hack 20
防空壕から出た時はもう、外は完全に夜を迎え、
夜空には、曇の隙間から欠けた月が姿を見せていた。
都市は地上に光りを降らし、建物はネオンを纏って、
昼間の雰囲気とは一変している。
死んだ都市が――今この時間になって、生き生きした様子を見せる。
それから寧音は半日以上、警察署の中で過ごし、
様々な質問攻めを受けた。
深夜を回り、署の中で毛布を借りて一眠り。
眠れる訳がないと思ったが、思いの他、目を閉じたら
スグに意識は遠くなった。
寧音は被害者として丁重に扱われたが、
解放された時には、一晩眠っても、その精神と神経の消耗で
身体は疲労のピークを迎えていた。
安達ら三名と、男一人は逮捕され、留置所送りとなった。
この騒ぎは以降、学校で持ちきりになること間違いないだろう。
しかし考えると寧音は登校に憂鬱を覚える。
ほとぼりが冷めるまで欠席しても良いかもしれない。
むしろそうするべきが自然の対応だ。
寧音の母親と学園側から派遣された校長と教頭、
そして担任が話している。
寧音は高層ビルの天辺を見上げる。
天空からの侵略者を威嚇するかのように、赤いランプが明滅している。
朝に拭く風に震える。
どうやら、母親と教師ら会話が済んだらしい。
寧音は、暫く学校の欠席が許された。
その代わり母親には、明日、精神科へ行くことを進められた。
そろそろ通院の日も近いので丁度良い頃合だったかもしれない。
今回の顛末をカウンセリングしてもあのヤブ医者には、
どうにでも出来ないだろうが――。
帰宅すると、玄関先に姉のブーツが置いてあった。
珍しく帰宅しているらしい。
帰宅した気配を感じ取ったのか、部屋から出てくる。
「……大丈夫だったの?」
「うん――」
「自業自得なことでもしたんじゃない」
「ちょっと、明里――」
母親が仲裁に入る。
「……寧音、これ、忘れ物でしょう」
そう言って突然、投げ渡される。
運よくキャッチしたそれは、携帯電話――
寧音の無くしたスマートフォンだった。
「ど、どうしてお姉ちゃんが……」
「ライブの時の停電で落としたらしいじゃない。
麻耶が拾っておいてくれたのよ」
「麻耶さんが……」
道理で見つからないわけだ。
麻耶が拾ってくれていたのなら警察より、
知人である明里に渡す可能性のほうが高い。
「何処行くの……?」
「何処でも良いでしょう」
姉はそのままブーツを履きこんで玄関を出て行った。
母親も、明里のそれにはもう呆れているらしく、何も言わなかった。
その日の、夕食はあまり食欲がそそらず、半分以上残した。
風呂も面倒だが、身体全体が気持ち悪いので、
一時間以上、ゆっくり入浴して身体の穢れを落とした。
湯船の中に沈んでゆく――。
顔を浸ける。
目を閉じる。
思い出してしまう、恐怖。
あのまま、あの男に何かされていたらと思うと、怖くて仕方ない。
現場では割と平然としていられたが、
緊張が抜け切った今にって、麻痺した感情が蠢き始めた感じ。
最悪な事態を想像する。
心理的外傷になりかけている。
あのまま、犯されていたら――
ネットに流出し、誰かの慰め物になるのなら――
考えただけで、吐き気が催される。
けれど、矛盾する。
それと同じ経験をした人物が身近に居た事。
それと同じ、因果を辿る事になるかもしれない行動を
今の自分がやっている事。
身に染みる――寧音の心の中に疑問が沸く。
このまま、ハッキングを続けていて良いのだろうか――。
溺死寸前まで顔を沈めた寧音は、顔を上げ、
そのまま天井の蛍光灯を見上げた。
『今から計画を降りることは許可出来ない。
君は我々と協力を結ぶ時に、覚悟していたはずだ。
もう、引き返せない所まで来ている』
『君の成果は、良くやってくれていると思う。
このままの調子で続けてくれれば、我々の計画も着実に進むだろう』
管理者にメールを送ったら、案の定な答えが返ってきた。
『それに君は忘れているかもしれないが、
我々の計画はこの世界のネットワーク全てを抹消し、
初期化することにある』
『そしての延長線上に、君の病を治す可能性があることを。
もう一度、考え直すと良いだろう』
自分の病を治す――あの256の世界を見る、発作。
産まれた時、看護師によるミスによって生死を彷徨った。
その後、長い年月を掛け、手術と治療を繰り返した。
各医療現場の人たちおかげで、寧音は一命を取り留めたが、
その代わり脳には後遺症が残った。
医師らは、それを障害と呼ぶが――。
「……」
考えても仕方が無い。 確かに 『管理者』 の言う通りだ。
もう自分は此処までやってしまったのだ。
この程度の事で逃げ出すわけにはいかない。
手遅れなのだ。
寧音は最後まで、計画をやり遂げ、病を治す――
それだけを心に誓いなおし、今日は疲れた身体を休ませることにした。
高層マンションの建築は着実に進んでいる。
以前垂れ下がっていた幕が剥がされ、
窓ガラスは太陽を反射させ、眩く光線を放っている。
100メートル以上の空中にある巨大クレーンは
今日も圧倒的な存在感を放ち、今だけ、
腐った都市の異物――象徴になっている。
通院は面倒だが薬がない。
あのヤブ医者と会話するのは面倒だが、
処方箋を書けるのは医者だけだ。
母親にも今日は特に通院するよう強く言われたので、渋々家を出てきた。
高層ビルの16階にある、襟原メンタルクリニックを訪ねる。
ビルの中は極めて清潔で、磨かれた大理石の床は
歩く人々の足音を細かく鳴らし、淡くその姿を反射させる。
大手企業も複数入っており、エリートなビルディングと
言っても過言ではないだろう。
昼前なので混雑しているかと思いきや、
待合室には二人しかいなかった。
今日も気分の悪くなる、オルゴールが再生されている。
有名なヒット曲をオルゴールにアレンジしたもの。
この曲を作曲した人達は、このような場面で、
精神安定剤の類として使われていることを知ったら、どう思うのだろう。
元々、音楽など傷ついた心を癒す、精神安定剤みたいなものだが。
歌手は思いの腹をぶちまけ、視聴者はそれを精神に取り込む。
寧音は音楽の仕組みを、そう解釈していた。
だから音声のないこのオルゴールは余計に気持ちが悪い。
診察券を受付に出し、座って待つ。
一人最大20分が診察時間なので、下手をすればこの二人と、
今、診察を受けている患者を含め、40分以上は待つ必要がある。
バッテリー100%のスマートフォンを取り出し、無意識に
『アナ/ログ』 を起動した。
「久しぶりだな」
「寧音様、お久しぶりですの」
院内でアナとログが話しかけてくる。
懐かしく感じる声と共に、無意識にはハッキングのボタンに手を添えた。
「……ん、どうした」
「……いや、別に」
躊躇ったが、ハッキングを開始した。
現在待合室にいる二名のスマホからデータが収集されていく。
《拡散》 これだけはやめて置こう。
そう思った。
もう他人の個人情報をネットにバラ撒いて俯瞰するのは止めにする。
《転送》 だけして、とっとと計画を進行させてもらい、
この忌々しい病を治し、通院共々終わりにしよう。




