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第八話:白き恐怖

 廊下の端から、緑の床を目で辿って一番奥を見る。100メートルはあるだろう廊下にはひと一人無く、右側に立ち並ぶ教室の扉が開かれることも無い。

「なんで……」

 ありえない。

 なぜ、誰もいない。なぜ、何も聞こえない。

 今は、昼休みのはずだ。午前中の授業に耐え切った学生が、その若い胃袋を満たすために奔走する時間のはずだ。食堂へ走る者、友達と喋る者、あるいは散歩する者。千差万別の理由はあろうが、一人も昼休みに廊下に出ていないなどということがありえるのだろうか。

 午前中最後の授業が終わりを告げた後、教室を出てトイレに入ったところまでは普通だった。だが、トイレから出てみると、そこには誰もいなかった。

 そのありえない状況に、一瞬、昨夜の誰もいない町を思い出す。

「そんなバカな……っ!」

 嫌な想像を頭から押し出し、たまたま誰も廊下に出ていないだけだという理由に望みを賭けて、一番近くの教室へと走る。

 律儀にもしっかり閉められていた簡素なつくりの扉を、叩きつけるように引く。バンと大きな音が響き、扉にある小窓のガラスが砕け散った。だが、その音に驚いて集まってくるはずの人間は、誰一人としていなかった。

 誰もいない教室を見渡して、愕然とする。図らずも、確信した。

(昨日と、同じだ……!!)

 机の上に置いてある食べかけの弁当の近くには、明らかに直前まで人が使っていたと分かる箸が転がっていた。まるで、そこにいた人間が消えてしまったかのように。

 これ以上その光景を見ていたくなくて、俺はその隣の教室へ走り、扉を開ける。やはり、誰もいない。半ば予想していた結果とはいえ、背筋が凍るような恐怖感が俺を襲う。そして皮肉にも、その恐怖が思い出したくも無い事実を思い出した。


『昨日あなたを襲った白いのは、天使』


 知らず、昨夜その天使に殴られた頬に手を添える。その瞬間、

「――――っ!!」

 視界の端に白い影が映った気がした。咄嗟にその影を追って廊下の奥を見るが、相変わらず何も無い空間が続いている。

 耳元に心臓があるかのように、鼓動の音が強く耳朶を打つ。煩いくらいの心音で、どこかに隠れている大量の天使に気付かれてしまうのではないかという錯覚に陥る。

 恐怖が背骨を這い上がってきて、足が凍りついたように動かない。

 そして、現れた。

 俺から遠く廊下の端に、ポツンと一体の天使が立っていた。

 いつの間に現れたのか分からない。それは俺の方を向いている。目も鼻も口もない顔に表情は無いが、それが逆に恐怖を煽る。

 逃げなければ。

 そんな強迫観念にも似た思考が運動神経に作用し、俺は弾かれるように天使とは反対側に走り出した。

(上は駄目だ、下に……!!)

 ともすれば絡まって止まってしまいそうな思考の、ほんの少しまとも動く部分で答えを出し、階下へと繋がる階段を半ば飛び降りるように駆ける。

 今までいたのは三階だから囲まれてしまえば逃げ場は無かったが、外に出ることが出来れば網の目のような街中を走って逃げ切れるかもしれない。とにかく外へ、それには少なくとも一階までいかなくては。

 手すりを使って勢いを殺すことなく踊り場を駆け抜け、二階の廊下に下りる。そしてそのまま、一階に続く階段を下りるために足を踏み出す。だが、その階段を一段下りたところで、恐れていた事態に遭遇した。


 ――――ゆっくりと、人が歩くくらいの速度で、白いやつら、天使が階段を登ってくる


「う……うわあああぁぁぁっ!!」

 無意識に叫んで、転びそうになる身体を必死で立て直し、天使から出来るだけ遠くに逃げるために、二階の廊下を走る。だが、それすらも廊下の先に群がる天使に阻まれた。

 振り返れば、階段を登りきった天使が廊下まで溢れている。

 近づいてくる白の大群。

 ホラー映画のゾンビを思わす足取り。

 俺はそこに突っ立っているわけにもいかず、恐怖から逃れるように近くの教室へ飛び込んだ。幸いにして、そこには天使はいなかった。だが、今まさに廊下を歩いている天使が、いつここまで来るか分からない。

 俺はぴっちりと閉じられた窓の外を見る。

 ここは二階。三階ならいざ知らず、ここからなら飛び降りても、頭からいかない限りは深刻な怪我にいたる確率は低いだろう。俺は、窓の鍵に手をかける。

「……あ、あれ?」

 鍵が動かない。

 人差し指を鍵にかけて、強く手前に引くが、鍵はビクともしなかった。錆びている様子も無く、二重にかかっているわけでもない。俺はその窓の鍵は諦め、隣に移る。だが、

「く、くそっ!!」

 またしても動かない。

 その隣の窓も、隣の窓も、この教室の窓の鍵は、どれも動こうともしてくれない。

「なんで……開かねぇんだよっ!!」

 自棄になって、両手で力の限り鍵を引く。だが、開かない。それでも思い切り引くと、爪が割れて血が滴った。

 激痛が走るが、今はそんなことに構っているときではない。奥歯を噛んで痛みに耐え、もう一度全ての窓の鍵を引く。だがそれでも、どの窓も開く気配すら見せなかった。

「くそっ、ふざけんなっ!!」

 拳をガラスに叩きつける。ガラスは僅かに震えるだけで、ひびの一つも入らなかった。

 こうしている間にも、あの白い天使はこの教室へ向かっているはずだ。早く、一刻も早く外に逃げて、家にいるはずのあの女に助けを求め無ければ。情けないが、そうするしか思いつかない。

 椅子を持ち上げて、ガラスに叩きつける。だが、割れない。机を投げ、渾身の力で教卓をぶつける。だが、それでもガラスには傷一つつくことは無かった。

「そんな……」

 ここまでして割れないガラスなど、あるはずが無い。学校の窓ガラスなどは、ぶつかったときの事を考えて、割れるように出来ているはずだ。もしかしたら、人がいなくなったという異変と同じように、異変でガラスが割れなくなっているのではないか。

 そんな考えにたどり着いて、俺は愕然とする。

(もし本当にそうなら……俺は逃げれないってことじゃないか……っ!!)

 そして、俺のいる教室の扉が開かれた。その先にいるのは、何体もの天使。どうやら、時間切れのようだ。

 俺は絶望から窓際に腰を落とし、目の前に迫り来る天使を見た。

「は、はは……」

 笑ってしまう。逃げようと飛び込んだ教室で、逆に追い込まれるとは。

 ガラスが割れないというなら、今回は助けに入ってくれるやつは誰もいないということだ。

 ここまで逃げるときに、開いている窓は無かった。ということは、開いているにしても一階ということになる。いくら天使を蹴散らす力があっても、もう、無理だ。タイムオーバー、ジエンドだ。

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、焦らして恐怖を煽るように天使が近づいてくる。

 こいつらが俺にたどり着いたとき、何をされるかは知らない。だが、特に危険が無いならあいつも俺を助ける意味が無かっただろう。少なくとも怪我を覚悟しなけりゃならない。そして最悪――――

「ふ……っ!!」

 幻聴かと思うほどに、短く息を抜くような声が聞こえた。

 それはありえないことに俺の背後から、俺の願望を叶えるかのように。


 ――――女神


 そう思ったことは、あながち間違いでもなかったのかもしれない。

 俺の頭上で、窓ガラスが粉々に弾けとんだ。

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