昴と今日子
暫し今日子を見つめていた昴だが、不意に視線を外すと、きょとんとしている彼女を促す。
「行くぞ」
「はい!! 」
満面の笑顔を浮かべ、先を歩き出した昴の後を追い掛けた今日子が、話題を変えて話し掛ける。
「紫狼くん。生徒会のお仕事は大変ですか? こないだも、生徒会の方が剣術部のお手伝いにきてくれたみたいですが」
先日、要の頼みを聞いた時の事を言ってるのだろうか。
少し怪訝に眉を寄せた昴が、不思議に思い訪ね返す。
「よく知っているな」
「私、剣術部のマネージャーなのです。こないだ、2年の先輩さんが……えーと、星澤先輩とおっしゃいましたか。剣術部の部長さんの依頼で来たと言ってましたので」
間違いなく、蕾の事だ。
納得する昴だが、彼女が剣術部マネージャーだったのには、素直に驚く。
まったく知らなかった事実である。
「剣術部には、もう1人マネージャーがいただろう?」
「円先輩ですね。マネージャーの先輩として、いろいろ教えて頂いてます!」
なるほどなと、今日子の説明に頷いた昴が、最初の質問に答えた。
「大変と言えば大変だな。最近は人手も足りんのに、学校行事ばかり増えていく一方だ」
溜め息まじりに愚痴った彼に、今日子が眉を足らしながら言葉を返す。
「そうなのですか。あ、あの、紫狼くん」
「なんだ? 」
「微力ながら、私に出来る事がありましたら、お手伝い致します!なので、遠慮なく頼って下さいね!」
彼女なりに頼もしく笑った今日子の申し出に、昴は思わず唖然としてしまうが、表情には出さなかった。
そして、暫し間を置いた後、昴は彼女の頭を優しく叩く。
「紫狼くん? 」
今日子が不思議そうに首を傾げ、彼を真っ直ぐに見上げるが、昴は何も言わず、彼女の頭をポンポンと、優しく叩くだけだ。
誰にでも、誰とでも、別け隔てなく、いつだって笑顔で接する今日子。
そんな人間、昴の周りにはいなかったし、いないと思っていた。
誰だって、自分のエゴと欲望に忠実で、愛想笑いでうわべだけ取り繕う。
生徒会の面々は、逆にそう言った面を隠さないので、昴は嫌いじゃない。
だが、たいてい彼に近付いて来る者は、先ほどの女生徒のような人間ばかりで、幼い頃から嫌と言うほどに、そうゆう人間の醜さを垣間見てきた。
だけど、彼女だけは違ったのだ。
何か狙いがあるわけでもなく、かと言って媚びへつらうわけでもない。
ただ純粋に、自分を自分として見てくれている。
「お前にとったら、俺の家柄なんて、気にもならないんだろうな……」
「……よく解りませんが、紫狼くんは紫狼くんですよ? お家の事とか、難しい事は知りませんが、私にとって紫狼くんは、お優しくてカッコいい男の子です。ただ、それだけなのです」
日だまりのような、暖かい微笑みを浮かべ告げた今日子の言葉は、ひたすら真っ直ぐに、昴の心に響く。
この胸に咲いた感情の名前を、まだ知る事は出来ない。
だけど、昴は彼女の存在から目を離せなくなっていた。
彼女の事を、もっと知りたいと望む。
彼女の笑顔を、もっと見ていたいと願う。
気づけば、どんどん昴の中で、黒姫 今日子と言う少女の存在が大きく眩しくなっていく。
それは、彼が初めて抱いた感情だった。