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魔物の国の外交官  作者: TAM-TAM
第6章 北の帝国の会戦前夜
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093話 Si vis pacem, para bellum(古い格言:平和を望むなら戦争に備えよ)


「そんな……っ!」


 上司であるヴェネルムの隣で借りてきた猫のように大人しく座っていたクロエが、耳と尻尾をぴんと立てて悲鳴のような声を上げる。

 だが、彼女も軍人である以上は上官の命令は絶対であり、ヴェネルムの諌めるような鋭い視線を受けそれ以上の言葉はぐっと飲み込んだ。


「自国民保護の観点での措置だ。外務省もそれでよいな?」


 念を押すように視線に圧力を加えるアークウィング司令官にサツキ省長が流れで首肯するより一瞬早く、セレスティナが発言した。


「いえ、承服できかねます。外務省は軍務省の下部組織ではありませんので、直接の命令権は無い筈です」


 つまりは国家戦略の意志決定機関である議会(セプテントリオネス)を通すべき、と言う事だ。

 更に補足するなら、戦時体制への移行それ自体も議会が宣言した時点から正式に効力を発揮する。


 勿論軍部が議会の7票中4票を押さえている関係上ただ命令が降りてくる日時が多少変わるだけの違いしかないのだが、セレスティナにとっては貴重な時間である。


「あ? 軍に盾突くつもりか?」

「盾突く? 正当な指揮系統の確認だと思いますが?」


 そこへ苛立ち気味に問うバルバス伯爵に、セレスティナもまた棘のある声で返答する。

 彼も豪胆で部下からの信頼の厚いテネブラ有数の猛将であるが、短気で腕力至上主義な気質が強い為か、セレスティナとは端的に言ってウマが合わずついつい売り言葉に買い言葉が出てしまうのはある意味仕方が無いだろう。

 そしてこの日は不運な事に、コルヌス侯爵が防衛任務のローテーションの関係で欠席しており諌め役不在のまま舌戦が進むのだった。


「はン! 屁理屈ばっかり捏ねやがって。これだから女って奴は」

「ちょっと待って下さい。決められた手順通りに物事を進めるのに男も女も関係ないはずですが……」


 遂に性差論まで出てきたのを戸惑い気味に反論するセレスティナ。彼女にしてみれば「男だったら」とか「女の癖に」とかで一つに括る論議は生い立ちが生い立ちなので気分の良いものではない。

 そのことをよく知っているクロエが、地雷の気配に思わず頭を抱える。

 だがバルバス伯爵は彼女の苦情に耳を貸すことなく更に声を荒げて言った。


「戦場じゃあそんな細けえ手順なんざ気にしてたら命がいくつあっても足りねえんだよ! 外務省は命のやり取りが怖くて逃げた臆病者の溜まり場なんだから有事の時ぐらいは軍の指示に従えってことだ! お前が交戦したって言う聖盾騎士団とかもどうせ話を大きく見せるフカシじゃねえのか?」

「は? 本気で言ってるんですか?」


 自分が侮られるのはまだ許せたとしても、外務省が臆病者の集団と見なされるのを笑顔で許容するつもりは断じて無い。

 静かな怒りを宿した目で粗暴な虎獣人を睨みつけたセレスティナが二の句を継ごうとした時、横合いからクロエの援護射撃が飛んできた。


「そうよ! ティナはいつも最善の結果を得ようと最前線で勇敢に戦ってるわ……戦っております! あたし……小官がこの目で見ましたので保証します!」

「けっ! 口だけじゃ何とでも言えるだろ!」


 クロエの発言は外務省全体よりセレスティナ個人の名誉を擁護するものだったが、いずれにしても遠い異国の地での任務という特殊性から仕事の全容がなかなか伝えられないのが困りものだ。


「なんなら、決闘でもして実力を確かめてやっても良いぜ? お前にそんな度胸があればだがな」

「良いでしょう。戦ってやろうじゃないですか!!」


 バルバス伯爵の分かりやすい挑発に思案する素振りも見せず即答するセレスティナに、会議場の半数以上が目をみはった。

 もしお茶か何かを飲んでいる途中だったならテーブルが大惨事になっていたこと疑いない。セレスティナが魔術の名門の出身であったとしても15歳の少女が自前の戦闘力で伯爵位を勝ち得た軍人と戦うこと自体無謀も良いとこというのが周囲の共通認識なのだ。


「ちょっ、ティナ……!」

「ほう。言っておくが戦場じゃあ女だからって手加減される事も泣いて許されることも無えからな。それで構わねえのなら本物の戦いの味って奴を教えてやるよ」

「女だからとかそういうのを盾にする気はこれっぽっちもありません! ではこちらからも確認させて頂きますが帝国との武力衝突を前にして有力な将官が一人使い物にならなくなっても軍部としては作戦に支障は無いという判断でひやあああああああああああああっ!?」


 ヒートアップしたセレスティナが突然艶かしい声を上げてびくんと跳ねるように立ち上がった。見ればサツキ省長が隣から尻尾の一本を艶かしく動かして彼女の背中を艶かしく撫でたようだ。

 会議室で発してはいけない類の声に男共がリアクションに窮した一瞬の隙にサツキ省長が会話の流れをもぎ取り言葉を紡ぐ。


「……話が本筋から盛大に脱線してしまい、お詫び致します。ティナの発言についてはどうか子供の戯言と流して頂けますよう」


 サツキとしても思うところはあるだろうが、それでもここで軍部と衝突するのは問題が大きいと判断した訳だ。そんな彼女の意を汲み、セレスティナも渋々頭を下げた。


「いや、こちらも短絡的な部下が失礼をした。……バルバス伯よ、軍人が文官に喧嘩売ってどうするんだ」

「ぐ……し、しかしですね、最近の外務省は調子に乗っ――」

「早ければ明日の晩に議会を召集する」


 議題と関係の無い虎獣人の苦情を打ち切って、アークウィング司令官がサツキ省長とセレスティナに向けてそう言った。


「そして、明後日の朝には正式に戦時体制の宣言と外務省への新たな指示書が下りる。その時点以降は帝国とのいかなる交渉も文書も議会の一存で無効とする」

「……承知しました」


 つまりは、セレスティナが仮に一日かけて帝都に飛んだとしてもそこで時間切れとなるので行くだけ無駄だと言いたいのである。


「それでだ。セレスティナ外交官が暇になるのなら、これから軍部の書類仕事が忙しくなる故、できれば手伝ってくれるとありがたい。当然能力に見合った待遇で迎える用意がある」


 アークウィングからの提案にセレスティナが答えるより早く、横からサツキ省長が手を伸ばして彼女の口を塞ぐ。


「――むぐっ!?」

「ご高配ありがとうございます。ですが、見ての通りティナは頭に血が上っていて冷静さを失っていますので、後日改めて回答させて頂きたいと思います」

「それで構わん。ではこれからは軍の実務的な会議に移るので外務省の者はここまでで良いぞ。長旅の疲れもあろうから一旦休ませてやれ」

「むぐーーーっ!!」


 こうして、サツキ省長に引きずられるようにセレスティナは会議室から退去するのだった。






▼その日の夕方


「ティナの怒った姿かあ……良いなあ、ボクもその場に居たかったー」

「別に怒った訳じゃありませんが……臆病者などと謂れのないレッテルを貼られたからにはこちらも引けなかっただけです」


 あれから外務省の省長室に戻ったセレスティナ達は留守番のジレーネを交えつつ、お茶を煎れて先の会議の様子を伝えていた。


「ティナは冷静そうに見えて意外と短気なところあるわよねえ。正直、あの場にあれ以上居たら何言い出すか分かったもんじゃなかったから早く帰してくれて助かったわ」

「うー……」


 悩んでるのか悔やんでるのか知れない様子で上質な執務机に突っ伏すセレスティナの頭をぽふぽふ叩くサツキ省長。

 暫くそうしていると、セレスティナはゆっくりと起き上がり真面目な顔になって一つ疑問を口にした。


「そう言えば、軍務省の方々が必要以上に外務省に対抗意識を燃やしてたように見えたのですが、私が居ない間に何かありました? ……って、何ですかその反応はっ?」


 問われたサツキとジレーネが同時に肩を竦めて溜息をついたのにセレスティナが抗議すると、サツキ省長が代表で理由を説明し出す。


「だって8割方ティナが原因なんだし。ここ最近でアルビオン王国から攫われた子達が帰国しだしたから外務省の世間的な認知度とか評価も上がってるのよ。……ま、国内に殆ど居なかったから知らなくてもしょうがないか」


 それに伴って外務省の活躍を描いた本や劇といった大衆娯楽が出回り始めており、特にサツキ女伯が寝る時間を惜しんで権謀術数の限りを尽くした緻密な作戦を立ててセレスティナ外交官が最前線で敵兵をちぎっては投げつつその作戦を遂行するシーンが大人気とのことで、それを聞いた彼女は思わずお茶を噴き出しそうになった。


「色々おかしいですよね!? 噂が人づてに伝わる過程で尾ひれが付いて本体がしぼんでいったパターンですか!? 誰ですか脚本担当は!?」

「ボクのお父さんとお母さん!」

「ジレーネさーーーーん!?」


 満面の笑みで答えるジレーネにセレスティナは思わず悲鳴じみた声を上げる。たった一人を間に挟むだけで何故こんなに話が捻じ曲がるのか。


「だって、多少の誇張はシナリオのアクセントだよ。史実をそのまま流しても話が難しくってお客さんが眠くなるだけだしさ」

「もはや誇張を通り越して捏造になってますが!?」

「人気出たおかげでボクも取材費代わりに新しい合コン用ドレス買って貰っちゃった!」


 悪びれないジレーネにセレスティナが溜息をつくと、サツキ省長が話を引き継ぎいよいよ核心に迫る。


「それで、外務省ばっかり成果を挙げたことに軍の支援者や退役軍人から突き上げがあったそうよ。もっとしっかりしろとか、話し合いなんて生ぬるいから一撃加えて恨みを晴らせとか……」

「……なるほど。話の流れは掴めました……」


 加えて、軍の内部も基本的に好戦派が揃っていると来れば、戦いによって分かりやすい「成果」を獲得しようという方向になるのはごく自然な展開と言えよう。


「という訳で、軍が今後の帝国への対応の主導権も奪いたがってるというところかしらね? ま、昔の格言にも“汝平和を望むなら戦争に備えよ”ってあるんだし話し合いだけでどうにもならない事もあるわよ。これまで忙しかったんだから休暇と思って少しのんびりしたら?」


 セレスティナと違って戦争を忌避しないサツキがのんびりと話を締め、そこにジレーネが明るい声で質問を投げかけてくる。


「ねぇねぇ、じゃあティナは暫く本国(こっち)に居るの?」

「それなのですが……明日、もう一度だけ帝国に行きたいです」


 セレスティナの返答に、「え?」と目をみはるサツキとジレーネ。てっきりショックで落ち込んでるかと思われたセレスティナは予想に反して魔眼に強い意志の灯火を保ったまま続ける。


「たとえ戦争が避けられないとしても、戦後(・・)に向けた仕込みを少しでもと思いまして。軍部に何か訊かれた時は“ちょっと忘れ物を取りに行った”ということでお願いします」

「めげない子よねえ……」


 呆れ混じりに言うサツキ省長だが、どうやら止める気は無いらしく「……無事に帰ってくるのよ」とだけ念を押した。


「あ、それと、色々緊急の話ばっかりで渡すのが遅くなったけど、ティナに頼まれてた資料も用意できたわよ」

「本当ですか? ありがとうございます」


 そう言ってサツキ省長が封筒を二つ取り出し、セレスティナに手渡す。以前に依頼していた、帝国領にあるルイーネの町壊滅事件の詳細を調べ上げた資料のことだ。


「こっちがウェネフィカが纏めた報告書。でも史実の羅列で歴史論文みたいに難解だったからジレーネが少し物語調に改訂して台詞率が高くなってるのがこっち」

「……さっきの話聞いた後だと後者の資料的信憑性に疑問を抱かざるを得ませんが……」


 苦笑しつつジレーネの方を見るとさっと目を逸らされた。


「簡単に流れを言うと、そのルイーネって町を攻め落としたのはダークエルフの双子の兄妹フィリオとフィリア。理由は二人が小さい頃に帝国の人攫いに連れて行かれそうになって彼らを逃がすのと引き換えに命を落とした母親フィリィの復讐。で、その町を落とした後は戦闘力と作戦力を買われて情報室の内調に転属」


 その際に取った戦法は、フィリアの《飛空(フライト)》で上空を飛びつつフィリオが大火力の《爆炎球(ファイアボール)》を雨のように降らせ、逃げ出す者や勇敢にも立ち向かってきた者を各個撃破するというものらしかった。

 帝国最東端に位置する町ゆえに逃げる際に一方向しか向かう場所が無かったという地理的要因も悲劇の理由の一つだろう。そうでなければ散り散りになる事でかなりの者が追跡を逃れて生還できた筈だ。


「内調……内部特殊情報調査班ですか。秘匿性の高い部署ですから本人に会って直接話を聞くのも難しそうですね……」


 むむむと呻りつつ資料に軽く目を通すセレスティナだが、差し当たってはルイーネの町襲撃事件について魔国なりに正当な理由があるのを把握できて一安心といったところだ。

 彼女から見ても多少の突っ込みどころがあるのは悩ましいが、その辺りは外交努力の出番だろう。資料を仕事鞄に仕舞いつつ再度の帝都行きに向けて彼女は意識を切り替えるのだった。



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