103話 決戦前の風景・1(そんな作戦で大丈夫か?)
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月15日
兵科説明会から数日後、初回の訓練に参加する為軍務省が管理する郊外の訓練場へと集められたセレスティナ達。
軍部からもダークエルフや魔眼族、そして赤銅色の硬質な皮膚が特徴的で身体能力と魔力にそこそこ優れる汎魔族と呼ばれる種族の魔術師達が集まっている。人数は部隊全員で50人程度、内女性比率は1割といったところだ。
そんな彼女達前陣号砲術士の取り纏め役として軍の司令部から派遣されてきたのは、セレスティナのよく知る竜人だった。
「ヴァンガードさんが現場指揮官だったんですか。1年目から鍛えられてますね」
「ああ。だが先陣を切るのは武人の誉れだからな、自分としても望むところだ。そんな訳なので若輩者ではあるがご協力を宜しく頼む」
訓練前の時間にこうやって個別に挨拶回りをしているらしい。ヴァンガードはそう言って背筋を伸ばし、その場に集まっていたセレスティナと勝手について来たクロエ、そしてフィリオとフィリアに向けて敬礼した。
そんな彼に軍経験の長いフィリオが答礼しつつ揶揄するような口調で返す。
「へぇ、竜人族はプライドが高くて魔術主体の後衛組を見下す奴らばかりと思ってたが、意外と殊勝じゃないか」
「プライドと思い上がりの区別はついているつもりだからな。それに自分もティナに一度負けた身ゆえ、極まった魔術師の強さは身をもって知っている」
「……ははは。それに関しちゃ俺らも気持ちはよく分かるぜ……」
どうやら被害者の会が結成された様子でセレスティナは目を逸らすがそれはさておき。
軍の中では若造もいいところのヴァンガードだが、結論から言うと現場指揮官として特に反発も無く受け入れられる運びとなった。
現軍務省長の息子という立場に加えて実直で腰の低い態度が功を奏したのも勿論あるが、前陣号砲術士に志願するのは普段あまりリーダーシップを取ることのない後衛職が殆どだったことも大きいだろう。
そういった事情まで鑑みて、総司令部の面々はヴァンガードに部隊指揮の経験を積ませる事にしたという訳だ。
「それにしても、ティナ……暫く見ないうちに、何と言うか、その、綺麗になったか? 特に目の辺りとか」
「ええ。実は先日の説明会の後、爺様……師匠に、魔眼解放の封印を解いて頂きました」
ヴァンガードの言う通り、セレスティナの瞳は3日前に比べて一層鮮やかな紫色の光をたたえ、光彩部分に広がる魔法陣のような模様もよりはっきりと現れていた。
封印が解かれることで魔眼族の特徴が鮮明になっており、それはつまり決戦前に大幅な火力増強を果たしたということである。
「それにしてもよく一目で分かりましたね。私は翌朝鏡見てなんかちょっと違ってるとやっと気付いた程度でしたが……」
「……それは女としてどうかと思うわよ?」
自分はこんなのに負けたのか、と言いたげなフィリアの悲しみに満ちた苦言に再び目を逸らして誤魔化すセレスティナ。
そこにヴァンガードが話を戻すように懸念を表した。
「でも……良いのか? ティナみたいな馬鹿魔力だと身体への負担も大きいと聞いたが……」
「あ、そこは大丈夫です。ラークス子爵にも立ち会って頂いて、過負荷にならない出力の見極めをして貰いましたから」
「ああ、あの“未来視”持ちの……」
そのセレスティナの言葉にヴァンガードは納得したように頷いた。セレスティナの親戚筋にあたる彼は少し先の未来が見えるという極めて特異な魔眼を持っているのだ。
魔眼ガチャで言うとSレア級だが、世の中はなかなか上手くいかないもので、それを操る彼自身は胃腸が弱いのが災いして魔眼酔いに苛まれるのであまり濫用できない。それゆえ魔眼解放時は胃薬が欠かせないらしい。
「それで全力で攻撃魔術を撃とうとしたら反動で腕が吹っ飛ぶ未来が見えたそうで慌てて止められたりしましたけど、そんな試行錯誤の末にここまでなら大丈夫というラインの把握はできました」
「危なっ! 相変わらず無茶とか無茶苦茶とかしてるな! ……それにしても、ティナがお嬢様扱いされるのを望まないのは分かってるが、女なのだからもっと自分を大事にしてくれ」
溜め息交じりのヴァンガードの要望に側に居たクロエも頷く。それを見て何となく彼女の扱いやら立場やらに納得したらしいフィリオとフィリアもついでとばかりに残念そうな視線を投げかけてきた。
「女らしくして戦場で敵軍からも大事にされるのなら今頃戦争は女子力勝負か乳比べの場ですよ。そんな事になったらむしろ私の死亡率が今より跳ね上がります」
「……自覚はあるのに直す気が無いって一番厄介なパターンね」
フィリアの残念そうなコメントを聞かなかったことにして、セレスティナはそろそろ話題を変えるべく一旦話を横に置く仕草をした後におもむろに取り出した分厚いファイルをヴァンガードに手渡した。
「……それはそれとして、部隊指揮官がヴァンガードさんでしたら話がし易くて助かりました。こちら、帝国軍との決戦に向けた献策です」
「献策……作戦立案書か何かか? 随分と分厚いな」
「はい。前方に攻撃魔術を投げつけるだけだと《防壁》を真正面から削るだけになって効率が悪いですし」
ここに居る優れた魔術師の軍勢ならば《防壁》の上から叩き割ることもできなくもないが、それでも魔族軍は人間軍に比べると人数が少なく必然的に一人が相手にする数も増えるので、なるべく時間と魔力を無駄にしたくないということだ。
「それに、もし帝国の切り札の一つである聖盾騎士団が投入されたら、極めて相性の悪い敵ですから予め対処を決めておきたいというのもあります」
彼らの堅牢さを間近で確認しているセレスティナが言うなら説得力も大きい。そう考えて真面目な顔で書類に目を通すヴァンガードだったが、ふとあることに気付いた。
「ふむ……ところで、この提案書での敵軍の想定陣形が横陣……横に広い隊列からの包囲形をメインで想定してるようだが、そこまで読めるものなのか?」
「はい。帝国兵……と言いますか、当時ゼクトシュタイン王国の兵士が約400年前に大挙して魔国に攻め込んだ時、当時前陣号砲術士だった爺様の魔術で纏めて消し飛ばされましたので、今度はその反省を生かすと思ってます」
帝国領から魔国に徒歩で攻め込むならば、険しい山を越えて冷たい河を渡らねばならないのだが、過去に当時のゼクトシュタイン王国軍が執ったのは工兵を使って橋を架ける方法だった。
だが橋を渡る際、どうしても一箇所に集中して縦に長い隊列が組まれてしまう。そしてそれは彼女の祖父ゼノスウィルの得意魔術である《崩壊烈風》に対して致命的なミスと言えた。
ここで余談であるが、当時のゼクトシュタイン王国軍の狙いも今回と同じく火吹き山だった。地熱や火山灰の影響で土壌が肥沃なので寒冷部の民としては喉から手が出る程欲しかったのだろう。
「触れた物を全て消し飛ばす滅びの風を前方に飛ばす魔術……まあ分かりやすい例えで言えばチャージ時間長めの極太貫通レーザーと言ったところでしょうか。山越えで疲弊していた当時のゼクトシュタイン軍は逃げることもできず橋ごとほぼ全滅という結果でしたから流石に今度は対策してくるのではと……」
「いや尚更分からんから」
少し油断すると何の前触れもなく謎単語が飛び出すのは相変わらずなのでそれ以上は追及せず、受け取った作戦案は後で精査して取捨選択するべく一旦持ち帰ることとなる。
「……なので、恐らくは横に広がった陣形から人数の利を生かして包囲戦狙いの可能性が強そうですのでこちらもそれに応じた戦法を幾つか用意した方が、と思いまして」
「なるほどな……分かった。上とも相談して考えてみよう。さて、じゃあ自分はこれで。隊員全員に挨拶を済ませた後から本日の訓練を開始するから」
「はい。それではまた後程」
個別の挨拶回りを続けるヴァンガードを敬礼で見送ると、セレスティナは深く息をついた。
これから始まるのは、敵を殺す為の訓練だ。
覚悟は決めたつもりだが、気を抜くと手が震えそうになり、思わず固く握り込む。
「……これでもう、後戻りはできませんね……」
先程の献策もある意味では、ともるすれば逃げ出したくなる足と心を戦場に繋ぎ止める為の打ち込んだ楔だ。
あえて自ら退路を断ち無意識に険しい顔つきになったセレスティナの背中を、クロエがぽんと優しく叩いた。
「大丈夫よ、あたしがついてるから。ティナの責任も後悔も全部背負うわ。あたしだったら敵を殺しても別になんとも思わないから」
もしもの時は代わりに自分が手を汚すことも申し出るクロエだったが、セレスティナはそれを予想していたらしく迷わず力強い仕方で否定する。
「お気持ちは嬉しいですが、これは私の戦いですから人に押し付けたくありません」
「そうは言うけど、ティナって大事な所じゃあいつも自分が我慢すればって思ってる節があるから心配なのよ。そんなんじゃいつか潰れちゃうわ」
「それでも考え無しに突っ走ってる訳じゃありません。敵と一番最初に交戦するのが私達前陣号砲術士ですから、会戦の初期段階で相手に深刻なダメージを与えて早いうちに撤退させてしまえば両軍共に軽い被害で戦いを終わらせることができます。爺様一人で成し遂げた事を、私達50人居てできない筈はありません」
夜の闇を思わせる深く黒い瞳を心配そうに揺らして覗き込むクロエにセレスティナが微笑む。この期に及んでもしぶとく最善手を探し続けるセレスティナの執念にクロエは根負けして肩を竦めるのだった。
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月23日
一方、シュバルツシルト帝国の東端、テネブラとの国境付近に位置するルイーネの町跡地にて。
既に人の住まない廃墟となったその場所であるが、風除けとなる瓦礫や当時の住民の生活を支えた水場はまだ残っており、テネブラに攻め入るべく国の各地から集結してきた帝国軍の宿営所となっていた。
途中の町や村で無理やり徴募してきた者達も含めるとその数およそ5万人規模の大軍勢だ。それだけの大人数が帝都からこの場所まで纏まって移動するのは無駄なコストが大きい為、集合場所に定めておいた旧ルイーネまでは1万人規模の師団単位でそれぞれのルートを移動する手筈だった。
そしてこの日、遂にテネブラ侵攻を行う全ての部隊が揃い、臨時の司令部にはこの遠征の総指揮を執るオトフリート・フォン・ゼクトシュタイン公爵を始め、5人の師団長達、そして皇帝から一時的に指揮権を移譲された聖盾騎士団と聖翼騎士団の代表者が集まっていた。
「さて諸君、長き旅路をご苦労であった。早速だが魔界を攻める際の作戦を説明しよう。意見があればその都度遠慮なく発言したまえ」
長旅の影響か、全身を覆っていた余分な肉が少し落ちたゼクトシュタイン公爵が地図を広げ、歴戦の将軍達を見回す。
個人の武勇を頼りに配下を引っ張るようなタイプではないが、大軍を率いた経験が豊富であり作戦立案も手堅く現実的なので、彼を見る部下達の視線には信望の色が濃かった。
それに満足げに頷くと、彼は組み立て式の机に置かれた地図を指差す。
「まずは今回の戦略目標の確認からだ。理解しているとは思うが我々の第一目標はここ、火吹き山の制圧である」
皇帝ヴォルフラムの望む“聖杯”の素材の事も勿論だが、火吹き山周辺の豊かな土地をゼクトシュタイン領に加えられれば大きな発展が見込めるので、つい彼の説明にも熱が入る。
一旦火吹き山へと到着してしまえば、魔族軍が一時撤退するであろう冬の間に本国との補給線を構築し、火吹き山に城砦を建造させる予定だ。
そして実効支配が完了したなら、国境線が公式に引き直されるのももはや時間の問題である。
寒さに慣れた帝国兵と過酷な環境下で彼らの兵站を担う雪ラクダが居てこそ可能な芸当という事だ。
「すなわち、諸君らも思うところはあるだろうが“ルイーネの悲劇”を引き起こした魔物共に天誅を下すのは主要な目的ではない。従って、我々の大軍勢を見て恐れにおののき戦わずして引くならば無理に追撃をすることもないだろう」
「しかしながら閣下、あの野蛮で好戦的な魔物共が戦わずに土地を明け渡すなどあるでしょうか?」
疑問を呈した将軍の一人に、ゼクトシュタイン公も想定内の質問といった様子で頷いた。
「その疑問はもっともだ。奴らは野蛮ではあるが臆病ではない。進路上のどこかで一度、大きな戦いを経験する可能性は高い」
答えつつゼクトシュタイン公は、地図上の現在位置から火吹き山までのルートを指でなぞる。
「記録によると、その昔、我が先祖が魔界へ攻め行った時、奴らは卑劣にも国境の河に橋を架けた所を攻撃してきたと言う」
実のところ本心では、黒い風に飲み込まれて一瞬で全滅したという記述は流石に誇張だろうと彼は思っていた。現に先日帝都に現れたという魔界の外交官も聖盾騎士団に殆ど傷をつけることすら叶わず逃走したではないか。
ただそれでも橋のような狭いルートからの進入が愚策なのは理解している。戦術家として同じ轍を踏む訳にはいかない。
一旦河さえ越えてしまえば火吹き山までは開けた平野部が続いており、陣の展開を邪魔する障害物も無いので戦術に長けた人類側が圧倒的に有利だ。
「しかし、我が配下の工兵達が長い年月をかけ、山を削り道を敷き河の上流に水門を築いてきた。全てはこの時の為である」
「おおっ……何という慧眼でしょう……」
懸念していた国境の山越えと河越えに既に対策していたと知り、この地方出身ではない遠征組の将軍達から感嘆の声が上がった。
それに気を良くしたか、ゼクトシュタイン公は小さく笑うと戦術構想の続きを披露する。
「よって、此度は国境を越える段階から有利な陣形で移動できる。横陣を広げて“黒き風”の魔術の威力が仮に伝承通りであったとしてもそれを被害を最小限に抑え、魔物共と衝突したなら速やかに半包囲陣へと移行せよ」
盤上の駒を動かし、横一列に伸ばした並びから三日月のような陣形に移行させる。
包囲を完成させずわざと隙間を残すのは戦力の厚みを確保しつつ魔族軍の逃げ道をあえて塞がない為だ。本来の戦略目的を鑑みるなら退路を失い死兵と化した獣達と真正面からぶつかって遠征軍に無駄な犠牲を出すのは損失が大きいからである。
「聖盾騎士団は戦場の要所に投入し、敵魔術師の撃破を担当せよ。聖翼騎士団は本陣上空の制空権確保だ。突出せず互いの援護が届く距離で防衛線を展開せよ。卿らの働きに期待している」
「はっ」
「お任せあれ」
絶大な防御力を誇る聖盾騎士団を魔術師対策に当て、貴重な空中戦要員である聖翼騎士団を上空の護りに回す。自軍に被害を出さない事を第一に考えた卒の無い配置であり、配下の将軍達も指揮官の手堅い策に安堵と歓迎の意を示した。一人を除いて。
「どうしたアーダベルト、もしかして弱気な作戦に見えるか」
「は。……い、いえ、決してそのような……」
「よい。ルイーネの町はアーダベルトの直轄地であった事は知っている。概ねそこで非業の死を遂げた同胞達の仇を討ちたいのであろうが……」
将軍の一人が難しい顔になったのをゼクトシュタイン公から見咎められ、慌てて歯切れの悪い否定を行った。
それに対しゼクトシュタイン公は度量の大きさを示しアーダベルト将軍の事情を酌量しつつ、安易な全面攻勢に出ない理由を説明する。
「……先日現れた、魔界の外交官と称する者についての報告を聞いたか。魔術師への対策が万全なあの帝城から聖盾騎士団の猛追を振り切ってまんまと逃げおおせたらしいぞ」
「……ぐっ…………」
その際に跳ね橋から堀に落下という屈辱を与えられた聖盾騎士団の団長が悔しげに拳を握り込む。それを見てゼクトシュタイン公は可笑しそうに笑い声をあげ、言葉を続けた。
「はははっ。咎めたりはせぬ。つまり魔物共は我々の予想よりも知恵が回るらしいと言う事だ。獣のように後先考えず猪突するだけの蛮族と見くびれば痛い目に遭うかもよ」
その出来事を受けて、彼は魔国側の想定戦術レベルを一段階引き上げたという訳だ。
まさか、と驚きの声を出す諸将達だが、事実セレスティナが聖盾騎士団を罠にかけたのは事実でありゼクトシュタイン公の戦術眼も周囲から一目置かれているので、完全に否定するのは論理性に欠けた感情論に過ぎない。
「包囲陣ぐらいは読んで対策の一つや二つ考えていてもおかしくはないだろう。兵力を集めて中央突破か高速機動からの各個撃破か……いずれにしても敵の策を逆手に取るには陣容の厚みと即応性が必要だ」
「成程……仮に魔物共が小賢しい策に出たとしても、更にそれを上回る戦術で撃退するという事ですね」
「その通りだ。そして折角の作戦が不発に終わらぬよう、敵軍の司令官にはせいぜい知恵を駆使して欲しいものよ」
敵の飛び道具は聖盾騎士団で弾き返しつつ大軍で包囲して機動力を奪い封殺する。これが成功すれば後代の兵法の教科書に“お手本”として名を残すであろう、正に必勝の戦術だ。
帝国の勝利を確信したかのように、ゼクトシュタイン公達は一足早い祝杯と称してグラスに貴重な蒸留酒を注ぎ、「神聖シュバルツシルト帝国に勝利を!」と唱和して中身を飲み干すのだった。
(※)汎魔族について……一般的なRPGで言うレッサーデーモンに相当します。「lesser(小さい、劣った)」はネガティブな響きがあり本人達が嫌がるだろうということで本作ではレッドデーモンと呼ぶことにしました。
現実世界でも同様の理由でレッサーパンダをレッドパンダと呼ぶことがあるようで、参考事例としています。




