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鈴森呉葉にまつわる話。

鈴森呉葉と、密の話。

作者: 唐子

同シリーズの「~呉葉と弟の話。」「~弟と同志の話。」のあとになります。そちらを既読すると、少し話が通ったりしたりなんだりします。


やや近親相姦要素があったり、事後を連想させる言葉があったりします。苦手な方はご注意ください。




 

「あ、起きた。」


 声に、バリバリ張り付くまぶたを開けて視線をさまよわせると、ベッドの端に見慣れた、懐かしい顔。ギシギシする首を傾ける。


「……ひそか?」


 起きぬけのしゃがれてかすれた声が、思いのほか言葉になっていなかったけど、そんなことにもう驚きはない。

 密はきれいに笑った。


「おはよう、呉葉くれは

「………何か用」


 不機嫌もあらわにつっけんどんに言っても密は笑う。

『外面』をかぶらなくていい数少ない人間の彼女は、くゆりと笑う密に怪訝な視線を不躾に浴びせても不愉快のかけらすらあらわしはしない。名前の通りひっそりした声でささやく。


葉市よういちに会ったわ」


 目を見張る。彼女と、呉葉の弟の葉市は、一度も会ったことがなかったはず。


「いつ、どこで」

「さっき、海岸で、偶然。ちょっと話をしたわ」


 笑う彼女は、知っているのだ。葉市がなんであるのか。

 できることなら、会わせたくなかった。しかし会ってよかったのかと複雑な気持ちになる。

 密の方はあからさまに束の間の逢瀬を楽しんだようで、弟が、この無自覚に人を傷つける女に引っ掻かれてなければいいと、呉葉は思った。


 寒河江さがえ ひそかは、いうなれば呉葉の『同志』だ。この世でたった二人、呉葉と同じ病気をもつ人間。同い年の彼女は遠縁でもある。


 そして、呉葉の弟は、呉葉と密の『同志』だ。


「ねえ、どうして『葉市』なの?」


 聞いてくる密に怪訝な視線で返す。それだけで通じるのだから、長い付き合いなのも便利だ。


「『呉葉』が長男で、『葉市』が次男でしょう?でも、音だけ聞いたら『葉市』のほうが長男みたいじゃない」

「……いいんだよ、それで」

「もしかして、呉葉がつけたの?『葉市』って」


 無言の肯定。

 呉葉の病は、葉市が生まれたころには明らかで、両親は呉葉に名づけを命じた。

 8歳の男児にとってそれはとても難しいことで、そのころ同じ病室だった年上の少年の名前をもじって、音だけ決めた。

 それが『よういち』。漢字を決めたのは両親だった。


 もう少し成長して、両親が『葉一』でなく『葉市』と、漢数字を避けた心に考え至って申し訳なく思ったものだけど、どうせなら『葉一』で構わないのにとつまらない気分になったのを覚えている。


 どうせ、『呉葉』はいなくなる。

 のこされる弟がくりあがり長男で何が悪いと。

 ――そのころはまだ、葉市の病気がわかってなかったから。


「残酷なことをするのね」


 歌うような笑い声に、あざけりと責める調子が混じっていて、呉葉は腹が立った。

 瞬間的に沸騰した苛立ちに、密をきつくねめつける。


「お前に何がわかる。逃げてばかりのクセに」

「おあいにくさま。もう、やめたの。逃げるのは」


 見返した目が丸くなる。密が微笑う。呉葉はまじまじと密を見、違和感に気付いた。

 密の瞳にあった翳りがなくなり、かわりに穏やかな色がある。呉葉が藍夏を手に入れた一瞬に感じた、あたたかな色。

 ……やれやれ、と。呉葉は深く深く、息を吐いた。


 針や管が刺さっていなければ、両手で髪をかきまわしたい。かきまわして、大声を上げたい。しかし諸々こらえて密に一言、万感の思いを込めて返した。


「やっと?」


 密は、常に張り付けたひっそりした笑みとは違う、満面の笑みをこぼした。


「呉葉にはいろいろ世話になったから、報告しておこうと思って。……私たちのためでしょう?あの山荘に来なくなったのは」

「ふん、自惚れないでよ。誰が、お前らなんかのために」

「ふふ、そういうことにしておいてあげる。でも、おかげでこの三年間、二人きりでいられた。感謝してるの」

「お前らがあの山荘で何をしてたのか想像するだけで、ぞっとしないね」

「下世話ね。でも貴方のそういうところ好きだから、構わないわ」


 密が笑みを深くする。

 三年間、おそらく彼ら双子のほか誰も立ち入らなかったであろうあの山荘は、呉葉にとっても思いいれのある場所だ。


 『寒河江』は裕福で、未成年の子供が二人山荘に暮らす非常識を許すだけのものがある。

 江戸時代にはとある藩の御典医として続いた医師の家系で、現代でも複数の病院を経営し、一族には医療従事者が多い。一族の呉葉の母親も看護師で、担当医も遠縁の医師一族。


 呉葉や密が幼いころから掛かっているこの病院も系列で、中でもホスピスの色が濃い。つまり、多くが死期を悟っている患者のための病院。


 この病を得て生まれてきた寒河江の子どもは、幼いころから、海の近くのこの病院に掛かる。

 国内最高の治療ができると豪語するが有効な治療なんて無く、対症療法しかできないくせに、なにが国内最高だと呉葉は嘲笑あざわらいたくなる。

 

 一族内に思い出したように続出するこの奇病に関しては、まだ多くが謎に包まれている。

 発症するまでは、健康な子供と変わらない。しかし二十を越えて生きたものは少ない。誰もが三十になる前にこの世を去る。そういう病気。

 そうして、全国各地に散らばる数少ない『同じ』親戚は、この病院に集められるのだ。

 『寒河江』はひそかに、しかし全力でこの病と闘い、患者と家族を手厚く援助する。


 そんな子どもたちが送り込まれるのが、病院にほど近い山荘だった。


 その山荘の使われ方は、昔は違ったらしい。この病気が遺伝的なものでなく、不治の流行り病と誤認されていた昔の名残の、隔離施設。めぐりめぐって、現代では病が判明した子供たちの寄宿所になっていった。

 検査や治療は長期間の拘束を強いるもので、しかし発病するまでの遊びたい盛りの子供たちを、病院に押し込めておくには床もスタッフも十全とはいえない。その辺の事情は、成長するに従ってそれとなく察するようになっていった。


 あそこで呉葉が覚えているのは、寂しさを内包した明るさと、死期を悟ったもの独特の笑み。

 中でも低年齢だった者たち(呉葉や密だ)に対する甘やかな優しさと、焦燥。年長者の者ほど優しく、そして厳しかった。激しい感情を持っていた。

 長期休みをほぼ使う検査でその山荘を訪れるたび、あふれるほどの思い出を彼らやその兄弟と作った。


 清濁飾ることない感情を吐露できる場であった。

 少数のスタッフ以外親さえいない山荘は、感情を隠すことにたけた病気の子供たちが、『ただの子供』になれる唯一の場だった。

 そんな彼らをまざまざと、見ていた。見せつけられていた。生きている限り彼らを忘れるなんてできないほど、濃い時間を彼らとすごした。


 そして、密と全の双子はその当時から、異彩を放っていて。


 幼いうちは、周りにいる人たちの多いうちは、まだ埋もれて気付かなかった双子の関係性。


 病気の姉と。


 健常な、弟。


 片手ほどの、密と呉葉より他の子供たちが全員、いなくなって。

 呉葉は山荘に行くのをやめた。


 寒河江の援助を断るような形で、両親に負担を強いるのは心苦しかったけど、巻き込まれる予感に先手を制して逃げ出した。はたしてそれは正解であった。


 密と、その双子の片割れの間にあるどろどろとした険悪で、陰湿な熱いほど冷たい粘着質のそれは、彼らがまだ幼かったころからたしかにあって。

 呉葉にはそれが、密の視線から見たそれが、わかりすぎるほどわかってしまって、引きずり込まれるのは御免だった。


 双子の閉じられた世界に、介入するだけの余力は呉葉にはすでになく、他人に構ってられるほど、自分の人生を捨ててもいなかった。


 でも、半分は自分のためだったけど、もう半分が彼らのためだというのも、本当だった。絶対言わないけど。


 約二年、この病院にほど近い高校に一緒に通って、否応にもこの双子に関わってしまった先輩を思い浮かべ、疲れた息が出る。


「傍迷惑な奴ら。あの先輩には同情するよ。お前らは、周りを巻き込まないと事を成せないのか」

「そうね。透流とおるには、本当に申し訳ないと思っているのよ。でも、幾度も機会をあげたのに、関係を断つのではなく深く関わってこようとしたのは、透流の方だから」

「僕にも謝れ」

「嫌よ。だって、あなた早々に距離を置いたじゃない。学校でも他人同然の振る舞いを強要して。たまに話しかけてもつっけんどんで。それはいつものあなただけど。私は寂しかったのよ?」

「お前らを『先輩』付けとか、サムい。4月1日生まれで前の学年て、ホントお前ら嫌。」

「誉められてるの?」

「けなしてんの。でも……まあ、よかったんじゃない?おさまるところにおさまったんなら、それで」

「でね。私、アメリカに行くわ」


 前後の脈絡もなく、「明日は晴れよ」とでも言うように、密はあっさりと言った。

 一瞬の沈黙ののち、呉葉は問う。


ぜんも一緒に?」


 にっこり。密が笑う。「そうでなければ、意味がない」とでも言いたげな表情に、今度こそ呉葉の体から力が抜けた。


 本当に、覚悟を決めてしまったのだ。後押しするような真似をしていたくせに、妙な罪悪感が胸をよぎる。

 それは道徳だとか倫理だとか、世間体で考えるところの『正常』から逸脱していく手助けをしたところによるものなのだろう。が、それこそどうでもいいことだ、と呉葉は思う。


 短いと、決まっている人生だ。やりたいことをしないで、どうして生きたと言える。


「骨髄移植、という治療法があるの。日本ではまだ定着していないけど、もしかしたら、この病気に有効なんじゃないかという結果が出ているんですって」

「小母さんと小父さんが?」


 密がうなずく。密の両親は、アメリカで遺伝病の研究をしている。彼らはもともと、一族に連なる遺伝病の解明と治療法を研究していた。研究狂いのその二人の娘が発病したというのは、皮肉でしかない。


「治る可能性が、1パーセントでもあるのなら、治療を受けてみるべきだと……思えるようになったのよ」


 密が、人体実験ともとれる彼らの再三の呼びつけを突っぱねていたのを知っている。

 すべてをあきらめていたことも。あきらめきれていなかったことも。


 焦燥も、苛立ちも、悲しさも、さびしさも。健康な兄弟に対する嫉妬も、憎しみも………絶望も、わかりすぎるほど理解できる。


 密と呉葉は近すぎて、もしかしたら彼女の片割れである全よりも近すぎて、そんな彼女が呉葉は大きらいだった。全には密と呉葉の相似性にお門違いの嫉妬を向けられて、それも本当に迷惑だった。


 この感情は、病を得た者であれば、誰しもが共有していたたぐいの感情であるというのに。


 密の負の感情は、次第に諦念と周囲への無関心、揶揄という人生観に変わっていったけど、呉葉は諦めなかった。探していた、生きた証を預けられる人を。

 そして見つけた。

 藍夏さんは押し付けられたと感じてるだろうけど、諦めかけていた呉葉にとって、それは奇跡だった。


 諦めて、すべてに無関心になっていった密に怒りを覚えていた全を知っている。

 そして密の関心を惹こうと、がむしゃらに動いて、彼女を傷つけた全を、密が心底憎々しく、無関心でいられなくなっていたことも、知っている。伊達に十何年もこの双子を見ていたわけではない。

 密にも、奇跡が起きたのだと。


「あなたは、諦めなかったわね」


 密が微笑う。自分が彼らのあらましを見ていたのと同じように、密だって、呉葉を見ていた。

 同じ高校に通っていたのだから、見ようと思えばよく見えただろう。気恥かしさと、触れてほしくない柔らかい部分に密が触れようとしてる気配に、呉葉の眉間にしわが寄った。


「葉市と話していて、思い出したの」


『死が近い未来に確定としてある、どんなふうに生きるべきか』


「言いだしたのはたしか、万岐子まきこ姉様。香椎かしい兄様のあとを追うように菜花なか姉様がいなくなって、孝介がまだ生きてた、短い時間」


 みんな、自覚しだした。自分たちの時間は短いのだと。仲間が欠けて、刮目せざるを得なくなった。


「万岐子姉様は、『闘う』と言っていた。何とまでは聞いてないけど、きっと、最後まで戦ってらした。

 遼一りょういち兄様は、『受け入れる』と言っていた。強い人だったから、きっとよいことも悪いことも含めて受け入れてらした。

 孝介は、『覚えている』と言っていた。一番覚えていたかったのは、佐奈江のことなんでしょうけど、きっと最後まで、佐奈江のことをおもっていた」

「……密は、『忘れてほしい』と、言ったね。自分が生きたことを残さずすべてを持って死んでいきたいと」

「あなたは『遺したい』と言ったわね。生きた証を、遺して死にたいと。今でも思う。私と呉葉は、ともすれば全と私より双子に近くて、そしてまったくの別人なんだって」


 私と、呉葉は、よく似てるのよ。

 ささやく言葉に反論はない。密もやはり、そう思っていたのかという簡単な確認しかない。


「私が望んだことは、私だけが満足すればいい、ともとれるわね。私たちはどちらにせよ、自己満足を追求できればよいのよ。意識の差異は大きいけどね。

 あのころも、今も、そんなに考えは変わってないけど、あなたの言うこともわかるようになったの。私も『遺したい』の。でもそれ以上に、私のわがままを、つらぬきたくなったの」


 生きたいと、思えるようになったの。吐息のような声は小さくて、震えていたけど、呉葉の耳にたしかに届いた。


 骨の浮いた、呉葉の男にしては華奢な手の甲に、よく似た密の手が重なる。懺悔のように密は額ずいた。


「海の向こうで、もう少し、あがいてみる。大好きだったわ、呉葉。愛してはないけど」


「ムカつく言い回し。ほんとうに、人を苛立たせる名人だよ密は。昔も、今も。でも――」


 包まれた手を握り返す。力は弱くても、意思は伝わるだろう。面をあげた密の濡れた瞳にしっかり視線を合わせた。


「……君のさいわいをのぞむ。

 待たないからね。先にいってる。大きらいだったよ、密。僕の友達」


「呉葉は、ひねくれものだわ。今も昔も、変わらず」


 そういうところ、好きよ。


 彼女の片割れがきいたら、青筋立てて睨まれそうなことをぽんぽん言う彼女にあきれるけど、今この部屋に全が入ってこない確信があって、それは多分、これが『最期の』別れになるからだと、呉葉は自覚している。全は密と違ってそういう気遣いができる男だ。

 彼女の望みだから、自分が大きらいな男と密を二人きりにしてやるなんてこともできる。きっと扉の向こうか、この病室の近くにいるんだろうけど。そうして腹の底でどろどろと呉葉に嫉妬しながら、聞き分けたような顔をして、密を腕の中に囲いこむのだ。ああいやだ。想像がついてしまう自分に嫌気がさす。


 呉葉はかすむ思考の中、生まれ変わってもこの双子の傍にはいたくない、と、思った。どうせ生まれ変わるなら、また藍夏さんの傍がいい。絶対いい。


 健康な体で、今度は余命も年の差なんて気にしないで、彼女に出会い、素直な恋をしたい。

 生まれ変わってもひねくれ者だったら、またごちゃごちゃと手をまわして彼女を怒らせてしまうんだろうけど。でも、彼女の傍にありたいな。藍夏さんは素直な目を持っている人だから。フィルター越しでない僕を見て、怒って、それでも許してくれる人だから。



 彼女の笑顔が見たい。

 そして彼女の体をかき抱いて、今生では絶対出来なかった、未来の約束をするのだ。

 そのとき藍夏さんは笑ってくれるだろうか。怒りだすだろうか。泣くだろうか。反応が全然読めない。ああ、会いたい。声が聞きたい。


 名前を、呼んでほしい。


 最初で最後の、あの響き。彼女のぬくもりを感じた冬の夜、あのあえかな朝。


『くれは』


 夢の続きを見るために、目をつむった。

 ブラインドからこぼれ射す赤い夕日は、いつかの美術室の夕日と、よく似ていた。






愛しい人の姿をまなうらに描いた。

夢はきっと、彼女を連れてきてくれるだろう。






この『同志』は過去にも未来にも八人と決まっております。


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