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第四話:白い女

 前も、後ろも、俺の周り五メートルほどの範囲以外は、隙間無く白い何かに覆い尽くされてしまった。どんなに目を凝らしても、注意しても、逃げ場など、どこにも無かった。

 じりじりと緩慢な歩みながらも、確実に包囲を狭めてくる白い何かから逃げることもできず、俺は、ただ突っ立っていることしかできなかった。

 俺は、むしろ恐怖を感じなかった。あるいは、それを感じる部分がおかしくなってしまったのか。それとも、このホラー映画のような状況を夢だと心のどこかで思っているのか。

「……死ぬ、のかな」

 どこか他人事のように、死という単語が口を吐いて出た。

 もう、白い何かは手を伸ばせば届く距離まで迫ってきている。これからどうなるのか。リンチか拉致か、それともこのまま押し潰されるのか。白い何かが、ゆっくりと腕を振り上げた。

 ああ、リンチか。俺は、少しでも痛みを和らげるために、ぎゅっと強く、目を閉じた。

 そして痛みを覚悟した瞬間、音が響いた。俺が殴られた音ではない。音は、俺の目の前からだ。例えるなら、トラックが何かを撥ねたような、何か大きな質量がぶつかる音だった。

 俺は、急いで目を開ける。そこで視界に飛び込んできたのは、俺に背中を向けた一人の女だった。腰まで伸びた真っ直ぐな髪は白銀で、同じく白い肌と相まって、まるで月明かりから生まれてきたようだと、直感的にそんな感想を持った。そして何故か……そいつは裸だった。いや、正確に言えば木の葉でできた腰みののようなものを着けているのだが、上半身は惜しげもなく晒されている。

「だ、誰だ……あんた」

 あまりにも唐突な展開と女の姿に動揺して、俺はそんな陳腐な質問しかできなかった。女がこちらを振り向く。こんなときに不謹慎かもしれないが、やはり、女は上半身に何もつけていなかった。どうしてもそちらに行きそうになる視線を、何とか上に動かして女の顔を見る。

「我は、アダム。助けに来た」

「助けにって……俺を?」

 アダムと名乗った女が頷く。そして、また俺に背を向けた。

「道を、開く。走って、逃げろ」

 そう言うなり、アダムは右腕を後ろに引き絞り、放つ。その拳は、先ほどの轟音と共にアダムの目の前に群がる白い何かの顔面を貫き、その余波で周りの数体をも吹き飛ばす。頭を吹き飛ばされても、中身は真っ白で赤いものは全く見えない。やはりというか、こいつらは人間ではないらしい。

 アダムは続いて左腕を振るう。……腕が見えなかった。そして、白い何かが放射状に吹き飛んでいく。

 白い何かという、訳の分からないものが群がってくるのは、まだ理解できた。しかし、俺と同じ人間の姿をした女が、その訳の分からないものを軽々と吹き飛ばすというのは、白い何か以上に訳が分からなく思えるから不思議だ。

「走れ」

 女の一言で、混乱した頭が我に返る。見ると、白い何かの群れが二つに割れて、真ん中に一本の道ができていた。

「早く、塞がる前に」

「お、おう。でもあんたは……」

「我は、強い。心配ない」

 確かに、俺よりもずっと強そうだ。というか絶対に強い。たとえ白い何かが綿のように軽いとしても、殴っていないやつまで吹き飛ばすことは俺にはできないだろう。

 俺は走った。左右に壁のように並ぶ白い何かが、道を塞いでしまう前に。幸いにして、白い何かの動きは遅い。これなら、なんとかなるかもしれない。

 必死に、後ろを振り返る余裕も無いほど走って、走り続けた。



 十分か二十分か、どれくらい走り続けたかは分からないが、いつの間にか、俺は自分の家の前に立っていた。もはや体力の限界だったので、自然に足が止まる。乱れる呼吸を何とか整え、後ろを見る。あの白い何かは、一体も見当たらなかった。どうやら、逃げ切ることができたようだ。





 あのあと、もし、誰もいなかったらと思うと家に入るのは少し怖かったが、普通に母さんが料理を作っていた。安堵すると同時に緊張の意図が途切れたのか、晩飯を食べ終わるとすぐに部屋に行ってベッドに飛び込んだ。食事中に、何をしていたのかと聞かれたが、答えられるはずも無かった。





 カーテンを閉め忘れたのか、窓から入り込む朝日が瞼を焼き、俺は仕方なく目を開く。よほど疲れていたのか、昨日はあんなトラウマものの出来事があったにかかわらず、夢も見ずに熟睡してしまったようだ。俺は大物かも知れん。

「ふぁ〜……」

 身体を起こし、両腕を天井に向けて伸ばす。今朝はなかなか身体の調子がいいようだ。こうして一晩眠ってみると、昨晩のことは夢だったのではないかと思いたくなる。だが、擦り剥いた膝と腫れた頬は真実を語っている。

「おはよう」

「ああ、おは……ん?」

 挨拶されたので、思わず返しかけたが、この部屋は俺一人の部屋で、ほかには誰もいないはず。答えを確かめようと声のした方に顔を回して、絶句した。

「どうした」

 俺の部屋の真ん中に、昨晩のほぼ全裸の女が、やっぱりほぼ全裸で恥ずかしげも無く堂々と立っていた。

 俺は、自分がまだ夢の中にいるのかと目をこする。視力が弱くなったのかと悩む。幻覚とか見るやばい人になったのかと恐怖もするが、現実は変わらない。

 俺が言葉を失って何分経ったのか、長い時間経った気もするし、凄く短かったかもしれない。

「……なんで、ここに?」

 ようやくこの言葉だけを発することができた。

 女は何かを投げてよこす。それは、俺のカバンだった。

「これ……わざわざ届けに来てくれたのか」

「違う。それは、ついで」

「ついでって……」

「会いに来た」

「誰に」

 女が俺を指差した。行儀が悪い。

「なんで」

「妻が夫に会うのは、当然」

「夫? 俺?」

 女はこくりと頷いた。

「へぇ、そう……」

 そうか、俺はこいつの夫だったのか。アイ・ハド・ア・扶養家族。

「……ってそんなわけあるかぁっ!! ていうか服を着ろぉっ!!」

 そんなナイススタイルので半裸でいられては、非常に目のやり場に困る。どうしても目線が下に行く。というか俺の錯乱っぷりもかなりのもんだな。

「服? 着てる」

 女は自分の腰みのを指した。でかい葉っぱを横にして腰に巻いただけである。

「そんなものは服とは言わん!! お前はどこのインディアンだ!?」

 意味が分からない、という風に、女は首をかしげた。日本語が通じないわけじゃあるまい。見た目は日本人じゃないけど普通に話してるし。ということは、何か関わってはいけないタイプの人種なのだろうか。

「この服は、あなたがくれた。これで隠さねば、恥だと」

「いや訳わかんないこと言ってないでせめてこれ着てくださいマジで」

 もう限界だ。いくらこの女がやばめな人でも、もうそろそろ俺の中のロンリーウルフが孤独を埋めようと暴れだすかもしれない。

 というわけで、俺は枕元に畳んであったカッターシャツを女に向けて放り投げた。

 受け取った女は、それをしばらく弄んで、首をかしげた。

「これを、どうする」

「着ろぉっっ!!!!」

 俺の叫びがご近所一帯に響き渡った。……渡ってしまった。

「武史っ、さっきから何叫んで……ん、の……?」

 バンと勢い良くドアを開けて飛び込んできたのは、母さんだった。まあ、あんな大声を出していれば当然だろう。

 恐らく母さんの目に映るのは、俺と向かい合ったほぼ全裸の女。この状況で思い浮かぶことは、全人類まとめて答えは一つだろう。

 そして、俺は思った。ああ、終わったな、と。

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