hack 9
5500人もの相手に接触する必要がある。
寧音はうんざりした。
ただでさえ、コミュニケーションは苦手なのに、
どうしたら5500人もの対象を相手に出来るのだろう。
「簡単さ。 人ごみに紛れれば良い」
青い蝶が言う。
「人ごみに紛れる?」
「そうすりゃ、10人程度のデータなら一括でハッキングしてやる。
その代わりにその分時間は掛かるし、相手がその場を離れたら
中断もされるがな」
「あんまり意味なさそう」
「範囲にして、半径3メートルって所が限界だな」
一番効率が良いのは、みんな動かないで、
一度で10人程度の情報をハックできる場所。
そこで500回以上ものハッキングを繰り返す――。
途方もない作業に寧音は自分が何をしたいのか、
なぜ、こんな自体に巻き込まれているのか、
混乱し分からなくなってくる。
「……電車の中とか学校とか」
「おう、良いんじゃね」
自分の冴えない顔の周りを飛び回っているだけの蝶が得意げに言う。
しかし今日はもう疲れた。
とりあえず、明日に備えて寝よう。
今日はこれ以上、思考を働かすのは無理がある。
頭は停止を求めている。
朝になったら、糖分でも与えてやろう――。
翌朝、今日も姉の明里は居なかった。
転送相手の二号にしてやろうと布団の中で考えたのだが、
早くも失敗、実行にすら移せない。
仕方が無いので、両親のスマホをハッキングして 《転送》 した。
《転送》 ボタンを押すのに少し躊躇いもあったが、
転送中に表示される進行過程のパーセンテージを見ているうちに
何故か落ち着きを取り戻した。
両親の電話は他社乗り換えの0円で買ったF社の電話だ。
残り、2497件――。
気が遠くなる。 頭が重くなる。
薬を飲んで誤魔化そうとしても、耐性が着いて、あまり効果も出ない。 オーバードーズしようとも考えたが、やめておいた。
まだ一週間も経っていないのに、あのヤブ医者を尋ねるのはしんどい。
「なあ、お前って何時もこんな感じなの?」
奇妙な事に何処かから声が聞こえた。
「おい、バカ、お前のここだよ」
制服スカートのポケットの中にしまってある電話から声が聞こえる。
取り出してみるが、ホーム画面には特に何も映っていない。
「もう忘れちまったのかよ! オレらはバックグラウンドで自動で
動けるんだよ! そう説明を受けただろうが!」
そう言えば確かに……と寧音は思い出す。
「へえ」
「凄い技術だろ!」
「別に」
「うわっノリわる! 連れないやつだなぁ」
「……」
「こう言う性格の人間を根暗っつーんだっけ?
ネットで拾った情報に書いてあったぜ」
青い蝶が好き勝手に喋っている。
「ネットを巡回できるの?」
「バーカ、当たり前だろうが! じゃなきゃどうやって
ハッキングなんて高度な技を使えるってんだ。
オレらは高性能なAI機能を持って働いてるんだぜ! 勝手に情報を
収集して知能を蓄える。 つまり人間よりこんな数メガバイトの
アプリのほうが、優秀って時代が到来したってこったな」
口の減らない中々厄介な相手になりそうだった。
余りのやかましさには目眩すら覚える。 電源を切れば、
喋らなくなるだろうか。 否、それでは計画を進められない。
「オレらってそういえば、赤い蝶はどうしたの?」
アプリダウンロードの顔認証時以来、見ていない気がする。
「アナのことか? あいつは裏でこそこそやってるよ。
お前がデータを転送する時なんかに現れるんじゃないか?」
「オレはハッキングや情報収集、あいつは拡散や転送を担当。
つまり、役割分担? 適材適所? まぁ、要するに
オレらは二人で一つなんだぜ」
「へえ」
「ったく、またその反応かよ」
ふと、スマホの時計を見た。
一人ブツブツ喋っている時間でもなかった。
そろそろ登校しないと電車に乗り遅れる。
寧音は少し慌てて家を出た。
「ハッキング始めるか?」
「いや、まだいい」
相変わらずポケットから声が聞こえる。
寧音はそれに対して独り言のように返す。
漫画やアニメで主人公が主人公にしか見えない何かと
喋っている場面が良くあるが、まるで同じ状況を感じて苦笑いした。
「ねえ、外であんまり話しかけないでくれる?」
「どうして」
「携帯から音声が聞こえて、わたしだけ独り言みたいに喋るの嫌だから」
「んなら、良い方法があるぜ」
青い蝶は得意げに、
「ヘッドセットを使えば、それでオレたちと会話出来る。
これなら、特に問題ないだろう。
ま、場所や場面は考えたほうが良いかもしれないがな」
そんなことも出来るのか。
スマホにヘッドセットを繋いで会話している相手は時々見かける。
それがあれば、今よりずっと怪しまれずに会話が出来そうだ。
「あれ、会話前提の話になってる……」
「無言じゃオレが虚しいだろうが! それに計画だって
円滑に進まない。 頼むぜ、根暗子ちゃん。 オレらはもう、
一心同体、運命共同体なんだからよ」
後遺症を治す為に協力――するとは言え、
前途多難な日々が待ち受けていることは確実だった。
電車の中でハッキングを開始してみようと思った。
普段は車輪の音に耳を済ませるか、MP3プレイヤーで音楽を聴いて
時間を潰しているのだが、今日は何時もと違う緊張感があった。
最新のスマホを持って電車に乗り込む。
誰も気づかないだろうけど、ちょっと自慢な気分。
スマホを操作してハッキングを開始した。
本当に誰にも気づかれないだろうか? 後になって痕跡が残って
バレたりしないだろうか? 押した後に、寄せてくる不安と恐怖。
「バレたりしない?」
「大丈夫だ、問題ない」
しかし進行度は中々進まない。
10人同時に相手だと処理が重くなる、とは聞いているが。
少し絞ったほうが効率が良いかもしれない。
「10人を5人に変更」
「了解」
スマホの画面を見つめる。
現在、ハッキングの情報が5件表示されている。
気持ち程度、早くなった気がした。
一体、今、誰の携帯がハッキングされているのだろう。
気づきもせずに、暢気に居眠りしてるあの人とか?
トンネルに入っても問題はない。
だが、途中の駅で止まると、画面に“LOST”の文字が二件表示された。
ハッキング途中の二人が降りてしまったらしい。
「……なかなか難しいかも?」
「まあ、のんびりやってこうぜ、大将」
そろそろ小言ながら、独り言も怪しまれそうだ。 自重しよう。
電車に乗って凡そ、30分。
ハッキングに成功したのはfOS3件とAOs2件の五人だけ。
「……効率悪いわね」
ハッキングしたデータの中身に興味があったので、
一人のデータを覗いてみた。
女性の使っているfOSだ。
その女性がダウンロードしているアプリから、写真、音楽、
メールの送受信暦、ブラウザの検索履歴など、
まさにハッキングのそれが全て自分の手元に集約されている。
「うわ、趣味悪いな、お前」
ネット依存が加速しそうな興奮に昂ぶる。
心臓がドキドキしている。 こんな感覚は生まれてはじめてだ。
「電車の中って案外、出入りが激しいね」
同時五人相手のハッキングで、大体、15分は掛かった。
「相手の使ってるメモリにも寄るからな。 16GBとかなら早いし
64GBとか使ってた、その分、遅くもなる」
「一人に絞ったら?」
「そりゃ、数分で終わるだろうけど、一々操作すんの面倒だろ」
確かに一々、スマホを取り出して操作するのは面倒くさい。
「ここはオートで放って置いてくれるのが一番だと思うけどな」
結局、それしか効率の良い方法はないのかもしれない。
「ただし、10件までしか蓄積できないから、11件目以降は
古い情報から消えていく。 小まめにチェックしとけよ」
「自動でハッキング出来るなら、自動で転送もしてくれれば良いのに」
「っつ、お前、それを言ったら、オレたちおしまいだぜ」
ポケットをまさぐってMP3プレイヤーを探した。
見つからなかった。
スマホに夢中で、どうやら家に忘れてきてしまったらしい。
ハッキングした女性のスマホの中に、ダウンロードされている
音楽ファイル。
寧音はそれを自分のスマホへコピーした。
「盗みまで実効するとは、あんた思っていた以上の根暗だぜ」
出来れば、五人分全員のデータを確認してみたかったが、
今は時間もないので、転送だけを済ませる。
転送したデータは自分のスマホから跡形もなく消え去った。
残りを数えるのは面倒だ。
登校して、思考を切り替えよう。




