思い出の定義
――思い出は悲しいものであってはならない。
彼の口癖だった。私の考える思い出の定義とは少し違っていたから、どうも受け入れ難かったのは今でもはっきりと覚えている。そもそも、思い出の定義と言っても私自身かなり曖昧で、いざそれを言葉にせよと言われても言葉に詰まってしまう程だ。
恐らく、受け入れ難かったのはその所為もあるだろう。曖昧なものを型に押し込められたから。どことなく不自由な印象を感じ、曖昧だからこそ感じられた思い出の尊さと言うものが失われたように思えてしまった。
彼は何をしても普通で、あまりはっきりとしない人だったが、その『思い出』についてだけは別人のように繰り返し、何度も何度も何度も私に言って聞かせた。これだけ聞くとどうも嫌な人間像が浮かび上がるというか、静かで、寡黙で、それでいて頑固な……そんな風に想像すると思う。しかし実際の彼は今挙げたものとは全く違う性格だった。
明るくて優しい、という事も勿論あるが、何よりそう言えるのは、自分の考える『思い出』というものを、押し付けるのではなく、実行して見せたことだ。
現に今思い出せる彼との思い出は、全て輝き、眩しく、それでいて暖かいものしか私の中に存在していない。これには何も言えなかった。それどころか彼の『思い出』というものに抱いていた筈の、受け入れ難さ自身に嫌悪感を感じるようにすらなっていたのだ。
きっと彼の『思い出』は貴方達には受け入れられない。だが、彼は正しい。誰もがそれを否定しても彼は正しいのだ。何故か? 正しいと思っているからだ。貴方達ではなく、彼が。私は今でもその『思い出』を正しいとは思ってはいない。彼ともう会う事も叶わなくなった今でもそう思う。しかし、やはり正しいのだ。
この話には結論はない。この話はそもそも論じられるべきものではない。彼が思い、彼で完結した、終わった話を私は今ここで貴方達に話しているだけなのだから。
彼との最後は穏やかだった。いつもと同じように彼が私の元へやって来たと思えば、そっと手紙を置いて帰った。……それが彼との最後だった。私が此処に来るほんの少し前の事だ。意外だと思うかもしれないが、その手紙は結局、見ていない。
見ればきっと、彼の『思い出』を否定する事になるから。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
地の文のみはどうにも難しいのです……。感想等あれば、是非お願いします。