hack 13
※
「間違いないです――はい」
遺体安置所にて、その女性は、彼の遺体を改めて確認した。
家族の方も一緒に、父母、揃って涙を浮かべていた。
「どうしてこんな……」
「自殺するような子じゃなかったのに……」
同じ大学で、同じサークルに入って、親しい間柄であった彼女は
警察から様々な事情聴取を受けた。
彼の研究については一切、口にしなかった。
「私にも一体、何が原因なのか分かりません」
恐らく発端は、大学のデータベースの管理を任された作業から。
そして、彼が改善した新たなデータベースには検索ワードを
『表示』 するのではなく、 『抹消』 するバグの存在があった事。
その後、彼は 『バグ』 に取り憑かれたように研究に没頭した。
ネットに存在する穢れた情報を初期化する為に、と、抱負を掲げて。
何時の日か、突然サークルに顔を出したと思えば、
それら旨の経緯を説明し、一つのスマートフォンを明里に託して失踪した。
孤独な研究で、孤高の戦いだったのだろう、
と当時の彼の疲れ切った表情を今でも鮮明に覚えている。
「今のところ、遺書は見つかっていませんが――」
警察の人は、一枚の紙を取り出した。
「こんなものが、彼の自室の机に置いてありました」
そこには一言だけ、
『この世界の不浄を暴いてくれ、そして本性を知れ』
意味が分からないようで、分かる。
ネット上の全てのデータを抹消する、これが彼の夢物語。
そんなの現実的に無理に決まっているではないか。
けれど “実行” 出来なくはない。
彼が自分を病ませ、そこまで追い込むほどに集中した、研究の成果。
せめて、それを披露することぐらいなら、結果はどうあれ、
出来るのではないか。
それがあの娘の治療にも繋がるのなら、尚更に。
彼が名付けた――メビウス計画。
彼はその顛末を見届けず、この世界から姿を消した。
※
とてつもなく面倒なことになった。
学校では朝から体育館で集会が開かれた。
700人以上の生徒が同時に集まる。
これは良い機会だとハッキングを開始するが、
校長の話の内容は重く暗い。
周囲ですすり泣く生徒もいて、居心地が悪い。
不思議と不謹慎とは思わなかった。
桐ヶ谷奈々果の自殺の件について、校長は涙を拭いながら、
30分も語っていた。
寧音は周囲の雰囲気に乗せられて、改めて考えて見る。
自殺の原因は間違いなく、個人情報の流出だ。
そして、その原因が寧音自身にある、と彼女は疑いを止めなかった。
だとしたら、彼女は自分を恨みながら自殺したのではないか?
そう考えると、普段はネット以外に興味もなく、
冷え切った心の持ち主である寧音にも背筋がぞっとする、感覚が走った。
不覚にも動機が早まる。
ダメ、今はダメ。
手足が、頭が痺れてくる――。
この場から急いで脱出しないと、綺麗な空気を吸って、
深呼吸を繰り返す、防げなくてもたったそれだけで発作は楽になる――。
700人を超えるごった返した空間を自在に動き回れず、
出席番号順で並んだ隊列を乱す事も出来ず――寧音の世界は暗転する。
世界が蒸発した。
宇宙から消えてなくなる。
「256の世界へようこそ――」
放課後まで意識を失い、保健室で目を覚ます。
校長先生の長い話の間に倒れる、良くある生徒の一人――。
そんな扱いを受ける目をした保険の先生。
家族を呼ぶかと先生に言われたが、断りそのまま帰宅した。
陽も暮れた時間、帰宅すると、珍しく明里と玄関の外で出くわした。
黒い服――喪服を着ている。
「何かあったの……?」
「知人が自殺したそれだけよ」
冷たい声だった。
「奇遇、わたしもこれからお葬式に行くの、クラスメイトが自殺して」
「へえ、お気の毒に」
お互いのやり取りはそれで終わった。
酷く、耳障りな不協和音、鳴くカラス――不吉な予兆。
不安定な淀んだ空気が肌に触れた気がした――。
葬式の後、寧音は奈々果の彼氏に呼び止められた。
「ちょっと良いかな」
場所を移して、二人きりになる。
「これは僕のせいなの? それとも、本当に君のせいなの?」
寧音はかぶりを振った。
「分からない、でもウィルスの感染経路は私じゃない」
何度も説明した。
寧音はCDにウィルスなど仕込ませていないし、仕込ませる理由もない。
勝手な推測によれば、やはりどちらかのパソコンがウィルスに感染
していたとしか思えない。
「君、ネットに詳しいんだっけ?」
「……まあ、ネット関する事だけなら」
「だったら僕のパソコン――いや、このCDだけ、だけでも
確かめてくれないかな?」
鞄から何時の日か寧音が渡したマニュコンのCDを取り出した。
「……分かった。 調べてみる」
断れる雰囲気でもなかったし、否定も出来なかった。
寧音にとってもこれは面倒な問題だ。
他人事で済ませられるのならまだしも、自分を恨みながら
死なれたのだとしたら、気分が悪いなんてものじゃない。
毎晩悪夢を見て、うなされても良いレベルの誤解。
「一応、僕のパソコンには、ウィルスの感染らしき物はなかったよ」
「そう」
彼は悔しそうに下を向いた。
奈々果とは正反対に、自分を責めている風だ。
「何か分かったら連絡して欲しい」
以前に彼から持ったメールアドレスと電話番号の書かれた紙が
しわくちゃになりながらも、ポケットにまだ入っていた。
寧音は分かった、頷いてその場を後にする。
独りに残される彼は、スマートフォンの画面を見つめながら嗚咽を上げる。
寧音はなんとなく悟った。
自分もスマートフォンを取り出す。
二件まで登録出来る 《保留》 してある、彼のデータを選択した。
躊躇い無く 《抹消》 ボタンを押した。
これで彼から桐ヶ谷奈々果という存在は完全に消え去った。
戸惑い声が背中で聞こえてくる。
スマートフォンが突然、フリーズでもしかたのように。
「おい、よかったのかよ」
「もう死んだ人間に未練を残されたくないだけ」
「しっかし本当に残酷だな、お前。 オレが言うのもなんだけどよ、
ハッカーにさせたくないやつナンバー1」
ログの言葉は無視して、寧音は路地の角に消えた。
帰宅して、玄関に塩を巻いて、部屋に篭る。
明里のほうはまだ帰宅していない。
夕食と風呂を終えてから、ようやく自分の時間。
念の為、今は使っていない一昔前のノートPCを取り出し、
一度、アンチウィルスのアップデートを行う。
次にネットを切断し、マニュコンのCDを挿入した。
ウィルスがあるのなら検知されるはずだ。
寧音は徹底した環境でウィルスを検査する。
何もない。
脅威の数は0――。
次に音楽プレイヤーを立ち上げ、ノートPCにイヤホンを繋ぎ、
マニュコンの音楽を流す。
自分のコピーした 『インターフェース』 で間違いない。
全曲――1時間6分、視聴した。
特に不振な点は見当たらない。 見当たるはずもない。
一度PCに取り込んで、MP3に変換、それからCD-ROMに焼いたのではなく、
直接、CDから焼いたのだからウィルスが侵入する隙間などない。
元々、寧音のPCが感染していた、と言うのなら話は別だが、
そんなものは毎日更新されるアンチウィルスの定義バージョンと、
自動検査で脅威が見つからない事は証明済み。
やはり原因は、彼か彼女のPCにあったとしか思えない。
高橋真人――彼のPCが既に感染し、桐ヶ谷奈々果のPCに染ったのか、
それともその逆か。
どちらにせよ、寧音に責任はない。
これ以上、考えるのは堂々巡りで時間の無駄。
「パソコンのハッキングは出来るの?」
「力士に赤子を握りつぶせるか、と言ってるのと同じだぜ」
無理らしい。
「パソコンのパワーと電話のパワーを比較すんなよ」
「ま、わたしの責任じゃない事だけは分かったからいいかな……」
これ以上調べるのもの面倒だ。
椅子の背もたれに思いきり寄りかかる。
ネットを巡回し、ブログを更新する、何時ものテンプレーション。
23時を過ぎ、眠気が襲ってきたころ、
頭に妙な不信感が浮かんだ。
恨みながら死なれたのなら良い迷惑だ。
彼へのメールは簡単に済ませておいた。
今日はもう、寝よう。
悪夢を見ないことを願って。
※
「計画の進行具合は?」
「全体で400前後と多少進んではいるけど、納期に
間に合うかは分からんね」
大学の研究所で男同士が話し合っている。
「そういや、姉さんは今頃、葬式だっけ?」
「まあ、概ね予想はついてただろう。 失踪して三ヶ月の人間の
末路なんてものはよ」
「三ヶ月、長かったような短かったような」
「ま、俺らにはあいつの残した最後の遺産が作り出す世界を
天国の奴に見せてやるだけだ。 気合い入れてこうぜ」
「成功するかは……ともかくね」
五章 ホームネットワーク
完結




