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第十一話:黒い女

 決意とは、行動に影響を与えるものであって、決して能力そのものに影響を与えるわけではない。当たり前のことだが、今まさに、俺はそれを実感していた。

 守ると、そう決めたことはいいのだが、如何せん、俺はただの人間だった。運動神経には多少自信があったが、それも所詮は常識の範疇。アダムが一撃で破壊していた天使も、俺にかかれば強敵に早変わりだ。椅子で何度殴ってもなかなか倒れてくれない。唯一の救いは、やつらの動きがついていけるレベルのものだったということだろう。   やはり、俺には何も出来ないのか。偉そうに決意などと言葉を弄しても、結局は絵空事でしかなかったのか。

 だが、諦めるわけにはいかない。アダムは、まだ戦っている。数発攻撃を受けたのか、ところどころ傷ついてはいるが、その目は前を見ている。

 だから俺も、椅子を持ち上げる。格好悪いなんて気にしていても仕方がない。今の俺には、この椅子が最高の武器で盾なのだから。

「くそっ、どんだけいやがるんだ!!」

 椅子を前に思い切り突き出して、迫る天使を押し返す。

 教室の中には、もう入りきらないほどの天使で溢れている。それでも何とか耐えることが出来ているのは、天使の動きが鈍いからだろう。

 いや、動きが鈍い、というのは少し違うかもしれない。殴りつけつつ観察した結果で仮説を立てると、こいつらは恐らく思考能力そのものが鈍いのだ。故に、次の動作に移るまでの間隔が広い。殴られ倒れてから起き上がり始めるまでにタイムラグがある。だから、追い討ちを容易にかけられる。その致命的な欠陥が無ければ、とっくの昔にやられていたことだろう。

 だが、それも時間の問題。

 既に俺たちは、窓際まで追い詰められている。いくら天使の行動が遅くても、囲まれて袋叩きにされればそんな遅さに意味は無くなる。三人が一秒間隔で順に殴るのも、一人が三秒に三発殴るのも、結果的には同じことだからだ。

(ここまでなのか……?)

 そんな考えが頭をよぎる。

 だが、その瞬間、考えてもみないことが起きた。


 ――――教室の天井が破裂し、黒い何かが落下してくる。


 突然の出来事だった。

 落ちてきた黒い何かは、着地と同時にその周囲に群がった天使を悉く吹き飛ばした。吹き飛ばされた天使は、壁や天井に激突し、その身を白い光に変えて消えていった。

 黒い何かが、ゆらりと起き上がる。舞い踊る塵芥の霧の向こうに見えたのは、身長二メートルは優に超えていそうな燕尾服のようなものを纏った大男だった。

 あまりの出来事に天使も驚いているのか、大男を遠巻きに見つめるだけで動かない。俺たちを狙うことも忘れているようだ。

「二人とも、生きてる?」

 響く声は、ソプラノ。当然、大男のものではない。もう一人、円形に破壊された天井から降りてきたのだ。

 それは、黒い女だった。

 アダムを女神と例えるなら、その女は悪魔といったところだろうか。

 見るものを引き込み逃がさないその目尻の下がった切れ長の目は、流れるような鼻梁と赤い唇と相まって、まるでおとぎ話で人を誘惑する悪魔のような、そんな危うげな美しさを醸し出していた。ふわふわとウェーブのかかった軽く柔らかそうな黒髪も、その魅力を際立たせているのだろう。

 その身を包む、必要最低限に少しプラスした程度の面積しかない黒い衣装も、彼女を悪魔などと例えさせる要因の一つだろう。

「ルシファー殿、如何する?」

 大男が、腹に響く低い声で女に尋ねる。その声色から察するに、大男の立場は女の下にあるようだ。

(ルシファー……?)

 その名前と、女の声が少し引っ掛かった。

 よく漫画やゲームなどで聞く名前だが、最近どこかで聞いたような覚えがある。そして声も、近い過去に聞いたことがあるような気がする。

「決まってるでしょ……蹴散らして」

「ふっ、御意に!!」

 大男は意気込んで、天使の群れへ突っ込んで行く。その丸太のような腕が、服の上からでも分かるほどに盛り上がり、神速で突き出された拳はアダムをも超える威力で天使の群れを粉々に吹き飛ばした。

(……まあ、アダムよりは納得の光景だな)

 その光景を見ても、俺は特に驚かなかった。なんといっても見たままだから。あの太い腕があれくらい出来ないわけが無い。

 だが、そうは言っても実に爽快な眺めだ。ああも俺たちが苦労した相手が、まるで公園の鳩のように散らされていく。

 新たな脅威に、天使たちはもう誰も俺を見てはいなかった。なんだか力が抜けて、俺はその場に座り込んだ。横を見れば、アダムも腰を下ろしている。

「なんか、助かったみたいだな」

「ああ、そうだな」

「…………」

「…………」

 ……会話終了。いいさ、どうせあんまり期待してなかったさ。

「情けないわね、あなたともあろう者が。天使の軍勢を半分壊滅させたあのアダムとは、とても思えないわね」

 目の前から声がしたのでそちらを見れば、あの黒い女が立っていた。その目はアダムを向いていて、蔑むような、それでいて心配しているような、そんな複雑な色を湛えている。

「……ルシファー、何しに来た」

 一方の答えるアダムの声は、先ほどまでの不必要なほど感情の篭らない声には、若干の険が含まれているように思えた。

 だが、それを受ける女はそんなことなどどこ吹く風。少し大げさに溜息をついて首を振った。

「あら、何しに来たとはご挨拶ね。あなた、私が来なかったら、多分粉々になってたんじゃないの? あのときみたいに、イヴも守れずに」

 その瞬間、アダムの視線が一気に鋭くなった。横で見ている俺までも背中が寒くなるほどの眼力だ。

「……悪かったわよ。失言だったわ」

 さすがに、少し堪えたらしい。少し表情が強張った。

「それよりも、久しぶりね、イヴ。ごめんなさいね、あのとき殺してしまって」

「は?」

 どうやら知り合いらしい二人のやりとりを眺めていた俺は、急に俺に話が振られたことに驚いて、間抜けな返事しか出来なかった。いや、意味の分からない単語が含まれていたのも原因だろうが。

「いや、あの……どっかで会ったっけ?」

 そして、こんな詰まらない質問しか出来ない俺。情けないぜ。

「あら、悲しいわね。殺したことはともかく、昨日会ったばかりなのに」

「え、昨日?」

 はっとして女の顔を見れば、女は試すような笑みを浮かべていた。……悪魔だ。

 しかし、その笑みを見返してやろうにも、全く覚えが無い。普通、こんな印象的な人間に会えば、絶対に忘れることは無いだろうに。もしや物凄く地味な格好をしていたのだろうか。それともすっぴんだったとか。

「……何か、失礼なことを考えてるわね」

 怖かった。

「いや、悪い。その……全然覚えて……」

 ない、と言おうとしたところで、女が凄くにやにやしていることに気付いた。

「ふふ、いいわねぇ……男が自分のことで悩む姿。それしても、そんなに必死に考えてくれるなんて、あなたがイヴでよかったわ。気に入らないやつだったら、また殺しちゃおうかと思ってたもの」

 なんだか、とても機嫌良さそうに女が笑う。その姿はなんだか無邪気で、先ほどまでの妖艶な雰囲気は少し薄れていたが、こっちが彼女の素なんだろうなと、直感的に悟った。

 なんだか物騒な言葉も飛び出してきたが、それは今聞くことではないような気がしてスルーした。

「それで、あんたは……」

「ああ、そうだったわね」

 女はコホンと一つ咳払いをした。

「私はルシファー、アダムとは古い知り合いよ。イヴを殺したってのは……そうね、今度話してあげる。それから、あっちで暴れてるのはモレク。私の従者よ。見た目は怖いけど、紳士的なやつだから、きっと仲良くなれるわ」

 あっちでなんだか高笑いしながら天使を蹴散らしてるお方は、紳士的なのか……。イギリスが怒りそうだぜ。

「あ〜、俺は伊藤武史。え〜、十七歳で高校二年生。それから……」

「大丈夫、イヴのことだもの、全部知ってるわ。よろしくね、武史」

 そして俺は、差し出されたルシファーの手を握った。

「……ふふ」

「え……?」

 手を握った瞬間、ルシファーの顔が「かかった!!」みたいな顔に変化し、やばいと思った俺が手を離す前にぐいっとルシファーが俺を引き寄せた。ルシファーの顔がすぐ近くまで迫る。

「あら、良くみるとなかなか男前ね。それに、性格も良さそうだし。ちょっと騙され易いところはあるみたいだけど」

 近い、とても近い。息のかかりそうな距離という表現があるが、そんなものを超越して息がかかってる。自分で、顔が熱くなっていくのが分かる。何か言われることが分かっているのだから早鐘を打ち出した心臓を止めてしまいたい気分だが、そんな俺の心情とは反対に、否応なしに心拍数は上昇する。

 そう、いま告白しよう。俺は、女に慣れていない。こんな近くで女の顔を見たのは初めてだ。

 それに付け加え、目の前にいるのは、ホストでさえも緊張で腹が痛くなってしまいそうな美人なのだ。アダムも勝るとも劣らない美人であったが、あっちは天然のきらいがあったからまだ耐えられた。だが、こっちは故意だ。何の目的があるか知らないが、分かってて顔を近づけてくる。これはもう、拷問と表してもいいのではないか。

「ちょっ、離れ……っ!」

「おい、ルシファー何してる!」

 珍しく語気を荒げたアダムが止めに入ってくれるかと期待したが、アダムは疲れて動けないのか睨むだけだ。

 どうにかルシファーを離そうにも、腕を伸ばせばどこに触れてしまうか分からない。もうどうしたらいいか分からない。

 そんなパニック臨界点の俺を見つめて、ルシファーはずっと笑っている。悪魔だ。

「ウブねえ、赤くなっちゃって。ふふ……これで、このまま唇を奪ったらどう――――」

「ルシファー殿、天使はあらかた片付け終えた。これから如何にする?」

 天の声、とは程遠い野太い声が、さらに近づくルシファーの顔を止めた。

「……もう、いいところだったのに。相変わらず、空気が読めないわね」

 ルシファーは不機嫌そうに言って、俺を開放してくれた。

 ごめん、でかいおっさん。やっぱりあんたの声は天の声だよ。……ルシファーが舌打ちしたのは気にしないでおこう。

「雑魚はいなくなったし、時間もかけたくないわね……ベリアル!」

 ルシファーが虚空に誰かの名前を呼びかける。すると、不意にルシファーの前に球体の黒い光が現れ、その光の形が変化して人型を取る。そして、モレクと同じ燕尾服のような衣装を着た、小柄な女の子が現れた。髪は黒のショートカットだったが、何故か妙に長い前髪が右目を隠している。

「ベリアル、この空間内に存在する中級以上の天使を探して」

「……了解」

 眠そうな左目でルシファーを見て、ベリアルはこくりと頷いた。そして、目を閉じてくるくると色々な方向に身体を向け始める。

「な、何やってんだ……?」

「探知よ。この”聖域”内のどこかにいる、ここを作り出した天使を探してるの」

 なるほど、ここを作り出したやつを見つけて倒せば、ここから抜け出せるということか。

 ようやく、ここを抜け出せる算段がついて、俺は胸を撫で下ろす。そして、

「……見つけた」

 ベリアルが、ぼそりと小さな声で言った。

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