hack 7
※
それは本当に偶然の出来事だった。
いや、予期せぬ副産物と言うべきか。
彼は大学のデータベースの管理を任されてから、
新たなデータベースを開発した。
約半年もの時間を要したがようやく完成に至った。
しかし――これには重大なバグが存在した。
「ね、前に私の書いたレポートの記事、見つからないんだけど?」
「俺の課題提出もねえぞ」
「先輩の論文、あれまだ読んでる続きだったのに
読めなくなってるんだけど」
相次ぐ苦情と文句に、彼は自分の改善した
データベースのトラブルを探った。
そして――見つける。
改善した新たなデータベースには、
データを検出する機能ではなく、“消去”する機能が
無作為に働いていたのだ。
それも消えたデータは永久に復活させる事が出来ないバグが――。
彼はこれに思いつく。
このバグはバグではなく、あるべき正しい使い道を。
最近、友人の個人情報が流出した。
この機能――バグを使いこなす事が出来るのなら、
友人を救えるのではないか?
彼は再び、データベースの研究に潜り込む。
それからは大学に顔を出さなくなり、
退学届けも、休学届けも出す事なく、ただ取り憑かれたように、
作業を黙々と続けた。
数ヶ月の末、やがて完成する――。
ネットワークを経由をし、情報を抹消する事の出来る
データベースが。
※
その日の夜、自分の存在が
ロボットみたく鉄の塊の類に思える夢を見た。
「携帯電話、そろそろ変えたいんだけど」
朝食の時間、寧音は脈絡もなく言った。
何時の間にか帰宅していた姉――明里も一緒に、
家族団欒とはならずとも、久しぶりの家族四人の姿が
岩瀬家のリビングルームにはあった。
何日ぶりだろう、と寧音は思う。
明里は目の下にクマを作り、肌も健康的とは言い難い。
酷く疲弊した様子だ。
一体、大学で、いやプライベートで何が起きているのか、
気にはなったがそれを追求したりはしない。
テレビ番組は徐々に、日常のワイドショーを取り戻し、
スマトラ島沖の地震を扱うニュースも少なくなって来た。
他国の事情などその程度のものなのだろう。
「そうかー、寧音、今の使ってどれくらいになる?」
父親がトーストを齧りながら言う。
「五年、もう少しで六年ぐらい経つかも」
「ただでさえ、携帯、ネット依存症なのにスマホなんか
持たせたら余計に悪化するだけなんじゃない」
無気力な声で明里。
「スマホって基本料金も変わるんでしょう?
これ以上の出費が増えたら破産しちゃうわ」
「そこは乗り換えとか、一番安いプランで何とかするから」
寧音は反対されるのを覚悟で、反論の言葉をストックしていた。
「多分、今の携帯とそんなに変わらないと思う……」
「変わるのはネット依存のレベルのほうかもね」
横槍を入れる明里だが無視する。
「まあ、もう五年も使ったんだったらそろそろ変えても
良いかもしれないな」
「お父さん」
「今時、ガラケーなんて使ってる人、学校でもわたしぐらいだし」
「あんた、学校に友達なんていないでしょう」
「お姉ちゃん、うるさい」
昔の明里はもっと、名前の通り明るくて優しい姉だった。
なのに今では、この無気力感と怠惰な様子が別人に映え、
嫌みまで語るようになり、過去の大好きだった姉の面影はない。
「でも、どうしていきなり電話を換えたいなんて」
母親はパンにジャムを塗りながら言う。
「今の携帯じゃ出来ることに限界があるって言うか……」
スマホに変えれば、様々なアプリや恩恵を得られ、
明里の発言ではないがネットをもっと身近に感じられる。
これまでスマホに興味は無かったが――。
『君に協力してもらう為に、一つのアプリケーションを用意してある。
今から転送するので、受け取って欲しい』
『管理者』 はあれから、そう言って、話を進行させていったのだが、
寧音が未だガラケーを使っている事を知り、それでは協力は難しい、
と説得され、アプリを使うには、最低限、二年前の
スマホのスペックが必要だと言われたのだ。
そうしてスマホを調べているうちに興味が沸いて、
管理者の件とは別にスマホを持ってみたくなったのだった。
「確かに。 今じゃ便利な機能も沢山あるからなぁ」
「便利すぎて依存度もうなぎ上りね。 メッセージアプリなんて
使ってたら、あんたの人生、破綻するわよ」
「別に友達いないし」
姉妹の喧嘩を母親が制する。
「お金はあるの?」
「乗り換えれば0円になるみたい」
「二年縛りの契約があるけどね。 あんたに我慢出来るの?」
五年間も今の機種を使っていたのだ。
二年縛りぐらいどうって事はない。
ふむ、と父親と母親は顔を見合わせる。
「それなら、明日にでも見に行ってみるか」
「え、お父さんと?」
「もし契約するなら、なにか書類とか印鑑が必要なんじゃないのか?」
「印鑑は必要だけど、今時、そんな面倒な契約必要ないし」
姉は朝食を食べ終え、席を立とうとする。
「夕飯まで寝るから起こさないで」
明里はそう言ってリビングに背を向け、部屋へと戻って行く。
「あ、そうそう、友達がバイトしてる店があるから、
もし買いに行く気あるなら紹介するけど」
と、振り返りざまに、そう残して二階へと階段を上がって行った。
※
「チクタクチクタク」
「チクタクチクタク」
「チクタクチクタク」
外は晴れ、朝にも関わらず部屋には一筋の光すら射し込まない。
真っ暗な部屋で、アナログ時計の針が回る息づかいが不揃いに響く。
明里は256――
いや、それ以上の時計に囲まれた異質の部屋の片隅で、膝を抱えていた。
突然、失踪した彼氏――加藤の行方が分からず、もう、何ヶ月になる?
彼は大学のデータベースの改善を成功させ、
やり遂げたと言った様子で、毎日が楽しそうだった。
だが、ある日突然、その笑顔は消え、
何時しか人が変わったかのように、何処か狂気染みた
雰囲気を見せるようになった。
原因を尋ねても、今はまだ答えられない、関係ない、の一点張りで、
彼女である明里は彼氏との距離感を感じ、
自分が彼の役に立てない事にもどかしさを感じていた。
加藤は大学を欠席し続けた。
ある日、ひょっこり、そんな彼がサークルに姿を現した。
『このアプリを使って、世界の本性を暴け』
意味が分からなかった。
『インターネットってのは醜い情報で溢れ返っているんだ。
0と1、データと言う名のゴミの掃き溜め』
『もし神が存在するのなら、これはほんの少し叡智を借りた
出来事に過ぎない』
『知りたい情報を知り、知られたくない情報を知られる――
僕はもう、うんざりなんだ』
彼そのアプリを 『アナ/ログ』 と呼んだ。
この時はまだ一つの意味も分からなかった。
続けて彼は、 『メビウス計画』 と呼ばれたそれの説明を始めた。
メビウスと言う、未来永劫、解けない、
ネットワークの輪から全てを解放する――。
そんな意味の込められた計画だと。
サークル仲間の全員が、驚愕した。
絶句し、言葉も出なかった。
この世界中に広まった、そして今もまた広まりつつある、
全てのインターネットを解放し、抹消し、初期化する。
余りにも馬鹿げた計画。
演劇部に頼まれた脚本か何かか?
誰もが彼の正気を疑った。
だが、加藤は本気だった。
あの時の彼が放つ尋常ならざる、狂気は今でも忘れられず、
思い出せば、鳥肌が立つ。
かつて、明里が好きになった加藤の眼ではなかった。
『見てくれ』
加藤は自分のスマホにインストールされているアプリ
“アナ/ログ” を起動した。
『今からネット上にある、とある情報を完全に抹消する』
そう言って彼は、
『○×大学 内木勝正 情報流出』 と打った。
明里との直接的な面識はないが、
確か加藤の友人で同じゼミを取っていた人物だったはず。
何ヶ月か前、彼のパソコン内の個人情報が流出し、
校内で少し騒ぎになっていた。
《インターネット上に存在する “○×大学 内木勝正 情報流出”
に関するデータを検索中》
《検索時間44秒、結果106件、削除しますか――?》
内木勝正、個人情報流出のキーワードを含むホームページが
複数表示される。
まとめサイトまで作られていたなんて。
加藤は、“全て” にチェックを入れ、
まとめて削除する、と表示されているボタンに、Yesと手を添えた。
『このアプリはまだ未完成だが、7割方は完成している』
少し待ってから、
『よし。 どうだ、君らのスマホでも何でもいい。
僕と同じように、彼の名前を検索してみてくれ』
言われるままに、みんなはその名前を検索した。
再び驚愕する。
《検索時間0.03秒 検索結果0》
つい今、106件表示されていた情報が、0になっていた。
『検索エンジンを経由するサーバーに少し細工をした。
そしてキーワードに関する情報を全て抹消した。 痕跡はなく、
復元される心配もない』
誰も言葉が出なかった。
『だが言った通り、これはまだ完成していない。
今、出来るのは精精この程度が限界だ。
それに、何度も使用すればいずれは気づかれ、
痕跡を残してしまうだろう』
『完璧な物に仕上げるには更なる改善が必要だ。そして、
またそれとは別に作業の効率アップの為、より多くの検索エンジン――
ロボットを破壊する為のウィルスを開発中だ』
『アナ/ログで情報を収集し、それを
クラスタへと変換させる。 ウィルスはそのクラスタに関連した
キーワードの全て抹消してくれる』
『僕はこの研究に人生を掛けた』
加藤は岩瀬明里を見た。
『このメビウス計画の続きを、君に継いでもらいたい――』
『ど、どうして私なの』
全く意味が分からない。
『どうして? これは君の妹を救う為にもなるからだ。
とある病院のデータをハッキングした時、偶然にも
君の妹のデータを発見してね。 大丈夫、消去まではしていない。
だが、その後遺症は僕の計画で同時に治すことが出来る』
加藤はその詳細をまとめたレポートを明里に渡した。
その後、彼は小声で、『もう――ではここまで―限―なんだ』
と、も言ったが、それを耳に出来たのは明里しかいなかった。
明里は幾日か戸惑い、考える。
妹の事――メビウス計画の事。
それに彼が残した言葉の意味を。
今度は、明里の友人の個人情報が流出する。
騒ぎになるほどの大事には至らなかったが、これら頻繁に発生する
偶然か必然かの、ネットワークに潜む悪意の化身。
明里の決心が固まった。
このネットワーク上に存在する、
全ての醜い情報を――加藤の意見には少なかれ
同意できる部分もあった。
もしそれを掃除することが出来るのなら――。
明里はサークルの仲間に、加藤の計画を引き継ぐ為の協力を頼み込んだ。
アナ/ログの実力を間近で見て居るサークルのみんなは、
明里の説得に頷いて、協力は惜しまないと言ってくれた。
加藤は明里の返事を聞いた後、何処か安心した笑顔を最後に見せ、
アプリ 『アナ/ログ』 を残したスマートフォンと、
開発データの資料を残し、行方をくらました。
「チクタクチクタク」
「チクタクチクタク」
「チクタクチクタク」
寧音が見ている256の世界とはどんなものなのだろう。
彼が見ていた世界はどんな0と1だったのだろう。
少しでもそれを身近に感じたくて、かき集めた256の時計。
アナログ時計の針達は決してみ合う事がなく、
不揃いにカチカチと音を鳴らす。
デジタル時計でさえ、コンマのズレを生じて時間を刻む。
どの時計が本当の時間を表しているのか。
どの時間が本当の世界なのか。
しばらくじっとしていると、頭がおかしくなりそうになる。
体内回路を蝕み、視界が揺れてくる。
岩瀬明里は256の世界と、0と1の仕組みに、吐き気を覚えた。




