105話 開戦を告げる裁きの雷(ただの自然現象)
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月30日
翌朝、通達の通りに容赦なく早朝から叩き起こされたセレスティナ達は、軍が定めた迎撃予定地へと集合した。
朝もやのかかった国境の河向こうに、おぼろげながらも大勢の帝国兵の姿が見える。
今日の天気はやや曇りで、決戦日和とは言い難い。そんな空を覆う秋の雲の隙間から漏れ出した朝日が、少しずつ景色と敵兵達を照らし出していく。
それはさながら、ゆっくりと舞台の幕が上がっていくかのようだと、セレスティナは他人事みたいに思っていた。
恐らくは《崩壊烈風》対策も兼ねたであろう、端が見えない程に横に長い陣形を敷く帝国軍。その所々に、国旗や軍旗がはためく。
この時点でテネブラ軍は人数まで把握していないが、5人の将軍がそれぞれ1万人からなる師団を率いており、総勢5万人もの大軍勢を構成している。正規兵と徴募兵がそれぞれ半数ずつだ。
これ程の人数を他国の戦場に送り込める兵站と人権の軽さこそが帝国の強さの一つの土台になっているのは間違いない。
対するテネブラ軍は、およそ1万6千人の精鋭で迎え撃つ。
単純な人数では3倍もの開きがあるが、個人能力に優れる魔族の場合1人で人間族の一般兵3人に相当するというのが大陸の共通認識である。
従って、戦力ではほぼ互角ということになり、魔族軍に悲観のムードは見られないし帝国軍も油断しているそぶりはない。
テネブラ軍の内訳は、トラファルガー・バルバス伯爵率いる瞬発力に優れた獣人主体の部隊“獣牙連隊”が右サイドに5千人。
汎魔族の盟主ルーベル伯爵率いる同じく汎魔族と攻防のバランスの取れた獣人達からなる“鉄爪連隊”が中央に5千人。
鬼人族のフェルムス伯爵率いる同じく鬼人族とタフネスが自慢の獣人達による“鬼角連隊”が左サイドに5千人。
そして司令部直属の精鋭部隊である“竜翼特務兵”や斥候・伝令組やセレスティナ達前陣号砲術士など、細々した部隊が約千人だ。
攻撃力の高い者を一方に偏らせて配置することで擬似的な射線陣を構築し、敵軍を端から各個撃破していくことを狙った戦術だ。
脳筋と言われるテネブラ軍だが、過去に繰り返された人間軍との戦いの歴史から学び取り少しずつ進歩しているのが見て取れる。
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さて、そのテネブラ軍が三つの楔を横に並べたような陣形を組む中、それらの更に前方、つまり最前線になる位置にヴァンガード率いる前陣号砲術士が横方向に整列する。
ヴァンガードやクロエのように元々軍属の者は支給された野戦服に身を包んでいるが、志願兵には特に規定が無いため、各自好き勝手な格好をしている。
例えばフィリオとフィリアはいつぞやの襲撃の際の特殊スーツの上にマントを羽織っているし、セレスティナに至っては戦場では明らかに浮くであろう純白のドレス姿だった。
「それにしても……セレスティナはそんな格好で何しに来たんだ? 戦場を舐めてんのか?」
「うむぅ。突っ込まれるとは薄々予想していましたが、一応防御魔術を付与してますので下手な鎧よりも固いですし、それに親に無理やり持たされた服なので着ておかないと後が怖いんです……」
呆れを含んだフィリオの指摘にセレスティナはまるで自分も被害者であるかのようなコメントを返す。
母セレスフィアが手ずから仕立てたゆるふわな雰囲気のドレスはセレスティナの感覚では子供っぽかったが、それでも律儀に着てしまう辺りに彼女の素直さと貧乏性加減がよく現れていた。
「あと物は考えようで、これから撃ち合いをする訳ですから目立つ外見で敵の注目を集めるのも戦術的にアリだと思いますし」
「いやそれはナシだろ……正規軍でもないしかも女子に弾除けさせてその影からコソコソ撃つなんてのは流石に自分達に甲斐性が無さ過ぎる」
ゲームの盾職じみた物言いをするセレスティナに真面目な顔で駄目出しすると、そこでヴァンガードは無駄話を止めて前方を睨みつけた。
朝もやが晴れ視界が開けたのに合わせて、遂に帝国軍が動き始めたのだ。
彼らは統制の取れた動きで、半包囲陣のように左右の端がやや先行した緩い弧を描いて、水かさを大幅に減じた国境の河へと順次踏み込んでいく。
まだ遠く離れているにも関わらずその圧迫感は強大で、数万の兵と馬匹が立てる足音や鎧の金属音が朝の平原に響く。
「……魔眼解放します」
「わかった。……まだ砲撃準備には早い気もするが、許可しよう」
ヴァンガードの視線に釣られて遥かな前方を見据えたセレスティナは、部隊の指揮官である彼にそう告げて覚悟を決めたように目を閉じると、体内を巡る魔力の流れを一段階強化させた。
再び瞼を見開いた時、その双眸は炎のように爛々と真っ赤に輝き、同時に膨大な魔力の余波が周囲の空気を震わす。
「……っ!」
魔術の素養に乏しいクロエでさえも、大きな篝火の側で余熱に当てられたかのように眉を歪める。人一人ぐらい簡単に消し飛ばせるほどの膨大なエネルギーがそこにあることを本能で感じ取っているのだろう。
『――帝国兵に告ぐ!』
そこへ、拡声の魔道具を通してヴァンガードが警告を発した。
『自分はテネブラ軍総司令部所属、ヴァンガード・フォルティスである! 河よりこちら側は我々テネブラの領土! 土足で踏み込むならば侵略行為と見なす!』
生まれながらに魔族の頂点たる竜人族ゆえか、或いはセレスティナと一緒にいることが多いせいで必要以上に修羅場を潜った為か、若くても堂々とした態度であり声も落ち着いたものだ。
実のところ、セレスティナも外交官の職務の一環としてこの“口上係”を希望したのだがあえなく却下されていた。
軍事行動に関する重要な役割を正規軍の者以外に任せられないというのがその言い分で、以前のように外務省など眼中に無かった頃に比べると明らかな対抗心を感じる。
勿論これはセレスティナ自身のこれまでの活動が実ったおかげでで国内での影響力が増していることの裏返しであるのだが、彼女としてはそのことを素直に喜べる筈もなく。
腹いせも兼ねてヴァンガードの読み上げている口上文の原稿に多少手を入れて周囲を呆れさせたりしたものだが、そこは余談である。
『命が惜しければ今すぐ故郷に引き返すが良い! さもなくば、裁きの雷が貴様達を討つことになると心せよ!』
ヴァンガードの警告は言ってみれば様式美であり、返答や、ましてや敵兵達が怖れをなして逃げていくことを期待したものではなかったが、帝国の中にも様式美を重んじる者が居たようで、歩みを止めた敵の軍列の中央部から馬に騎乗した中年の男性が進み出た。
服装や装備から将軍と思われる彼は、同じように拡声の魔道具を口元に沿ると、返答を投げかける。
『我が名は神聖なるシュバルツシルト帝国第8師団長、アーダベルト・フォン・ヤクトフント伯爵である! この度は、野蛮な魔物の割には丁寧な警告、痛み入る!』
「侵略者に野蛮と言われる筋合いは無いですが……」
不満に口を尖らせるセレスティナであるが、このように敵兵を「人間未満」と見なす事で殺戮を正当化するのは戦場における常套手段。
戦争に明け暮れているイメージのあるシュバルツシルト帝国だが、兵士全員が生まれながらの殺人鬼ではなくほぼ半数は先日まで貧しくとも牧歌的な農村で普通に生活していた者達なので、このように自分の認識を騙してしまわないと到底殺し合いに参加できないのである。
『この一戦は貴様達に滅ぼされたルイーネの町に対する報復である! 大義も正義も精霊神の加護も全て我らの側に有り!』
そう言うや、アーダベルト伯爵は腰に佩いた装飾過剰な剣を大仰に抜いて天にかざす。そのパフォーマンスに鼓舞されたか帝国兵達の中から歓声や鬨の声らしきものが湧き上がった。
『従って、真の裁きの雷が何たるかを貴様達はその身をもって知るであろう! 我はここで精霊神に誓う! 貴様達魔物の首をルイーネに並べる事で、悲しく散って行った民への供養を――』
彼の言葉が最高潮に達しようとした、その時――
視界が白一色に塗りつぶされるほどの閃光が迸り、世界を引き裂くと錯覚するほどの轟音と振動が響き渡った。
「何だっ!?」
「ぐっ、耳が……っ!」
「何が起こったの!?」
「落ち着いて下さい! ただの落雷です! 自然現象です!」
突然の異変に周囲が浮き足立つのを、鋭い声音で押し留めるセレスティナ。
距離が離れていたこともあり落ち着くのはテネブラ軍の方が早かったが、そうすると今度はヴァンガードの疑惑に満ちた目がセレスティナに向くのだった。
「それで……今の雷はティナの仕業か?」
「ですから、ただの自然現象ですよ。私を何だと思ってるんですか?」
「だが……さっきの警告文の原稿に“裁きの雷”の文言を追加したよな? 勝手に」
「そこは、まあ、きっと偶然でしょう。それに雷の持つエネルギーはジゴワット単位です。爺様ならともかく今の私には魔眼解放しても到底届かない出力ですよ」
敵軍を注視するという体を取りつつ真っ赤に輝く目を逸らすセレスティナ。のらりくらりとかわすが状況証拠が揃い過ぎているからかヴァンガードは珍しく食い下がって鋭い声を上げた。
「だったら! ……だったら何故、そんなに苦しそうなんだ!?」
その言葉にセレスティナの肩がびくんと震えた。
彼女は眉間に皺を刻んだ険しい表情を浮かべており、その小さな拳も爪が食い込んで血が滴りそうなほどに強く握っている。
そんなセレスティナの見据える先は激突前にも関わらず早くも惨状が広がっていた。
落雷の直撃を受けたアーダベルト何とか伯爵は乗っていた馬諸共黒焦げになって即死しているし、周囲の従者や護衛兵達も巻き添えとなり同じように焦げている。
浅くなっているとはいえ渡河の途中であったことも災いし、水を伝った電撃が河を渡る途中の兵や馬達をも襲い、痺れて動けなくなったり水中に倒れたりしているのも見えた。特に後者は早く救出しないと危険だろう。
部下を叱咤したり怯える馬を宥めたりする者も居るが、目の前で起きた異常事態に帝国軍のほぼ全員が戸惑っているのは疑いない。
「…………その辺は後回しにして、今は前方の敵に集中しましょう」
顔の筋肉をほぐし、いつもよりやや弱気な笑顔になってセレスティナが会話を打ち切る。
ヴァンガードはいまいち納得しきれない様子だが、眼前で体勢を立て直した帝国軍が進軍を再開したのを見、一旦敵の迎撃に意識を集中することにした。
※「雷の持つエネルギーはジゴワット単位」の台詞について……
ジゴワットは映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場した架空の単位で、実際はギガワットのところを脚本化が覚え間違いしていたという説が有力です。
言葉の響きがファンタジーっぽいのと、いわゆる理系ジョークで定番化しているネタであるのとの理由で、本作ではこちらを使うことにしました。




