動き出す陰謀 (其の参)
一方、女生徒の話を聞いていた誠は、思わず耳を疑ってしまう。
「い、今、なんて……」
「ですから、生徒会役員の弱味を調べて来なさいと言っているんですの。まったく、物分かりの悪い猿ですわね!! 」
訪ね返した誠に苛立ち、女生徒が嫌味ったらしく、溜め息を吐き捨てる。
そんな彼女の態度に、さすがに腹が立った誠が、少しだけ強気に言い返す。
「じ、じょーだんじゃねーやっ!! なんで、そんな事しなきゃなんないんだよ!」
だいたいと、言いかけた彼の言葉が途切れる。
女生徒の周りにいた不良たちが、誠を取り囲んだからだ。
一瞬で顔面蒼白になった誠が、一気に脂汗を噴き出す。
「仕方ありませんわね」
不良たちを手で制した女生徒が、手にしていたハンドバックから二つ折りの財布を取り出した。
バックも財布も、有名ブランドの商品らしく、誠でも知ってるブランドロゴが入っている。
(確か、新作はうん百万以上とか言ってたよな……。財布って言うより、あれ本体が大金じゃねーか……)
ごくりと、女生徒の財布とバックを凝視していた誠が、思わず生唾を飲み込むが、そんな彼を試すように、彼女は財布から一万円札を10枚出した。
「っ!! 」
案の定、表情を緩ませた誠を見下した笑みで見やりながら、交渉に出る。
「私の頼みを聞いて下さるのでしたら、前金で、この10万円を差し上げますわ。もちろん、私の望む結果を出して下さったら、もう10万を差し上げます」
「マジでっ!? 」
あっさりと食い付いた誠だが、すぐに脳裏に、恐ろしい形相の昴が浮かび、慌てて首を横へ振り、目の前の誘惑を振り払う。
「いや、俺には無理だっ!! そんな事をした日には、昴に殺される!! 」
「情けないですわねぇ。でしたら、前金を20万。調べて来て下さるのなら、さらに10万。計、30万で如何です? 」
「ぐぅっ!! さんっじゅうまんっ!? 」
再び誠を、誘惑の魔の手が襲う。
「30万あれば、欲しかったエロゲーがあれもこれも買える!? いやいや、昴にバレたら、俺の命が……。いや、しかし、30万で最新作のあのヒロインたちをフルコンプ……」
なにやら、ぶつぶつ言い始めた誠に、女生徒は最後の一手を投じた。
「50万」
「この海老原 誠に任せてもらおうか!」
彼の中で、本能とエロゲーが勝った瞬間である。
†
誠と他数名の姿が木々の切れ間に見えた。
どうやら誠が取り囲まれているようだ。
「昴。部活動関係でない限り、立場上、オレは手出しは出来ないが、話し合いとしてなら介入できるが、どうする? オレが前に出た方が良いか?」
前を走っていた要がそう訪ねた為、昴は少し考えたあと、頷き応えた。
「すまん、頼む」
生徒会長として、彼が矢面に立っても良いが、状況がまだ把握出来ない以上、あまり生徒会として表立って、大事にするのは良くないと判断し、昴は要の申し出を受ける事にする。
そう話し合っている内に、彼らは誠のいる場所へ辿り着く。
†
「そこまでだ!! 」
声を張り上げた要の怒声が、森に響き渡る。
彼の声の迫力に、思わず不良たちは誠から離れ、後退していく。
そして素早く、誠と女生徒たちの間に割り込んだ要が、堂々とした立ち振舞いで、その場に介入していった。
「部活動長の己嶋 要だ。見たところ、部活動関係ではなさそうだが、穏便な話し合いには、見受けられなかった為、介入及び、聴取させてもらう」
初見では、誠と不良男子しかいないと思ったが、1人、あまりに場違いな女生徒が中心に立っており、要は意外に思う。
その女生徒は、要と眼が合うなり、胡散臭い微笑みを作り、猫なで声で話し掛けてきた。
「これはこれは、己嶋先輩では御座いませんか。ご機嫌麗しゅう。部活動長就任、おめでとうございますますわ。私、虎井 砂羽子と申しますの。以後、お見知りおきを」
「前置きは良い。お前たち、何をしていた」
厳しい表情を崩さず、要は鋭い視線を、誠や虎井 砂羽子と名乗る女生徒、そして彼女の後ろに控える不良男子たちへ、順に向けて行く。
「何をと、申されましても。私たち、お話をしていただけですわ?」
「お話、ね。海老原が後生大事に抱えてる札束を見る限り、とても平和的な会話をしていたように思えないが? 」
誠が両手で抱え込むようにして持っている札束を指した要に、虎井 砂羽子は一瞬だけ、表情をしかめるが、すぐに笑顔を貼り付ける。
そして、一歩引いた位置にいた昴に気付き、話題を反らした。
「あら、昴くんまで。わざわざ、ご足労痛み入りますわ」
ですけどと、彼の両隣にいる今日子と一騎を冷ややかな眼で一瞥し、言葉を続ける。
「そのような、品のない人間と行動するなんて、昴くんの品格に関わりますわよ?」
「ちっ、また貴様か……」
眉をしかめ、舌打ちした昴が吐き捨てるように呟く。
砂羽子が、先日、今日子に難癖をつけた女生徒である事に気付いたからだ。
今日子を庇うように、彼女の前で掌を広げた昴が、砂羽子を鋭く睨み制す。
「そこのザリガニを懐柔して、何を企んでいるのかは知らんが。貴様のように人を愚弄するしか能のない女など、俺の敵にもならん」
無論と、砂羽子の背後に控える男子生徒を見やりながら、昴が言葉を続けた。
「金で手なづけた、そいつらを使ったとしてもな」
容赦ない昴の言葉に、すかさず不良たちは眥を跳ね上げ、飛び出しかけるが、気付いた要が、先頭にいた者の首元に手刀を突き付け牽制した。
「無駄な争いは避けたいが、手前らが引かねぇのならば、昴ではなく、オレが相手をしてやろう」
驚くべき素早さで手刀を繰り出し、身に付いた覇気を醸し出す要に圧倒され、不良たちは大人しく引き下がるしかなかった。
蜘蛛の子を散らすように、その場から退散していく。
そんな彼らを見送った砂羽子は、鼻白むよう息を漏らすと、呆れ混じりに口を開いた。
「……まったく、これですから下民は。仕方ありませんわね、今回は此処までにしますわ。それでは、ご機嫌よう、昴くん。海老原くんも期待しておりますわ」
最後、見下すように口角を上げた砂羽子が、狼狽えた様子の誠を一瞥し、優雅に歩き去って行った。
†
そして、残された昴たちの視線は、札束を抱えた誠へと、注がれる。
「詳しく話を聞かせてもらおうか、ドブガニ」
「ま、その大事に抱えた諭吉さん達を見れば、だいたいは想像つくけどな~?」
不機嫌な顔と声で訪ねた昴の隣で、苦笑し、肩を竦めた一騎がぼやく。
なので、札束を必死に抱え込んだ誠が、ムキになってまくし立てる。
「こっ、この金は俺のもんだぞっ!! わ、悪いな、昴っ。今回の俺は、お前の敵に回るぜ!そう、全てはエロゲーの為に!! この金さえあれば、俺はあの子たちとパラダイムヘブンに行けるんだぁぁぁぁぁっ!! 」
もはや何を言いたいのか、さっぱりな誠の言い分に、昴と一騎、そして要は呆れてものが言えない。
唯一、キョトンとした今日子だけが、不思議そうに小首を傾げていた。
「えろげーとは、なんなんでしょうか?」
「気にしなくて良いぞ、今日子。このドブ臭い生き物の戯言だ」
疑問に思う今日子を制した昴の発言に、思わず誠が噛みつく。
「ドブ臭い言うなーっ!! くそ、今日子ちゃんに卑猥な事を教えるぞ、コノヤローぶふぇっ!! 」
変なキレ方をした誠を、昴がぶっとい青筋を浮かべ、容赦ない踵落としで黙らせる。
「今日子に変な事を教えたら、本気で殺すぞ、エロガニ。それと、貴様が気安く今日子を呼ぶな、汚れる」
「はわわわ……し、しし紫狼くん。ああの、その……」
「はっはっはっ!! 気にせんで良えで、今日子ちゃん。あれ、いつものスキンシップやから~」
「どれだけ、バイオレンスなスキンシップをしているんだ。お前らは……」
思わず要がツッコミを入れてしまうが、しぶとく立ち上がった誠は、逃げ腰になりながら叫ぶ。
「ち、ちくしょーーっ!! お、俺は、悪くねぇぇぇぇーーーっ!! 」
「あ、逃げた」
まさしく負け犬の遠吠えを残して、脱兎の如く逃げ出した誠を、一騎が両肩を竦め見送る。
「陸上部もビックリの、逃げ足の早さやなぁ。お、階段で転んで、そのまま落ちてったで。生きとるか、あいつ」
萬年桜の近くにある木の階段を、転げ落ちてく誠。
しかし、再び顔面着地しながらも、それでも札束は決して離す事なく、逃げていく姿を視認し、昴が溜め息まじりにぼやく。
「ふん、逃げ足の早さと、ゴキブリ並のしぶとさだけが、ザリガニの取り柄だからな」
もはや追い掛ける気にもなれず、もう一度、深い、深い溜め息を漏らした昴が、後ろにいた今日子へ声をかけた。
「悪かったな、今日子。巻き込んだ上に、あの女の嫌味まで、また聞かせて。一騎も」
謝る彼に、今日子と一騎はそれぞれの反応を返した。
「全然、大丈夫なのです!お手伝いできて、光栄なのですよ!」
満面の笑みを浮かべた今日子の口からは、やはり嫌味を言われた事に対しての不満は一言もない。
そして、背中から昴の肩に腕を回した一騎が、明るく笑い言った。
「あーんな高飛車おじょーさんの、乳臭い嫌味なんて、気にする価値もないわ。せやから、昴も気にせんでええで~?」
自分が心配する必要などなかったぐらい、明るく前向きな2人。
表情が緩みそうになるのを堪え、真面目な表情を作ると、昴は要に話を振った。
「要も、早速の働きに感謝すると言いたいが、すまんな。もう少し付き合ってくれ。念の為、あの女の企みを調べておきたい」
「ああ、別に構わない。オレも気になっているしな」
快く頷いた要が応える。
そして、誠が逃げて行った方向を見やり呟く。
「海老原から話を聞き出せれば、話は早いのだが、あの様子じゃ無理そうだな……」
「あーりゃ、エロゲーで頭の中がバーンや、なぁ、昴?」
按じる要に応えた一騎から話を振られ、頷いた昴が話を引き継ぐ。
「あのエロザリガニは、後でどうとでもなる。球技大会の準備を邪魔しなければ、とりあえずは放置だ」
今、優先すべきは別な事案になった。
「虎井 砂羽子と言ったな。あの女を徹底的に調べるとするか」
何を誠に頼んだか知らないが、どうせ、ろくでもない事だろう。
「戻るぞ。紗弓たちにも報告しねぇと。今日子、お前はどうする? 」
「お邪魔でなければ、ご一緒致します!」
「良いのか?」
あっさりと答えた彼女に、思わず拍子抜けしてしまうが、強気に微笑んだ今日子が頷き返す。
「尭やクラスの皆さんには、後でいっぱい、ごめんなさいしますから。それに、生徒会のお仕事をお手伝いすると決めたのは、私自身です」
だからと、真っ直ぐに昴を見つめた今日子が言った。
「一度すると決めた事は、最後までやり遂げますです!! 」
本当に、見た目に寄らず、芯が通って逞しい彼女に、昴は再び口元が緩みそうになるが、必死で堪え、生徒会長としての顔に戻る。
「行くぞ」
踵を返した昴が促し、一騎、要そして今日子が、そんな彼の背中に続いた。