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魔物の国の外交官  作者: TAM-TAM
第6章 北の帝国の会戦前夜
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097話 クロエの居ない夜に(居なくなって有り難みを実感するパターン)


 帝国外交官デーゲンハルトの屋敷を後にしたセレスティナは、一旦貴族街を離れ、城壁を一つ越えて外側にある上流階級向けの商店街へと足を踏み入れていた。

 スタイルの良いお姉さんが客引きをしているのに時折視線を奪われそうになりながらも、連日の移動続きでなにげに疲労が溜まっている彼女は、夜遅くまで遊ぶのを諦めて適当な宿屋を探す。


「“聖者の休息亭”ですか……まあ、この際どこも同じですね」


 一つ呟くと彼女は、寒気が入り込まないよう二重になっている入口の扉からその宿屋のフロントへと入った。暖房がしっかり効いているようで、心地良い温かさが冷えた身体を包み込む。


「セレスティナ・イグニスと申します。一人、一泊、素泊まりでお願いします」


 馬鹿正直に本名を記帳してから代金を支払った。名を告げた瞬間に主人が一瞬驚いたような表情を浮かべたように見えたがセレスティナは特に気にせず部屋の鍵を受け取る。

 宿泊料は小金貨1枚と少々。食事無しでこの値段はアルビオン王国に比べると割高だが、帝国では暖房に費用がかかるので快適な宿を選ぼうとすると仕方が無いのだろう。


 案内された部屋は、暖房の効率を考えると無駄に広くなく必要十分な面積で、立派な調度品に温かそうなベッドが置かれていた。壁際に据え付けられた薪ストーブに風情を感じる。


「思ったよりも良い部屋ですね……ちょっと勿体無いですが……」


 その部屋の様子を確認した彼女は、まず荷物を広げ――たりせずに、いつぞやの民族衣装に着替えて目立つ銀髪も白髪染めで茶色に変えると、丸めた毛布をベッドの中に押し込んで不自然な盛り上がりを作り、そのまま荷物を持って窓から《飛空(フライト)》で出て行ってしまった。


 聴力や殺気感知能力に優れたクロエが居れば並大抵の夜襲も怖くはないのだが、セレスティナ一人だと油断した所を秘密裏に暗殺される危険がある。

 勿論敵地とはいえ滅多にそういう展開は無いだろうと思ってはいるが、根が慎重なのと女子の身体は防御力が弱いのとで安全策を取った結果、彼女は迷わず“帝都で一番安全だろう場所”を目指すことにした。





「――という訳で、一宿一飯のお恵みを頂戴いたしたくやって参りました」


 “聖者の休息亭”で取った部屋を囮に残したセレスティナがこっそりやって来たのは、貴族街の片隅に建てられたアルビオン王国大使館の裏口だった。

 国際的な基準だと、大使館は本国――つまりこの場合はアルビオン王国の領土と同等の扱いになっており、帝国兵であろうともおいそれと足を踏み入れられない一種の聖域と見なされるのである。


 予期せぬ来客に対応した係員が困り顔で上司に判断を求めた結果、本国からテネブラと関係改善したことや外交官セレスティナについての連絡も届いていたらしく、特に問題無く歓待を受ける流れとなった。


「いやはや、噂には聞いていたからいつか会ってみたいと思ってはいたが、こんなに早く機会がやってくるとはな」


 帝都におけるアルビオン王国からの駐在大使はギルバート伯爵という恰幅の良い中年で、同様にふくよかで健やかな婦人と共にセレスティナを食事の席に招待してくれた。

 見た目通りの健啖(けんたん)家らしく、少し懐かしさを感じるアルビオン料理がこれでもかとテーブルに並んでいる。


「この度は寛大なご対応、心より感謝いたします。せめてものお礼としまして、私がここアイゼンベルグで入手した情報を可能な限りお伝えいたします」

「うむうむ。何やら急に帝国が魔国へ軍隊を差し向けるようで我々も情報収集に大忙しだったからな。帝国とはまた違った当事者視点の情報が増えるのは僥倖だ」


 外交官にとって情報は値千金の価値がある。セレスティナの伝えた情報のうち大部分はギルバート伯爵が既に知っている物だったが、帝国の戦争目的や対魔族用に開発した新兵器等の話は彼を満足させるものだったらしい。

 また、食事の席の前にお土産として、最近のテネブラ名物となりつつある“聖杯(ホーリーグレイル)”を含む傷薬や毒消し等のポーション詰め合わせ(贈答用)も一箱贈っており、寒い地域特有の風土病を恐れる現地スタッフに大層感謝されていた。


「それにしても、セレスティナ殿は帝都(アイゼンベルグ)まで女の身一つで移動してるのかね?」

「あ、はい。テネブラ外務省は予算が少ないものでして……」


 随伴の武官が居ない事に対するギルバート伯爵の疑問にセレスティナは乾いた笑いを浮かべながら応答する。


「確かに、本国からの連絡書にも凄腕の魔術師で常識が通用しないと書かれておったからな。武官の役目も兼任しているということか。いやあ、それにしても宿を取るのに大使館に駆け込むとは報告通り人間の常識は捨ててかかった方が良さそうだ。はっはっは」

「ぁぅ……この度はアポ無しの上に夜更けの訪問で多大なるご迷惑をお掛けしました……」

「はっはっは。気にするでない。ここだけの話、帝国が信用できない気持ちは分かるからな」

「あらあら。あなたったら、またそんなこと言って、もう」


 外交官にしてはストレートすぎる物言いでコメントに困るセレスティナ。だが大らかで人を惹き付けるオーラのある人物なので、総合的にはこういう仕事に向いた人材なのだろう。


 その後更に話が弾み、ギルバート伯爵が言うには、駐在大使などやっていると自分の都合で食べ歩きが出来ないのが難点で、こうやって来客を出迎えて話を聞くのがささやかな気分転換なのだそうだ。


「そういう訳だから、困ったらまたいつでも頼りに来てくれ。次はテネブラ産の美味い肉や果物などを土産にしてくれると嬉しいぞ」

「承知しました。その際は最善を尽くします」


 そして流れで次回訪問の際のミッションまで決まってしまい、食事会は和やかのうちに終了となった。

 北国は夜が早い事情もあり、セレスティナがお風呂と洗面所を借りてリフレッシュした頃には窓の外は既に真っ暗で家々の明かりもまばらにしか見えない。


「寒いですし薪もタダじゃないですし、やはり皆さん夜は出歩きませんか……」


 勝手に自己完結しつつぽふりとベッドに倒れこみ、ふと今日は独り言が多くなっているのに今更気付いたセレスティナ。

 いつもは何気ない呟きもクロエが拾って適時突っ込んでくれるので、その会話のリズムが身体の奥深くにまで染み込んでいるのだろう。


 そこを抜きにしても、罠に夜襲への警戒に隠密行動に意外な女子力と、セレスティナの弱点を補ってくれる大切な友人だ。

 クロエが居ない異国の夜は、いざ実感すると予想以上に不便だし心細いし――


「それに何より、寂しい、ですね……」


 戦時体制が解けるまでの辛抱だ。そう言い聞かせつつ彼女は、万が一の襲撃を考えて部屋の要所に機雷のように《球雷(ボールライトニング)》を浮かべてベッドに潜り込む。

 これで部屋ごといきなり爆破でもされない限り少しの時間稼ぎにはなる筈だが、やはりクロエ一人の安心感には及ばないのもまた事実だった。






▼大陸暦1015年、黒鉄蠍(第10)の月4日


 翌朝。特に何事も無く目が覚めた彼女は《球雷(ボールライトニング)》をひゅるんと回収し、ギルバート伯爵夫妻により朝っぱらから焼き肉メインという重量感溢れる食事のご相伴に預かり、帝都を出発する。

 その際、腹ごなしの散歩も兼ねて昨夜と同じ町娘コスプレで商店街を歩くついでに、前日に宿泊手続きをした“聖者の休息亭”にチェックアウト報告の為に寄ることにした。


 昨夜は念には念を入れてアルビオン大使館に避難したが、そうそう一大事にはなっていないだろう。そんな安直な気持ちで彼女がそこに到着した時、思わず呆然とした声が漏れた。


「……ぇぇぇ…………」


 野次馬やら町の警備兵やらに囲まれたその宿屋の、3階の丁度セレスティナが取った部屋がまるで焼け落ちたかのように窓も壁も炭化しており、部屋の中からは黒煙が上がっていたのだ。


「火事か? 失火か?」「《爆炎球(ファイアボール)》が部屋の中で爆発したらしいわよ?」「宿泊客が一人、まだ行方不明らしい」「可哀相に……」


 周囲の男女の会話から大体のあらましを把握する。どうやら誰かが部屋に《爆炎球(ファイアボール)》を投げ込むという暴挙に出たようだ。


 密閉空間で爆発する《爆炎球(ファイアボール)》は威力が増す上に逃げ場が無く、更には炎の燃焼による酸欠も加わって、なりふり構わず始末するには最適と言える。

 但し周囲も派手に破壊するので事件の隠蔽に対しては無力で、捜査から逃げ切る自信があるか権力で揉み消すかしなければ賠償金で破産しかねない負の面もあり、素人にはお勧めしない。


 見ると人ごみに混ざって宿の主人が、魂の抜けた顔で虚空を見上げていた。

 恐らくは城での会談の辺りからセレスティナの手配書が帝都各所に回っていて、報奨金目当てで通報したら予想以上に大変な事態になった、というところだろう。

 自業自得とも言えなくもないが、代償が大きすぎて気の毒でもある。とはいえセレスティナとしてはかける言葉も見つからないし万が一変装がバレたら厄介なのでそっとしておくことにした。


「……まあ、帝国も鬼じゃないでしょうから、見舞金とか補填金ぐらい出ますよね、多分……」


 無責任なコメントを一つ残して、早々にその場を立ち去るセレスティナ。尚帝国が鬼であるという選択肢はあえて考慮しない。


 それにしても、この件でもしクロエが居てくれたなら、早々に夜襲を察知してセレスティナを起こし、《爆炎球(ファイアボール)》はセレスティナが華麗に無力化し、襲撃者をその場で捕らえるかあるいはアジトまで追跡するかして帝国に対する有効な交渉カードを1枚ゲットできていたのかも知れない。

 やはり残念だし悔やまれる。そのように今ここに居ない友人を思いつつ、こっそりと帝都を出た彼女は今度は南に進路を取り、高速の《飛空(フライト)》で空を翔けるのだった。



(※)小金貨について……

帝国では最近は銀貨の代わりに小金貨が使われ始めています。(088話参照)

銀貨=小金貨≒1諭吉さんぐらいの感覚です。

ついでに宿泊費については、アルビオンで同等のグレードの宿屋“栄光の朝陽亭”に泊まった時がクロエと二人部屋で食事込みで一泊銀貨2枚でしたので、やはり燃料費および寒さに耐える構造の建築費の影響が大きい模様です。(第2章参照)


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