hack 30
「ほら、もう効果が現れてきた……。
あなたの脳は今、必死でコンセントを探している状態。
このまま行き着く先の回路が見つからなければ――死ぬわ」
「え……」
「でも大丈夫。 絶対に死なせはしない。
知ってる? 人間の脳細胞は毎日10万個以上も死んで行ってるの。
だけど同時に、新しい細胞も生まれてきている。
この停電が復旧すれば、悪い脳細胞はきっと全て死滅して
作り変わった脳細胞と共に、きっと良くなる」
「だって私は岩瀬寧音の本当の妹。寧音は私のお姉ちゃんなんだから」
明里は妖しい瞳を持って寧音へと近づいてくる。
「覚えてる? 実験はこれで終わり。 もう全てが終わる」
そう言って、
「大丈夫、怖くない――」
ゆっくりと近づいた顔に、明里から唇を重ねられる。
甘く、蕩けるような――安らかな麻酔にも似て。
「今まで、良く頑張ったわね。
おやすみなさい、お姉ちゃん――」
寧音の意識は遠くなり、
明里の言葉は透明な風となって、消え、
全てが歪んで見え――256の世界が始まった。
※
今の寧音に、言葉は届かない。
眠りに墜ちているのか、静かに死んでいるのか。
呼吸を確かめる事で、
脈を測る事で、
今の寧音に、言葉は響かない。
何を語っても、彼女の身体の感覚器官は凍結し。
脳は君に夢を見せ、
命を知る事で、
意味もない独り言。
そう――これは、全部、独り言。
※
静寂――何時もの場所に堕とされる。
世界は分裂し、一つだった世界は二つになり、
二つだった世界は四つになる。
四つの世界は八つの世界に化け、八つの世界は十六の世界に増殖する。
その数はやがて256と言う感覚に止まり、
コマ送り状態で自分の周りをぐるぐる浮遊し始める。
何時ものあらすじ。
だけど、今日のこの空間は何時にも増して色が薄く、
ぼやけて見える。
普段なら、必死になって出口を探す所だが、今はそんな気力すらない。
むしろ真逆で冷静で居られている。
もう何処の世界にでも堕として――と、開き直れてしまう。
抗う事が無駄だと知っている。
どうせ、これら全部(256)は自分のイカれた頭が生み出し、錯乱した
深層心理の風景描写に過ぎない。
幾ら怯えても、別世界で目を覚ます事などはなく、
普段の現実へ引き戻されるだけ――。
脳細胞は死滅して
脳細胞は死滅して
脳細胞は死滅して
記憶と情報を引き継ぎ、同じ肉体で生まれ変わる――
意識を自我を持つ――。
※
電話が鳴る。
「――案の定、失敗した」
「でしょうね。 そんな簡単に出来る事じゃないもの」
「全部、無意味だった」
「お疲れ様」
それだけ言って電話を切った。
メビウス計画は失敗に終わった。
元々成功する確率など皆無に近かった。
見よう見まねのハッカー気取りの手段が、そう簡単に
電子世界を支配出来る訳がない。
だけど、明里は寧音の後遺症を治す為にと、
今日までその計画を続けて来た。
ネットワークの初期化――それを行うには、圧倒的に技術が足りない。
少なくとも、今の科学で証明出来る範疇を超えている。
“彼” にだって分かっていたはずだ。
だからこそ、そこに潜む魅了に取り憑かれた。
それは確かに、不要な情報は多く、
知りたくない情報を知られることもある。
だけど、それが今の現代の仕組みだ。
組み立て直す事は出来ない。
海中で暮らす、イルカ達のネットワークを、
絶滅させる行為のほうがまだ現実味がある。
ネットワークがなくなった世界など、原始時代以下。
※
もういいよ、それで。
※
通話を終えた兵藤には、最後に停電を復旧させる仕事が残っていた。
だが――。
耳を劈くような音が聞こえ、思わず身構えた。
明かりのない窓の向こうから――あれは、ヘリの尖端――?
プロペラが、機体が――アンバランスに揺れながら、
今、丁度、自分の居る場所へ向かってくる。
命の危険を感じた時には遅かった――。
兵藤の潜む雑居ビルに――ヘリコプターが衝突して、
全てを巻き込み、崩壊した。
嘘だろ……こんなの。
そんな思考は即効で否定された。
「そりゃそうだ……この、そ、空には――
何千もの、飛行機が飛んでる……
電磁波をいじくったこの現状、制御を失った飛行機が……
墜ちてきても、不思議じゃない――」
※
停電が復旧する予定時刻になっても光は街に戻らず、
相変わらず、闇に包まれたまま。
このままでは、寧音の完全に脳細胞は死滅してしまう。
電話を切らなければよかった、と思い、兵藤へ電話を掛ける。
だが、繋がらない。
窓の外の方からものすごく大きな音が響いて、
外を見渡すと、、何台かのヘリコプター、その内の一機は旅客機が、
不安定なモーションで空を踊っていた。
そして次から次へとビルや都市に墜落していく。
「なにこれ……」
こんな事態、想定外だ。
青木の仕業か? いや、今の彼にハッキングできる術はない。
アプリ 『ロジカ』 は証拠隠滅の為、アンインストールしたはずだ。
青木に電話を掛ける。 繋がらない――。
寧音の元へ戻る。
呼吸は浅く、体温も下がっている。
「どうしてこうなるのよ!」
明里は真っ暗な、誰もいない教室で叫んだ。
施す手段はない。
握り締めていた腕、寧音の脈が止まる。
「そ、そんな……」
停電の復旧と共に、繫ぎなおされる後遺症――脳の遺伝子回路が、
正しく接続されれば寧音の後遺症は治るはずだった。
それなのに、停電は復旧の気配を見せず、仲間との連絡すら取れない。
地獄を味わっている気分だ――。
一体、何が起きている?
停電の仕組みはそう難しいものじゃない。
兵藤が、電力会社にハッキングを仕掛けて、
都市部へ提供される電力を強制的に引き上げ、
意図的なシャットダウンさせただけ。
電力を元に戻せば、すぐに復旧するはずなのに――。
こうなったら、此方から電力会社にハッキングを仕掛けて、
復旧させるしか手立てはない。
明里はそれならとすぐに行動に移す。
学校のパソコン室へ急ごう。
けれど、寧音を置いていくことも出来ない。
明里は覚悟を決めて、冷たくなりつつある寧音を背負い、教室を出た。
足早に廊下を駆ける。
以前あったパソコン室へ向かうと、そこは資料室へと変わり果てていた。 卒業してから何年も経っている。
学校内で教室の入れ替えがあってもおかしくない。
パソコン室を探す、とにかく、探すんだ――。
三階の端の教室にパソコンルームは存在していた。
向かい合って二部屋用意され、パソコンの数もより増えている。
だが、型番を見て驚いた――。
「これ、私たちが使ってたものと同じじゃない……」
全くスペックの変わらないパソコン、黄ばんだキーボードが、
そこには鎮座しているだけ。
これではパワーがなく、ハッキングどころではない。
万策が尽きた。
このまま寧音と心中でもしようかと心に魔が差す。
ご都合主義の助けは来ない。
こうしている間にも寧音から温もりはどんどん失われて行く。
だって、こんな大停電の中で人なんて来るはずない。
人なんて――。




