序章 「共産主義者死亡」
ヘルメットをかぶり、文字を書いたマスクで顔を隠した若者たちが所狭しとうごめいている。皆が皆怒声を上げていて、いったい何事が起きているのかわからない。
曇り空、日が沈みかけた大学の構内は混乱だけが全てを支配していた。
始まりは総理大臣の会見だった。連合国の始めた戦争に参加する旨を表明したのである。冷戦時代、混迷する世界情勢において出血を強いない国家は不利益を被るのではないか。大臣の頭には、かつてこの国を占領した連合国代表に対するおべっかがあったことは間違いないだろう。と、同時に、祖国の将来を慮った判断であったことも嘘ではない。
だが、大戦争で敗北し、連合国の占領下にあったこの国の軍隊はもう失われており、参戦するには急速な軍隊の編成が求められることだろう。しかし戦後20年以上も大国の指揮下にあり、復興を優先してきた国民にとってあまりにも急すぎる話でもあった。大臣の選択は、とうてい国民に受け入れられるものではなかったのである。
立ち上がったのは若者だった。足の先から頭のてっぺんまで戦争を全く経験していない世代の学生たちが反戦のために立ち上がった。彼らは大学の講義を拒否し、自分たちで組織化を進めていった。戦後に膨れ上がった若者人口を兵力として期待していた政府は大いに動揺し、警察による鎮圧で事態を収拾しようとした。だがそれは悪手であった。
反発と抵抗で盛り上がった反戦運動は、警察に対抗するように武装し、最終的には自前の軍隊まで用意するに至る。皮肉なことに徴兵を拒否した青年たちは、徴兵を拒否するために、兵士とならざるを得なくなったのである。
なぜそこまで彼らは真剣だったのだろうか。大人たちは敗戦国民であり、自前のイデオロギーを否定されている。そのため、国の将来を担えるのは我らしかいない、という強迫観念が若者たちにはあったのである。また、行動こそが未来をつくると考えた彼らには教科書があった。マルクスという教科書が。
……必ずしも全員が熱心な共産主義者であったというわけではない。しかし、共産主義の影響はあちこちに浸透していた。当時、右翼も左翼も、共産主義国の動向は目の離せないものであった。
さて、共産主義の運命は読者もご存知の通りである。
この国においても、若者の盛り上がりは……死者が莫大に出ていたのにも関わらず、若さの暴走として扱われることになる。共産主義者の行動は実を結ばず、先駆者であったはずの共産国は次々に失敗することになっていく。
さてさて、いよいよ本題。
共産主義の未来を知らず、戦後の道しるべを共産主義に求め、研究の末に自らを革命家であると自覚したいっぱしの共産主義者がここにいる。名は、押見巻奈。名前こそ女のようだが、中身は才能あふれる知的な青年である。フェミニストであり外国帰りの母親と、戦時中に命令拒否で逮捕された父親を持つ、ある意味ハイブリッドである。
二十四歳の夏、彼は混乱する大学にいた。
盾を持つ警官隊と、ヘルメットをかぶった学生隊がぶつかり、押し合いへし合い。押見巻奈はその最前線で戦っている。投石しようも、槍で突こうとも、警察隊はびくともしない。もうかれこれ十日も睨み合ているのである。今日の突撃も三回目だ。双方に疲労は濃かったが、組織力で勝る警官隊に分があった。業を煮やした学生隊の指揮者はある決断をする。
爆弾である。
工学部のつくりだしたお手製カタパルトから打ち出された爆弾は、警官の盾に命中し、轟音と共にそれらを吹き飛ばした。これ以降、学生たちの「おもちゃ」が多数の命を奪うことになる。
最前線にいた押見巻奈は突然の爆風に混乱する。混乱する仲間たちに押しつぶされそうになりながらも、状況を把握しようとして背を伸ばす。
警官の防衛力が弱まり、学生たちが前進したこと。爆弾投射後、一斉に投石を開始したことが不幸にも重なった。石が学生たちの上に降りかかってきたのである。再び投射された爆弾が誤爆したこともあり、この騒動で学生側が出した死者は前代未聞であった。空前絶後であると表現できないのは時代の呪いと言えよう。
押見巻奈は背を伸ばした瞬間、頭蓋に投石をくらって死亡した。
主人公のいた世界は厳密に「日本」ではありません。一つの異世界だとお考えください。また、作者は共産趣味者であるので、本小説はプロパガンダでないことを宣言しておきます。
おそらく更新はかなり遅いと思われますが、お付き合いいただければ幸いです。