第十二話:三人目
……重かった。滅茶苦茶重かった。何で俺が持ち上げられないくらい重いんだよ。
……ん? 何が重いかって? ふ、当ててみな。
……。
……。
……。
……冗談だ。
▽
なんだか色々なショックでよく分からないことを考えていたようだ。思考を整理し、上辺だけでも取り繕って冷静を装う。そして、もう一度アダムの脇の下から背中に腕を回し、抱えあげようと試みる。
「ぬっ……ぐ、ぐぐ……がぁっ!!」
無理だ。全く持ち上がらない。
よく、完全に意識のない人を持ち上げるのは大変だという話を聞くが、これは、疲れて動けなくなったアダムにも通用する常識なのだろうか。いや、違う。これは大変なんてレベルじゃない。無理だ。必死で足を踏ん張って立ち上がろうとしても、肩や腰が悲鳴を上げる。そう、エレベータの重量オーバーブザーのように。
「……代わる?」
その様子をじっと見ていた、ベリアルとかいう眠そうで静かな子が、見かねたのか声をかけてきた。その体躯を見るにとても俺より力があるとは思えないが、彼女の登場シーンが既に人を超えていたので、あまり認めたくは無いが俺より力があったりしても不思議じゃないのかもしれない。
なんだか凄く情けない気持ちになる。生まれてこの方、自分よりも小柄な女の子に力仕事を代わってもらうことなんてあるはずもない。俺の小さなプライドが、根性を見せろと俺に訴える。
「いや、このくらいどうってこと……ぐ、ぐおおおおっ、でりゃ、うりゃ、どるぁっ!! …………うん、ごめん意地張った」
……どうやら俺の小さなプライドでは、物理法則を覆すことなど出来なかったようだ。
しかし重過ぎる。いったい何を食ったら、この細い身体でこんなに重くなれるのか。それこそ物理法則を覆している。
「我はゴーレム、土塊だ。重量を制御する魔力を損傷修復に当てたから、本来の重さに戻った」
ふむ、今度は魔力と来たか。だが、もはやその程度で驚くような俺じゃあない。そう、俺は武史バージョン2になったのだ。この程度、理解することなど造作もないわ。
「うんうん、魔力ね。重量がね、へぇそうなんだ」
「……分かってない」
……意外な子に突っ込まれたよ。だが小柄な女の子に突っ込まれるなんて、こう、言葉の響きが……いや違う、俺は紳士。清廉潔白が信条だ。
いかん、なんだかテンションが上がっている。まあ、それも仕方が無いか。半ば死を覚悟した状態から助かったんだから。嬉しくないはずがない。
「ちょっと、何遊んでるの。早くここから抜け出すのよ」
黒い女、ルシファーに怒られてしまった。だが、強気な女に怒られるってのは、こう、ぞくっと来るものが……いや違う、俺は聖者。いつか聖人君子と呼ばれたい。
「……行こう」
ぼそっとベリアルが呟き、アダムの背中に腕を回してそのままひょいと持ち上げた。しかも軽々と、眠そうな目のまま。
(……分かってたけど、落ち込むなぁ)
今の俺の背中は、さぞ哀愁を帯びていることだろう。
▽
破壊された教室の残骸を踏み越えて、廊下に出ると同時に、走り出す。これは一応、時間短縮のためだ。
なんでも、さっきまで大量にいた人形のような姿をした天使は、数多く存在する天使の中でも特にアンゲロイと言い、意思を持たず力も無い代わりにほぼ無限に生み出すことが出来るのだそうだ。
その欠点は、生み出すのに時間がかかること。つまり、時間さえ掛ければ無限に生み出すことが出来るが、逆に言えば時間さえ掛けなければ大した数は生み出せないということだ。
だから、急ぐ。
一番先頭を走るでかいおっさんは、天使など物の数では無いほどの力を秘めていそうだが、あまりに天使の数が増えると疲労もたまる。そうなれば、いくら強くても負けてしまう可能性があるわけだ。
「なあっ、その強い天使ってのはどこにいるんだっ?」
走りながら、俺の横を併走するアダムを担いだベリアルに尋ねる。
「……さっきの部屋から、直線距離で52メートル81センチ。……人間式の建築法において屋上……英語と呼ばれる言語においてはルーフと呼ばれる場所」
なんか無駄に長かったが、まあ、つまりは屋上ってことか。どうやらこのベリアルという子は、なかなか個性的な性格をしているらしい。
だが、どんな性格をしていたとしても、さすがに変則的な登場をしただけのことはある。俺がどんなに頑張っても持ち上げることも出来なかったアダムを担いだまま、俺の全力疾走に近い速度で走り、尚且つ解説までこなしている。まさに規格外。もう、今俺の周りにいるやつらは、みんな人間ではないというのは、信じざるを得ないらしい。
ちなみに、アダムが一体のどれくらいの重さなのか本人に聞いてみたら、
「286キロだ」
だそうで。持てる訳が無かった。
一体、俺の隣を走るこの小柄な女の子は、どれほどの力を持っているのだろうと、俺は驚愕するしかなかった。しかし同時に、それを全く恐れることが無い自分にも気付く。
まだ、こいつらに会ってからほんの少しの時間しか経ってはいない。だが、この中に悪いやつはひとりもいないと、そう断言できる。それは、俺の中にいるイヴのおかげなのかもしれないが、それがとても嬉しい。だって、こんな面白いやつら怖がるなんて、そんなもったいないことをしないで済んだのだから。
「……!」
そのとき、ベリアルの眠そうな目が一転、獲物を狙う狩人のように鋭く尖る。
「……建物三階部に、天使の群れが発生」
ベリアルの言葉に、前方を走るルシファーが振り返り足を止める。
「二人とも止まって。……やっかいね。怪我人が一人に、普通の人間が一人。さすがにモレク一人じゃきついか……」
どうやらルシファーの計算の中には、ベリアルがアダムを下ろすだとか、ルシファー本人が戦うといった可能性は存在していないらしい。尤も、ベリアルやルシファーが強いのかどうかは分からないわけだが。
「まさか、こっちに来て早々全員呼び出すことになるとはね……ま、死ぬよりかマシかもね」
呟くと、ルシファーは俺たちから少し離れたところに移動する。
「ベルゼブブ!!」
そして叫ぶ。
その瞬間、どこからかベリアルの時と同じ、黒い光の塊が飛来する。それはルシファーの眼前で停止すると、徐々に体積を増し、そしてゆっくりと人型を取った。
現れたのは、どこか鋭い雰囲気を持った女性だった。その女性は、モレクやベリアルと同じように燕尾服を纏っている。年齢は、見た感じ二十代前半といったところか。社長秘書とか似合いそうだ。
現れた女性は、その長い黒髪が床に着くことも気にせず、ルシファーに向かい跪く。その様相は、女性の持つ雰囲気と相まって中世の騎士を思わせた。
「ベルゼブブ、モレクと協力して上の階の天使を一掃して」
「はっ、御意に」
「モレク、聞いてたわね」
「承知っ!!」
ルシファーの命令に、二人は瞬時に従い、三階への階段へと消える。
「さて、私たちも行くわよ」
「……了解」
「はいよ」
命令されるのは何となく癪だったが、逆らう意味も無いので素直にルシファーの後に続いて階段を上がる。
先ほどルシファーに呼び出された女性、確かベルゼブブと言ったか、彼女もやはり、アダムやモレクのように人外の強さを持つのだろうか。
(……持ってんだろうなぁ)
半ば確信しながら溜息をつく。
これでも俺は、なかなか喧嘩が強いことが自慢でもあった。まあ、そんなこと自慢するような偉いものじゃないが、腕っ節に自信があったのは確かだ。だが、今この場所において、モレクはともかくその他女性陣の一人にも喧嘩で勝てるビジョンが見えないというのは、男としてどうなのだろうと少し考える。情けなくて溜息も出るってものだ。
「……ドンマイ」
「……サンキュー」
俺の心を読んだかのようなベリアルの慰めが、傷ついた心に少し痛かった。