hack 8
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その日の学校帰り、
寧音は近場のDOCOKAショップへ立ち寄った。
携帯電話の機種変更をする為である。
両親の許可もちゃんと降りたし、一応必要な資金も貰えた。
父と同行するのだけは回避して、一人でやって来た。
どうやら、この店が明里の友人が働いている店らしい。
正確には先輩にあたるらしいが、寧音にとってはどうでもいい。
キャリアの専門店で店内は広々として、結構な客が訪れている。
こうした売り物の携帯電話を見るのは何年ぶりだろう?
思い返せば、この電話を買った日以来、覗いていない気がする。
新機種の発表程度ならネットの情報だけで十分だし、
変える必要がないのに態々、新型のモックアップを触りに
来るほどガジェット好きでもない。
店内に展示されたモックや実機を触り、
最新のスマートフォンの感触を確かめる。
画面が大きく、片手では持ちにくい。
タッチ操作になれない寧音は試行錯誤しながら、
スマホの手触りになれて行った。
「お客様、何かお探しでしょうか?」
男性の店員が寄ってきた。
「あ、いえ……その……」
「そちらの機種は今月、発売になったばかりの新商品で、
当店でも人気が高いですよ。 ネットでの評判も上場」
「はぁ……」
「現在オレンジとブラックは在庫切れなのですが、
ホワイトとパールピンクならまだあと4~5台は残ってますね」
「あ、いえ、これじゃなくて……」
「どのような機種をお探しでしょうか?」
尋ねられても困る。
ネットで粗方情報は集めて来たとは言え、
実際に見て触るのとでは大違いだ。
人と話すのも慣れていないし、どもってしまう。
そんな寧音を店員がじっと見つめる。
「……お客様、もしかしたら、岩瀬寧音さんじゃないですか?」
突然、店員にフルネームを呼ばれ驚いた。
「やっぱり! 僕、君のお姉さんの友人って言うか、
同じ大学の先輩で木村って言うんだ。 話はメールで聞いてるよ」
そう名乗った店員は突然、営業口調をやめ、タメ口になる。
「いやー、こんな可愛い子だとは思わなかったなぁ。
その無感情っぽい目、お姉さんにそっくりだよ」
「君にお勧めの機種がある。 ちょっと待ってて」
木村と名乗った店員はその場を離れ、
別のモックアップを持ってきた。
「この機種なら、君の用途にピッタリだと思うよ。
5.3インチのフルHDディスプレイ、CPUも高性能で、動作もサクサク。
バッテリーの持ちも良いからネットもし放題。 どう?」
どう? と尋ねられても良く分からない。
ネットが出来ればそれで良い。 画面に関しては
なるべくなら大きいほうが良い。
パソコンと同じで、スペックも高いに越したことはない。
「エクスペリエントX4、ガラケーからの機種変だから……
今やってるキャンペーンや、オプション等の加入も必要になるけど、
割り引いてこの価格だね」
電卓を取り出し、数列を見せる。
「これをさらに二年契約、分割払いにすると、こんな感じかな。
持ってるポイントも使えるから、そうしたらもっと安くなると思うよ」
毎月、900円相当で、8万近くの携帯が買える計算になっていた。
これ以上機種を見て探すのも、考えるのも、
店員に纏わりつかれるのも面倒なので、これを契約することを決めた。
店員は満面の笑みで、ありがとうございます、と言い、
番号札を寧音に渡した。
機種変更する間、携帯電話を一旦、預けないと行けないらしい。
五年間お世話になった電話に暫しの別れを告げ、店員に後を任せる。
一時間ほど時間が掛かるらしく、店内で待つか、外出してるかの
選択を迫られた。
ネットが出来ず、携帯電話を持っていないも不安だ。
たった一時間の辛抱でも依存症の自覚がある寧音には些か苦悩を
伴う精神的問題。
行く所もない。
ネットカフェでも近くにあれば良いが、と考えながら、
どうしようと寧音は店内を見渡した。
すると、自由に使えるパソコンが三台設置されているのに気づいた。
使用者は一人だけ。 二つの席が空いている。
店内に居れば番号札が呼ばれた時、すぐに受け取れる。
ジュースを飲めるマシーンも置いてあり、既にこの場所が
ネットカフェみたいなものだった。
流石、キャリア専門店、サービスが良い。
寧音は躊躇いなく、携帯電話に囲まれた店内で待つ事を決めた。
パソコンを一時間ほど占拠していると、番号札が呼ばれた。
寧音は担当者の木村に言われるまま、書類を書き込み、サインをした。
これで契約完了。
五年間使ったガラケーは没収されてしまったが、
その分、更に割り引いてもらえた。
名残惜しい気持ちが沸くかと思いきや、新品のスマホを手にした途端、
寧音の心は一瞬にして奪われた。
早く帰って、弄りたい。
どんな事が出来るのか。
アプリを沢山ダウンロードしてみたい。
騒ぎ立てる感情に追われ、寧音は急いで帰宅した。
今日の空は曇り、夕暮れは姿を見せてはいなかった。
エクスペリエントX4、ネットで検索するとこれも最新の機種だった。
それも最新機種の中で、一番の高スペックを誇る電話。
二年の縛り契約があれど、これが毎月約600円で使えるとは。
内部メモリの容量も申し分なく、アプリや動画の保存に心配はいらない。 ネットもサクサク行ける。 おまけに防水機能付き。
お風呂でも気軽にネットが出来る。
完全無敵と言っても過言ではなかった。
明里の発言を思い出す。
確かに、これではネット依存が加速するだけかもしれないが――。
こんなに気分が昂ぶるのは何年ぶりだろう?
操作にはすぐ慣れた。
一通りの機能を試し、アプリのダウンロードも幾つか行い、
食事中、お風呂、全ての時間にスマホを持ち歩き、
気が付いたらその日は深夜を迎えていた。
ブログの更新や閲覧も圧倒的にやりやすく、
ガラケーとは比べ物にならない快適感に、こんなに便利なら
もっと早くにスマホへと機種変更しておけばよかった、と後悔すらした。
いや、今日まで待ったからこそ、この最新機種を手に出来たのだ。
スマホの操作を夢中で試していると、メールを受信した。
『――管理者』
「……」
高揚する気分も一瞬で萎えた。 台無しになされた気分に陥る。
『電話を変えることは出来たかな?』
寧音は唾を飲み込み、問いに答えた。
スマホからの初メールが、 『管理者』 と言うのは
何だか複雑な気分だ。
『それは良かった。 それでは早速、このアプリを送ろうと思う。
ダウンロードが終わったら、再びメールを返して欲しい。
そうしたら、アプリの説明をさせて貰う』
程なくして添付ファイルの付いたメールが届く。
ウィルスだったらどうよう?
と、寧音は当然のように戸惑う。
今日、店員にも教えて貰ったのだが、
最近ではパソコンだけではなく、スマホ向けのウィルスも
流行っているらしく、セキュリティの加入を勧められた。
いや、ここまで協力を仰いでおいて、今更ウィルスも無いだろう。
寧音は疑心暗鬼を振り払い、添付ファイルをダウンロードした。
2分程でダウンロードは完了した。
スマホの画面に、新しいアプリ――
『アナ/ログ』 と名付けられた蝶のアイコンが追加された。
『ダウンロードは無事成功したようで何よりだ。
そのアプリを使いこなせるのは君だけだ』
『順を追って説明しよう。 アプリを起動してみくれ。
そうしたらまた返信をして欲しい』
言われるまま、アプリを起動した。
ダウンロードに比べ、躊躇はなかった。
立ち上げると同時に自動アップデートが行われ、ver1.5になった。
最初に顔認証を設定するらしい。
カメラが勝手に起動し、自分の顔が映る。
AR機能か、自分の顔の周りを赤く光る蝶がぐるぐる飛んでいる。
「お嬢さんのお顔を登録しますです、はい」
「わわっ」
アプリが――ARの赤い蝶が喋った!
それもわりと可愛い女の子の声で。
「はい、登録完了なのです、はい。
とーっても、可愛いお顔をしているのです」
驚きに戸惑い、さっさと次の説明を求め、管理者にメールした。
『顔認証登録完了。 此方でも確認した。
アナ/ログは、AI機能を持っているARプログラムだ。
話しかければ返事を、設定を変えれば目覚まし時計にも使える』
『だが、そのアプリの本来の目的はクラスタの収集にある。
今より3年、いや、ムーアの法則によれば、2年未満でそのアプリはさも珍しくないありきたりな物と化すだろう』
『今、このスマートフォンが普及し始めた脆弱な時代に乾杯すべきだ』
『アナ/ログはバックグラウンドで起動させて置く事が出来る。
最もその分、バッテリーの容量を食らうので、そこは注意して欲しい』
『さて、まず君に試して貰いたい事がある。 もうそちらに届いているとは思うが、そのスマートフォンを取り出してみてくれ』
スマートフォン?
寧音は部屋の周囲を見回す。 視界に留まる小包。
自分宛の宅配便が届いていた事を今、思い出した。
外国のラベルが貼ってあり、海外から発送されてきたものらしい。
そう言えば、食事中に母親が外国からの宅配便が――などと
訝しく言ってもいた。
スマホの操作に夢中ですっかり忘れていた。
包みあけて、中身の電話を取り出す。
使い込まれた誰かのスマートフォンのようだった。
最近の機種とは違い、何処か数年前の古臭さを感じさせる。
『そのスマートフォンの契約主は既に他界している。
だから、個人情報が流出しようが何の問題もない。
アプリを起動したままの状態で、ログと呼んでくれ』
ぞっとした。 もう死んだ人間のスマートフォン?
生理的にそんなものは触りたくないと拒絶反応を起こした。
身内の遺品等なら、ともかく見知らぬ相手の遺品など
刑事ドラマでもないのに、どうして触らないといけないのだ。
潔癖症な部分も働いて、態々ゴム手袋を用意してから、
メールの内容に従う事にした。
「……ログ」
すると、飛び回る光る赤い蝶の他に、今度は青い光を帯びた蝶が現れた。
「あんたが新しい使い手か」
赤い蝶とは違い、やや活発的な男の子の声だった。
「使い手……?」
「ふん、まあいい。 とりあえず、そいつを収集すれば良いんだな」
青い蝶は寧音のスマホの画面に映っている、
誰かのスマートフォンの中へと消えて行った。
アプリの画面に表示される。
《固体番号SHE-××××―××××―××××認証完了。
登録者名 吉岡広樹》
持ち主本人の顔らしき画面が映る。
中年のおじさんだった。 これはこの人の携帯電話か。
《ハッキングを開始しますか?》
画面に映る、YesとNoの文字。
思わずYesをタップしてしまった。
画面が切り替わり、ダウンロードの表示が現れる。
《固体番号SHE-××××―××××―××××の
ハッキングを開始しています。
進行率
3% 6%、9% 15% 26% 31%――
約1分ほで、
ハッキング完了》
と表示された。
《拡散》 《転送》
《保留》 《抹消》
四つの選択画面が出てくる。
『ハッキングが成功したようで何よりだ。
ハッキングに成功すると、そのように四つの選択肢が出てくる』
『《拡散》 これはネット上に、圧縮されたスマートフォンの情報を
流出させる機能であり、《保留》 はハックした良いが、
使い道の分からない場合に保存しておく事が出来る機能だ。
ただ容量の問題で保留出来るのは二件までだ』
『次に、《転送》 これが君にとって最も重要な機能になる。
詳細は後に送らせて貰うが、君がハックしたデータを我々に
転送してくれれば、それだけ計画は進行を早めるだろう』
『最後に《抹消》 とは、ハックしたデータをその名の通り全て抹消する。 つまり相手の電話を初期化――
出荷状態に戻す事が出来る。 これをどのように使うかは君に任せる』
任せると言われても困る。
『さて、ここで転送についての説明をしよう。
我々が欲しているクラスタは、F社のfOSを持つ2500件以上のデータと
GG社が開発しているAOsのデータ3000件分だ』
『膨大な数に思えるかもしれないが、スマートフォンが普及している
現在、君の住んでいる地域も相俟って達成は安易だと考える』
『但し、注意して欲しいのは、同じ相手からの転送は一回のみになる。
期間は明日から、一ヶ月もあれば十分だろう。
達成した暁には、我々の計画は次のステージへ進む事が出来る』
『その他、アプリの詳しい使用方法はアナ/ログに直接尋ねてくれ』
それでは検討を祈る――。
そう、残されてメールの受信は止まった。
寧音はとりあえず、今ハックしたばかりのデータを転送した。
転送されたデータは自動で消え去った。
寧音は一息吐く。
それから、何処の誰とも知らない遺品のスマートフォンを、
自分の部屋のゴミ箱――ではなく、リビングのゴミ箱へと捨てた。
三章 アナ/ログ
完結




