはティナなんだから」
「……知ってます」
クロエの言葉に素っ気無く応じるセレスティナの顔は、ほろ苦いなどという生易しい物ではなく、苦虫を数匹纏めて噛み潰してしまったかのような終末感溢れるものだった。
そして同時に別の考えにも至る。一般兵や徴募兵の殆どは上からの命令で拒否権無く戦場に連れて来られただけの、故郷で家族や友人や恋人が帰りを待っているごく普通の民だと。
彼女としては早い段階で帝国軍に降伏なり撤退なりを決断させて、できるだけ多くの帝国兵を生還させてやりたい。
だがそれを成し遂げるには、会戦の初期段階で相手を一方的に打ち負かしてこれ以上の戦闘が無意味だと思わせなければならない。
頭と心が文字通りにすり減らされそうな矛盾した命題に悩まされるが、何よりもまず大前提としてこの戦闘で負けることが許されない。
これまで相手に合わせて力加減を調整する場面が多かったセレスティナだが、今日だけは手加減も情けも容赦も捨てて、戦いに挑みかかる。
「火矢、セット! ……3、2、1、撃てえッ!!」
「――《火矢》!!」
ヴァンガードの号令に合わせ、セレスティナが大きく杖を振った。その軌道上に眩しい光の帯が生まれる。
魔眼族の切り札である魔眼の力を載せて生み出した炎の矢の数は、100本を超えるものだった。
戦法の特性上、一つ一つの威力を犠牲にして数を増やす事に注力した結果だが、それでも隣でフィリアが生み出した20本に比べると非常識極まりない数である。
対して、ヴァンガードやフィリオの男性陣は、この《火矢》による弾幕には加わらずに待機している。
そんな中、女性の魔術師達が生み出した無数の《火矢》は、流星群のような光の機動を描きつつ正面の帝国軍へと降り注ぐ。
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「敵軍より、炎の矢が来ます!!」
「見ればわかる! 銀杖騎士団は防壁を張れ!!」
帝国軍の中央部を受け持ちセレスティナ達前陣号砲術士との撃ち合いを挑まれた第8師団。
師団長であったアーダベルト伯爵が不幸な落雷事故により命を散らせた為、現在は副官であったツヴァイト男爵が団長代理として指揮権を引き継いでいた。
その彼の命令の元、魔族と戦うことを想定して訓練に明け暮れていた銀杖騎士団、つまりは魔術師達がまさに蟻の侵入する隙間もないぐらいに整然と《防壁》を敷き詰める。
続けて、轟音と共に炎の雨のような攻撃――セレスティナ達の放った大量の《火矢》が《防壁》に衝突し、視界を火の粉と土煙で覆った。
物量の暴虐に晒され、耐え切れなかった防御魔術があちこちでひび割れて砕ける。だがそれでも大部分の攻撃は阻止したようで、流れ弾に焼かれて少数人が火傷を負った以外は死者も重傷者も出さず、最前線の帝国兵達は安堵の吐息を漏らす。
「――我が軍の損害、軽微!!」
「……ふむ。魔物どもの魔術も噂ほどではないのだな。それとも、我ら神聖なる帝国軍が強くなりすぎたのか? ククッ」
口髭を指で整えつつニヤリとほくそ笑むツヴァイト男爵。
確かに魔術の射程距離は自分達人間の魔術師より長いが、見たところそれだけだ。こちらも長弓で応戦すれば人数差で押し切れるだろう。
「今のうちに銅弓騎士団を並べよ! 視界が晴れたら一斉に反撃する!」
「はっ!」
ツヴァイト男爵の鋭い指示の声に応じ、帝国軍が目まぐるしい速度で再編を進めていく。
土煙の影響で撃ち合いが止まった間隙を上手く利用し、割られた《防壁》の維持を解除した魔術師達が呼吸を整え、その横で負傷者を後方に下げつつ射程に秀でた長弓で武装した兵達が進み出た。
「一撃で軍隊が崩壊するなど所詮はおとぎ話の産物である! 精霊神もご照覧あれ! 今日この日、神聖帝国の手で伝承に終止符を打ち、歴史を書き換えて見せようぞ!」
初撃で魔族軍の実力を見極め、この戦いの勝利を確信した――少なくともツヴァイト男爵がそう独自の判断を下した、その時。
世界が、灼熱の炎に塗り潰された。
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「…………えげつねえな……」
無防備な敵陣に叩き込んだ《火炎嵐》が先頭集団を纏めて消し炭に変えたのを見て、攻撃を指揮した本人であるヴァンガードがつい呆然と呟いた。
手順としては、まず魔術の多数同時展開が得意な女性陣を中心に半数を割り当てて《火矢》の雨を降らせる。これは損害を与えることではなく火の粉と砂煙により煙幕を張ることを主目的としたものだ。
そして初撃に対処した《防壁》が消えた頃を見計らって、ヴァンガードやフィリオに代表される火力自慢の残り半数で《火炎嵐》を撃った、という流れである。
《防壁》は高い防御性能の代わりに魔力消費も大きい為、優れた魔術師ほど必要最低限の時間だけ維持して効率的に扱う傾向がある為、そこを逆用したということだ。
土煙で敵陣の場所が見えなくても、《火炎嵐》は座標指定型の魔術なので対象との距離さえ分かれば当てられるし、その距離は最初にヴァンガードが告げている為問題は無い。
「……別にえげつなくはないです。家でも学院でも格上に囲まれて育ちましたから私みたいな弱者は知恵を絞って工夫を尽くしてプライドも捨て去らないと生き残れないのですよ」
「ティナみたいな弱者が居てたまるか」
「それで、こういった弱者の戦法は本来人間側が魔族に仕掛けるのが普通ですから、それが逆になれば、まあこうなりますねとしか……」
ヴァンガードのツッコミはスルーして結論まで言い切るセレスティナ。学生時代に正攻法では歯が立たなかった格上の代表格にそう言われても心には響かないようだ。
実家の訓練においても、師匠であるゼノスウィル侯爵は別次元の強さであるし、同じ師に教えられた兄弟子のラークス子爵にも届いておらず、力不足を噛み締める。
「本当にえげつないのは師匠やデアボルス公爵みたいにレベルを上げて魔力で殴れば大抵何でも吹っ飛ばせる人外の領域の存在ですから、そういった方々に比べれば私なんて雑魚もいいところですよ」
その辺りの実力者層を基準に弱者か否かを論ずるのは個人差があるところだが、少なくともこの場ではセレスティナは少数派だった。
「……まあ、弱者のコスプレして油断したところを一撃で仕留める首刈兎とかも居るんだし、ティナも似たような魔獣の一種って考えれば良いのかしら?」
「弱者コスプレって何ですかっ!?」
なんか諦めたようなクロエの一言に思わず抗議の声を上げるセレスティナ。
隣でそのやりとりを聞いていたヴァンガードは思わず彼女の頭上に銀色の兎耳が生えた姿を思い浮かべて慌てて振り払う。
「……さて、無駄話はここまでにして“次”に備える。フィリア、《石壁》の用意を」
「了解」
正面に見据える帝国軍が先程の《火炎嵐》で生じた陣形の穴を埋めるように移動し、再編されていく。この軍隊としての統率された動きは間違いなく帝国の強みの一つである。
「…………この程度では、撤退してくれませんか」
先の攻撃で焼き尽くした、ないしは戦闘続行不可能まで追い込んだのは恐らく千人に届くかどうか。前陣号砲術士50人の1回の砲撃としては破格の戦果と言えるが帝国兵5万人の中ではまだまだ補充が利く人数だろう。
セレスティナが呟いた通り、帝国軍もこの遠征は国の興亡を背負ったものであり、ここで退くという選択肢は考慮の外らしかった。
彼女の願いに反して、戦闘は激化の様相を強めていく。




