094話 内調(内部特殊情報調査班)のダークエルフ・1
▼その日の夜
日没後、外務省を後にして大通りを歩くセレスティナは、星明りや魔術による街灯の届かない闇の中から刺すような殺気を感じ取り、難しい顔を浮かべて立ち止まった。
「……………………?」
これまでも結構な修羅場を経験してきたセレスティナだが、自国でこのような状況に遭うのは初めてだ。
心当たりと言えば先程軍部に向けて啖呵を切ってしまったことぐらいだが、流石にそれだけのことで夜道で待ち伏せされるだろうか……
予想がつかずどうしても受け身にならざるを得ない場合、一手の判断ミスが命取りになる。セレスティナは念の為杖に《飛空》をかけ、何かあった時にいつでも飛べるよう準備した。
「おっと、逃げるなよ? 代わりに外務省に踏み込んで他の連中をしょっ引かれたくなければな」
「――っ! どういうこと、ですか?」
セレスティナの離脱を制したのは、路地の闇から現れた黒ずくめの人影だった。
例えて言うなら怪盗のような全身にフィットする不思議な質感の衣服を身に纏っており、唯一露出した顔の肌は灰色に近い黒。そして頭に巻いた黒い布から零れる灰色がかった黒い髪に細く尖った耳。
手にはレイピアと呼ばれる細身の剣を携えており、ほぼ間違いなくダークエルフの魔剣士だろう。見た目は若い男性だがその佇まいからは歴戦の風格が感じられる。
「内調の者だ。外務省所属のセレスティナ・イグニス、お前に利敵行為、つまり国家反逆罪の疑いがある。拘留して話を聞かせて貰おう」
「内調の方ですか……明日も朝が早いので手短に終わらせて欲しいところですが……」
「残念ながら手続きに手間がかかるもんでね、1週間は缶詰めだな。ま、外務省には俺らから伝えとくからその間の仕事は心配しなくて良いぜ」
「……なるほど、つまり私の時間を潰して動きを封じたい、と」
帝国との戦争をむしろ積極的に望む軍部としては、セレスティナが進めたい戦争回避への努力はむしろ邪魔であり、それゆえに軍部に反対する言動を国家への反逆と拡大解釈しているものと考えられる。
それはセレスティナとしては到底受け入れられない強弁であるが、“内調”という特殊な部署が動いたとなるとなかなか厄介だ。
内調――正しくは内部特殊情報調査班と呼ばれるそれは軍部を含めた国内の組織での不正や裏切りを摘発する目的で据えられ、独自の捜査権と懲罰権を有している。
さすがに白を黒にするような強引な裁判はできないので国家への反逆という大罪に関与した事実も証拠も無いセレスティナは1週間で無罪放免になるだろうが、それで誤認逮捕として誰かが責任を取ったり謝ったりすることはなく、せいぜい拘留期間中の給料相当の補填金が“捜査協力費”の名目で支払われるだけだ。
反面、独自の情報網や判断を元に動くことの多い彼らの特性上、横の繋がりが薄く他者が処理している案件に安易に首を突っ込むことはしない。
つまりは仮にここで正面突破したとしてもそれによって部署全体を敵に回すことはなく、明確な国家反逆の証拠が出てこない限りは「返り討ちに遭う方が悪い」で終了である。この辺りは実に魔族らしいと言えるだろう。
もう一つ付け加えると、ここは大通りの真ん中とはいえ住宅街ではなく軍関連施設が軒を連ねるオフィス街であるので、騒いだとしても軍務省寄りの立場の者しか残っておらず、助けはあまり期待できそうにない。
なので、帝国行きを諦めていないセレスティナとしては、答えは一つだけだ。
「申し訳ありませんが今週は予定が埋まっております。また後日お願いできませんか?」
「こっちもはいそうですかで引き下がる訳にはいかねえな。んじゃ少し痛い目に遭って貰うとするぜ!」
言うや、そのダークエルフの魔剣士は一陣の黒い風の如く一挙動で間合いを詰め、矢を射るような鋭い突きを繰り出した。
最短距離を最速で真っ直ぐに刺し貫く、恐ろしい程に正確で完璧な一撃。
定石通り《防壁》で受け止めようとしたセレスティナだったが、迫り来る剣先に見覚えのあるどす黒いオーラが立ち上っているのを見て一瞬の判断で右手の杖に魔力を込める。
「――っ!? まさか魔術師殺しっ!?」
予め起動しておいた《飛空》の効果で、横に飛ぶようにしてその鋭い突きを躱したセレスティナ。ほぼ同時に炎の渦を纏ったレイピアが彼女の居た位置を通過して空気を焦がす。
これは杖の機能も兼ねている魔剣から刺した瞬間に対象の体内で攻撃魔術を炸裂させる荒業で、剣技と魔術両方に長けたダークエルフに伝わる伝統剣術の一つである。
「って、《防壁》っ!」
靴底で石畳を削る勢いで着地し制動をかけるセレスティナだったが、急遽頭上に傘を開くように防御魔術を展開する。
その直後、上空から降り注いだ大量の炎の矢が防御魔術に衝突し、光と火の粉を撒き散らす。
「もう一人居たんですね。特殊な隠密部隊にしては殺気が駄々漏れでしたからおかしいと思いましたが、上からの攻撃を隠すカモフラージュなら納得が行きます」
「そう言うこった。それにしても魔術師殺しを知ってるのか? まだ試作の段階の筈なんだがなあ」
「……忘れたの? フィリオ。元々魔術師殺しを持ち帰ったのはこの子なのに」
魔剣士の声に応えるように、セレスティナの後方に先ほど空から《火矢》の雨を降らせた“二人目”が降り立った。
目の前の魔剣士の青年とよく似た姿の、同じく黒ずくめのダークエルフだが、こちらの方は杖とそして飛行中でも片手で撃てるクロスボウとで武装していて目元や鼻筋や身体のラインも若干柔らかみのある女性だった。
「フィリオさん、という事はそちらの方はフィリアさんですか? 帝国の都市壊滅事件の。噂をすれば何とやら、ですね」
「なんだ、調べたのか。だったら分かるよな? 俺らは敵討ちがしたいんだ。わざわざ宿敵が向こうからやって来るってのに戦わず引き返させようって動きは見過ごせねえんだ、よっ!」
言い終えると同時にフィリオが攻撃態勢に入った。挟み撃ちを避けるべく横に飛んで相手の射線から逃げるセレスティナ。
「逃がさないわ。《石柱》!!」
「ふおおっ!?」
そこに、フィリアが杖で路面を叩いてフィリオをサポートする為の魔術を発動させる。
神殿で見かけるような円柱状の白い石の柱が地面から立て続けに伸び上がり、セレスティナの周囲を取り囲んだのだ。
その中の1本に激突しそうになり慌てて急停止するセレスティナ。
柱と柱の間隔は絶妙に調整されており、高速で飛ぶには狭いが隙間を縫って射撃するのはフィリアの実力なら苦にならないだろう。
「さて、これならどうだっ!」
動きを封じた所で再度フィリオが肉迫し、同時にフィリアが石柱の隙間からクロスボウを構えてこちらに狙いをつける。獲物を淡々としかし確実に追い詰める猟犬さながらの、狩る側の動きだ。
だが当然セレスティナも、可愛い小動物のように黙って狩られるつもりは無い。
「《防壁》、21枚っ!」
一旦《飛空》の維持を終了し、全魔力を防御魔術に注ぎ込むことにした。
以前も使ったことのある手だが、薄い《防壁》を20枚重ねて魔術師殺しの《防壁破壊》の効果を立て続けに誘発することで過負荷を狙い、出涸らしの剣を21枚目に張った従来の硬さの防壁で止める作戦だ。
「無駄だぜっ!」
だが、フィリオの攻撃はセレスティナの想定を上回っていた。
最初の20枚を魔術師殺しの特殊効果に頼らず剣本来の鋭さと熟達の技術で切り裂き、最後の1枚に剣先が触れた瞬間に魔力を流し込んで防壁を分解したのだった。
その過程で多少勢いを落としたものの、尚致命的な威力の刺突がセレスティナに迫る。
「――っ! 《水球》!!」
咄嗟に放ったのは、大量の水を極限まで圧縮した《水球》の魔術。それを右手に掲げた杖から真横に撃ち出し、フィリオの持つレイピアの剣先に叩きつけたのだ。
「何だあっ!?」
その衝撃で破裂した《水球》が膨大な水流となって渦巻く。水圧に流されたフィリオの剣先はセレスティナの肩を掠めるに留まり、同時に叩き込まれた火炎魔術も水に飲まれて一瞬で消え去る。
直後にフィリアが射た矢と《火矢》も立て続けに着弾したが、水の抵抗と防御魔術の付与されたドレスに阻まれて本人へのダメージは比較的軽いものに留まった。
「ちっ、話に聞いた以上に女捨ててやがるな」
氾濫する水に巻き込まれるのを避けるべく数歩下がったフィリオの言う通り、セレスティナの支払った代償は大きく、一瞬にして全身が水浸しの悲惨な姿になっていた。
「ぷはっ。……ですがそのおかげでこれまで何度も命拾いしてますから」
濡れた前髪を横に流して視界を確保しつつセレスティナは平然とそう言うが、人並程度の女子力があれば髪も服もメイクも酷いことになるのを分かってて水を被るのは本能レベルで一瞬の躊躇が生まれる筈だ。そして激闘の中ではその一瞬が致命傷に繋がることになる。
各々が高い水準で武器と魔術を使いこなし更に双子特有の連携を駆使して都合4人前の攻撃を一点に集中させてくる強敵には、これくらい捨て身にならないと対処しきれないということだ。
逆の観点に立つなら、セレスティナの防御を突破し着実にダメージを与えてくる点で、やはり町一つを壊滅させたダークエルフの双子の実力は確かなものであるのは間違いない。
「それにしても……私の知ってる魔術師殺しは常動型で連続使用に弱かった筈でしたが、改良型ですか?」
「ああ。前に破った時の話も情報として伝わってたんで、資材部がノリノリで対策に打ち出したってことだ。その分魔術回路が嵩んで《苦痛》の方は諦めたらしいけどな」
そう言うとフィリオはニヤリと笑い、次いで彼らが着ているゴム素材のような衣装も見せびらかす。
「このスーツも資材部謹製の新防具だ。電撃を通さない素材で作ってるからお前の得意技も効かないぜ」
「ええ。先程隙を突いて《雷撃》を撃とうとしましたが、導線が途中で途切れましたのでもしかしたらとは思ってました」
苦笑混じりに零すセレスティナ。一番の得意技であるがゆえに国内外で何度も見せている関係上、遅かれ早かれ対策を打たれるのは当然と割り切るしかない。
「今年資材部に入ったって言う人魚族の新人が優秀で良かったぜ。思わぬ掘り出し物だったな」
「ちょっ、マーリンさーーーーん!?」
本人に悪気は無く純粋にテネブラ全体の戦力底上げという意図だったのは承知しているが、それでもかつての級友がこうやって敵に回ってしまう運命の悪戯に、つい頭を抱えずにはいられない彼女だった。




