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誤解なんだよ

 震える。肩が、そして体が。

 堪え切れなくなって、項垂れる友人の前ながら、ついに爆笑した。

「バ……馬鹿だろ、お前っ」

 腹を抱えて、これでもかと笑い声を上げた。あり得ない。まったく持って有り得ない。ケレックでの顛末を聞いた、ラルフ・タージエルはこれ以上ないほど笑い転げた。

「ラルフっ」

 咎めるように睨んでくるが、今の今までしょぼくれて項垂れていただけに、迫力はない。余計にツボを刺激されて、さらに声が大きくなった。途中むせて涙まで浮かんだ。ここまで激しく笑ったのは、ずいぶんと久しぶりだ。

「あほ、馬鹿、ドジ、間抜け……」

「ラルフ……」

 思いつく限りの感想だ。罵っているのではない。断じて。たとえ友人の顔が、さらに情けないものになっても。

 笑いつくして、ようやく収まった。据わっていたソファから、半分ずり落ちていた身体を立て直す。端正な顔をした相手は、まだへこんだままだ。

「もとはと言えば、君のせいじゃないか……」

「そりゃ、最初はそうかも知れんが、あとは自業自得だろ。ヘタばっか打ったんだから」

「……」

 責任転嫁をいなすと、よけいに項垂れた。やれやれ、と呆れながらラルフは目の前の男を観察する。

 イースレイ・シア・ヘルザ。

 綺麗な顔と、それに見合うだけの肌や、色素の薄い髪や瞳をしている。おそらくは十人、いや百人いても、ほぼ全員が振り返りそうなほどの「美人」である。が、本人はその容姿に、さほど頓着していない。

 それでも、来る者拒まずで女の影が途切れたことがない。が、イースレイ自身は今、魔術師という仕事が楽しくて仕方がないらしく、付き合っても相手を疎かにしがちだった。そんな奴なので、女泣かせだと同僚などは僻みとやっかみかけていたのだが。

 そんな、男が。

 首都からやや離れたとある中規模の街、ケレックでは、いわゆるホモ、それも子供を相手にすると囁かれている。

 これを笑わずして、なにを笑うと言うのか。

 思い出しただけでまたしても腹の下から震えが来る。上がりそうになる口の端を、ラルフは必至に抑えようと頑張った。

 ――無駄な足掻きになったが。

「……言っとくけど、広がってるのは君の名前だからね」

 ついに憮然として横を向いたイースレイが、お返しとばかりにチクリと刺す。そんなささやかな攻撃さえ今のラルフにはおかしい。

「ま、それでもいいさ。どうせケレックになんて、めったに行かねえし。顔が知られてないから、問題ないだろ」

「問題はあるよっ」

「わかったわかった」

 どうどうと手を出して押さえる。

「実害がないようにはするって。お前の立場で、そんなんじゃ困るからな」

「だから誤解なんだってば」

「それを訂正できなかったんだから、諦めろ。記憶操作なんて、大げさなことをしたいわけじゃないだろ?」

「それは……そうだけど」

「ま、地方都市の噂なんざ、本物のお前がいる学園内じゃ、広がりようがないけどな」

「……それ、褒めてる? 絶対、褒めてないよね」

「別に貶しちゃいないさ」

 ふふん、と鼻で笑うと、イースレイは渋い顔で黙り込んだ。一応、己の所業がどんなだったか、自覚はあるようだ。まあ、押しに弱いイースレイは、相手の剣幕に負けて付き合うことが多いから、そのあたりを自覚して今後の薬になればいい、とラルフは勝手なことを考えた。

 それはともかく、と話を差し替える。

「アリセルアの『知の学園』きっての魔術指導者が、国中を歩き回って探し出したのが、その子供なわけだ」

「そんな仰々しい言い方をしないでよ。報告書は提出しただろう? アリセルアの魔力測量制度はかなり浸透している。その点がはっきりしたよ」

「無駄足に近い一年だったが……最後の最後で、引き当てたな」

「そう、かもね……」

 喜色満面、とはいかないのは、過程が過程だったせいか。いくつかの目的と目標のもとに時間と金銭をかけて、この一年は過ぎた。

 ソフィエール学術院。それは、アリセルアの最高学府であり、武術、智慧、魔術にそれぞれ適性を認められた人々が集う場所である。

 通称、知の学園。

 すべては『知る』こと――教え、教わり、また受け継ぐ――の循環の一部であり、事象はその知的好奇心のもとにつながっているという初代学術院長の信念のもと、そう綽名される。

 幼年期より入学する生粋の生まれながらのエリートもいれば、毎年行われる試験により、十代半ばから二十代前半になって、学びに来る者もいる。年齢よりはその技能と適正により組み分けされ、同時にその目標と目的に応じて卒業にかかる年数や時期も違う。

 医術者、官僚、軍人など、一定の授業と試験に合格し、卒業資格を得たものは、アリセルアにおいて相応の職務に就くことが可能だった。

 その中でも、ことに特殊性が高く、少数のエリートのみが集うと言われるのが、魔術学部である。これは生まれついた魔力による天賦の才に左右され、さらに修練や術の習得が難しく、時間がかかるためだ。

 魔術師は、常に人手不足なのだ。

 そのため、ほぼ全国民に対して一定年齢に達した子供たちに、魔力測定が行われる。そこで高い値を示した子や、またそれに準じた者は、学院候補生のリストに乗せられるか、その後すぐに入学が勧められる。

 しかし、その制度が整ったのは十年前。歴史はまだなく、制度としても完成されているとは言い難い。それを補うために、魔力を『視る』ことのできる巡回者が、二年に一度国中を回る。

 イースレイは、その巡回者の一人だった。そして、魔術学部の指導教官でもある。この一年は学院の仕事を離れ、任された地域を隅々まで回っていた。

 その最後の地が、ケレックだった。

 しかしなぜ、ラルフとして行動していたか、といえば。

 本来この街を任されたのは、ラルフ・タージエルだった。が、土壇場になりラルフは魔術事故に巻き込まれて巡回が不可能となり、その隣の区域を回るイースレイが代わりに範囲を広げて回ることになったのだ。しかしあまりに急すぎて、事前連絡で知らせていた身分や氏名を、変更できなかった。ゆえにケレックにおいてイースレイは一時的に「ラルフ」と名乗っていた。

 その方が、通りがよかったので、サボったともいえるし……なにより、訂正することを途中で完全に忘れていたのだ。

 魔力の見えるイースレイにとっては、あまりに眩しすぎる「少女」に会ったせいで。

 うっかり口にしてはいけなかったのだ。

 ――可愛い、などと。

 だがほとんど無意識のうちに、こぼれ出た言葉を、どうやって止めればよかったのだろうか。

 その時、彼女は家の前に植えた植物に、水を与えていた。よく晴れていて、キラキラとハス口から注がれた水のシャワーが、日光を跳ね返して光っていた。

 多分、それは偶然だった。

 ふとイースレイが彼女に目を止めた。一瞬の後に……浮かんだのは、まだあどけない微笑みだった。

 たったそれだけだった。けれど、イースレイの視界一杯に、その微笑みは、美しくまばゆい光と一緒に広がったのだ。

 丁度その時は、ケレックの街について説明を受けていた時だったが、なにも覚えていない。かろうじて、自分が口走った一言だけは、あとで必死になって思い出した。

 その後のことは、正直言って、思い出したくない最悪で最低の記憶の部類に入る。

 ソフィエールの巡回員だと知っているにもかかわらず、セッティングされたお見合いに、そうと知らずに出かけていき。

 その場ですべてをきっちり話して学院へ勧誘すればよかったのに、あまりの魔力の美しさに、碌に顔もあげられなかった。強すぎて、経験からの視界の「調整」だけでは、到底間に合わなかったのだ。

 その後、なぜかシェリーという少女から、彼女に渡したはずの道具から頻繁に呼び出されつつ。

 彼女を街で見かけるたびに、必死になって調整を続けながら。

 きちんと会話する機会を、ずっと窺っていた。

 もっと早く、客観的になるべきだった。あまりのことに、周りに気を配るのを忘れ、自分自身に対してもすべてが疎かになっていた。そう気づいたのも、後悔したのも、かなり日数がたってからだ。

 占めていたのは、たった一つだ。

 あの子のこと。

 本当に、ただ、それだけだった。

 あの魔力が、ほとんど街の人々に影響していないのは、ある意味奇跡だった。

 彼女の力は、簡単に人々の五感を惑わし、自分の好きなように操ることさえも可能にする。やろうとすれば、おそらく感情や思考さえも、思い通りにすることだってあり得た。

 それが、性格のおかげか、自分の力を知らないためか、まったく発揮されることなく、日々を過ごしていた。

 ただ時折、シェリーと呼ばれるように振る舞っているときがあり、その時には無意識でありながら、かなり強い影響をもたらしていた。

 危険だ、とは判断出来ない。ただ、あまりにも危ういと、そう感じた。

 力を力と認識していなければ、いずれ取り返しのつかないことになり、そして傷つくのではないか、と。

 ただ一人の家族であるシェリーに、寂しいと言えずに一人で泣いていた少女だから。

 おもわず慰めようと、魔術を発動させてから、痛感したのだ。

 それがどうして、最後の最後の機会に、あんなことを口走ったのか……イースレイ自身にもはかりかねていた。

 しかも、丁度彼女は少年となっている最中だった。

 会ったこともない――ことになっている――十かそこらの男の子に、求婚。

 他人事であったなら、呆然とするよりも冗談だと笑い飛ばしたに違いなかった。

 が、まぎれもなく、自分事。イースレイの犯した失態だ。

 どうしよう、などとすら、口に出すのも嫌になりながら、頭を抱えているのだった。


 



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