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第六話:最大の危機

 唐突に鳴り響いたチャイムが、沈黙に亀裂を入れる。その音に反応して時計に目をやれば、いつの間にか学校に行く時間になっていた。ということは、このチャイムは春香だということだろう。

「今の音は何だ?」

 目の前のアダムが、きょろきょろと首を動かしている。

 こいつに出会ったのは昨日の夜で、まだ十時間程しか経ってないわけだが、それでも大体どんなやつなのかは理解できたような気がする。さっきの話が本当のことなのかどうかは別として、きっと、常識というものが欠落しているのだろう。殆ど裸のような状態で平気で外を歩いていたことといい、その格好で男の部屋に入ることの意味や、それを見た両親の驚きや怒りなどを全く理解していなかったことといい、そう思えてしょうがない。

「この音はチャイムって言ってな、来訪者が家人に訪問を知らせるためのものだ」

「ほう、今のが、いんたーふぉん、というものか。知識としてはあるが、見たことはなかった」

 そう言って感心しながらも、音源を特定しようとしているのか部屋の中を観察し続ける。忙しなく辺りを見回すその仕草は小動物を思わせて、絶世といっても良いほどの容貌とのギャップでとても微笑ましい。

 思わず見入ってしまっていると、再びチャイムが鳴った。

「ということは、誰かが訪れているのか」

「そういうこと」

 そこで俺は、いつもの習慣からか無意識に受話器を取った。これは電話ではなく外に繋がっているものだ。今のご時世、用心するに越したことはない。

「はい」

『あれ? 武史? 珍しいじゃん、こんな早く起きてるなんて』

「俺だってたまには早起きもするさ」

『ほーんと、たまにだけどねぇ』

 などと、軽口をいつものように叩き合っていたが、そのときの俺は、何故か失念していた。今この瞬間この場所には、爆弾にも匹敵する危険物が存在していることに。

「おお、それで外と会話するのか」

「うおっ!?」

 その端正な顔が、俺の顔のすぐ近くに迫ったと気付いたときには、すでに遅かった。

『え? 今の声――』

 叩きつけるように受話器を戻す。殆ど寄り添うような形で立つアダムに顔を赤くしている余裕もない。

 女など俺の母親以外にいないはずの家から、朝早くにもかかわらず聞こえた若い女の声。しかも、俺の声と重なったため、近くにいることは間違いなく悟られた。一体、春香はこれにどんな見解を示すだろうかという考えが頭をよぎって、一瞬でそれが意味のない疑問だと気付く。なぜなら、考えずとも火を見るより明らかだからだ。

 世の中の大多数の女性がゴシップ好きだという偏見だろう情報を裏打ちするかのように、例に漏れず春香はうわさが大好きだ。弁解もせず放っておけば、あいつの頭の中でどんな妄想が形をなすかも分からない。そして、その妄想が完成してしまえば、事情を説明する暇もなく、学校中にウワサが流れるだろう。

 危険な想像に、背筋が凍りつくが。だが、単なる想像では終わらない可能性があることを、俺は身にしみて実感している。テンションの上がったときの春香の暴走振りは尋常ではなく、放っておけば、どんな尾や鰭をくっ付けられるか分かったものじゃない。過去何度、大変な目に遭ったことか。そうなる前に、早く誤解を解かなければならない。

 二階に駆け上がり、着替えてカバンを取る。半ば飛び降りるように居間に戻ると、無表情ながらも不思議そうにこちらを見ているアダムと目が合うが、構っている暇などない。今は、一刻も早く外に出なければ。

「どこか行くのか?」

「ああ、学校だよっ!」

 とはいえ、声をかけてきたアダムを無視するわけにもいかず、返事だけを返して解けていた靴紐を結ぶ。

「そうか」

 返ってきた声がなんだか近くなっていることに少し疑問を抱いたが、まあ気にせず結び終わった靴紐を確認して立ち上がる。と、アダムがすぐ後ろに立っていることに気付いた。

「ふむ、学校。人間が、必要最低限かそれ以上の知識を身につけるために通う場所。どんなところか、楽しみだ」

 ……待て。今なんて言った。楽しみ、だと?

 理解の範疇を僅かに超えていたアダムの発言を、ゆっくりと脳内で咀嚼し理解していくと、なぜだか背中が寒くなった。

 今、俺が急いでいるのは何故か。春香の誤解を一刻も早く解くためだ。だが、この真っ白な髪の訪問者はどんな言葉を口にした。まさかとは思うが――

「ついて来るとか、言わないよな?」

 先ほどの言葉を聴いたことで、俺の中では半ば嫌な答えが出ているのだが、その最悪な想像が嘘である可能性に縋り付いて疑問の言葉を口にする。

「無論。あなたの行く場所が、我の行く場所」

 なんなんだ、その自主性の無さは。おのれは、行く場所も一人で決めることは出来ないのか。などと、気の弱い俺には口にすることなど到底不可能に近い言葉が頭の中を飛び回る。

「言っただろう。あなたは、天使に狙われている。我は、あなたを護るためにここに来た」

 だからついていく、と全く迷いの欠片も無い澄み切った青い瞳が、真っ直ぐに俺の濁った心を照らし出さんばかりに見つめてくる。 

 こんな状況じゃなければもっと素直な気持ちで受け取れただろうその綺麗な言葉も、今の俺には劇薬になりかねない。

「いや……天使ってのもさ、昨日の今日で襲ってくるほど暇でもないんじゃない? 何しろ、人類護ってるっていうし」

 知るはずも無いが、人類を護るなんてのはとても大変なことだと思う。それこそ、そこらのサラリーマンなど比較にもならないんじゃないかとも。

 それに、天使が人類を護るというなら、俺は別としても他の人間がたくさんいるところで襲ってくるとは思えない。ならば、ずっと学校の中にいて、帰りも一直線に帰ってくればそれほど危険でもないような気がする。

 思ったとおりにアダムに伝えると、アダムは無表情ながらもあからさまに不満げになる。矛盾している気もするが、こいつは顔は動かなくともそれなりに感情豊かなのだとなんとなく気付いた。

「しかし……」

 不満そうなアダムが何か言おうとしたとき、再びチャイムが鳴った。

 春香がうわさを流そうと学校に走っていなかったことに安堵すると同時に、あまり時間が無いことを思い出す。アダムのついて来るという意思は固そうだが、これは強引にでも断らないと、俺の明日が無い。だが、腕力で敵いそうに無いことは昨日の晩で分かっている。ならば、頭だ。

「あ、あれは!!」

 叫んで、アダムの後方を指差す。

「ん?」

 案の定、こっちが申し訳なくなるほど素直にアダムは指差したほうを振り返った。心が痛むが、絶好のチャンス。

「それじゃあ行って来ます!!」

 早口に言い、ドアを少しだけ開けて素早くそこに身体を滑り込ませる。そして、外に出ると素早くドアを閉め、鍵をかけた。

 ここでアダムが鍵の開け方を知っていたら完全にアウトだが、知らない方に俺は賭けた。まあ賭けざるを得なかったわけだが、どうやら、賭けは俺の勝ちらしい。しばらく待ってみても、アダムが出てくる気配は無かった。だけど、まさか本当に引っ掛かるとは……。

「ふう……」

 俺は緊張を解き、額の汗を拭う。胸に拭えぬ痛みが走るが、全人類の九割くらいの人は自分が一番可愛いのさ。

「えと……何してんの?」

 頭の中で自己弁護と行動の正当化について悩んでいると、背後から声がかかった。

 振り向くと、眉間にしわを寄せて怪訝そうにこちらを見る春香がいた。確かに、思い返してみれば俺の行動はおかしかった気がしないでもないが、そんな目で見なくてもいいと思う。そんな冷たい目で見られると、何かに危ういものに目覚めてしまいそうだ。

「いや何って……そりゃ、まあなんだ、春だし?」

 やばい、何にも思いつかなかったからって俺は何を言ってるんだ。

「…………そうだね」

 ほらみろ、可哀想な人を見るような目で見られてる。

 それから春香は、遠慮したのか忘れたのか、アダムのことについて聞いてくることは無かった。少々不本意だが、当初の目的は達成できたようだ。

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