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魔物の国の外交官  作者: TAM-TAM
第6章 北の帝国の会戦前夜
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096話 再び帝都へ(多分これが一番速いと思います)

▼大陸暦1015年、黒鉄蠍(第10)の月3日


 翌日、太陽が真上から少し傾きだした頃、セレスティナは再び帝都アイゼンベルグ上空から帝国最大の城塞都市を見下ろしていた。


「魔力と気合いさえあれば、何とかなるものですね」


 朝、日の出と同時に魔国(テネブラ)を出発したセレスティナは、最大速度の《飛空(フライト)》で空を突っ切ってここまで来た。

 いつもならコタツ付き絨毯に乗って丸一日かけて踏破する程の距離であるが、今回それを半日にまで縮めたのは幾つかの要因の複合技である。


 まず、クロエの護衛任務が解かれてしまった結果、今日はセレスティナ一人で移動していること。それ故に絨毯ではなく愛用の杖に乗って飛んでおり、普段よりも荷重が軽くその分速度に魔力を注ぎ込める点。

 とは言え、それだけだと空気抵抗が大きくなり効率が落ちる為、更に一工夫を加えてある。2枚の《防壁(シールド)》を前方に鋭角状になるように張り合わせ、空気抵抗を切り裂いて進むと同時に冷たい風から身を守ることにしたのだ。


 この発想自体はかつて上覧試合でヴァンガードがやって見せたようにありきたりのものだが、《防壁(シールド)》は消費魔力が多い為に長時間張り続ける運用は普通想定していない。魔術の研鑽と魔力の強化に日々貪欲に取り組む彼女だがらこそ可能な荒業の類だ。

 そのセレスティナをしても、ここまでの移動で疲労の色が濃く出ている。これで帝都の様子が普段通りであればこのまま降りて少し遅い昼食を取りつつ一休みと行きたいところだが、少し高度を落としつつ空中に佇むセレスティナの視点はいつもと様子の違う都の正門付近に注がれていた。


「……遂に始まりましたか…………」


 正門が大きく開かれ、おびただしい数の兵士、騎士、傭兵、そして旅人や旅商人達が長蛇の列を為して帝都から東方面、つまりセレスティナがやって来た魔国(テネブラ)方向へと進んで行く。

 まず間違いなく、魔国の火吹き山へと向かう侵略部隊の出発だろう。


 ここからは彼女のまだ知らない情報になるが、この日の朝に出征式が執り行われ、ノイエ・アイゼンベルグ城のバルコニーからヴォルフラム皇帝の演説と激励のお言葉が発せられた。

 それを受けて征伐(・・)軍の指揮官ゼクトシュタイン公爵を先頭にして、部隊ごとに順番に大通りを行進し帝都から出立していく。

 そしてここに居る戦力が遠征軍の全てではなく、途中のゼクトシュタイン領を通過する段階で各地の町や村からも戦力が合流し、最終的には数万人規模の大軍勢となり魔国へと攻め込む手筈だ。


 それはさておき、現在セレスティナを悩ませるのは、軍隊に混ざって旅の一般人達も移動に加わっていることだ。

 これまで国の指示により門を封鎖することで帝都内に留まっていた旅人や旅商人達が相当数同行することで、何も知らない人には軍隊の規模を大きく見せて威圧し、情報の価値を知る者にも遠征隊の正確な規模やひいては帝都に残る防衛隊の人数を隠すことができる。


「この為の正門封鎖だったんですね」


 テネブラに対しプレッシャーをかけるのと同時に、攻めている最中にアルビオン王国から側面を突かれることを防ぐ為の情報撹乱が目的だろう。

 更には、例えばこの行列に向けて上空から攻撃魔術を落としたりすると漏れなく民間人殺しの汚名を着せられてしまう罠まで完備されている。

 これを見るだけでも帝国がかなり戦争慣れしていることが伺えた。それが良いことか悪い事かはセレスティナは評価を差し控えたが……。


 いずれにしても、個人戦の武勇に頼りがちなテネブラ民にとしては組織の力で戦う人間国はまた違った怖さがある。その事を再確認したセレスティナは一つ気を引き締めて、街の熱気に紛れるように裏路地にこっそり降り立つことにした。






▼その日の夜


 シュバルツシルト帝国外交官デーゲンハルト・フォン・バウムガルデン伯爵、彼のこれまで40年に及ぶ人生は順風満帆と言って良いものだった。

 由緒ある伯爵家に生まれ見掛けによらず書類仕事での才覚を発揮した彼は、軍の兵站管理や国策事業の取り纏めを経て外交官へと栄転。以降、長身で威圧的な風貌と帝国の軍事力の後ろ盾とを武器に数々の難しい交渉を纏めた実績を持つ。


 裕福さを誇示する立派な家には37歳の妻と13歳になる娘が待っており、家族仲も良好で今の彼は公私共に非常に充実している。

 ……その筈だったのだが、この日デーゲンハルトが帝城での業務を終えて邸宅に戻った時、いつもは笑顔で迎えてくれる妻と娘の態度が違っていたのだった。


「お帰りなさい。あなた、お客様が見えられてるわ。どういうことか後できっちり説明して貰いますからね」


 真冬の雪山のような凍てついた空気を纏う妻の態度に一瞬怯むデーゲンハルト。更には愛する娘も父親に近寄ろうとせず物陰から冷たい視線を投げかけているではないか。


 ちなみに娘のディアーナは父親に似たのか長身で発育が良く目つきも鋭いので険悪な視線は年齢から想像できない程迫力がある。

 通っている学校でも一睨みで他の女生徒を従えるお嬢様ぶりを発揮しているのかも知れない。


「……全く、誰だというのだ」


 この時期に尋ねてくる知り合いに心当たりの無いデーゲンハルトは、不機嫌そうな様子を露わに応接間へと向かう。

 そこで目にしたのは、美少女の皮を被った災厄と言って良い魔界の生き物だった。


「どうも、お邪魔しております」

「――きっ!? きき貴様、何故ここに!? 魔界に逃げ帰ったのではなかったのかっ!?」


 ソファから立ち上がり淑女の礼を取るセレスティナに思わず狼狽した声を上げるデーゲンハルト。


「忘れ物に気付きまして、取りに戻りました次第です」


 実際は一旦帰って再度取り急ぎやって来た訳だが、手の内を見せる必要も無いのでそれっぽい言い訳をしておいた。

 それに多分、「首都間を半日で渡れる高速飛行手段を今日編み出しました」と事実を言っても信じて貰えないだろう。


「それはそれとして、我が家族達に何か変な事吹き込んだのではあるまいな? まさか魔物だなどと正体を吹聴したりは……」

「あ、いえ、一応他所の国から来たとだけお伝えしてますのでその辺りは配慮しております」


 魔物と知り合いだなどと思われたら家族の冷たい態度も腑に落ちる。だが眼光を鋭くするデーゲンハルトにセレスティナは慌てて否定する態度を見せた。


「ところで、学校で先生の事をうっかり『お母さん』と呼んだ経験はございませんか?」

「ふむ? 自分は覚えが無いが稀にそのような粗忽な学生も居るだろうな」

「こちらをお訪ねした際に、間違って『お父さん居ますか?』と聞いたらご家族の顔色が変わりまして……」

「それだ! 何て事言ってくれてんだこの悪魔め!」


 まさかの隠し子疑惑である。デーゲンハルトは激怒した。必ずや、この邪智暴虐の魔物を滅ぼさねばなるまい。


「誤解がありましたら帰り際にでも説明します。それで本日面会を希望しましたのは……」


 地味に家族に対する真相説明を交渉の取引材料に据えつつ、セレスティナがこの日の目的を告げる。


「宣戦布告の手続きがどうなっているのかお聞きしたいと思いまして」

「宣戦布告だと?」

「……もしかしてテネブラは魔界だから戦争ではなく討伐である、とか思ってらっしゃいますか?」


 さも意外そうに返すデーゲンハルトに、セレスティナはちくりと嫌味を挟みつつも詳細を説明する。


「宣戦布告無しでいきなり攻めるつもりならそれでも構いませんけど、戦後交渉でゴネられないように考えると魔国(うち)としても一筆貰っておきたいのですよ。此度の出兵は帝国側の勝手な事情で決めたことなので応戦の結果どれだけ犠牲が出ようとも責任は全て帝国軍に帰属すると」

「いや、しかしそもそもはルイーネの町が襲撃されたことに対する報復も含む故、元はといえば貴様ら魔界が原因ではないか」

「そのルイーネの町の事件にしても、そこが不法入国と密猟の前線基地になっていたせいですし、町を襲ったのも親を亡くしたテネブラの民の報復だという資料が残っています」


 この際、フィリオとフィリアの双子が親を殺されてから復讐を実行に移すまでのタイムラグはあえて伏せて、今回の出兵が帝国の一方的な攻撃であることを力説する。


「第一、そのルイーネの町の件にしても外交ルートで抗議やら対話の打診やらを一度も受けていません。思い出したように出兵の口実にするのは元から解決する気が無いことの裏返しではないですか?」

「禽獣に等しい魔物相手に外交ルートや対話などと通じるものか!」

「……ですからその固定観念を塗り替えて頂く為にも私がこうやって危険な中を何度も交渉に来てる訳なんですが……」


 どうにも埒が明かず、つい溜息が零れそうになるセレスティナ。帝国上層部の頭の固さは並大抵ではなさそうだ。


「本当は武力衝突そのものも、結局は現場の兵士達に最も負担を強いることになるので引っ込めて欲しいのですが、帝国内ではそういう論調は出ていませんか? お優しいと噂の姫殿下とか」

「アルテリンデ殿下もルイーネの町の悲劇には心を痛めておられた。それゆえに復讐を果たして二度と同様の被害が出ないよう魔物どもを躾けておくべきだろう」

「つまり兵を収める道は無いのですね……でしたら、何としてでも戦争責任を明確に残す証明書を頂かないと」


 平和に向けた一縷の望みも絶たれたセレスティナは、ここまでの冷静な様子から一転して、悲痛とも言える声を上げて頼み込む。


「お願いします! どうか認知して下さい!」

「待て! 物騒な単語を口走るんじゃない! 外で誰か聞いてたらどうするんだ!」

「間違えました! どうか(したた)めて下さい! 証書を!」


 こうして、セレスティナの熱意(・・)溢れるお願いの結果、彼女の望む“宣戦布告証明書及び免責証書”の署名を得ることができた。


 補足しておくと、実際のところは、この世界には戦時国際法のような取り決めは無く宣戦布告それ自体もセレモニーの一種だったりする。宣戦布告無しでの侵略は騎士道精神にもとるとされるが、それだけで深刻なペナルティが発生する訳でもない。

 宣戦布告が無いからと油断して奇襲を受けるならそれは危機管理意識に乏しい間抜けであり、特に国境付近はどの国もそれなりに警戒しておくのが通常だ。


 ではここでセレスティナが書面に拘ったのが何故かと言うと、帝国の開戦理由の正当性を砂の一粒さえ認めたくなかったことにある。

 つまりは“ルイーネの悲劇”をこれから外させることで戦後交渉で不利になる要素を極力排除したかったということだ。


 勿論デーゲンハルト側もその意図を読んではいるが元々戦後交渉に付き合う気持ちなど一片たりとも持っておらず、帝国らしく敗者の苦情も嘆願も全て踏み潰して覇道を進むつもりでいる。

 その辺りの傲慢さから生じる心の油断を突いたからこそセレスティナも交渉のタイムリミットである今日の日付中に必要な書面を得られたという訳だ。


 それから約束通り帰り際に自分が他国の外交官でデーゲンハルトの同業者であることを説明し、バウムガルデン伯爵宅を後にした。


 ……しかしその直後、屋敷の中から「あんなうちの(ディアーナ)よりも小さい小娘が外交の要職なんかに就ける訳ないでしょう! つくならもっとマシな嘘にしなさいよ!」という金切り声と甲高い平手打ちの音が響くのを聞いて、セレスティナは宵闇の中をひっそり涙することになる。


 かくして、誰も勝者になれない極めて不毛な会談を終え、彼女はこの日の宿を求めて歩き去って行った。



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