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第九話:その理由

 砕けたガラスと共に降り立ったのは、白銀の髪の女。女は昨日の夜と同じように、俺と天使の間に立って振り返る。

「怪我はないか」

 その声には抑揚というものが欠けていたが、俺のことを気遣っているのが分かった。

 そして嬉しいことに(残念かもしれないが)、昨日とは違って、アダムはしっかりと服を着ていた。恐らくは母さんが着させたのだろう。何の飾り気も無いTシャツにジーンズという、昨今の女性事情から遠くかけ離れた色気も無い格好だったが、その抜群のスタイルも手伝って全くダサいとは思えなかった。

「ああ、大丈――――」

 大丈夫と答えようとしたその途端、またしても信じられないことが起こった。

 地面に散らばったガラスの破片が宙に浮き、まるで巻き戻し映像のように窓ガラスが再生したのだ。

「な……っ!?」

 まるで夢のような出来事を目の前に、俺は開いた口が塞がらない。

 それは、いささか陳腐な表現になるが、魔法のような現象。元に戻ったガラスは新品のように傷ひとつなく、アダムが飛び込んできたのが嘘のようにそこにある。

「驚かなくていい。ここは”聖域”、元に戻るのは当然」

 なんでもないことのようにアダムは言うが、俺がその言葉を理解できるはずも無い。

 それは何だと聞こうとすると同時に、距離詰めてきた天使の腕が持ち上がる。

 もはや俺に恐怖は無い。それは、昨日の記憶か、それとも目の前の白い背中があまりに頼もしく見えるからか。

「説明は、後。ここを突破する」

 言葉と同時に放たれた拳は、天使の頭を易々と砕き、その余波で周囲の天使を一歩下がらせる。頭を潰された天使は倒れて、淡く光って消えていく。

 相変わらず、ありえないほどの力だ。本当に、天使の頭の中が真っ白でよかったと思う。もしあの中が赤かったら、そこらのホラー映画と比べ物にならないくらいショッキングな映像が展開されることだろう。

「ふ……っ!!」

 次いで繰り出されるのは、身体を大きく回転させての回し蹴り。半円を描くその鋭い一撃は、まるで死神の鎌のように天使の頭を刈り取っていく。

 一気に五体の仲間を破壊されると、天使でも恐怖を感じるのか、迫ってくる速度が遅くなる。

「切り抜ける、ついて来て」

 その短い一言に俺が腰を上げると、アダムはさらに一体の頭を殴り飛ばし、同時に数体を転倒させる。その一体が消えると、教室の扉までの通路が出来上がった。

 無言でアダムが走り出し、俺は決して遅れを取ることの無いように必死でついていく。

 アダムは途中に群がる天使を薙ぎ倒しながらの行軍だったが、ただ走るだけの俺がギリギリでついていくのがやっとなほどの速度で天使の群れの中を突っ切っていく。

 それはまさに獅子奮迅の様相だったが、如何せん天使の数が多すぎた。廊下を埋め尽くすほどの白の大群を前に、次第に倒す速度は遅くなっていく。さすがのアダムもすでに限界が近いことは目に見えて明らかだった。

 どこか天使のいない場所で時間を稼がなければならない。俺は、近くの教室の扉を開けた。

「おい、こっちだっ!!」

 俺の言葉に瞬時に反応して、アダムは開け放った扉に飛び込む。そして俺も内側に回り、扉を閉めると今度はしっかりと鍵をかけた。同様に、後方の扉も鍵をかける。

 昨日、殴られたときの痛みから、天使がこの扉を破るまで多少なりとも時間を稼ぐことが出来ると予想できる。尤も、天使が鍵を開けることができたら計画は破綻するわけだが、やつらにそれほどの知性が存在するなら、俺は今頃ただの肉塊に成り果てているだろうからその心配はあまり無い。

 そうは思っていても、扉を殴りつける音を耳にすれば不安にもなるのだが。その心配をしても仕方がない。

「おい、大丈夫か?」

 アダムは窓際まで後退し、壁に寄りかかっている。

「損傷率57%。問題ない」

 そう言うアダムは全くの無表情だったが、良く見ると息が上がって肩が僅かに上下している。

 そもそも57なんて数字はどこから出たのかは分からないが、パーセントということは半分は超えているわけで、それは決して問題が無い数字だと言えるのだろうか。それに、見た目で怪我をしているところは無いので、問題が在るなら内側だということになる。外側の怪我ならともかく、内器官の怪我はシャレにならない。

「なあ、さっきみたいにガラス割って逃げれないのか?」

 窓の鍵に手をかけてみても、溶接でもしてあるかのように、相変わらず鍵は微動だにしない。

 アダムがどれほどの怪我をしているか分からないが、なんにしてもここから逃げ出さなくては話にならない。ここはまだ二階だが、窓さえ開けばアダムな多少調子が悪くても問題なく逃げられるだろう。俺は怪我をするかもしれないけど。

「いや、それは不可能だ。今の我では、外側から破ることは可能でも、内側から破ることは出来ない」

 俺は、ガラスが元に戻ったことを思い出す。

「それはさっきの話か? 一体何なんだよここは」

 俺の質問に答えず、アダムは壁から背を離すと、ゆっくりと俺の脇を抜けて扉と向き合う。

「ここは、天使の作り出した”聖域”。天使が目的を効率的に達成するために、対象を閉じ込める監獄」

 そのとき、ドンドンと絶え間なく叩かれ揺れる扉に、大きく亀裂が入った。ミシリと音を立てて扉がゆっくりと歪んでいく。

「外に出るには、この”聖域”を作り出している、天使アンゲロイを操る能天使エクスシアイ以上の天使を倒さなければならない」

 そう言葉を紡いでいく間にも、扉は今にも破られてしまいそうなほど歪み、たわんで行く。

「お、おいっ、そんなことよりもう扉がもたねぇぞ! そうだ、棚を動かして扉を塞げば……っ!!」

 後ろから見るにも肩で息をしているアダムに、もうこれ以上天使と戦わせるわけにはいかない。だが、仔細は分からないが、こいつが動けないとここから出られないのも事実。だったらせめて、扉を塞いで時間を稼ぎ、少しでも休んでもらわねばならない。

 そう思い、駆け出そうとすると、

「駄目だ」

 アダムが前を向いたまま、手で俺を制した。

「だけど、今お前が戦っても……っ!」

「時間をかければ、その分、天使が増えていく。そうなれば、あなたを守りきれる自信がない」

 そう、荒い息でアダムは言う。

 肩で息をして、俺を守るなどと言う。

「だが今なら、それは可能。操者の位置は見当がついている。最短距離ならば、この身が朽ちる前に聖域を解除できる」

 朽ちる、と、相変わらず抑揚も何もない口調で言う。

「ふざけるなっ!!」

 その言葉が、なんだか知らないが酷く俺を苛立たせた。

 いきなり大声を上げた俺に驚いたのか、アダムが振り返る。その顔には、やはりなんの表情も浮かんではいなかった。その顔を見た途端、俺の怒りは臨界に達する。

「お前が死んでっ、俺が生きるって言うのか!? お前一人なら、逃げ出すのも簡単なんだろう!?」

 気付いていた。アダムが天使を倒していくのは、天使を倒せない俺のためだと。だから、俺にさえ構わなければ、こいつはそんなに疲れる必要も無かったんだ。

 腹が立つ。

 できるのに、成し遂げる力があるのに、それをしないと言う。俺なんかのために、そのできることをしないと言う。

「だから――――」

 言葉を続けようとして、目の前の光景に頭が真っ白になった。怒りは吹き飛び、言おうとしていた事柄が軒並み頭から抜け落ちていった。そして、顔が熱くなっていくのを感じた。


 ――――アダムは、俺を見て小さく微笑む。


 本当に小さく、良く見なければ分からないほどの変化だが、確実に、無表情だったアダムの顔に笑みが浮かんでいた。決して、悲しい笑顔などではない。それは、喜びを湛えた笑みだった。

 今までの芸術品じみた孤高の美しさが、野の花の可憐さに変化する。目が離せない。鼓動が早くなっていくのを感じる。

「違う。あなたは、前提を間違えている」

 アダムが、再び前を向く。

「言ったはずだ。我は、人に非ずと」

 そのとき、扉が音を立てて真っ二つに割れた。

 倒れこむ扉の残骸を踏みつけて、天使が雪崩れ込んでくる。

「我は、ゴーレム。この身はただの土塊つちくれ故に、すことに躊躇ためらいはない」

 アダムの拳が、先頭の天使の頭を吹き飛ばす。だが、やはりアダムは弱ってしまっているのか、その拳に先ほどまでの力強さは薄れている。周りの天使にまで影響を及ぼすことが出来ていない。

 倒された仲間を気にする素振りも見せず、天使は次々とアダムに肉薄する。

「それに、言っただろう?」

 天使の頭を掴んで、群れの中に叩きつける。流れるように繰り出される鋭い爪先が、天使の胴を薙ぐ。

 だが、それでも天使の数は増えていく。素人目に見ても幾分鈍っているアダムの動きでは、大量に押し寄せる天使を押し返すことは出来ていない。

 そして、この最悪の状況において、さらにアダムは追い込まれていく。教室の後方の扉までも破られたのだ。

 挟まれるように押し寄せる天使に対応するために、アダムは次第に教室の中央に押されていく。俺は何をすることも許されず、アダムの背中からそれを眺める。

「我は、あなたの妻だと」

 そしてまた、アダムの拳が天使を砕いた。

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