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ダーククリムゾン  作者: amo
ダーククリムゾン
3/16

切っ掛け

今回はかなり長くなってしまいました。何処かで切れば良かったですね。

 すっかり春も過ぎ、さんさんと初夏の日差しが照りつける中、大護と水夜は通行人で賑わう商店街を歩いていた。ただの食材の買い出しなのだが、いつもそれを大護に押し付けていた水夜が、今日は珍しくついて来ていた。


 本人は気分転換のつもりだったが、水夜の思っていた以上に季節が進んでいたらしい。照りつける太陽のせいで、ただでさえ普段から目付きの鋭い彼女は、今や誰も寄りつこうとしない程に険しい表情をしている。


「あ゛~~~!暑い!この暑さはどうにかならんのか!」


「耳元でうるせえなぁ‥‥夏だから暑いのはしょうがねえだろうが‥」


 隣で買ってきた食材を手に提げている大護も、暑さでやる気のなさが見て取れる。猫のように背中を丸めて、足を引き摺るようにして歩く二人は、見る者もやる気を失うほどにだらけきっていた。だが、そんな大護の態度の裏には、水夜とは違う致し方の無い理由があった。


 仕事の帰りについてくる以外に買い出しもしない水夜が、気分のままについて来るのはいい。どうせ言っても聞かないのは目に見えているし、だからと言って荷物を持つ訳でもない。言ってみれば、道中の話し相手が出来るだけである。


 だが、買う物の内容がまずい。水夜はどうしても安物がお気に召されないらしく、高級な物だったり、限定品だったりを買い物かごへ次々に入れるのである。大護一人の時は買いもしない物ばかりを買い、大護の気分は軽くなった財布の代わりに重くなっていた。


「‥‥‥また仕事探さねえと‥」


「何?また仕事をするのか?一昨日も仕事をしたのに、ずいぶんと勤勉だな。」


 一度の収入が多い大護達の仕事だが、こうも出費がかさんでしまっては、頻度も必然と高くなってしまう。水夜が大護と仕事をする前までは、大護は月一程度しか仕事をしていなかったという。だが、水夜と出会い、大護の貯蓄が底を尽きてしまってからは、この前の様な危険な仕事を3日に一度はしている。


 別に危険な依頼ばかりではないのだが、大護が選ぶ依頼はいつも犯罪者を警察に突き出す様なものばかりだ。これは水夜と会う前もそうだったようだが、もし安全な仕事をしたとしても、これだけの出費を支える事は出来ない。


 結局は高収入を得られる、懸賞金が絡んでくるような仕事をする必要があるのだ。


「貴様は以前から仕事を怠慢にこなしていたが、少しは見直したぞ。」


「ああ。誰かさんのおかげで真面目になっちまってな。」


「そうか。だったら、その誰かに感謝しなくてはいけないな。」


 皮肉の通じない少女の返答に、大護はがくりと肩を落とす。随分と軽くなってしまったポケットの中身に溜め息を落としながら、大護は重い足を前へと運ぶのだった。







 二人が請負所の前に辿り着くと、いつもと違う光景に思わず足を止める。先日直ったばかりの請負所の玄関前に、黒髪を背中の中程まで伸ばした女性が立っているのだ。


 彼女に心当たりのない二人は、その女性を如何わしげな目で見る。そうしていると、女性は二人に気付き、ぱたぱたと駆け寄ってくる。


「あなた達が黒河請負所の人ですか?依頼したい事があって来たんですけど、どうも御留守中にお邪魔してしまったみたいで。すいません。」


 礼儀正しく挨拶をしながら、女性は二人に頭を下げる。雇い主になるかもしれないと聞いて、大護は慌てて曲がっていた背筋を伸ばしてお辞儀を返すが、水夜は相変わらずだるそうに首だけ動かす。


 大護はそんな水夜の態度に胃をきりきりと痛めながらも、玄関を開けて女性を中へと招き入れようとする。だが、水夜が女性を差し置いて中に入っていくのを見て、大護は買い物袋を提げていない手で頭を抱える。


 そんな水夜の失礼な態度を見ても、女性はまるで気分を悪くした様子は無く、柔らかい笑みを浮かべて水夜の後についていく。大護はその後ろ姿を、何かを考えるように見ていた。







 応接間に通された女性は、興味あり気に部屋を見渡し、先に部屋に入っていた水夜とテーブルを挟むように座る。


 水夜は部屋に備え付けられたエアコンの電源を入れると、お気に入りとなった新品のソファに座る。さすがの彼女も、客の前で寝転がる様な事はしないようだ。


 大護は先に台所へ行っていたのか、氷の入ったお茶が乗ったお盆を持ちながら、器用に足で部屋の扉を閉めている。偉そうにソファに踏ん反り返っている水夜に、大護はお茶を零さないように項垂れ、女性はそんな二人を見てくすくすと笑う。


「お二人はとても仲がいいんですね。とても羨ましいです。」


 大護からお茶を受け取りながら、女性は二人を見比べてこう言った。この言葉に、水夜は明らかに嫌そうに顔をしかめて、ソファに預けていた上半身を乗り出す。お茶を水夜に渡そうとした大護は、中身が零れないように慌ててそれを引っ込める。


「いきなり身を乗り出‥」


「この暑さでいらいらしているんだ!そんな事はいいから、さっさと依頼の内容を言え!」


 大護の言葉など右から左へ。水夜はそれまでのいらつきを晴らすように怒鳴る。大護はもうお手上げだとでも言いたげに、水夜の前にお茶を置くと、自棄になって自分のお茶を一気に飲み下す。


 女性は水夜の大きな声に少し驚いた様な顔をするが、すぐに元の表情に戻って自己紹介を始める。


「申し遅れました。私の名前は華田香織と言います。」


「私がこの請負所の所長の黒河大護で、こちらが副所長の水原水夜です。」


「で、仕事内容は?」


 水夜の失礼な態度に、大護が寿命をがりがりと削られる。それでも香織の笑顔は消えないのが、この場での唯一の救いだった。


「私には沙織と言う妹がいるのですが、最近付き合いだした霧島仁さんが普段何をしているのかを調べてほしいんです。」


 詳しい依頼の内容はこうだ。仁はちゃんとした収入のある仕事をしているのに、常にお金がないと言っており、沙織に物を買ってもらったり、お金を受け取っているという。それがたまならば気にもしないのだが、あまりにも頻度が多いため、沙織には内緒で、仁にどこでお金を使っているのか問い詰めた事もあった。だが、仁は何も答えられないと言うだけだ。


 沙織がこのままでいいと言うなら口出しはしないと決めていたが、仁との繋がりがお金の振り込みを請うメールだけになり、やっとおかしいと感じた沙織の悲しむ姿を見て、どこへ相談すればいいかも分からずに、彷徨ってここへたどり着いたという。


「お断りします。」


 依頼の内容を聞いた大護の第一声がこれだった。水夜がどんなに悪い態度を取っていても笑顔だった香織の顔から、初めて笑みが消える。


 なんとも妹想いの香織の話を聞いて、同情する様な顔で姿勢を正していた水夜に反比例するように、大護はソファにもたれかかり、長く息を漏らす。


「私達は探偵ではないんですよ。確かに請負所と名乗ってはいますが、普段は犯罪者の取り立てをしているんです。このような依頼は受けていないんですよ。」


「ですが、どこへ行っていいのかも分からなくて‥‥気付いたらここの前に立っていたんです。」


「で、ここが運命の場所だと?そんな偶然、滅多にありませんよ。あまりないからこそ、それを囃し立てるメディアがいるんですから。」


 口調こそ丁寧なものの、大護の態度は先程までの水夜にも引けを取らないほど悪くなっていた。


 たまたまとはいえ、この場所に救いを求めて来てくれた香織を鼻で笑い、面倒臭そうに頭を掻いているのだ。その上、『さっさと帰れ』と言うばかりに時計を見たり、俯いて何度も溜め息をついたりしている。


 今まで見た事がない大護の態度に、水夜は戸惑い、二人に口を挟む事が出来ない。


「お、お金ならちゃんと用意してあります!」


「いくらですか?」


「30万ですけど‥‥」


「まあ、妥当な額ではありますが‥」


「では、もう10万上乗せしますので!」


「40万か‥‥」


 水夜が知る限りでは、今までに大護が依頼金の金額で仕事を選んだ事は無かった。


 詳しい判断基準は知らないが、おそらく犯罪者に掛けられた懸賞金の額と、ターゲットとなる犯罪者が潜伏している場所までの距離しか気にしていなかった筈だ。収入の大部分が警察から出る懸賞金なのだから、依頼料はおまけのように考えていると思っていた。


 確かに、今回の依頼では懸賞金は出ない。だからと言って、具体的に何をするかを決める前に依頼料の話をする大護に、水夜は違和感を覚えずにはいられなかった。


「おい、大護。そんなに邪険にしなくても‥‥」


「何だ、水夜?この依頼を受けるつもりか?どうせこんな事したって、治安なんか良くならねえぞ?」


 香織を庇う水夜を、大護はまるで小馬鹿にする様に笑い飛ばすが、その直後、頬に衝撃が走る。怒りに身を任せた水夜が、大護の頬を思い切り叩いたのだ。


 身体も大きくない、女の魔導士の張り手など、大護にとってはそれほど痛くないだろう。それでも一瞬よろめき、自分を叩いた水夜を睨み返す。


「何すんだよ?」


「何すんだよ、だと?ふざけるのも大概にしろ!!困った人が目の前にいて、何でそれを助けるのに理由がいるんだ!!」


「俺達がしてるのは慈善事業じゃねえんだぞ?ったく、なに熱くなってんだか。‥‥‥はぁ、分かったよ。受けりゃいいんだろ?ただし、条件がある。」


「なんだ?」


 それまで、突然始まった二人の激しい言い争いに入って行けず、先程の水夜のように茫然と二人を見ていた香織は、大護の視線に射抜かれ背筋を伸ばす。大護は冷たい目で香織を見つめるが、一瞬だけ水夜を横目で見る。


「報酬はこちらで決めさせてもらう。」


「なっ!?」


 大護の出した条件の内容に、水夜と香織は驚くが、大護は変わらず淡々と言葉を続ける。


「勿論拒否されてもかまいません。拒否したからといって、どうこう言うつもりもありません。拒否された時は予定通り、30万払ってもらうだけです。これで構わないですか?」


「えっ?あ、はい。それで依頼を受けてくれるのなら。」


 特に迷いもなく頷く香織を見て、大護は満足そうに頷くと、すぐに必要となる顔写真や資料を受け取り、仕事の準備を始める。しばらくして、いつもとは違う様子の大護と、何処か納得のいっていない水夜は、帰って来たばかりの請負所を発つのであった。 







 仁はいつも隣町の大通りを通るという香織の情報に従い、大護達はその大通り沿いのオープンカフェに来ていた。既に事情を店員に言って支払いは済ませており、いつでも店を出ていける状態で待機している。


 大護はコーヒーを口に運びながら、目の前に座っているしかめ面の水夜を見る。コーヒーカップから口を離した大護は、困ったように眉根を寄せて、腫れ物に触るように声を掛ける。


「だから、悪かったって言ってんだろ?暑くて機嫌が悪かったんだって。お前だってそうだっただろ?」


「‥‥‥‥私は反省しているが、貴様はしているようには見えん。」


 そっぽを向いて取り付く島のない水夜に、大護は何度目かの溜め息をつく。こうして機嫌を損なった水夜がてこでも動かない事は、今までの経験で理解している。今回のターゲットである仁が、ここの前を通るまで話すのは諦めようと、大護は残りのコーヒーを飲み込む。


 すると、大護が飲み終わるのを待っていたかのように、仁が通りの人込みの奥から姿を現す。大護は香織からもらった顔写真と照らし合わせると、水夜に合図を送り尾行を始める。


 大護は以前にも似た様な事をしていたのか、特に不自然な動作もなく歩いていくが、水夜はどうにも慣れない歩き方になってしまっている。


「もっと自然に歩け。気付かれたらアウトだぞ。」


「う、うるさい!こんなことはした事がないんだぞ!」


 周りに聞こえないように大護は水夜を諭すが、諭されても水夜の不自然さは抜けない。


 水夜自身は努めて隠密行動を取っているつもりなのだが、人には向き不向きがあるものだ。今の会話でさえ、周りに聞こえない大護のそれとは違い、周りが僅かに聞き取れてしまうような音量だ。仁に聞こえなかったからいいものの、これでは仁がいつこちらに気付いてしまってもおかしくはない。


 しばらくしても水夜の動きが慣れないのを見て、大護は少し作戦を変える事にした。


「水夜。次で曲がるぞ。」


「え?仁の奴は曲がらずに行‥」


「いいから来い。」


 交差点を真っ直ぐ歩いていってしまう仁を横目で見ながら、水夜は強引に手を引く大護についていく。


 大護は仁を見失うぎりぎりの所まで来ると、急に水夜の身体を抱きかかえ、足に魔力を溜める。


「わわわっ!?ききき、貴様!人前で何を‥」


「黙って掴ってろ!『魔脚』!」


 急に人前で抱きしめられた水夜は顔を真っ赤にして、隠密なんて言葉も忘れて大護から離れようと暴れるが、大護はそれを上手く抑え込みながら、強化した足で目の前の家屋の屋根へと跳躍する。


 水夜は何が起きているのか一瞬分からず、急に身体を襲った浮遊感に、思わず大護の服を握り締める。仁の死角を通るように軌跡を描いた二人は、無事屋根へと着地する。


 水夜の脳が状況を理解した時には、既に大護は仁の姿を見失わないように、また他の屋根へと飛び立とうとしていた。


「ま、待て!もっとちゃんとした姿勢で‥」


「そんな悠長な事言ってたら見失うっつうの!『魔剛脚』!」


「ぎゃああああああああああ!?」


 忍者のように屋根の間を跳ね回る二人は目立っていたが、大護が上手く仁の死角に回り込むため、仁に見つかる事はない。つまり、仁以外には見られても仕方ない、という尾行だ。


 仁に気付かれそうな、水夜の不審な行動や小さくない声といったリスクのある隠密行動よりも、こうした尾行の方が見つかる可能性は低いという大護の判断だった。


 こうして、仁の周りが騒がしくなる、隠密とは決して呼べない尾行は続くのだった。







 仁は街はずれのスラムにある路地裏に入ったあたりから、人がいないのに目を泳がせて、挙動不審な行動が目につくようになってきた。


 見られては不味い場所へ行く事が伺い知れるその挙動を、大護は廃ビルの屋上から見下ろしていた。ちなみに、叫び疲れてぜいぜいと息を切らせている水夜は、大護の脇で力なく項垂れている。


「そろそろ何処かにつきそうだな。」


「‥‥ま、まだつかんのか‥?」


「何言ってんだよ、これくらいで。いつもこれ以上の距離を俺に担がれてるだろ?」


「それはもっとしっかりと掴まれているからだ!今回だけで何度落ちそうになったか‥」


「おっ!廃ビルの中に入ってくぞ。」


「貴様、聞いているのか?」


 いつもとは立場が逆のやり取りをしながら、大護は仁が入って行った廃ビルの前へと降り立つ。人の気配が周りにない事を確認しながら、ぐったりとした水夜を横へと下ろす。


 やっと安全装置のない絶叫マシーンから解放された水夜はその場にへたれ込み、今まで大護がどれだけ自分を運ぶ時に気を遣っていたのか身を持って知り、心の中で少し感謝した。


「中に誰かいるな。そいつに金を渡してんのか?」


「‥?なぜそんな事が分かるんだ?」


「これを見てみろ。」


 大護はそう言うと、入り口の床を指さすが、水夜には変わった点が見つけられない。場所まで指しても分からない水夜に、大護はさらに詳しく説明する。


「よく見ろよ。人が出入りでもしねえ限り、埃ってのは溜まらねえだろ?このビルは見たところ、だいぶ前から手を付けられていないのに、入り口に埃が溜まってる。中には所々ない場所もあるっちゃあるが、それも不自然だ。となると、人が出入りしてるってのが自然な考え方だ。」


 大護の解説を聞いて、改めて廃ビルの入り口や中を見てみると、大護の言っていた通り、不自然に埃のある場所が目立つ。よく見れば、靴跡をくっきり残している個所もあり、周りの廃ビルにはない特徴だ。


「なるほど。つまり、仁が金を集めている理由がここにあると?」


「予測の域は出ねえんだけどな。ま、ここに入る前の不審な行動を見る限りでは、ここでビンゴだろ。」


 大護はそう言うと、また水夜を抱えようとする。だが、大護が水夜に手を伸ばすと、それから逃げる様に水夜は後ろへと下がる。


「何でまた抱えようとするんだ?もう飛ばなくてもいいだろう?」


 先程までの隠密性の低い尾行のせいで、飛ぶ事に軽くトラウマを覚えてしまっている水夜は、後ずさる自分の足を止められない。そんな水夜に大護は、呆れながら強引に水夜を抱えようとする。


「お前が隠密行動出来ねえから、抱えて歩くんだよ。お前に足音を消す技術があんのか?」


「そ、そうか‥‥そう言う事か‥」


 とりあえず先程のような事にならないと分かり、水夜はほっと胸を撫で下ろし、大人しく大護の脇に抱えられる。


「ったく、おも‥」


「重いと言ったら殺す‥」


「‥‥‥い、いや~、そんな事言いませんよ~!ハハハ‥‥面白い事ないかな~、なんて思ってですね~‥」


 初めの隠密行動の時には出来なかった、周りに聞かれない声量で、水夜は恐ろしい事を言ってくる。大護は最後の一文字を踏みとどまった自分に感謝しつつ、震える声で必死にごまかす。


 水夜はしばらく殺気を放っていたが、今回は未遂と言う事で、脇腹を思い切り抓るだけで許してやる。


 大護は地味に痛みを訴えてくる脇腹を意識しないようにして、足音を立てる事なく廃ビルへと入って行った。


 廃ビルに反響している仁の足音を頼りに、大護は物音を立てないよう慎重に、気配を殺して進んでいく。


 今のところは仁以外の気配は感じないが、これはあまり喜ばしい事ではない。仁がこの廃ビルに入ったのには、何かしら目的があるのは間違いない。そして、それはおそらく、仁が自分達の尾行に気付いて巻こうとしているか、気配を消す事が出来る様な人物と待ち合わせているかのどちらかだろう。いずれにしろ、厄介な事になるのは避けられそうにない。


 大護がそんな思考を巡らせていると、それまで廃ビルに響いていた足音が消え、何かが軋むような音の後に扉が閉まる音がする。そして、音が鳴った方から微かに話し声が聞こえてきた。


 これで仁がここへ来た目的は、大護が考えていた後者でほぼ確定した。おそらく仁と会っているのは、ある程度は実力のある、社会の裏側に通じている誰かだろう。


 大護は細心の注意を払いながら、話し声の聞こえる扉の前まで移動し、ひび割れた壁に耳を近づける。ようやく床に下ろされた水夜もそれに倣い、音を立てないように壁に耳を付ける。中からは、男二人の物と思われる話し声が聞き取れた。


「今回はこんな程度か?最近金の出が悪いんじゃないのか?」


「す、すいません!今回の女はあまり金を持っていなかったようでして‥‥」


「俺は言い訳が聞きたいんじゃないんだよ。俺が欲しい物は知っているよな?」


「はっ、はい!次はもっと持ってこられるように努力します!」


 壁越しに聞こえてくる会話の内容に、水夜は指が白くなるほど拳を握りしめる。


 水夜は沙織を知らないが、香織があそこまで想っている人物だ。そんな人物から金を騙し取り、それでも足りないと感謝も謝罪もせず、まだ金を毟り取ろうと言うのだ。出来る事なら怒りに任せて、このまま部屋の中にいる奴らを刑務所に叩き入れたい。


 だが、もう一人が誰なのかが分からない以上、ここで手出しするのは賢明ではない。そう思い、一旦ここから離れようとした水夜だったが、後ろに下がろうとした時に、足音を立ててしまった。


「っ!?そこにいるのは誰だ!」


「ひぃっ!?」


 その音に反応して、鋭い声と怯えた声が、扉越しに向けられる。


「‥はぁ。だから気をつけろって言ったのによ。」


「そんな事言っていなかっただろう!」


 大護は音を立てた本人を睨みつけながら、諦めたように扉を開ける。


 大きく軋みながら開いた扉の向こうには、怯えた様子の仁と、その隣に立った、腰に下げている日本刀に手を掛けている男の二人がいた。


 男は驚いた顔で大護達を見ていたが、すぐに大護達が味方ではないと悟り、隣でびくびくしている仁を睨みつける。


「おい、お前。どうやらつけられていたようだな。」


「ち、違う!章吾さん、そんな筈は‥」


 仁が弁解をしようとしたのを遮るように、鞘から抜き放たれた刃が横に振られる。水夜には止めるどころか、理解する事さえ間に合わなかった。


 章吾が刀を鞘へ戻されると同時に、表情の固まった仁の顔がずるりと前にずれ落ちる。頭のあった場所に現れた断面からは、夥しい鮮血が吹き出し、噴水の様に章吾へと降り注ぐ。


 血の勢いが収まりかけた頃に、ようやく頂点を失った身体はぐらりとバランスを崩し、力なく後ろへと倒れ込む。


「金もまともに持ってこない上に、こんな奴らにまでつけられるなんて。本当に使えない男だ。」


 非情に投げかけられる章吾の言葉が、目の前で起きた出来事を拒否していた水夜の脳を再び動かした。そして、動き出すと同時に抑えきれない怒りが心を覆い、頭で考えるよりも早く魔力を開放していた。


「『我は望む、灼熱の矢を』!!」


 水夜の魔力は即座に炎の矢へ姿を変え、章吾へと襲いかかる。それを見た章吾は慌てた様子もなく、横に倒れていた仁の身体を自分の前へと蹴りつける。


 炎の矢に貫かれた仁の身体は一瞬にして炭化し、原形を維持できずにぼろぼろと崩れさる。それだけの熱量を消費してなお、勢いを一向に衰えさせない矢は、その後ろの章吾に襲いかかる。


 仁の身体と言う盾がなくなった章吾は、居合の構えを取って強く床を蹴り、迫りくる炎の矢をかわす。そして、飛んだ勢いはそのままに、一気に水夜との間合いを詰め、彼女の首が刀の間合いに入った瞬間、日本刀を横に薙ごうとする。


 だが、そこへと横槍を入れる人物がいた。


「『魔剛拳』!」


 僅かに鞘から覗いた白刃に向けて、その刃をへし折ろうとする大護の拳が下から突き上げられる。だが、拳を覆っていた魔力が刃に当たると同時に消失し、その刀を折る事は叶わない。


 だが、刀の軌道は水夜の頭上へと変更され、僅かに体勢を崩した章吾は大護の攻撃を警戒し、大きく後ろへと跳躍する。間合いを空けた章吾は再び刀を構えようとすると、視界の端に黒い何かが映る。


「盾としても役に立たないか‥‥もう目障りだな。『紫電』。」


 中心に穴のあいた黒い塊の傍らに落ちている仁の生首を鼻で笑いながら、落ちているそれに向けて手を薙ぐと、手と首の間に電撃が迸り、唯一仁の名残となっていた物も炭と化す。


 水夜は怒りに任せて、更に章吾へと魔法を放とうとするが、目の前を遮った大護の手で僅かに冷静さを取り戻し、辺りに渦巻いていた魔力を霧散させる。


「水夜、落ち着け。そんな量の魔力を使っちまったら、あいつを殺す事になるぞ?お前はそれを望んでねえ筈だ。」


「っ!?‥‥くっ!」


 核心をつく大護の言葉で、水夜は完全に戦意を喪失した。


 水夜は力無き人々が犯罪者に傷付けられるのを、黙って見ているのが嫌だった。だから、危険を承知でこのような仕事をしてきた。事実、今まで何人もの人を救ったと自負していたし、物は壊してしまっていたが、無関係な人は極力傷付けずにやってきた。


 だが、今まで人の命が目の前で潰えるのを、犯罪者のものも含めて見た事がなかった。心の何処かでは、自分は人を救う事が出来る、人を殺さずに仕事をこなせる、そんな驕りがあったのかもしれない。


 だから、急に目の前で命の炎が消えるのを見て、その炎を吹き消した章吾に、それに対して何も出来なかった自分に、無力感から来る憤りをぶつけてしまった。人を殺めるのに十分な魔法を、生きている人間に対して、何の躊躇いもなく使ってしまったのだ。


 有り余る力を心のままに行使し、気に入らない人間を殺す。これでは、水夜の嫌っている犯罪者と何も変わらないのではないのか。そう思うと、力を振う事が急に怖くなってしまった。


 隣で身体を震わせて項垂れている水夜を見て、今彼女に戦わせるのは酷だと感じ、大護は何も言葉を掛けずに構えを取る。章吾は刀を鞘に収めながら、また腰を低く落とす。


「高速の居合を使う雷の魔導士で、刀には防魔法コーティングか‥‥厄介極りねえな、お前。」


 防魔法コーティングとは、最近魔科学の進歩が生み出した、触れた魔力を消し去る特殊な加工の事である。先程大護の魔力が刀に触れて消されたように、魔法として成り立っていた魔力を霧散させてしまうのだ。


「一回の攻防だけでそこまで分かるなんて、さすがだな。『血染めの死神』。」


「何がさすがだよ。自分で見せたんだろうが。」


 瞳が紅くない章吾が、自分の事を『血染めの死神』と呼んだ事に少々驚きながらも、大護は構えを解く事はない。


 一般的に、魔法の中で一番厄介な属性は光属性、次いで雷属性と言われている。その理由は単純に、魔法が立ちあがってから襲い来るまでの間隔の短さ、平たく言えば速さである。


 つまり、属性だけで判断すれば、章吾はかなり厄介な部類であり、戦い方も速さに重きを置く居合が中心だろう。


 そうなると、リーチで負けている大護がどう立ち回っても、必然的に後手に回らなければならない。始まりの合図を告げる権利は、一方的に向こうにもたらされたのだ。


 その事は章吾も分かっているようで、どこか構えに余裕を残しているのが分かる。二人はしばらく睨みあった後、章吾が口を開く事で合図が告げられた。


 章吾は腰をより深く沈めると、魔力を床へと流し込む。


「『雷光』!」


 大護は魔力の流れを感じると、すぐさま隣で項垂れていた水夜を抱えて飛び上がる。大護が飛び上がるのと同時に、床が青い光に覆われ、その表面を軽く焦がす。


 この魔法は魔力消費が多大な為、魔力の少ない人間の章吾は滅多な事がないと使用しなかったが、大護が水夜を庇う事を計算に入れ、あえてこの魔法を使用した。そして、リスクを払った代償として、逃げ場のない空中へと大護を追い込む事に成功する。


 魔法を発動する直前に跳躍し、一気に近付けていた居合の間合いに、大護の首が入るのを確認し、章吾は口元を吊り上げる。


「連れが不良品だと、お互いに苦労するな!」


 章吾はこの一撃で決まると思っていた。現に、大護は水夜の身体が作る死角のせいで、こちらの動きを目視できていない。だからこそ、章吾は勝鬨にも似た言葉を吐いたのだ。勝利を確信しての一言だった。


 だが、それが大護にチャンスを与え、同時に自らの勝機を逃すものとなる。


「なっ!?」


 刀を振り抜こうとした章吾の腕に、半月のような軌道を描く大護の蹴りが直撃し、じんと痺れた感覚とともに、手から刀が離れるのを感じる。


 なぜ死角にいる自分に攻撃できたのかを疑問に思った章吾だが、すぐに自分の声で大護に位置を知らせてしまったのだと気付く。自分の詰めの甘さを悔いるが、今は手から離れた刀の回収が先だ。


 まだ宙を舞っている刀は、幸いにも自分の方へと回転しながら落ちてくる。大護がまだ着地していないのを見て、落ちてくる刀を掴んだ章吾は、また心に余裕を取り戻す。いや、それは余裕ではなく油断だった。


 今や人形と変わらない水夜の存在が、大護の枷となっている事で、大護の動きが制限されているのは明確であり、水夜がこの場を去らない限り変わる事のない弱点だ。まだ、自分が有利なことには変わりないと思っていた。


「さすがは『血染めの死神』だ。声だけで俺の位置を‥」


「悪いな、水夜。ちょっと寝てろ。」


「ぅっ‥」


 章吾の言葉を無視し、大護は水夜の首に手刀を入れて意識を奪う。


 大護のその行動を、章吾は足手纏いの排除だと考えた。自分が同じ立場ならば、躊躇いもなく殺しているが、大護は甘いから気絶で済ませたのだと。


 そんな考えをしていたから、大護の気配が変わっている事に気付けなかった。それは、先程は仕留め損ないこそしたが、その失態もすぐに直せるような些細なミスだったせいかもしれない。


 だが、一番の失態は全く違う事だった。


「今、水夜が不良品だって言いやがったか?」


「いきなり何だ?お前だってそう思うだろ?こんな男が死んだだけで怒り、敵である俺を殺そうとした事に戦意喪失する様な心の弱いガキだぞ?何でお前ほどの奴がそんな不良品を連れているのか理解に苦しむね。『紫電』!」


 章吾の詠唱で発生した雷撃が、大護へ向けて高速で迫るが、大護はその場を動かず、右手の手甲を外した。


「『―――』。」


 雷撃の騒音で掻き消された大護の詠唱は、章吾には届く事はなかった。ただ、大護の魔力が解放された証拠に、右腕が黒い魔力で覆われていた。


「なっ!?」


 章吾には、大護が一体何をしたのか分からない。大護の気配が変わったと気付いた時には、視界が闇に染まっていた。


 自分の身体が訴えている感覚が何なのかも分からない。ただ、何かが床に落ちる音だけが聞き取れた。







 水夜は闇の中にいた。しばらく、その何もない空間に浮いていたが、不意に何かが視界に入る。それが大護の後姿だと分かり、水夜はそこへ近付こうとする。


 大護は闇の中にいる水夜に気付いたのか、振り向こうとする。だが、大護の顔が見えそうになった瞬間、その身体が炎の矢で貫かれる。それでも振り向く動きを止めない身体が動きを止めた時、水夜は信じられない物を見る。


 大護だった後ろ姿は、仁のものへと変わっていた。炎で身体を包まれていく仁は、章吾に殺された時と同じ顔をしている。水夜は怖くなって目を逸らそうとするが、身体が言う事を聞かない。


 ただ、燃えていく仁を見る事しかできなかった。


「――じょうぶ――か―み――ん!大丈夫ですか!?起きてください!!」


「っは!?」


 誰かの声が聞こえて、水夜は目を覚ました。


 目が光に慣れるまでしばらく掛かったが、すぐに呼び掛けていたのが香織だと分かる。目の前にある心配そうな香織の顔を見ても、水夜は何を心配されているのか分からなかった。何か夢を見ていた気がするが、あまりよく覚えていない。


 そんな風に呆けている水夜を心配そうに見つめる香織は、額の汗を拭こうとハンカチを取り出す。どうやら寝ている間に、随分汗をかいていたらしい。


 世話焼きな奴だと思いつつ、身体を動かすのが億劫だったので、そのまま拭いてもらう事にする。香織に額の汗を拭かれながら、ここがどこかと周りを見渡すと、どうやら請負所の応接間のようだ。いつものソファに横になっているのが、身体を押し返してくる馴染みのある感触で分かった。


 だが、頭は他とは違う、もっと柔らかい感触である事に気付く。意識がまだはっきりしていない水夜はなんとも思っていなかったが、次第に霧が晴れていくように頭が覚醒していき、やっとその事に疑問を持つ。


 なぜ寝転がっている自分の目の前に、覆いかぶさるように香織の顔があるのか。


「良かった。目が覚めたんですね。随分うなされていましたよ?」


「私がうなされていた?‥って、貴様!私に何をしているっ!?」


 それがなぜか分かった途端、水夜はばっと身体を起こし、香織から遠ざかるように飛び退く。自分が香織に膝枕されていた事を、やっと頭が理解する。


 慌てて身体を起こした水夜が何をそんなに怒っているのか、香織には分からなかったが、膝枕されていた事が気に障ったのかと思い当たり、無罪の身であるにも関わらず頭を下げる。


「す、すいません。水夜さんが寝やすいと思ったんですけど‥‥」


「い、いや‥‥貴様は何も悪くない。私が勝手に慌てただけで‥‥‥って、誰だ?貴様の隣で寝ているのは?」


 今まで気付かなかったが、冷静に周りが見えるようになってくると、香織の隣で寝ている少女に気付く。


 少女は香織の肩に頭を乗せたまま、短い黒髪で目を隠している。だが、よく見れば、香織に瓜二つな顔をしているのに気付く。


「あ、この子は妹の沙織です。」


「‥ん‥‥ふぁああ‥」


 紹介された沙織は、その声で目が覚めたのか、眠そうに欠伸をしながら、大きく伸びをする。そして、眠そうな目で部屋を眺め、水夜の姿を見ると、一気に顔を明るくする。


「良かったぁ!!ずっと目を覚まさないから心配したんだよぉ!!」


 寝起きでどうやったらここまでテンションが上げられるのか疑問に持った水夜に、沙織は飛び掛からん勢いで抱きつく。


 いきなり抱きつかれると思っていなかった水夜は、自分よりも大きな身体の沙織を支えられず、そのまま床へと倒れ込んでしまう。


「いつっ!?」


「私のせいで大変な事になったみたいで、ごめんね!ただ、どんな事にお金がいるか知りたかっただけだったんだけど‥‥そのせいで、みぃちゃんが嫌な思いをしたみたいで‥‥」


「そう言えば‥‥‥ってみぃちゃん!?まさか、私の事か!?そんな呼び方は‥」


「私に出来る様な事があったら何でも言ってね!」


「まずは人の話を聞け!それから‥」


「大丈夫だよ。仁君が悪い人だってことは、大ちゃんから聞いたから。でも、二人で悪い悪党をやっつけてくれたんでしょ?ありがとう!」


「大ちゃん!?まさか大護の事か!?」


 後頭部を床に打ちつけて悶絶している水夜に、沙織は一息に謝罪すると、また覆いかぶさるように抱きついて来る。


 水夜は一瞬章吾との戦いを思い出し、顔を曇らせる。だが、そんな水夜に、落ち込む暇さえ与えない沙織のマシンガントークが浴びせられる。そんな二人の騒がしい様子を、香織はただ笑って見ていた。


「そう言えば‥‥大護さん、遅いですね。」


 そんな香織の呟きは、ぎゃあぎゃあ騒いでいる二人の耳には届かなかった。 







 竜次に呼び出されて、大護は病院の屋上へ来ていた。


 周りでは患者が話していたり、看護婦が車椅子を押したりと、意外に賑やかなそこで、大護は柵に背を預けながら、呼び出した本人へ目を向ける。目を向けられた竜次はその隣に立ち、包帯に覆われている大護の右手に目を向ける。


「久しぶりにあの技を使ったようだな。おかげで、相手は喋られる状態じゃなくなっていたぞ。」


「うっせえな。暑くてイライラしてたんだよ。それより、情報は集まったのかよ?」


 珍しく皮肉を言ってくる竜次を苦々しく睨みつけ、大護は右手を庇うように隠す。大護の言う情報と言うのは、今回戦った章吾の身元についてのものだ。


「今回は苦労したぞ。お前の言った通り、魔界の方で情報を集めて、ようやく正体が分かった。」


 人間である章吾が自分の事を『血染めの死神』と呼んだ事が引っ掛かっていた大護は、竜次に魔界の犯罪者から探すよう言ったのだ。そして、どうやら大護の考えは当たっていたらしい。


「田原章吾、懸賞金1200万。最近魔界で発足し、人間界で頭角を現してきた『謳歌師団』と言うマフィアお抱えの剣士だ。」


 竜次はそれだけ言うと、大護へ手配書と懸賞金の入った封筒を渡す。大護は手配書の顔が、自分と戦った男の顔と一致するのを確認すると、受け取った物を懐へとしまい込む。


「マフィアの一員か‥‥こりゃ予想以上に厄介だな。にしても、何で魔界のマフィアが人間界で暴れてんだ?そんな手間が掛かる事して何か意味あんのか?」


「謳歌師団には二つの顔があってな。表の顔は『神崇教』と言う、魔界の僻地でだけ信教されている宗教団体だ。」


「で、裏の顔がマフィアってわけか?まるでコインの裏表みてえなもんだな。」


「話を戻すが、魔界で発足したのはおそらく、警察の捜査網から逃げるためだ。要は、神崇教はカモフラージュだ。宗教活動で資金を稼ぎ、人間界で犯罪を起こしている訳だ。」


「よくもまあ、そんなに詳しく調べたもんだぜ。どんな手使ったんだ?」


「簡単な手だ。冬馬に囮捜査をさせた。」


 冬馬の名前が出ると、大護は嫌そうに顔をしかめる。


「なるほど。最近お前に会っても、あの野郎の顔を見ねえ理由が分かったぜ。」


「本当に仲が悪いな、お前達は。」


 大護の憎まれ口を聞きながら、竜次は溜め息をつく。


「それよりも、これからは気をつけろ。謳歌師団はまだ小規模だが、手段を選ぶような奴らじゃない。その上、今回関わった事で、お前に目を付けたらしい。」


「はぁ‥‥さっさとそんなマフィアなんて潰しちまえよ。冬馬を送り込んだって事は、もう乗り込むのは決まってんだろ?」


 大護のそんな言葉に、竜次は珍しく顔を歪ませる。


「残念だが、そう簡単にはいかない。謳歌師団は総統に賄賂を渡しているらしくてな。迂闊に手が出せん。」


 総統。警察の全権を持ち、人間界で知らない者はいない。


 最近総統が近郷重盛へと受け継がれたのだが、そこから警察が方向性を全く変え、今まで警察とは別に動いていた空軍、陸軍、海軍を吸収合併し、今や政治にまで影響を与える人間界最大の勢力団体となっている。


 そんな警察を率いている総統は、賄賂さえ受け取れば犯罪を見過ごすような男なのだ。そして、謳歌師団もそれを知っており、神崇教と言うカモフラージュの上に、賄賂による防壁を張っているのだ。


「また総統様かよ、ったく。ああ、だから冬馬に行かせた訳か。」


「そうだ。俺の知る限り、ある程度実力があって、魔界に顔の知られていないのは、冬馬くらいしかいないからな。冬馬は休暇を取って魔界見物に行った、という事になっている。」


「なるほど。お前からの個人的な頼みとなりゃ、あの忠犬も尻尾を振って行くだろうな。」


 大護の皮肉に、竜次は苦笑いを浮かべるしかない。


 竜次直属の部下と言う事で、人間界ではある程度顔が知られている冬馬も、身分はまだ一介の警察官だ。魔界では顔どころか、名前さえも知られていないだろう。


 そして、竜次に異常なほど憧れている冬馬は、裏切りの心配をする必要がない。まさに今回の仕事では適任だった。


「で、わざわざメールや電話で済むような話の為に呼び出したって事は、俺に依頼か?」


「察しが良くて助かる。もう十分な証拠は揃って、ちょうど頃合いだと思ってな。」


 大護の面倒臭そうな顔を見ながら、竜次は呼び出した本当の目的を告げる。


「謳歌師団を壊滅させてほしい。幸いにも、今回の事でお前にも戦う理由は出来た。もちろん通行料などの経費は払うし、依頼料も弾む。悪い話ではないだろう。」


「‥‥‥‥‥‥」


 すぐに良い返事が聞けると思っていた竜次は、黙りこくる大護に少し戸惑った。大護は真剣な目で屋上から見える風景に目を向けていたが、視線はそのままに、静かに口を開く。


「返事はちょっと待っててくれ。」


「‥?ああ、分かった。出来るだけ、早く返事をくれ。」


 煮え切らない態度の大護を不思議に思った竜次だったが、彼がその理由を問う前に、大護はその場を後にした。







 請負所に戻って来た大護は、滅茶苦茶に荒らされている応接間の惨状を見て、もう謳歌師団の手が回って来たのかと思ったが、それは隣の部屋から聞こえる声で思い過ごしだと分かる。


「みぃちゃ~ん!待ってよぉ!」


「誰がみぃちゃんだ!それに、貴様の手に持っているそのスカートは何だ!?そんなフリフリしたものなど穿かんぞ!」


「駄目ですよ、水夜さん!そんなに物を投げちゃ!危ないですよ!」


 女が三人寄れば姦しいと言うが、まさにそんな騒ぎ声が、水夜の部屋から聞こえてくる。あまり行きたくはない大護ではあったが、このまま放置しておくことも出来ず、恐る恐る水夜の部屋の扉を開ける。


「おい、水夜。何し‥ぶッ!?」


 大護は扉を開けた途端に、飛来してきた何かに顔を強かに打ちつけられる。それが顔からずれ落ちると、そこには先程の応接間に負けずとも劣らない惨状が広がっていた。


 全ての引き出しが引き出されたまま、中身を覗かせているたんす、シーツが皺だらけにされたベッド、また投げつけるつもりだったのであろう枕を手にしている水夜、フリフリのついたスカートを持ったまま涎を垂らしている沙織、どうしていいのか分からずに部屋の隅でおろおろしている香織。


 まさに混沌と言う言葉がうってつけな状況は、大護が部屋に入ってくると時間が止まったかのように停止した。そして、部屋に入って来た人物が誰か分かると、また時間は進み出す。


「大護!遅いぞ!貴様が遅いから、私はこんな服を着せられそうになって‥」


「大ちゃん、お帰り!それより聞いてよ!みぃちゃんがこの服着てくれないの!」


「だ!か!ら!そのみぃちゃんは止めろ!」


「すいません。どうしても止められなくって‥」


 三者から一斉に声を掛けられて、大護は思わず身じろぐ。水夜と沙織は喧しく耳元で騒ぎだし、香織は二人の声に掻き消されそうな声で謝っている。


 どう事態を収拾するかと頭を抱えている大護に、三人は気の済むまで声を浴びせかけるのだった。 


 ようやく三人が落ち着き、部屋も元の姿に戻った所で、やっと大護は言いたい事が言える心の余裕を取り戻した。


「今回戦った奴は、田原章吾。懸賞金は1200万。しかも、バックにマフィアがいる様な野郎だ。こんなのと戦ったんだから、今回の依頼料は上げさせてもらうぞ。」


 だいぶ華田姉妹と打ち解けた大護が、砕けた口調でそう言うと、隣に座っていた水夜が口を挟んでくる。


「貴様!仁も守れなかった私達にそんな事を言えた義理が‥」


「仕事の前にも言ったよな?俺達は慈善事業をしてる訳じゃねえんだ。リスクを払った見返りとして、こっちは金を貰ってんだよ。」


「ぐっ、だが‥‥」


「それに、仁は助けられなかったが、一応俺達は依頼をこなしてきた事に変わりはない。そうだろ?」


「そうだが‥‥でも‥」


 完全に大護の言う事が正論であり、水夜のそれは感情論だ。


 依頼内容は、仁が何に金を使ってくるかを調べる事であり、その依頼自体は達成した。依頼内容に仁の命を救え、などの内容がないのも事実だ。


 だが、それでも人の命が救えなかった水夜にとって、今回依頼料を貰うのは心が受け入れられなかった。


「はい、分かりました。大護さん達を危険な目に合わせてしまって、これ以上の文句もありません。」


「うん、そうだよね。仁君が死んじゃったのは悲しいけど、私の事を騙してたひどい人だったし、これ以上騙される人がいなくなる事は、きっといいことだよ。」


 そんな水夜とは違い、香織は納得して、沙織は悲しげに言葉を返す。


 理不尽にも思える提案に躊躇なく承諾する二人を見た大護は、香織が請負所を訪れた時から考え、先程の姦しい三人の姿を見て決行を決めた計画を実行へと移す。


「まあ、俺も商売道具である右手を怪我しちまったし、その治療費も込めて300万が妥当だな。」


「「「え‥?」」」


 大護以外の声が重なる。出そうとしていた額の十倍に相当する金額に、水夜はおろか、華田姉妹も言葉を失う。


 あまりに理不尽な増額に、水夜は大護をまた叩こうと立ちあがるが、大護は淡々と言葉を続けていく。


「で、払えるのか?300万。」


「い、一度には無理ですが‥‥絶対に払います!」


「駄目だ。俺は一括払いって決めててな。そう言って身元を暗ました奴なんて、掃いて捨てるほどいる。」


「そんなことしないよ!」


「口では何でも言える。証明できるものは金しかねえんだよ。」


 大護の言葉に、誰も言い返せない。この場において、理不尽であっても大護は正論を言っている。


 誰も反論してこない事を確認して、大護はいよいよ計画を最終段階へと進める。


「払えねえんだったら、ここでただ働きしてもらうしかねえな。二人には、‥‥そうだな。事務仕事でもしてもらうか。勿論、今してる仕事の合間で構わねえ。仕事を止めて生活が出来なくなったんじゃ、俺の夢見が悪くなる。」


 かなり回りくどいが、友人のいない水夜を案じた大護が、この流れを予定して今回の依頼を受けたのだ。人当たりの悪い水夜の態度を見ても、嫌そうな顔一つせずに接している香織を見て、この計画を思い付いたのだ。


 初めに香織へ取ったあの態度は、水夜の根がいい事を見せるために。そして、今回の仕事でわざと怪我でもして、依頼料を引き上げるのも計画の内だった。計画の外にあったのは、沙織というおまけがついてきた事だけだった。


 大護の言葉の真意を理解した香織は優しそうな顔で大護に笑みを向けるが、見抜かれた事が恥ずかしくなった大護は、そっぽ向いて頭を掻く。


 だが、表面上さえも理解していない沙織は、嬉しそうに水夜に飛びつき、大護にもう一度確認を取る。


「じゃあ、好きな時に遊びに来ていいの?」


「遊びにじゃなくて、働きにだ。」


「ふふっ、そうですね。」


 大して違いもしないのに、大護はそう言って、水夜へと目を向ける。水夜は抱きついてくる沙織を引っぺがそうと必死になっているが、顔は嬉しそうなものだった。こうして、請負所に新たな臨時社員が入る事になった。


 しばらく水夜と沙織が戯れているのを見ていた大護だったが、つい先ほど竜次の依頼を持ち掛けられたのを思い出した。


「水夜、次の仕事の事なんだけどよ‥」


「ん?もう次の仕事を決めたのか?怠慢な貴様にしては、やけに早いな。」


 大護が真剣な顔をしているのを見て、何とか沙織の下から抜け出した水夜は、大護の前へと立つ。大護は次の言葉を慎重に選びながら、言葉を続ける。


「章吾のバックにいるマフィアを潰せって依頼なんだが、そのマフィアは魔界に本拠地を置いてるらしい。」


「っ!?」


 大護の言葉に、水夜は言葉を詰まらせる。


 理由は大護も知らないのだが、水夜は魔界へ行くことを嫌がっている。魔族なのだから、水夜も生まれは魔界の筈だが、どうしてか魔界へは行きたがらないのだ。


 大護も遠くの犯罪者を取り締まるつもりはなかったので、今までは魔界へ行く機会はなかったのだが、今回は竜次から直々に依頼されたのだ。さすがの大護でも、無下にはできない。


「魔界に行くのが嫌なら、今回は俺だけで行っても‥」


「いや、我儘は言っておれん。私も行く。」


「じゃあ、しばらく会えなくなるのか~。残念だなぁ。」


「帰ってくる時は、連絡してくださいね。」


 普段の態度が我儘でないとすれば、何を持って我儘とするのかが大護は気になったが、これで竜次にいい返事が返せると、携帯でメールを出しておく。


 こうして、魔界へ行くことが決まった。これが二人の運命を狂わせていくとも知らずに。







 大護と竜次が話をしていた病院の一室で、身体を拘束ベルトでベッドに縛り付けられた男がいた。その男は、大護達と戦い敗れた章吾だった。


 犯罪者という事で、面会謝絶の札が掛けられている個室で療養していた彼の枕元に、一人の男と一人の少年が立っていた。


「ずいぶん派手にやられたみたいだね。普段大きな口を叩いてるくせに。」


「黙れ、秀治!俺は油断しただけだ!次こそは‥」


「次こそは勝てるってかぃ?両腕もないのに?」


 秀治と呼ばれた少年は見下すように章吾を見ているが、隣の男は呑気な口調で笑っていた。


 男の言う通り、章吾は大護との戦いで両腕を失った。何をされたのかも分からなかった。気がついた時にはここに寝ていたのだ。


 記憶に残っている事と言えば、刀が床に落ちた時に響いた金属音と、凄まじく歪んだ魔力を感じたのだけだ。章吾は記憶の中の大護に恐怖を覚え、動かない身体をぶるっと震わせる。


「何とでも言っていろ。それより早くこの鬱陶しいベルトをはずせ。」


 頭の中の幻想を振り払うように、章吾は男に命令するが、男は笑ったまま動こうとしない。


 その目の奥が笑っていないのに気付き、章吾は何かがおかしいと感じる。


 なぜ自分のように戦力が半減した者を、わざわざ警察に気付かれる危険を冒してまで迎えに来たのか。


 答えに辿り着いたのは、秀治が動いてからだった。


「その必要はない。あんたはもう用済みだ。」


 秀治はそう言うと、病室においてあった果物ナイフを手に取る。それを見た章吾はようやく二人の目的を悟り、身動きできない身体を必死に動かそうとする。


「普段から軽率な行動が多かったあんたは、もう謳歌師団には要らないとさ。残念だねぇ。」


「今までは腕が立つから黙認されてたけど、両腕のないあんたは謳歌師団の存在を脅かすだけだ。要は邪魔なんだよ。」


「ま、待っ‥」


 章吾の言葉はそこで途絶えた。章吾の脈が止まったのを確認した二人は、その場を音もなく後にした。


 章吾が死んでいるのを発見されたのは、次の朝になってからだった。

大護は気付いてませんが、ハーレムですね。

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