名前のない想い(後編)
生徒会小屋を出た昴は、校庭を足早に歩いていた。
球技大会の準備をしている生徒たちの横を抜けた所で、昇降口と校庭を繋ぐ石階段に、一騎が座っているのを見付ける。
自販機で買った缶ジュースを飲みながら、準備する生徒たちを笑顔で見守っている一騎の姿に、彼は仕方なさそうに溜め息を漏らす。
そして徐に石階段を登った昴は、彼の横を過ぎ、二段上に腰を下ろした。
「なんや、昴も見回りか? 」
先程の事など一切気にした様子もなく、明るく笑った一騎が、そう声をかけるが、そんな彼を一瞥し、昴はぶっきらぼうに謝る。
「……さっきは、悪かったな。俺も言い過ぎだった」
「ああ、なんや。そんな事かい」
謝る昴に対し、一騎は笑顔を崩す事なく言葉を返す。
「俺は、なぁーんも気にしてへんし、かまへんよ。せやけど、本音を言えば、お前は今日子ちゃんを生徒会に入れたいんやろう? 」
「……ああ」
今度は素直に頷いた昴に、一騎は穏やかな表情で応えた。
「さっきは、今日子ちゃんに気遣っとったんやな」
「……あいつとは、クラスメートではあるが、まだそこまで親しいと言うわけじゃない。無理をさせて、距離を置かれたくない」
昴の気持ちなど、お見通しだった一騎。
半身を捻らせ、彼の方を向きながら、話を続ける。
「ま、でも、お前は今日子ちゃんが気になっとるんやろう? 生徒会に誘う云々は別にしてもさ」
「どうだろうな。確かに今日子は、他の女とは違う。違うが、だからといって、俺は……」
そこで言葉を切った昴が、深い溜め息と共に頬杖をつき、考え込む。
考え込む昴の様子に、一騎は決定的な一言を告げた。
「昴、今日子ちゃんの事、好きなんやない? 」
その言葉に、昴は怪訝げに首を傾げる。
「何故、そうなる? 」
「いや、お前の今日子ちゃんへの態度見てたら、それ以外、考えられへんやろ。今日子ちゃんは気付いとらへんけど、名前呼びに変わったのが、ええ証拠やろ」
生徒会のメンバーと、円たち一部の女子を除いて、彼が名前で呼ぶようになったのは、一騎が知る限りでは、今日子が初めてである。
「……そうだな。好きかもしれないな」
恋愛なんて、した事もない。
異性を好きになる自分なんて、想像もしてなかった。
だから、好きと言う気持ちも分からない。
ただ、今日子の事が気になって、気付くと眼で追っている自分がいる事は自覚している。
だから、自然と名前で呼んでいた。
「ま、こうゆうのは、ゆっくり育む気持ちやし、お前のペースでいけばええ」
そう言って、立ち上がった一騎に続き、昴も立ち上がり、校庭へ視線を向けた。
「……とりあえず、外の仕事は見る限りでは、順調そうだな」
「ザリガニが情けなく、走り回っとるけど」
昴の言葉に頷いた一騎が苦笑を漏らす。
準備する生徒たちの集団の中、誠が縦横無尽に走り回されていた。
曲がりなりにも生徒会庶務で、一般生徒に指示出せる立場であるはずが、逆に使いっ走りにされてる感が否めない。
「ザリガニの奴、真面目に働いてるようだ」
「いっやぁ。あれは、単にパシりにされとるようにしか見えへんが? 」
「それがザリガニだ、気にするな。戻るぞ、俺たちも仕事が山積みだ」
そんな会話をかわしながら、昴と一騎は石階段を下り、生徒会小屋へ帰っていく。