098話 各国の思惑・3(王国の腹の内)
▼その日の昼下がり
シュバルツシルト帝国を離れたセレスティナは、この日は少し遠回りをしてアルビオン王国首都グロリアスフォートへと立ち寄った。
本来は、ちょっと隣町に寄り道する感覚で気軽に来るような距離ではないが、単独での移動速度が大幅に上がった為に気持ちも大きくなっているのだろう。
「……成程。つまり近いうちに帝国と魔国との間に大規模な武力衝突が起きるのがほぼ確実になったと、そういうことですね」
そして、セレスティナと会談、と言うよりはお茶会に近いカジュアルな場の雰囲気で報告を受けた糸目の外交官フィリップ子爵が、お茶で喉を潤しつつ話を整理した。
部屋には護衛の名目で勇者パーティの3人も同席してちゃっかりとお茶や菓子にありつきつつ外交官二人の話を聞いている。
「詳細はギルバート伯爵から報告書が届くと思われます。機密の塊ですから王国民でない私が代わりに運ぶ訳にも行かず、到着は遅れることになりますが……」
「それが本来の情報経路と伝達速度ですから気にしていません。これらに合わせて国のシステムを整備している訳ですし。むしろセレスティナ外交官の移動速度が非常識すぎます……」
呆れたようなフィリップ子爵の声に、リューク達3人もまるでそっち側の住人のような顔で頷く。そこにセレスティナからの恨みがましい視線が刺さってきた。
「……リュークさん達はこっち側ですよね? それに常識なんて所詮は大人になるまでに得た偏見のコレクションに過ぎませんから、フィリップ子爵閣下やリュークさん達が私の常識にケチをつける時、私もまた子爵閣下やリュークさん達の常識に疑惑の目を向けているのです」
そんな哲学的苦情をリュークが適当な態度でやり過ごすと、アンジェリカが控えめに今の話で不審に感じた点を指摘した。
「あの、一つ疑問なのですけれど……帝国は“聖杯”の材料についての情報を得ているということになりますが、では一体何処から流れたのですの?」
彼女の指摘に、フィリップとリュークとアリアがはっとする。“聖杯”の製法を知らなければ情報の漏らしようもない訳で、そうするとアルビオン王国内でフェリシティ姫の治癒の件の関係者が第一容疑者リストに載ってしまう訳だ。
王族、勇者パーティ、神殿上層部、それから調薬を担当したイストヨークの街の錬金術師レイントン……とりあえず口を滑らす可能性や現実性を度外視してリューク達がリストアップしていくと、セレスティナが挙手して容疑者を追加する。
「付け加えると、初夏の頃の遠征隊の関係者も、でしょうか。帝国が掴んだ情報は火吹き山に“聖杯”の材料があるという内容でしたので、遠征隊の方々が知っている範囲とも合致しそうです」
「ふむふむ、その線から洗ってみる?」
正義を体現する勇者パーティの血が騒いだか、ニヤリと笑うアリア。しかしそんな彼女にセレスティナは頭を振った。
「……いえ、犯人探しはこの際不要と判断します。手遅れですし、もし思いの外大物だった場合にそれ以上捜査不能になって無駄骨になりますから」
更に言うと、本国テネブラでもアルビオン内の犯人を責める声は皆無で、帝国を迎え撃つムード一色になっている。情報戦より肉弾戦重視でとても分かりやすい。
「アルビオン王国におかれましては、可能な範囲で結構ですので食料や医療品なんかの人道支援がありましたら、と思います」
「……そうですね。上に掛け合ってみましょう」
それでもセレスティナとしては、使えるカードは何でも使いたい貧乏性なので、犯人探しをしない代わりにささやかな支援物資を供出して欲しい、という取引に持ち込むのだった。
「話を戻しますと、そういう事情ですから暫くは外交部も国内問題に大忙しになりそうです」
「そっか。ティナが何するかは知らないが、気をつけろよ」
「ありがとうございます」
開戦前の緊張した情勢ゆえ、リューク達もしんみりした顔で激励してくれる。その気持ちにセレスティナが頭を下げると、リュークが別件を切り出した。
「ああ、それから、シャルロットがティナに用事があるって言ってたな。会談したいとかで公国から親書を預かってるらしい。詳しくは本人から聞いてくれ」
「了解しました、ありがとうございます。ではこの後学園寮に行ってみます。今日は学園もお休みでしたよね?」
帝国方面を優先していた為に後回しになっていたルミエルージュ公国であるが、セレスティナの方から訪れる前に連絡を取って来たということは彼女にとって良い話なのかも知れない。少なくとも帝国のように魔物相手は没交渉という態度では無さそうだ。
色々と先行き不安な中であるが明るいニュースの兆しが見えたことで、久しぶりに心からの笑顔を浮かべる彼女だった。
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月中旬
後日、ギルバート伯爵からの書状が早馬や飛行魔術等をフルに使い届けられたことを受け、アルビオン国王の執務室に王を含め3人の男達が集まっていた。
帝国と魔国が一戦交えるという情報はセレスティナを含む複数のルートから既に仕入れているため、この場では落ち着いた雰囲気で最新情勢の確認のみを行い、あとは後日開催される御前会議にて意見調整や方針決定が行われることとなる。
「週明け早々に会議を開くとしよう。クリストフよ、参加者に通達しておいてくれ」
「はっ。畏まりました」
茶色がかった頭髪に同色の髭をたくわえた偉丈夫、ここアルビオンの国王であるガウェインが宰相のクリストフに会議の段取りを命じた。
それにより話の流れが一時途切れたところを見計らい、息子であるアーサー王子がガウェインに疑問を投げかける。
「時に父上、かの“聖杯”の材料の情報をわざと帝国に流したのは、父上のご意向によるものでしょうか?」
外交官フィリップや勇者リュークからセレスティナとの会話の内容を聞いた彼は、独自でその情報の流出経路を調べていて、一つの事実に辿り着いた。
「はて、何の事かな? 火吹き山と虹色火喰い鳥について口を滑らせたのはギルド長……いや既に元ギルド長か、とにかくあ奴が買収に応じたのが全てであろう」
「その元ギルド長に帝国の諜報員が接近していたことを把握しつつも対策を講じられなかったのは、明確な意図が感じられますが」
情報をわざと漏らすことで結果的に他国同士が戦争になってしまう惨事に、アーサー王子は嫌悪感を表情に出した。
「……ティナ殿がこれを聞いたら、さぞ無念に思うでしょうね」
「果たしてそうかな」
無念さに同調したかのようなアーサーの言葉に、ガウェインは疑問を呈した。
「どういうことですか?」と問い返す息子に答えるべく、王は執務机に大陸地図を広げて駒を並べ、セレスティナが現れて以降の世界情勢について語り出す。
曰く、まずは奪われた魔国の民を帰国させることによって外務省に対する軍部の競争意識を煽る。
同時に、アルビオン王国と友好関係を結ぶ事で、アルビオンとの国境付近に常駐させている兵士の内かなりの人数を別の場所に移すことができるようになる。例えば帝国側に。
そして、満を持して“聖杯”を用いた外交政策を執ることで帝国の物欲を刺激すれば、その利権を求めて帝国軍が動き出す。
問題の火吹き山も、位置的にはテネブラ北西で国境線から比較的近い場所にあり、帝国から見ても心理的に占領しやすそうに見えるが魔国としても侵攻ルートが読み易い絶妙な位置関係だ。
「すなわち、帝国に先に手を出させておいて自国の庭先で兵力を集中し敵軍を叩くという、この上なく有利な条件で戦争を仕掛けたと、そう読み取れないか?」
「それは……まさか……」
「全く、余も斯様な盤面で戦をしたいところよ」
言葉に詰まるアーサー王子だったが、確かに言われてみれば状況的に上手く行き過ぎている程に鮮やかな戦争準備だ。
「これだけの手口を見せる連中なら、王国が動かずともテネブラ側から“聖杯”の情報をわざと流出させて、その責を王国に擦り付ける事すら可能だろう」
なのでそれに先んじて失っても惜しくない“生贄”を予め選定する必要を感じたのも、上層部が元ギルド長の愚考をあえて止めなかった理由の一つである。
「さて、我が息子に問おう。彼の者は善良で平和を願う乙女か、それとも笑顔の下に牙と爪を隠した血に飢えし魔女か」
「……いや……しかし、仮に狙ったとしてここまで綺麗に嵌まるものでしょうか?」
「クリストフの眼を持ってしても底を見せぬ奴等だ。用心するに越した事は無い。さしずめテネブラの女狐と仔狐だな……」
ガウェイン王の言うとおり、長年国内外の魑魅魍魎と渡り合ってきた宰相クリストフから見ても、テネブラ外務省長サツキと外交官セレスティナは、気だるげで残念な美女とポンコツで残念な美少女にしか見えない。これが演技だとしたなら女優顔負けの空恐ろしさすら感じる。
そんな父王の言葉に思わず銀色の狐耳と尻尾を生やしたセレスティナを幻視したアーサーは、慌ててそれを振り払った。
「更には、責任を追及しない代わりに人道支援を要求されたと言うのもまた微妙なところを突いて来おるわい」
アルビオンとしては、情報漏えいの責任を取れと言われた方が実は対処が楽なのである。具体的には元ギルド長個人の責任にして首を引き渡せば国庫からは銅貨1枚たりとも持ち出さなくて済むからだ。
反面、人道支援の名目だと断った時に「あの国は人道的じゃない」という非難に繋がり、国際的にあまり宜しくない事態になりかねない。
「……とは言え、そこまで条件を整えて尚、帝国軍に人数と物量の利があるのは確かだ。テネブラが一方的に負け過ぎても帝国への防波堤として役に立たぬからな。詳細は会議の場で扱うが、無理の無い範囲で支援してやるよう準備はしておくように」
「防波堤……ですか……?」
ガウェインの言い分に納得できないといった様子のアーサー。それを受けて父王は諭すように言葉を続ける。
「我が息子よ、覚えておくが良い。国家に真の友など居ない。国の行く末を決める決断の基準は主張の善し悪しでもなければ人間性の好き嫌いでもない。我が国にとって益となるか害となるかだ」
「……肝に銘じておきます」
国益を考えるなら、他国同士の戦争は大抵の場合、できるだけ長引かせて両者を消耗させる方が間接的に有利になる。
勿論アーサーもその程度の理屈は知っているが、若さと性格から素直に受け入れる気にはなれないようだった。
父であるガウェインもそのくらいは見抜いているので、この場でこれ以上自分の意見を押し込むことは控えて話を終わらせることにする。
「いずれにせよ、テネブラとの重要な交渉においては引き続きクリストフが主体で進めることとし、アーサーとフィリップに補佐をさせる。フィリップ一人ではまだまだ荷が重かろうよ」
後進の育成の為にも少しずつクリストフ宰相から若い人員に職責を委譲させたい意思はあるが、セレスティナ達の相手を任せるには未だ早い、そうガウェインは判断したということだ。
彼女達の外交手腕に対する最大級の警戒と賛辞の現れであるが、当の本人達が聞いたら否定するか困惑するだろう。
「帝国に仕掛けたのと同じように、下手を打つとアルビオンも罠に釣り出される危険がある。特にアーサーは油断せず、心してかかるように。…………女は怖いぞ」
重々しく締めるガウェインにクリストフも重々しく頷く。結婚生活の長い二人の様子には奇妙な説得力があった。
第6章 北の帝国の会戦前夜 ―終―




