夏
雲は遠くに見える山の、更に向こう側まで広がっていた。薄い雲ならばその灰色に濃淡のむらができるのだが、この雲はそれが見えない。一面に変わり映えのしない汚らしい灰色を広げ、僕に押し付けてくる。零戦乗りでもない僕は地面で這いずり回るしかない。開放されることはない。
「なら乗るか?」
僕を現実に引き戻したのは、前の席にいた我が友だった。
「いきなりどうした?」
空のせいか ――もしくは他の原因か。 気分の乗らないテンションで話しかけられると大概は鬱陶しく感じるものだ。だが、僕は彼にそれを感じなかった。
「明日の終業式、晴れるかどうか賭けようって言ったんだ」
「なんでだ」
彼は笑った。
「初め良ければ全て良し ――間違いじゃないぜ、俺の母ちゃんの口癖なのよ。 やっぱり、終業式が晴れると気分が良いじゃないか」
彼の一番の長所、それはいつ何時でも楽しそうなことだった。曇天に閉塞感など感じてすらいないだろう。そんな彼に憧れていたのかもしれない。
「アイス一本ならいいぜ」
薄い鞄をからって階段を降りる途中、ふと空を見上げてもう一度考え直してみた。
するとどうだろう? なぜだか、友人の姿が僕の想像の中にヒョッコリと顔を現したではないか。そして彼は零戦に乗り、ゴーグルの下から笑顔で僕に敬礼している。
「あばよ」
そして彼は飛び立っていった。
翌日、神社の前を通った。本殿の裏にそび立つ入道雲から太陽が現れる。遅めの梅雨明けだ。おそらく彼と零戦が、アイス一本分の駄賃で運んできてくれたのだろう。
夏が待ちきれなかったんだなぁ。