011話 雛鳥達の巣立ち(花粉の季節)
▼大陸暦1015年、白毛羊の月20日、卒業式
学生の日々は矢のように過ぎ去り、卒業式が執り行われたこの日、少年少女達は数え切れない想い出が詰まったこの学舎を後にする。
15歳になったセレスティナは、無事に外務省へと就職が決まった。
ヴァンガードは当然のように軍務省総司令部へと進む。学院や同級生の期待を背負った出世頭だ。
ルゥは軍務省陸戦強襲部、獣人メインで組織された少人数の高機動部隊が内定している。クロエは軍務省情報部で潜入工作の特殊部隊に配属されそうだ。
マーリンは軍務省後方支援部だ。前線で派手に戦う部門ではない為現時点での待遇はあまり良くないが、セレスティナ達の班が提出した卒業論文の成果でこれから少しずつ見直されていくことだろう。
そんな彼女達の卒業論文のテーマは『後方支援担当者による戦力への影響の再評価』というもので、前線には出られないマーリンの居る彼女達の班をモデルケースとし、他の班よりも少ない人数でより大きな戦果を上げてその成果にいかにマーリンが貢献したかを数字も交えて具体的にレポートしたものだった。
論文の質に加えて、ヴァンガードとセレスティナ両名の名前が入っている事から、この論文は学内のみならず軍務省へと送られることになったのだ。権威主義的な意味で。
……尚、ヴァンガードとセレスティナが居る時点で既に普通の5人班より遥かに戦力で有利という事実には目を瞑ることとする。
他の学友達も、国や家族を守る為に軍に進む者、戦闘が苦手で内務省や法務省や財務省に行く者、民間の職場に進んだり親の跡を継ぐ者、卒業と同時にお嫁に入る者、様々だった。
「ご卒業、おめでとうございます!」
「ヴァンガード先輩! ずっとお慕いしてました! どうか私のこと忘れないで下さい!」
「あ、あの、セレスティナ先輩! 建国祭の時の試合、とても格好良かったです! あたしも、勇気を貰いました!」
栗鼠獣人のキュールを含む顔見知りの在校生に見送られつつ、セレスティナ達5人もこれまでの日々を想い出に相応しい収納場所へと整理しつつ、校庭を抜ける。
正門前には、学長フォーリウムが立っていて、毎年の恒例なのだろう、卒業生の一人ひとりに激励を贈っていた。
「卒業、おめでとう。まあすぐ次の入学生が来るから忙しくて寂しがってる暇もないんだけれど」
エメラルド色の髪の間から生え出た、樹精族の象徴たる枝の先には、桜の蕾が色づいて開花の時を待っている。
そんな学長が着ている桜色のミニドレスは季節にそぐわない露出度の高い薄手のもので、門の側に立っているとまるでお水の呼び込みだ。
「あ、学長。これまでご指導ご鞭撻ありがとうございました。……それで、今日は、意外と自重してますね」
たわわに実った胸元につい視線を奪われそうになりつつ、セレスティナが乾いた笑いを浮かべる。
フォーリウムは元が植物の魔族なので、春先の花粉の季節になるとテンションが上がって脱ぎ出す習性があるからだ。
「本当はもっと全身で花粉と日光を受け止めたいのにね。花粉が豊かに降り注ぐこの時期は、生命の息吹と生きる喜びを感じる愛と開花と受粉の季節。気持ちが弾んで重いコートとか服とか全部脱ぎたくなるってものよ」
「……保護者の皆さんから苦情が来ない範囲に留めておいて下さいね」
春になるとよく出没する昆虫とは別のタイプの変態的生態に、なんとも微妙な表情になるセレスティナ達。
「まあそれはそれとして、卒業式の日にこの門を潜る子は大きく2通り居てね? 早く大人になりたい子とまだ大人になりたくない子。前者が通ったら勇み足を押し留めて後者が通ったらお尻を引っ叩く、それが先生の最後の役目なの」
「なるほど……」
校舎を振り返ると、泣きながら友との別れを惜しんでいる者達も居る。その涙には、大人になることや社会に出ることの不安や恐れも多少なりとも含まれているのだろうか。
「貴方達は今日以降、社会からは一人前の大人として見なされるわ。それは自由と責任が共に一段階ずつ広がることを意味するの。特に貴方達は家柄のことがあるから人よりも大きな責任とプレッシャーに晒されるだろうけど……自由なことを、能力とか選択肢が増えたことを、そして大人なことを、存分に楽しみなさいな」
学長の笑みが優しげなものに変わる。下級学年時代も含めるとこれまで10年間生徒達を見守ってきた先生からの、最後の訓育だった。
「はい! 心得ましたっ!」
セレスティナも満開の花を少し先取りしたような笑顔で学長なりのエールに応えた。
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この世界の風習では、卒業式の日の夕食には大人になったお祝いも兼ねてお酒が出ることが多い。
イグニス家の晩餐もその例に漏れず、セレスティナにグラス一杯のワインが出された。別の部屋で食事を摂るクロエも今日だけは特別で同様なのだろう。
この部屋では当主のゼノスウィルを中心とした四角いテーブルに、向かって左手にセレスティナ、右手に彼女の両親のウェールとセレスフィアの、合計4人家族での団欒であった。
セレスティナの父ウェールは柔らかい金髪に空色の魔眼に眼鏡をかけた穏やかな文官で、内務省に勤務して主に人口調査やそれに伴う都市計画等を管理する部署に勤める、実直な男性である。
ウェールとセレスフィアは雰囲気も中身も似た者同士な夫妻であり、この両親からこんな娘が生まれてきたのは生命の神秘を感じると関係者の間では評判である。ただ家系全体で考えるとむしろセレスフィアが突然変異体であることは否めない。
それはさておき。
「15歳にお酒の良し悪しなんて分かる訳が無いですから、こんな高そうなワインは私には勿体無いと思います。安酒で良かったのに」
「ああはいはい。相変わらずティナは小市民よねえ」
元日本人の貧乏性ぶりを如何なく発揮して母親からあしらわれるという、お酒が入っていても大体いつもどおりの食後の会話が繰り広げられていた。
「ティナが物やお金を大事に使うところは美点だけど、たまには贅沢しても良いと僕は思うな。何か欲しい服とかお菓子に注ぎ込んだりとかしないのかい?」
「んー、服もお菓子も母様が気が付いたら用意してくれる感じですから、これ以上追加で必要とは思わないです。それより魔道具の研究してる方が面白いですよ」
父ウェールの言葉に女子力の低い回答を返す。実際セレスティナの部屋の一角は下手な魔術研究所よりも設備や素材が揃っていたりするのだ。とはいえそれらもお金で買い集めたというよりは祖父に連れられた先の狩りや採取で取得した物品の数々がメインであるが。
「はあ。こんなのでお嫁に行けるのかしらねえ……」
母セレスフィアが目元をシルクのハンカチで押さえつつ嘘泣きする。
そして「お嫁」というワードを聞いてセレスティナが思わず目を逸らした。純粋な女性でないという自覚や負い目がある分、自分が結婚できるのかどうか、しても良いのかどうか疑問が抜けないのだ。
かといって同性婚はこの世界の人類にはまだまだ早すぎる。
「ええと、今まで散々『そんなに魔道具が好きなら魔道具と結婚すれば良いじゃない』って言われてきましたから、そうするのも実際的な選択肢の一つとして現実的に考慮するのも一つの……」
「いつまで子供みたいなこと言ってるの」
自分で言っておいてこれである。やはりどこの世界でも母は理不尽だ。
「じゃが、ティナがわざわざ相手に妥協して変わる必要は無いじゃろう。ティナ程の器量と魔力なら中身など問題にせずとも伴侶は選び放題じゃわい」
「ぎゃふんっ」
フォローのようでフォローになっていない祖父の一言に遂にセレスティナが轟沈する。そんな様子を見てセレスフィアは本日2度目の溜息をついた。
「……はあ。今日は卒業と就職祝いを用意してたんだけど、この様子じゃあ渡すのが不安になるわね。雷竜さんのお髭」
「ほ、本当ですかあああああああああああああっ!?」
雷竜の髭、という伝説級素材を耳にして目を輝かせたセレスティナがばね仕掛けの人形のように凄い勢いで復活した。竜の髭は様々な魔道具の材料になるが特に杖の素材にすることで対応する属性魔術の威力や効率が大幅に上昇するのだ。
「うむ。かの金雷の古代竜アウルムニーゲルから切り取った髭じゃ」
「うーん、でもねえ、ティナにコレを渡すとねえ、新しい玩具を手にした男の子みたいにねえ、春休み中ずっと没頭しそうでねえ、花嫁修業とかがねえ、疎かになりそうなのよねえ」
背後に用意していた長細い箱から黄金色に輝く繊維の束を取り出して弄びつつ、セレスフィアが焦らしプレイを始める。圧倒的な魔力を秘めたその繊維質が雷竜の髭で間違いないだろう。
元々この世界の学問レベルではまだ電気に対する理解度が低く、それゆえ電撃の魔術を使いこなせる魔術師が今まで現れなかった為、雷竜の素材も市場では流通していないのだ。セレスティナの家族達がどうやってその素材を手に入れたかは推測するしかないが、これを逃せば二度と手に入らない恐れすらある。
「お、お願いします! 言う事聞きます! 何でもしますからっ! どうかその雷竜の髭を私めにっ!!」
もはや土下座する勢いで母の足元に縋り付くセレスティナ。計らずとも先程話題に上った贅沢品を今見つけた格好だ。きっと全財産を注ぎ込んでも惜しくないものと真面目に判断しているだろう。
「うふふー、何でもするって言ったわね? それじゃあ……」
かくして、春休み中は毎日母と一緒に花嫁修業の時間を取るという約束と引き換えに、セレスティナは念願の雷竜の髭を贈られたのだった。




