第二話:友人
今日は始業式。夏休み後や三学期の初めの始業式とは違い、ちょっとばかり不良の入っている生徒でもサボらず出席する。なぜなら、自分がどこのクラスになったのかを当日に知らないと、後で困ったことになるからだ。恥ずかしいし。
「お〜い、また一緒のクラスみたいだよ。ほら二組だって」
人ごみに入ることが苦手、というか面倒な俺は、昇降口に群がる人々を遠目に見ていた。すると、威勢良く群集に飛び込んだ春香が、僅かに顔を上気させ、息も絶え絶えに抜け出してきて俺に報告する。グッジョブだ。
「ていうか、また一緒なのか。何かの陰謀じゃないのか?」
「何言ってんの。そんなことしても誰も喜ばないでしょ」
確かに。それで喜ぶやつは色々とやばそうだ。
「じゃ、とっとと教室行くか。二組だったな?」
「そうだよ。で、武史が二番で私が二十一番」
何の番号だと考えて、すぐに出席番号かと気付く。
そうか、今年は二番か。一番出なくて良かった。自己紹介とか面倒だからな。二番なら、一番のやつのテンプレートで済む。
「でも二十一番か〜」
なんだか不満そうに、春香が口を尖らせる。
「なんか困るのか?」
出席番号で困るのは、一番になったやつだけだと思うが。
「だって、二十一なんで中途半端な番号つまんないじゃん。どうせなら最初か最後か、せめて真ん中とか……って待ってよ!」
真面目に聞いてしまった俺は、少しバカだったかもしれない。
▽
学校は、どうしてこうも詰まらない造りをしているのだろう。一直線の廊下の片側に、全く同じ扉がずらりと並び、その奥にも全く同じ教室が並んでいる。たとえ学年が変わって生活する階が変わっても、ただどこかの書類の上の文字が変化するだけで、目に見える景色も生活する生徒もほとんど何も変わらない。
こんなことを考える俺がおかしいのか、周りにいる見覚えの無いクラスメイトたちの顔を見ても、皆一様に笑っている。それを見ていると、俺という存在が酷く希薄に思えて、いつか俺は他人という存在に押し潰されてしまうのではないかという錯覚に陥りそうになる。だが、そんなときに俺をその錯覚から救い上げてくれるのが、目の前の友人という、自分でも他人でもない存在なのかもしれない。まあ、あんまり認めたくないけど。
「お〜い、新学期早々ボーっとしてんなよ」
「ん、ああ……え〜と、誰だっけ」
「うをぉい、そりゃねぇよ!!」
目の前にいる坊主頭は、高校に入ってから最初に俺に声をかけてきた男だ。俺としては、この手のお調子者属性を持った人間は苦手なのだが、どうやら気に入られてしまったらしく、ことあるごとにちょっかいを掛けられるようになってしまった。
ちなみに、こいつが坊主なのは野球部員だからだ。
「はげているという可能性も捨てきれないが」
「ハゲじゃねぇ!!」
おっと、俺としたことが、考えが口に出てしまったようだ。
「で、お前だれだっけ」
「中山だ! 秀明だ!!」
なぜ分けて言うのだ。
「くっそー、朝から彼女と登校デートしたからって調子付いてんじゃねー!!」
なんだか良く分からない話の展開だが、とりあえず俺は別に調子付いているつもりは無い。だが、このハゲから見るとそう見えるらしい。もっとも、ハゲの目がおかしいという可能性が一番高いのだが。それにしても、彼女?
「誰が彼女よ!! 武史はただの散歩仲間よ!!」
急に割って入ってきた春香が言うが……散歩仲間?
「えーい、うるさいうるさい!! 俺にはお前らが何しててもイチャイチャしてるようにしか見えんのだ!! 乳繰り合ってるようにしか見えんのだ!! 羨ましくなんてねぇぞコノヤロー!!」
ハゲが叫ぶ。うるさいことこの上ないが、乳繰り合うって古いな。
「だから! 誰が武史と!!」
放っておけばいいのに、律儀に春香がハゲに反論するのでハゲはさらに熱くなる。なんだか見てるのが面倒になって、あたりを見渡せば、クラスメイトは二人の掛け合いを面白そうに眺めていた。中には野次を飛ばしている者もいる。どうやら、今年もこのクラスを楽しむことができそうだ。
▽
校長や教頭、教務主任や三学年の学年主任、それから一般の先生と生徒。全校集会とは、この学校にいる全ての人間が集まるという大イベントなのだ。だがしかし、世の中にはこのビッグイベントを快く思っていない輩が多すぎる。やれだるいだの話が長いだのと、文句ばかりを言う生徒がほとんどだ。
だが、俺はこの集会という行事が好きだ。無駄に長い上に回りくどい校長先生の話。滑舌が悪く、何を言っているかいまいち聞き取れない教頭先生の司会。分かりきった色々な説明。それら全てが好きだ。何故かと言われれば、なんとなくとしか言いようが無いが、変わっていると言われようが俺は集会が好きだった。
そんな集会も、一時間ほどで終了する。校長先生の話は少しばかり長いが、良く聞いていればなかなかいいことを言っていた。自分の前に道があるのではなく、自分の後ろに道ができるのだ。なんとも、いい言葉はじゃないか。どこかで聞いたような気がするのが残念だが。
「あ〜、だるかったなぁ」
「あん?」
「ひぁっ、い、いや、なかなか……楽しかったなぁ」
「ハゲ明ってのは情緒も分からんのか」
「誰がハゲ明だ!! 秀明だ!! それと俺はハゲてねぇ!!」
おっと、また声に出ていたようだ。
クラス全員揃ってぞろぞろと教室に入ると、このクラスの新しい担任が教卓の前に立った。中肉中背といった表現がぴったりと当てはまりそうな若い普通の男だったが、どこと無く頼りない雰囲気を漂わせている。先ほどの集会で紹介されていたが、どうやら新任らしい。
「え〜と……」
教師が声を発すると、ざわついていた教室が少し静かになる。
「私が、このクラスを担当することになりました、え〜世界史の田中泰時です。よろしく」
ぺこりと頭を下げる仕草が、何故か物悲しく見える。なんだか、窓際に席を移されたサラリーマンを思わせる雰囲気だ。クラスが、静かになった。
「え〜と、後何か連絡することは……」
がさがさと、持ってきた書類を漁りだす田中先生。そういうのはある程度まとめておくものじゃないのか。
「あ〜、ありました。え〜と、明日からは通常授業ですので、みなさん間違えないように。それから、伊藤武史君は今日の放課後、職員室の畑山先生のところに行ってください」
「は?」
伊藤武史とは、俺のことだが。……なんで?
「それじゃあ、今日のところはこれで終わりということで。……あ、挨拶はいいです。委員長決まってませんし。それでは、皆さん気をつけて」
最後までなにやら哀愁の漂う喋り方で、田中先生は教室を出て行った。俺の疑問に答えぬままに。
「おいおい、たけちゃん。初日から何やらかしたんだよ。下着ドロ? 覗き? 痴漢? まさか婦女ぼうこ……」
「死ね!!」
春香の拳が、にやにやしながら寄って来た秀明……もといハゲの米神を捉えた。今のはハゲ、お前が悪い。というか、春香がやらなきゃ俺が殴ってた。
「くっ……無理やりは……犯罪だ……ぜ……」
最後に言い残すことにしてはあまりにも酷い一言を残して、ハゲは落ちた。だが、俺も春香も気にしない。当然だ。
「で、何で呼ばれたの?」
「知らん。俺だって驚いてるくらいだ」
「まあでも、畑山先生だし。武史って、妙にあの先生に好かれてたからねぇ」
畑山先生とは、去年俺たちの担任だった男の体育教師だ。ボディビルダーばりの筋肉と、無駄にさわやかな笑顔が気持ち悪いと評判の先生だが、去年、妙に俺を気にかけていた節があった。
「やめてくれ。なんだか尻が寒くなる」
というウワサがあったり無かったりする先生だ。
「まあ、仕方ない。行ってくるか」
「そだね、行かないと怖そうだし」
「お前も来るか?」
「え〜んりょ」
「ちっ、使えんやつだ」
机の横にかけていたカバンを取る。今日は授業が無かったので、カバンが軽い。畑山先生のところへ行くということで重くなっていた気分が、少しだけ軽くなったような気がしたりしなかったり。
「じゃ、また明日ね」
「おう、じゃあな」
小走りに教室を出て行く春香の背中を見送ると、俺は溜息一つ、清水の舞台から飛び降りる気持ちで職員室に重い足を向けた。