102話 埋め合わせとか根回しとか(そして未来への布石とか)
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月12日
翌週、セレスティナは内務省の本館に赴き、内務省長アレクサンドル・デアボルス公爵と面会をすることとなった。
外務省に比べて内務省の省長室は広くて執務机や調度品も高級で、書類があちこちに高く積み重なっておりベッドのような休憩用のアイテムは一切見当たらない。
「……という事情によりまして、折角のご指名に対してまことに恐縮ですが、書類仕事のお手伝いは辞退させて頂きたいと思います」
「事情は理解したが……ううむ、セレスティナ君が前陣号砲術士に志願するとは、また随分思い切ったことをするね」
デアボルス省長が眉間を指で押さえつつ、感心したような呆れたような声を出した。
彼自身も高位の魔術師で、世が世なら少し風変わりな魔王として君臨していたであろう実力者だからこそか、今回のセレスティナの決断は実力の裏付けがあるものの意地と無謀の成分も見えて危ういバランスの上に立っているが心配なのであろう。
見透かすような視線を受け居心地が悪そうに目を逸らしたセレスティナは、やがて表情を引き締めるとこの日面会を希望した本命の理由に言及する。
「それで、私が事務に加われない代わりと言ってはなんですが……簡単な計算を代行できる魔道具をちょっと開発してみましたので宜しければご活用下さい」
「…………うん。もう何が出てきても驚かないよ……」
色々非常識な発言と共にセレスティナが取り出したのは、石版のような大きさと形をしていて、それに数字や演算記号のキーと表示板が取り付けられた、地球で言うところの電卓を少し大きくしたものだ。それが全部で5枚。
性能の程は試作品なのもあり、8桁までの足し算・引き算・掛け算の三則演算が機能の全てだ。割り算は処理が面倒臭いのと通常の書類仕事ではあまり使わないのとで非実装にしている。
余談になるが、小型化もしようと思えば簡単にできるが、小さすぎるとすぐ紛失するのと大きい方が存在感が出るだろうという俗っぽい理由でわざと大きめに作ってある。
「父様の次ぐらいに計算が速くて正確だと思いますので、少しはお役に立てるかと存じます」
「ウェール君は別格だからね……」
セレスティナの父であるウェールの持つ、数式を見た瞬間に解が“見える”魔眼を心底羨ましそうにするデアボルス公爵。
戦闘向きではないが文官として働くには便利この上ない能力なので、重要な仕事上での計算は大抵ウェールの元に回ってくるのだと言う。
「その分、視覚から入って来る情報が増えて魔眼酔いがきついみたいですが……なので、父様が過労で倒れないように負荷分散もご考慮頂ければと……」
「うむ。それは勿論。内務省としても彼に離脱されると後々困るからね」
彼女の要望に頷きつつ、デアボルス公爵は“魔術式演算機”と名付けられたそれを実際に操作し、その計算能力と作成者の発想力に舌を巻いた。
「それにしても、どうやったらこんな凄い魔道具が作れるんだい?」
「凄くはないですが、一番大変だったのはトランジスタに対応するような魔力的スイッチの実現でして、そこさえ突破できればあとはスイッチの並びに応じた論理積と論理和と論理反転を組み合わせたブール代数の発展で大抵の論理回路は設計可能になりますから、まずは加算回路をベースに――」
「よし分かった。ここは論文発表の場じゃないから少し落ち着き給え」
自分から質問しておいてこれである。なおセレスティナの熱弁を要約すると「材料があって作り方さえ知っていれば誰でも作れます」という事で、理系ゆえの説明癖が暴走しがちなのは相変わらずだ。
但し、発想の方向性としては従来の魔道具とは真逆になっている点が特筆に価する。
一般的な魔道具は火を起こすにしても空を飛ぶにしても魔力を各種エネルギーに変換するので出力や持続時間を伸ばす方向に発達する傾向であったが、それに対してこの魔術式演算機は情報を処理して表示板の小さな文字を発光させるだけなので使用者に要求される魔力が極めて少ない。
魔術の苦手な獣人種でも出力の低下を起こさず使えるのは、なにげに全く新しい概念や運用に片足を踏み込んでいる訳である。
つまり場合によっては魔術的な革命も起こし得る、それ程の価値を持つ新発明だ。従って数少ない常識人であるデアボルス公爵としては当然今後の開発展開が気になってくる。
「それで、この“魔術式演算機”は今後量産可能なのかな?」
「ううむ……私見ではありますが、これがあることで今まで読み書き計算でお給料を貰ってた官僚の方のお仕事が無くなるのは拙いと思っていますので、量産対応はこれからの長期的な課題に棚上げして今回は人手が足りない時期だけの貸し出し扱いにさせて頂きたいと考えております」
「成る程ね。あまり褒められた事じゃないだろうけど急激な変化は年寄りにはなかなかきついからね……」
「ご理解、感謝いたします」
セレスティナとしては、あまり急な技術革新は軍事転用を筆頭とした負の影響が危惧される為になるべく避けたいのが本音と言える。
それでも今回のように作った発明品を見せずにいられないのは、やはり彼女の本質が技術者であるということなのだろう。
「まあ、貸与期間が終わって職員の意見もリサーチして、今後どうするか考えようかな。場合によっては正当な代金を支払って発注もできると思うから、その時にちゃんと協議する為にも無事に帰って来るんだよ」
「はっ。必ずや」
デアボルス公爵のやや不器用な激励にセレスティナはびしっと答礼し、内務省を後にした。
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その日の午後、今度は軍務省の本館へと訪れることになったセレスティナ。
まずは友人にして物作り仲間でもあるマーリンの居る資材部へと向かい、期待されていた事務仕事に参加しないことの埋め合わせと軍に対するポイント稼ぎを兼ねて、内務省に持って行ったものと同様の“魔術式演算機”3台を貸し出す手続きを取った。
その際に試作品の使い方説明も兼ねて動作を見せた結果ダボハゼの如く食いついたマーリンに質問攻めにあい、デアボルス公爵にしたのと同じ説明を繰り返していたら彼女以外の周囲の職員達の目が段々と虚ろになっていった場面もあったりしたが、ひとまずは戦時体制中の事務処理能力強化の目的は達成し、セレスティナはその足で作戦会議室の一つへと向かう。
「セレスティナ・イグニス、馳せ参じました」
「うむ、では適当に座るが良い。さて時間にはちと早いが、既に揃ったようじゃしわしらも暇じゃないから説明を始めるとしよう」
その会議室で待っていたのは、ゼノスウィル参謀長とその部下ラークス子爵の二人。軍幹部の中でも魔術に秀でた者達である。
今日ここで行われるのは、セレスティナを含む前陣号砲術士に志願した者達への説明会と、それに付随して兵務に従事する際の各種誓約書への署名だ。
各部署に民間からの志願兵が続々と集まりつつある今、各地で同様に兵科ごとの行動内容や訓練スケジュールを説明する会議が企画されている。
そして誓約書によって軍規への服従や国家への忠誠を誓わせ従軍中の怪我や死亡の危険性についても再確認させることで、戦争に対する覚悟や心構えを高めるという訳だ。
とは言え、この日に行われた前陣号砲術士の説明会への民間人枠での出席者は僅か3名。元々高い戦闘力と強い意志力が必要な兵科の為にほぼ正規の軍人のみで構成される中、辛うじて書類審査を通過した者達だけがこの場に招かれていた。
「……フィリオさんにフィリアさんも、こちらにご参加なのですね」
「ああ。誰かさんのせいで内調から降ろされたからな。また戦果の積み直しってワケだ」
セレスティナがすぐ側の席に座っていた双子のダークエルフに向けて小声で囁くと、苦々しい答えが返って来た。
少し前に内調――内部特殊情報調査班の一員としてセレスティナに襲撃を加えてきた事件は記憶に新しいが、彼女が知らない間に無職になっていたらしい。
尚、失脚の理由は無実の相手を憶測だけで拘留しようとした事……ではなく、ただ単に文官相手に二人掛かりで戦いを仕掛けて返り討ちに遭ったからであり、早い話が作戦遂行能力不十分ゆえということだった。
どちらにしても自業自得なのは間違いないが、今は突っ込まずセレスティナは参謀長の説明に集中する。
「……つまりは平たく言うと、号令に合わせ敵軍に向けて《火矢》を中心に火炎魔術を叩き込む事、これがお主達に期待される役割という訳じゃ。多数が横一列に並び同時に撃つ都合上、余計な干渉を起こさぬよう属性もこちらの指示に従って貰う」
「承知しました。弾幕の密度を考えると当然の指示と思います」
属性を統一せずに各々が好き勝手な攻撃魔術を撃てば空中で炎と氷が互いの威力を弱め合ったりして色々カオスな状況になってしまう。
幸いここに居る3人は皆炎属性を得意としているが、仮に苦手属性であったとしても軍全体として見た時の火力効率を上げる為には受け入れないといけない指定ということだ。
「それで、敵の主力が歩兵か騎兵かで変わってくるが大体3ないし5セット程撃ち合ったところで前衛同士が接触するであろう。そうなるより先に頃合を見て退け」
前陣号砲術士が必要になるのは戦闘開始直後に両軍が接触するまでの僅かな時間のみなので、軍属の者はその後に本来の自分の部隊と合流し、前衛を張る戦士達のサポートを行うのが常だ。
但しセレスティナ達のような民間の志願兵にはそこまで求められず、任務終了後は戦場から離脱して後方に避難することが許される。
そこでフィリオが挙手し、質問を投げかけた。
「俺らは最近まで軍属でしたが、前陣の任務終了後に独自の判断で敵と戦闘を続けることは許可されますでしょうか?」
「却下じゃな。お主達二人は軍と言えども独自性の強い情報室の者じゃから、前線担当の軍主力と連携を取る事に慣れてはおるまい」
「うぐっ……」
母親の復讐に燃えるフィリオの希望はあえなく粉砕された。敵味方入り乱れる中に投入するにはフィリオ達の攻撃魔術は火力が高すぎるし範囲も広すぎるという事だ。
「……ゲームみたいに乱戦の中でも敵だけ一掃できる範囲攻撃魔術の開発が急がれますね」
「その夢のような技術が完成したら起こしてくれ…………」
そう言い残してばたんと力なく突っ伏すフィリオをフィリアが慌てて慰める光景を横目に見つつ、続いてセレスティナが控えめに挙手をする。
「あの、今回ご説明頂いた前陣号砲術士としての任務についてですが、総司令官閣下か参謀長閣下の署名入りの命令書という形で下さいませんか? 魔術に対する理解が足りない脳筋におかしな横車を押されたくはありませんから」
「……誰を想定してるかは大体分かったが、流石にバルバス伯もその場で何の事前通達も無く外部の部隊の者を徴用してきたりはせぬじゃろうよ」
「それでも、念には念を入れたいですので。書面の命令書は口頭より優先されるのが通例ですし」
外交官の職務に染まりすぎて書類が無いと生きていけない体になってしまったか、或いは余程バルバス伯爵と関わりたくないか、いずれにしてもセレスティナの度が過ぎる程に慎重な要求に対し、溜息交じりに返すゼノスウィル参謀長。
「……他の兵科との兼ね合いもある故、正式な命令書ではなく子供の玩具と同レベルで良ければわしが個人的に書簡を認めてやろう。ついでに無断で担当外の区域に飛んで余計な事をしでかさないよう条文を追加しておくかの」
釘を刺された事そのものよりは実の祖父にさえ信用されていなかった事にショックを受け、セレスティナも「ぐはっ」と倒れ伏す。
どうやら話に聞いていた以上に色々やらかしてそうなセレスティナから目を逸らし、同類扱いと流れ弾とを避けるべくフィリアはこっそり距離を取るのだった。




