104話 決戦前の風景・2(旗を立てたりへし折ったり)
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月24日
秋が深まり、温暖なテネブラでも冷たい風がスカートを浚うようになった時期。
テネブラ最西端のフルウィウス地方――帝国との国境の河を臨み、今回軍部が決戦の場所に選んだ広大な草原に、セレスティナは軍務訓練の合間を縫ってヴァンガードとクロエを同伴して下見に訪れていた。
軍の主力はまだ到着していないが偵察部隊は既に行動を開始しており、昼間は歌鳥族が、夜は吸血族が、交代で上空から川向こうを監視しているのが見える。
普段から血の気の多い魔族軍であるが、戦争を前にしてより一層緊張感も高まっており、実際の気候以上に空気が引き締まってくるのが感じられた。
「……と、こんな所でしょうか」
そんな中、戦場予定地の西側、つまり帝国に広がる川沿いの地面に多数立てられた色とりどりの旗を見て、セレスティナが満足げに頷いた。
「ねえ、こんなんで本当に効果あるの?」
「勿論ですよ。大軍を前にすると本来よりも大きく見えて距離感が狂いますから。本気の魔術戦を仕掛ける以上、距離の把握は絶対必要です」
クロエの懐疑的な問いかけに自信満々といった風情で返すセレスティナ。
これも彼女が以前に上申した戦術案のうちの一つで、距離に応じて色分けした旗を戦場に等間隔で立て、自分達と敵との正確な距離を測ろうというものだ。
そこでふとセレスティナは苦い表情になり、言葉を続けた。
「それに、私が自分だけで狙って撃つと、無意識に威嚇射撃のようになりそうでして……頭上を越えたり足元に刺さったりとか。それを避ける為にも、クロエさんが観測してヴァンガードさんが距離計算してシステム化するのが有効かと」
その作戦の発案は彼女自身である上に、升目状に区切った戦場の距離対応表も彼女が作成済みなのは壮大なマッチポンプのように思われるが、それでも“照準を定める係”と“引き金を引く係”を別々に分けることで心理的負担を軽減するのは地球の戦史でもお馴染みの効果的手法なのは事実である。
ただそれにより戦闘の効率、ひいては帝国軍の死者数が上がってしまうのは皮肉な状況でセレスティナとしても複雑な思いもあり、やはり戦争なんかするものではないと痛感する。
「……にしても、戦争は嫌だと言う割に、ティナの考える作戦は相変わらずえげつないよなあ。これから戦時体制が続いて仕事が無くなったら今度こそ参謀府に――」
「さっさとこんな戦争終わらせて戦後交渉に入りたいです」
「そ、そうか……」
未練がましげなヴァンガードの誘いを遮るように断言するセレスティナ。だが、それを受けてしょぼんと肩を落とした彼に慌ててフォローする。
「あ、あとそれに、魔国の軍部って戦争エンジョイ勢ばかりですから私が入っても却って異分子になりますしっ。例えば、『魔族軍は個性と我が強く平地での集団戦では能力を十全に発揮できないゆえこれからはテロとゲリラ主体の戦い方を提唱する』とか論文出したらどう思います?」
「どうって、そんな卑怯な戦法で敵を撃破したとしても胸を張って勝ったとは言えないだろう」
「つまり私みたいな効率厨は軍部としてお呼びじゃないってことですよね。提出した戦術提案書でも一番の本命が却下されましたし」
「あ、あれは、自分としては一考の価値があると意見したんだが総司令部の許可が下りなくて……」
「何? どんな作戦だったの?」
ひょこん、と豹耳を好奇心いっぱいに動かしつつクロエが会話に割り込む。戦争エンジョイ勢の一人としてセレスティナの立てた作戦が気になるようだ。
「『《火炎嵐》の高さをあえて低く抑えて撃つことにより敵兵の足だけを焼く。足を奪われた兵士が戦線を離脱するのに他の元気な兵士一人を必要とする為、一撃で殺害するよりもむしろ敵軍の人的・物資的リソースに過剰な負担を強い、更には長期的に帝国の財政をも圧迫させうる極めて優れた戦果を期待できるものである』」
「ティナらしいけど、そりゃ通る訳ないわよ……」
書面を朗読するようなセレスティナの言葉に、思わず溜め息交じりに返すクロエ。侵略者に対するテネブラの基本方針が「生かして帰すな」なのでそのような回りくどい策は却下されて当然ということだ。
「……そう言えば、ルゥもこっちに来たいって残念そうにしてたわね」
「ルゥさんは主力ですし、仕方ないですね……」
ここにルゥとマーリンが居れば学生時代によくつるんでいた5人組が揃うのだが、マーリンはポーション類作成を主とした後方支援担当であるし、ルゥは足の速い獣人で構成される高機動強襲部隊としてやはり訓練に励んでいる。
敵軍と直接ぶつかり合う、セレスティナよりも危険なポジションである。今は何よりもまず、彼が無事に戦場から生きて帰還することを願うしかない。
「バルバス伯の率いる部隊なので、無茶な事させられないかどうか心配ですが」
「無茶に関してはティナが言うなって思うけど、まあ一年目のヒヨッコにいきなり危険で重要なポジション任せることはないわよ」
楽観的なクロエの言葉が示すように、軍人としてのバルバス伯爵の評価は意外と高い。特に即断即決で牽引力があるのが支持されるのか部下達からよく慕われているのだ。
少し冷静になることで客観的な見方ができるようになったセレスティナが思うには、喧嘩が強く良い意味でも悪い意味でも男気があり部下達の人気も高く家庭人としては満場一致で失格になるバルバス伯爵は正にバトル物少年漫画の主人公タイプと言えるのだが、家庭人を持ち出すと今度は彼女自身の女子力に対してもブーメランが刺さるのでそれを言葉には出さず心の中に押し留めることにした。
それにしてもブーメランとはいつから自分を攻撃する目的の武器になってしまったのか。
「……そう言えば、あたしが言うのもなんだけど、勝手にティナに付いて来て訓練に参加しても誰からも何も言われないんだけど、そういう物なの?」
「それは、クロエさんは情報室の諜報官ですから、この時期に文字通り休暇取って道楽で最前線に来てるとは誰も思ってないんじゃないでしょうか」
クロエの疑問に即答するセレスティナ。彼女以外にも元内調のフィリオとフィリアまで居ることもあり、周囲の認識では『なんか情報室の密命を帯びて前線に派遣された』ように勝手に深読みして納得したのだろう。
「今頃は、クロエさんやフィリオさん達の上司に問い合わせが集中してるかも知れませんね」
「……うにゃー……」
元々情報室の諜報官は裏で暗躍する任務が多い為、きっぱり否定してもなかなか信用して貰えない。職場復帰時に上から色々言われそうな未来図を考えたクロエの耳と尻尾がつい力なく垂れてしまう。
「まあ、クロエさんの観測と狙撃で部隊をサポートできたという実績があればどこからも文句は出ないでしょうから、頼りにしてますよ」
「観測はともかく……狙撃って、この距離でできる物なのか?」
セレスティナの慰めの言葉に、ヴァンガードが聞き咎めたかのように問いかけた。
実際、密集した兵士達のどこに当たってもそれなりの効果を期待できる攻撃魔術の砲撃とは違い、魔術師や指揮官等特定の相手を狙い撃つのは難易度が大幅に跳ね上がるからだ。
いきなり話を振られたクロエも「にゃ?」と戸惑う中、自信ありげな口調でセレスティナが答える。
「それはですね、旗を立てることで敵軍の位置が高精度で特定できますので新しい戦法を試してみようと思いまして。その練習も兼ねて今日ここを視察する許可が欲しかったのです」
「ほんとに色々考えるよな……それで、今度はどんなえげつない技なんだ?」
「えげつなくなんかはありませんが、多分歴史上何人もの人が思いついたにも関わらず技術上の問題でお蔵入りになった割かし高度な連携技だと思います」
彼女の知略の数々に舌を巻くヴァンガードだが、セレスティナとしては後悔しないように決戦前にできることを全てやっておきたい、ただそれだけだ。
そして彼女は、まだ準備が足りないといった表情で言葉を続けた。
「あとは忘れずにフラグを立てておかないと、ですかね?」
「……旗?」
「ヴァンガードさんはこの戦争が終わったら何をしたいですか?」
「そうだな、状況が落ち着いたら一緒に……ってちょっと待った! なんかよく分からんがその質問に答えてはいけない気がしたぞ!」
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月29日
やがて、偵察部隊が一つの報告を持ってきた。
曰く、国境を流れる河の水位が下がってきている、と。
既にアークウィング総司令官を頂点とした魔国軍の本隊もここフルウィウス地方に集結しており、その総司令部から厳戒態勢が通達されて現場の緊張が高まる。
決戦に集められたのは1万6千もの大軍勢で、その人数に応じたテントや炊事場や仮設浴場等が立ち並ぶ様はさながら難民キャンプのようだ。
そんな中、女性用に割り当てられた一区画で、セレスティナも険しい眼差しで川向こうの岩山を眺め隣に控えるクロエに聞こえる声量で呟いた。
「あの河は帝国領にある山から流れ出てますので、この日の為に上流に水門でもこしらえたのでしょうね」
「ってことは、帝国の奴らもすぐ近くまで来てるってこと?」
「ほぼ間違いなく、でしょうね。空からの偵察で見つからなかったということは、山越えしないで済むよう秘密の通路でも削りだしたかも知れません……」
400年前に撃退された際の失敗を糧に、今回の帝国軍は戦術も装備も大幅に強化されていることは疑いない。
セレスティナの身体が寒気に襲われたかのようにぶるりと大きく震えた。悪寒の正体は死への恐怖か、殺す事への怖れか、それとも迫り来る戦場の気配に当てられたか。
「ティナ……」
隣に居たクロエが一歩身を寄せ、暖めるようにセレスティナの手を握ろうとした、その時――
「ティナ! クロエ! 総司令部からの指示を伝達する!」
「ぅにゃあっ!?」
作戦会議の為に総司令部へと赴いていたヴァンガードから突然声をかけられて、思わず奇声を上げて大きく跳びずさった。
「……って、すまん、なんか取り込み中だったか?」
「そそ、そういうのじゃないけど、レディの居住空間に入るときはもっと気をつけなさいよねっ」
耳と尻尾の毛を逆立てて威嚇するクロエにぞんざいに謝りつつヴァンガードが伝えたところによると、敵軍は恐らく明日の朝に国境を越えてくるだろうとの予測だった。それ故、今日は早めに休んで明朝は日の出前に起きろとの通達だ。
「了解しました。明日に備えて魔力を蓄えます」
びし、と敬礼してヴァンガードを見送り、もう一度帝国軍が近づいているであろう西側の岩山へとめをやる。
時刻は既に夕方近く西の空が赤みを帯びてきている為、今日中に攻め込んで来るのは時間的に無理だろう。当然夜間も警戒は続けるが、休める時に休むのも軍人の仕事の一つである。
それからセレスティナを含む軍人と志願兵達は、輜重兵の精鋭達が作った少し豪華な夕食を食べて交代でお風呂に入り、もしかすると人生最後かも知れない夜を過ごすこととなるのだった。
魔国テネブラと神聖シュバルツシルト帝国、両国の激突まであと僅か――




