100話 鉄血の秋・2(運動会の用意をしよう的な)
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月8日
数日後。セレスティナの期待は軍務省の豪腕の一撃によりあっさり撃ち砕かれる事になる。
「え!? 出張許可が下りなかったんですか!?」
ジレーネが空輸してきた書類に赤々と輝く“不承認”の印影を見て、悲鳴のような声が外務省の事務室に木霊した。
「ティナを国外に飛ばしたらそのついでに何処に行って何をしでかすか分かったもんじゃないからだってさ!」
秋が深まり着ているワンピースも長袖でロング丈になることで清楚さに磨きがかかった、預言を告げる天使のような装いのジレーネだが、だからと言って彼女のもたらす報せに納得できるかはまた別問題。
糸が切れたかのような勢いでセレスティナはがっくりと項垂れる。
「……ううう、私が一体何をしでかすって言うんですかぁ……」
「そのぺったんこの胸に手を当てて考えてみると良いんじゃないかな?」
言われるままにぺったんと手を添えてみる。
男だった時代に比べるとほんのり柔らかいので絶望するほど平たくないと自分に言い聞かせたところで、真顔に戻って今後の策を協議する。
「今クロエさんが長期休暇貰ってて家でゴロゴロしてますし、監視役にでも任命すれば良いんですよ。私が一人でどこか行くのが心配なら」
「ティナとクロエだと力関係はティナの方が上だし、監視にはなっても制止役になれないのが問題かな!」
ジレーネの正論にセレスティナがぐぬぬと二の句を失う。するとジレーネは輸送用に持った郵便屋さんのような大きな鞄から追加の書類を取り出して事務机に並べていった。
「そんなティナに出稼ぎのお知らせだよ! 各省庁で臨時の事務員を募集してるんだけど、ティナには軍務省と内務省から直々に名指しで来て欲しいって言われたんだ!」
元々セレスティナが入省する以前の外務省は本業と言える仕事が無く、それでいて人員は学院の卒業生を主に採用しているので読み書き計算を完備した事務仕事に強い者揃いだ。
そういった事情で、何かあれば他省の手伝いに駆り出されることもしばしばあった。
そして今回は久しぶりに戦時体制が発動したこともあり、まず戦争に備えて正規の軍人だけでは人数が足りないので軍務省が志願兵を大々的に募集することになる。
それに伴い、市井の農民や職人のみならず内務・財務・法務各省庁の文官からも腕に覚えのある猛者達が立ち上がり、結果として書類仕事に携わる人員が不足したという事態に陥っているということだ。
首都セントルムテネブラは勿論、テネブラ各地で戦争に向けて動き出しており、人を集めてスケジュールを調整して志願兵達に訓練を施して女性陣が食料を準備する等の光景が見られている。
直接・間接を問わず国防に携わることはテネブラ国民の重要な義務だが、それを抜きにしても祭の前のごとく軍官民が総出になって現場の空気も熱気と活気に満ちているようだ。
「……まるで運動会の用意でもしてるみたいですね……」
「ある意味間違ってはないね!」
些か不謹慎な感想を述べるセレスティナ達。ただ乾いた笑いを浮かべるジレーネと対照的にセレスティナの表情は次第に不機嫌側に傾いているようだ。
「なんかこう、選択肢を潰していけば思い通りに動くだろうって意図があからさま過ぎて気に喰わないです……」
最近は立て続けに軍部からの反感や妨害をその身に受けているのもあり、セレスティナが珍しく本音の恨み言を零した。
小柄な身体に見合わぬ膨大な魔力がぐつぐつと煮えたぎっているようで本能的な恐怖から思わず一歩距離を取ったジレーネに、彼女は意を決してある要求を告げる。
「ジレーネさん、欲しい書類が1枚ありますので在処を教えて下さいますか?」
「え、あ、う、うん、良いよ。それで、どっちに行くか決まったのかな? 軍務省と内務省とで」
「いえ、“兵役志願書”の方をお願いします。ここまでされると却って絶対にあの人達の思惑に乗るものかという気持ちが固まりました」
「――ちょっと! マジで!? 本気なの!? むしろ正気なの!?」
予想の斜め上の回答に思わずセレスティナの判断能力を疑うジレーネだったが、彼女の意志は固くジレーネが幾ら説得を試みても発言を翻すそぶりは一切見せなかった。
▼
暫く後の省長室で、志願兵に加わるべく規定の書類に必要事項を記入して差し出すセレスティナの姿に、サツキ省長は眉間に皺を寄せて指で押さえた。
「……んー、ジレーネからも軽く報告は受けたけど、気は確かなの?」
「サツキ省長まで!?」
ジレーネの時に続いてあんまりなお言葉にがーんとショックを受けたセレスティナだが、すぐに落ち着きを取り戻して弁解を始める。
「えっとですね……まず、戦争が避けられない以上は自国の被害を少しでも軽減させたいですから。だとすると砲撃要員は一人でも多い方が良いに決まってます」
他国と自国を天秤にかけると、セレスティナでなくても大半の者は自国の平和や繁栄を選ぶだろう。
少なくとも、自分だけが戦争から逃げている間に自国が蹂躙されましたと言うのは彼女にとって許しがたい展開であるのは確かだった。
「それと、内務省や法務省や財務省からも志願兵が集まっていると聞き及んでいます。であれば外務省からも誰か兵役に就かないとバランス面で問題が生じます」
その場合、女所帯の外務省からは自分が出るのが最善と、男らしく決断した次第と言えよう。
「最後に、戦後の講和交渉を考えますと、ここで武勲を立ててポイントを稼いでおくことで帝国軍を追い返した後の国家戦略会議での発言力を蓄えておきたいのです」
今回の戦いはテネブラ領内で地の利がある状況だが、もしその戦いに勝って帝国軍を撤退させた場合、議会は戦争を継続して相手国に攻め込むかそれとも講和を持ちかけるかを選ぶ方針会議を必ず行う筈だ。
その時に外務省として発言する機会が与えられるかどうか、そしてその発言が重んじられるかどうかは、贔屓目に見ても今のままだと厳しいのが正直なところだった。
「以上の理由により、最善の結果と言える戦争回避の選択肢が完全に潰された現状では、次善策を選ぶべきだと判断いたしました」
「……本当に今ので全部なのかしら?」
理屈は通っているが、それ故にまだ何か隠された本音があるように思えたサツキが訝しげな声を出した。
その疑惑に明確な根拠は無いが、まあ所謂女の勘が働いたという奴である。
「ティナ自身の気持ちはどうなの? あんなに戦争を嫌がってたのに、ティナはそれでも良いの?」
「……………………国家の存亡がかかった緊急事態に、私個人の感情など二の次と判断します」
「本当のところは、この前の会議の席であの男に色々言われたのを根に持ってて、自棄になってたり意地を張ってたりしてないかしら?」
「同格とは言え、伯爵位を“あの男”呼ばわりはちょっと拙くないですか……?」
慎重な受け答えを続けるセレスティナに、サツキ省長は妖艶に微笑むと爆弾発言を繰り出してきた。
「良いのよ、知らない仲じゃないんだし。それとも、“元カレ”と言った方が良かったかしら?」
「――ふぁっ!?」
思わず変なところから変な声が漏れたセレスティナ。その反応が余程面白かったのかサツキは暫くお腹を抱えて大笑いすると、やがて涙目になって言った。
「っ、くふふっ……ん、ゴメンゴメン。まあ昔に一度、家同士の交流でお見合いしただけの関係なのよ。んで、その時の食事会の席でバルバス伯が些細な失敗をした店員を怒鳴り散らして、あたしには合わないなーって思ってその場で破談」
「……脅かさないで下さい。それにしても、バルバス伯爵は昔から典型的なチンピラじゃないですか」
「若い子だったら、あーいう男に惹かれる女も結構居るんだけどね? 強くて頼り甲斐がありそうとかで。でもティナはお気に召さなかったみたいだし、歳の割に渋い趣味してるとか?」
「対等な立場で対話や交渉ができないのは好き嫌い以前の問題だと思います。……正直、いつかギャフンと言わせてやりたいです」
セレスティナのその言葉に、サツキ省長は軍略が成功した軍師のような会心の表情を閃かせる。
「よし、ティナの本音ゲット」
「――あ!」
雑談のフリをして衝撃的なネタをぶっこんで動揺させ、訂正して安心させたところでつい零れた本心を見逃さず掬い上げたということである。
セレスティナとしてはまんまとしてやられた格好だ。これが女子力の差か。
「全く……ティナは誰と戦おうとしてるのよ」
「と、ともかく、軍部のせいで外務省としては全く動きが取れないですから戦後を考えるとこうするしかないのも事実ですし。なので私としても省利省益を追求する小役人にならざるを得ないのです。公務員らしく」
「ティナが公務員をどう思ってるのかはよく分かったわ……ま、それはともかく」
サツキの目が、提出された兵役志願書の一つの項目に向く。
「希望兵科が“前陣号砲術士”になってるけど本当に間違いないの? 開戦の序盤に最前線で飛び道具を撃ち合うポジションだから魔術師の仕事の中じゃあ花形だけど、その分危険だから本来は正規の軍人が担当するのよ?」
「勿論覚悟の上です。それに、爺様も若い頃は同じ兵科で戦いの号砲を打ち鳴らしたと聞いてますので、私が後を継ぐのは当然です」
侯爵にして参謀長という重要な立場になってからは気軽に前線に出て攻撃魔術の撃ち合いをするのも難しくなったと、家で晩酌をしていた時に祖父が何度か零してたのを思い出すセレスティナ。
祖父と孫と言うよりは魔術の師弟の結びつきを強く感じるが、それはそれとして前線に出たくて出られない者の代わりに戦争をしたくないのに戦わなければならない彼女がその役目を願い出るのは、大きな矛盾や皮肉と言えるだろう。
聞くべきことを聞き終えたサツキ省長は、最後に小さく息をつくと諭すように告げる。
「まあ、ティナの決心が固いのはいつものことだけど、それでも今回に限ってこの書類は一旦保留してあたしが預かるから。家で話し合って家族の了承だけ貰って来なさい」
学院を卒業して一人前に働いているセレスティナには本来親の同意は必要ないが、侯爵家の現状ただ一人の孫娘であることを考えると、上司のサイン一つだけでは万が一何かあった時に責任が重過ぎて背負えないということだ。
そのことを察したセレスティナは、びしっと敬礼を一つ返し「了解しました!」と元気に答えた。




