092話 平和への道筋(まるで巨大迷路)
▼大陸暦1015年、黒鉄蠍の月2日
ノイエ・アイゼンベルグ城での不毛な会談から華麗なる逃亡を果たしたセレスティナ達は、翌日の昼頃にテネブラ首都へと帰還を果たした。
帝国に比べるとまだ陽の光が暖かい中だが、一息つく暇もなくセレスティナは軍務省へ報告に戻るクロエと別れて外務省へと急ぐ。
「……んぅ? あら? ティナ早かったわね。何かあったの?」
「只今戻りました。実は…………」
省長室でうとうとと秋晴れの日差しに身を委ねていたサツキ女伯だったが、予想よりも早く戻ってきたセレスティナからの説明を受けるにつれてその眼差しに真剣さが戻ってくる。
「また火吹き山なのね……虹色火喰い鳥にもモテ期到来って感じかしら……? ティナも見習わないと」
「……素材目当てでモテてもしょうがないと思います」
帝国からの大規模な軍事侵攻という危機の割に気楽なコメントを述べるサツキ省長にセレスティナの突っ込みもつい投げやりなものになってしまう。
ただ、事は外務省だけでなく国家的な規模で対処すべき段階に入っているのは明白なので、上に丸投げするつもりでおおらかに構える彼女の態度は決して間違いでもないのだろう。
「じゃあまた、前の時みたいに関係者集めて対策会議かしらね?」
「そうですね……それで、恐らくは軍部は大軍を集めて迎え撃つ方針になると思いますが、外務省としては衝突回避に向けて何かできる事はありそうですか?」
「……難しいところね。仮に出兵命令が今日降りたとして、帝国軍が魔国との国境を越えるまでに早くて1ヶ月ぐらいかしら。そうなると後から停戦命令を携えた早馬が帝都から追いかけたとして、間に合わせるには2週間後ぐらいにはあの頑固そうな皇帝を翻意させなければいけないってことよ?」
サツキ省長のシビアなお言葉に、セレスティナは分かってると言いたげに一つ頷くと、負けじと自らの考えを披露する。
「ヴォルフラム皇帝とはまだ直接話したことはありませんので、何とかして直接対話すれば分かって頂ける可能性もありますし、場合によってはどうにかして皇帝に退位して頂き皇子二人にもちょっと遠慮して貰って穏健派のアルテリンデ皇女に帝位に就いて頂く手もあると思います」
「そこに至る手段が凄くアバウトなのは気になるところだけど、一度殺されかけたティナをまた帝都に戻したくはないわね……」
サツキ省長が溜息と共にそう吐き出した。セレスティナの魔術熟練度に立脚した状況対応能力を否定する訳では無いが、敵地に単身で放り出してどうにかしろと言うのは彼女の細い肩には重過ぎる荷だろう。
「それよりむしろ聞きたいのは、ティナって結構な戦闘マニアじゃない? なのになんで戦争はそこまで嫌うのよ?」
「だって、戦闘は戦いたい人が好きで戦ってる訳ですから止める理由が無いですが、戦争は戦いたくない人達まで無理に駆り出して戦わせてるじゃないですか」
「んー、そんなものなのかしらねぇ……」
セレスティナが戦争の理不尽さを力説するがサツキ省長の心には届かないらしく、気の無い返事をするばかりだ。
実際、テネブラの場合は募集をかければ十分すぎる人数の志願兵が集まる為、徴兵という文化が無いのも大きな要因だろう。彼らにとって戦争とは喧嘩の大規模版に過ぎないのだ。戦闘民族、ここに極まれり。
「……各国が代表者何人かずつ出し合って決闘で白黒つけられたりすれば手っ取り早いのですが……」
「単純な男の子向けの英雄譚みたいで面白そうだけど現実的じゃないわね」
セレスティナの少年漫画脳全開の思いつきはあっさり却下され、「ぐぬぬ……」と言葉に詰まる。
それはともあれ、この情報を上げれば軍務省は間違いなく迎え撃つ為の準備に取り掛かるだろう。それでも外交官としては並行して対話のチャンネルを残しておきたいところだ。
そんな訴えかけるようなセレスティナの視線に気付いて、サツキ省長が小さく苦笑する。
「ま、気持ちは分かったから。なるべくティナの希望に沿うようにさせたげるわ。だからまずはジレーネを呼んで各省に報告の書類を――」
そう言いかけた時、丁度話題に上った秘書官がノックの音もけたたましく省長室へと乱入してきた。
「ジレーネです! 入ります! サツキ省長とティナに軍務省から至急の呼び出しがかかってます!」
「……あら、こっちから報告書を書く手間が省けたかしら?」
恐らくはクロエが同様の報告をしに軍務省へ行ったところでたまたま定時連絡で訪れていたジレーネが捕まって伝令役に任命された、というところだろう。
重要な連絡事項を伝えた後、改めてジレーネはにぱっと人好きのする笑顔をセレスティナに向けてきた。
「それで、順番は前後するけどティナお帰り。ねぇねぇ、お土産お土産~」
「はいはい。ではジレーネさんに一旦お預けしますので軍務省の方に出かけてくる間に配っておいて貰えますか?」
「やったあ! ティナ大好きー! 今度サシで飲みに行こうよー! ボクのプロ級の歌声を披露するよー!」
「あ、お土産のお酒はあたしの分に良いのを残しといてよね~」
シュバルツシルト帝国で購入した土産物の数々を良い笑顔で受け取るジレーネ。
尚、分配イベントの結果、帝国土産の中で特に人気を集めたのは蒸留酒と彫金細工で、毛皮製品は獣人達には不評だった点を参考の為に追記しておく。
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それから少し後、サツキ省長と共にセレスティナは軍務省本部の会議室へと訪れた。先に来ていたクロエと目が合い、視線だけで挨拶を交わして用意された席へと座る。
軍務省側の出席者は、早めに会議室に到着する者、時間ギリギリに来る者、悪びれもせず遅れて入って来る者、出席できずに代理を寄越す者と個性も状況も様々であったが、とにかく錚々たるメンバーが集まり、会議の幕が上がる。
軍事的な案件であるのでこの場に内務省の関係者は呼ばれておらずセレスティナ達以外は軍人ばかりだが、この会議の場では軍としての方針を固めて後日三公四侯からなる議会に持ち込む手順なのだろう。
「まずは、シュバルツシルト帝国で開かれたと言う会談の顛末からだな。クロエ諜報官から話は聞いてるが、今一度セレスティナ外交官の口から説明してもらいたい」
「はっ。では報告を申し上げます」
帝国が“聖杯”の素材目当てで火吹き山への侵略を目論んでいる事、それに付随して国辱とも言える内容の併合条約にサインさせられそうになった事――
更には既に実戦配備されていた魔術師殺しの存在や、対魔族用の戦力として勇者の次に警戒すべき聖盾騎士団と実際に戦ってみた感触――
あとついでに出兵の口実が魔族に滅ぼされたルイーネの町の復讐である事――
これらを理系特有の整然さで、但し女子としては甚だ味気なく淡々と説明したセレスティナに、軍の重鎮達の注目が集まる。
「――以上が、私が帝国で見聞きしてきた内容です」
「……人間どもめ……舐めた真似を…………」
案の定ではあるが、軍のトップであるアークウィングが竜の瞳に怒りを滾らせ、周囲の軍人達もそれに追従していく。
証拠品として会談の席から持ち帰った帝国からの条約証書もまた、彼らの怒りに火を着ける燃料になったらしい。
「オレ達の総力を結集して奴らを皆殺しにしてやりましょう!」
「バルバス伯の言う通りです。テネブラに侵攻してくるなら一人たりとも生かして帰す訳には行きません!」
好戦的な魔国の民でも特に血の気の多い虎獣人のバルバス伯爵が気炎を上げ、普段なら冷静な視点で意見のバランスを保つ立場のダークエルフの魔剣士ヴェネルムも今回はそれに追従した。
他の者も皆迎え撃つ気満々で、まるで祭の前のような盛り上がりと熱気が感じられる。
「ティナよ。よく知らせてくれた。敵軍の動く時期と目的地が知れたなら侵攻ルートが予測でき決戦の場所も決めやすくなる。町や村に被害を出さぬ為にも国境から入ってすぐの所を叩きたいものじゃ」
「ええ。国を荒らされ国民や資源を奪われる訳には参りません。水際で食い止めましょう」
既に「迎撃するかどうか」ではなく「いつどこで迎撃するか」に論点が移る中、セレスティナに労いの言葉をかけたのは祖父であり参謀長でもあるゼノスウィル・イグニス侯爵。
その彼に追従し、同じ参謀府所属で魔眼族でもあるラークス子爵が大きく頷く。実はイグニス家からの分家にあたる親戚筋であり、母セレスフィアの結婚相手の候補の一人でもあったらしいがそちらは余談になるのでここでは軽く流すものとする。
話を戻すと、軍部が兵を集め帝国軍と真正面から衝突する方針を示したが、ここまではセレスティナも予想した通りの流れであるし外務省が軍の方針に迂闊に口出しできない。
なので、セレスティナとしては軍部とは別のアプローチを続けることを伝達するまでが精一杯だったのだが――
「では私の方は、引き続き帝国で情報収集と交渉を進め、ギリギリまで軍事衝突の危機を回避する方向で動こうと思います」
「うむ? 何を言っているのだ?」
理解できないといった表情でアークウィングが問い返す。「ふえ?」とつい間抜けな声が出たセレスティナに彼は聞き分けの悪い子を諭すように説明を続けた。
「これより我が国は戦時体制に移る。クロエ諜報官の護衛任務は一旦解き、同時に全ての交渉を打ち切り大使も引き上げる。つまりセレスティナ外交官の帝国での仕事はこれで終了だ」
「――んなっ!?」
どうやら平和への道筋は、セレスティナが思った以上に行き止まりや振り出しに戻るといった罠分岐が多いようだった。




