でこぼこな二人
初めてで拙い作品ですが、何とかほのぼのとやっていきたいと思います。更新は亀並みにゆっくり頑張ります!
どこにも人影の無い、街頭にも電気が通っていない様な錆びれた路地裏を、一人の男が走っていた。男は今まで悪事をしていたため、これまでにも幾度かこういった経験はしていた。だが、今回はそれまでの命の遣り取りが、まるで子供のお遊戯程度でしかなかった事を思い知らされた。
いきなり現れた二人組が自分達を捕まえると言い出した時から、地獄はもう始まっていた。大量に密輸していた重火器を使って、いつものように殺してやろうとした事を後悔させるかのように、その二人は圧倒的な力でそれを跳ねのけ、気付けば自分一人となっていた。
もうどれくらい走っただろうか、心臓は早鐘のように鼓動を刻み、肩も大きく上下している。それでも走っているのは、後ろから来ているであろう、あの二人から逃げるためだ。後ろからは足音も聞こえないが、それでも確認するために後ろを向くならば、その時間に少しでも前に進みたかった。だが、それまでにも悲鳴を上げていた身体が、もう限界だとでも言う様に動きを止めて、誰が捨てたかも分からないごみの山に男を突っ込ませてしまう。
「‥‥はぁ、‥‥‥はぁ‥‥‥っ‥」
精魂尽き果てた男は諦めたように、ゆっくりと身体を起こしながら、恐る恐る後ろを振り返る。するとどうだろうか、さっきまで追いかけて来ていると思い込んでいた、男を恐怖のどん底に叩き落とした二人がいないではないか。冷静になって考えてみれば、ここがどこかも分からなくなるほどの距離を全速力で走って来たのだ。
きっと奴らも諦めたのだろう。そう思うと同時に緊張していた全身から力が抜け、自分が突っ込んだごみの山に身体を預けて横になり、乱れ切った息を落ち着かせる。
「ははっ、助かった‥‥俺は助かっ‥」
崩れかけたビルに囲まれた青空を見上げながら男が笑みを浮かべるのと同時に、男の視界に何かがよぎるものが映る。ビルとビルの間をよぎったその『何か』は、男が頭を向けているビルに飛来すると、そこでピタリと動きを止める。初めは『それ』が何なのかという興味でそれを目で追っていた男は、『それ』が何か分かった瞬間、ゆっくりと温度を下げていた身体が一気に冷えるのを感じた。
「やっと諦めたか。貴様が逃げ回るから、無駄な動力を浪費してしまったではないか。」
「‥お、お前、は‥‥‥俺にか、つがれてた、‥っ、はぁ‥‥はあ‥‥だけだろう、が‥‥‥」
ビルの屋上から、横たわる男を見下ろす『それ』の正体は、男の恐れていた二人であった。一人はまだ幼さの抜けきっていない少女で、肩上ほどの金髪と紅い瞳が印象的だ。もう一人は青年と言うに相応しいほどの容姿で、少し跳ねた長めの明るい茶髪をしており、今は男に負けない程に息を乱し、ぜいぜいと喘いでいる。
「私の足では追い付けないから仕方ないだろう。それより貴様だ、貴様!」
まるで運んでもらうのが当然だと言わんばかりの少女の口調に、青筋を立てた男が何か言い返そうとするが、それを遮るように少女がごみの上に横たわっている男に声を張り上げる。声を掛けられた男はそれだけで全身を強張らせ、懐に忍ばせてあった銃を少女に向ける。
「てっ、てめえら!俺の部下はどうした!?」
武器を構えた男が二人に問い詰めるが、その声は震えており、まるで迫力に欠けている。そして、銃を向けられている少女の目は、先程の男の言葉を聞いた瞬間に少し冷めたように鋭くなり、より一層男の心を追い詰めていく。
「貴様の『仲間』なら、今頃は警察にお世話になっているぞ。」
『仲間』という部分を強調して、少女はここで何かを待つように口を閉ざす。だが、そんな彼女の状態に、軽いパニック状態の男が気付ける筈も無く、いらついたように舌打ちをする。
「ちっ、雑魚共が‥‥俺が逃げる時間も稼げないなんて‥‥」
男にとっては無能な部下に対する、なんて事の無い愚痴のつもりで言った言葉だった。だが、それは少女が許せない言葉でもあった。
「‥‥‥そうか‥‥もういい‥‥‥」
「あ?」
「っ!?やべぇ!おい、逃げろ!」
急に黙りこんだ少女を見て、隣で息を整えていた男は慌てた様子で敵である男に声を掛けるが、それはもはや男の耳には入っていなかった。少女があり得ない程に膨大な量の魔力を放っているからだ。
最初に会った時、瞳の色から魔族であるのは分かっていたので、彼女がある程度の魔力を有している事自体は分かっていた。だが、少女の魔力は、男が予想していた、いや、予想できる範囲を遥かに凌いでいた。先の戦いとも呼べない一方的な惨劇さえも、この魔力に比べれば霞んでしまう。それほどまでに、少女の魔力は圧倒的だった。
「『我は望む、灼熱の破壊を』!」
言霊を乗せられた魔力は炎と化し、銃を構えたまま呆けていた男を呑み込み、辺りに轟音を響かせた。
場所は変わって警察署。茶髪の男こと、黒河大護が、すっかり顔馴染みとなった受付の婦警に挨拶を交わす。
「こ、こんにちは~。今日はいい天気ですね~。」
「こんにちは、黒河さん。で、今日は何枚ですか?」
何処か目を泳がせながら、妙に額に汗を浮かべている大護に対し、婦警は慣れた様子で『始末書』と書かれた引き出しに手を掛けている。
「‥‥‥‥俺達って、けっこう長い付き合いじゃないで「何枚ですか?」‥三枚でお願いします。」
大護の縋る様な言葉を一蹴し、婦警は言われた枚数の始末書を大護に渡し、別の用があるのかその場を後にする。その場に残されたのは、がっくりと肩を落とす大護と三枚の始末書だけだった。
「大護、何をしている?さっさとそれを書いて帰るぞ。」
金髪の少女こと、水原水夜は、この始末書が数件の廃墟を魔法で吹き飛ばした自分のせいだと理解した上で、それでも悪びれた様子も無い。大護はこめかみを波打たせるが、どうせ何を言った所で彼女がこの態度を変える訳でもないと分かっているので、彼女を一瞥して大きく溜め息をつく事に留める。
そして、自分が今手にしている紙切れに、これから何を書こうかと頭を巡らせていると、今さっきまで隣にいた水夜の姿が無い事に気付き、また大きな溜め息をつく。
水夜自身は子供扱いされることを嫌っており、自分は大人だという態度を取っているが、目を離せばすぐに興味の引かれた物の方へと吸い寄せられてしまう。今回も例に漏れず、水夜はある物を輝いた目で眺めていた。
「ったく。今度は何だよ?」
面倒臭そうに頭を掻きながら、大護は水夜の側へと言ってみると、彼女の視線の先にある物が何なのか分かり、さっと血の気が引くのを感じる。水夜は大護が隣に来た事に気付くと、今の彼には眩しいほどの笑顔で、目の前にある『最高級ソファ』を指差している。
大護は水夜の指差ししている最高級ソファを見ながら、自分達が寝泊まりしている自宅兼請負所のソファを思い出す。いつも彼女が寝転がっていたソファだが、最近古くなっていたのか、足が一本折れてしまったのだ。ソファの足は大護がそれなりの修理をしたのだが、水夜はそれでも寝心地が違うと文句を言っていた。
そして、今のこの状況である。もう彼女からの言葉など、おおよそ予想はついている。ついてはいるのだが、心が拒絶しているのか、こんな言葉が口から零れる。
「こ、これが‥どうかしたのか?」
「これが欲しいぞ、大護!」
何で警察で家具売ってんだよ?何でよりによって最高級なんだよ?何でこの時期にソファが壊れるんだよ?
色々な言葉が頭をよぎりはしたが、そのどれも大護の口から出ていく事はなかった。代わりに出たのは‥
「へ~。でも今回の事で賠償金を払わなきゃいけないから無理だな。」
自分でも分かるくらいに棒読みで、この上なく震えた声だった。
水夜と出合ったのは三年前で、それ以来行動を共にしているが、どうやら彼女とは金銭感覚が少し、いや、かなり違うらしい。大護は昔から大量の懸賞金を受け取っていたが、それでも質素に生活していた。だが、彼女に出会ってから生活は一変した。それまで貯め込んでいた大護の貯蓄を、まるで湯水の様に使い切り、今では通帳に入れるお金さえない状態だ。
しかし、水夜は決して浪費している訳ではない。ただ、買う物の質がいいだけなのだ。今回の事でもそうであるように、水夜が買うのは常にその店にある一番質の良い物を買う。ただそれだけなのだ。決して無駄な物を買っている訳ではないのだ。だからこそ、大護は断る事が出来ない。
以前に安い物でもいいだろうと反論した事もあったのだが、それではすぐにガタが来てしまう、せっかくお金を持っているんだから、使わなければ勿体ない、と口車に乗せられて、気付けば破産寸前まで来てしまっている。そんな時にこんな物を買える訳も無いのだが、水夜の心はもうこのソファに奪われてしまっている。
こうして何とか他の話題に切り替えようと思考している今も、大護に期待の込められた視線を向けている。大護は頭の中をフル回転させて、ようやく行き着いた答えに口を開いた。
「‥‥‥ぶ、分割払いなら‥‥‥買えるかもしれないな‥‥」
その日、警察署からソファを抱えた男と、その横をスキップしながら歩く少女が注目を浴びる事となった。
もらった懸賞金で支払ったソファを抱えた大護と水夜は、自宅も兼ねている『黒河請負所』という看板が掛けられた家に戻って来た。本来なら夕食の食材を買い出しに行くつもりだったのだが、大護の財布が予想外の寒波に襲われたため、一旦寒波の原因を置いてから、また仕事をしなくてはならなくなってしまったのだ。
「まったく‥‥何で計画的に金銭の管理が出来んのだ、貴様は。」
「‥‥‥‥誰のせいだと思ってんだよ‥」
「ん?何か言ったか?」
「何でもねえよ。はぁ‥」
今日何度目かになる溜め息を漏らしながら、大護は鍵を開けて家に入ろうとする。だが、玄関に足を踏み出そうとした大護は、何かに引っ掛かり動きを止める。何事かと後ろを見ると、玄関にソファが引っ掛かっているのに気付き、一旦外に出て角度を変えて入れようと試みるも、どのように入れようとしても引っ掛かってしまう。
「くそ、入らねえな。」
「何をしているんだ、大護?さっさとお茶を入れろ。」
どうにかソファを玄関に通そうと格闘している大護の横を、手ぶらの水夜が涼しげな顔で入っていく。しかも、給仕をしろという命令のおまけつきだ。
それまで抑えてきた大護も、感情を持った生き物だ、限界はある。
水夜がソファをねだってせっかくの収入が無くなり、そのソファが玄関に入らず、要らぬ労力を使わされ、その上お茶まで入れろという言葉に、頭の奥で何かがぶちりと切れる音がした。
「っざけんじゃねえ!!誰のおかげでこんな最悪な気分になってると思ってんだ!?ただでさえ、一日に二回も仕事しなきゃならねえのに、お茶を入れろだぁ!?てめえの世話ぐらい自分で見ろや、くそガキ!!‥‥あ。」
最初こそ溜まりに溜まった、いや、水夜にとっては何の切っ掛けも無しに怒りを露わにした大護を見て、ぽかんと呆けていた水夜だが、大護の最後の言葉を聞いた瞬間、操り人形の糸が切れたかのようにがくっと肩を落とし俯く。大護も自分の失言に気付きはしたが、言葉を取り消す事など出来ない。
がくがくと震える足を無理矢理動かして、何とか水夜から離れようとした大護の肩に、水夜はそっと手を置く。ただ置かれただけの、添えられた程度にしか触れていないその手で、大護の全身はどんな頑強な鎖で巻かれるよりも、強く拘束されてしまう。
大護が全身を小さく震わせている前で、ゆっくりと水夜の顔が上がる。上がった彼女の表情は、先程ソファをねだった時に引けを取らない、素晴らしい笑顔だった、目が笑っていない事を除いては。
「誰がガキだああああ!!『我は望む、赤き破壊を』!!」
「ぎゃああああああああああ!!」
水夜の怒号の後に地面が揺れるほどの爆発が起きたが、その辺りを歩いている人々は、またいつもの痴話喧嘩か、などと口々にそう溜息を吐いて、何事も無いかのように通り過ぎていくのだった。
先程までの不機嫌な顔が嘘のように、水夜はご機嫌な顔で新品のソファに寝転がり、テレビのチャンネルを切り替えながら、好きな番組がやっていないかを探している。水夜の魔法のおかげで玄関が吹き飛んでしまい、皮肉にもソファは無事設置する事が出来たのだが、無事では済まなかった包帯を全身に巻いている大護は、パソコンのメールボックスを見ている。
大護達は誰かからの依頼を受けて、その依頼料を受け取るのが仕事であり、その依頼の大部分はこういったメールで送られてくる物の中から大護が選んでいる。前に一度水夜が仕事を決めようとメールを見た事があったが、その膨大な量のメールを見て気が滅入ったのか、それ以来大護にそれを一任している。
「今回は急ぎで金が欲しいから、目標が近そうなこれにするか。潜伏先、変わってねえといいんだが‥」
「お?もう決まったのか?」
特に好きな番組もやっていなかったようで、水夜はすぐにテレビを消して身体を起こす。大護もメールで『この依頼をお受けします』と返信すると、愛用している手甲を手に嵌める。
「で、今回の仕事は何だ?」
「懸賞金150万の『トール=ギート』を捕まえて終わりだ。今度の奴は個人で動いてるから、逃げられるような事にはならねえだろ。」
机の上にある懸賞金の掛けられた犯罪者の手配書の束の中から、大護はお目当ての人物のそれを抜き取り、水夜に見せる。水夜はそれを受け取ると、ある部分で視線を止める。
「紅い目‥‥という事は魔族か。」
「まあ、さっきほど簡単にはいかねえだろうが、それでも大丈夫だろ。」
呑気に大護はそう言いながら、未だに煙を上げている玄関へ足を進める。水夜はそれについていきながらも、手配書を真剣に見つめ、トールの顔を覚えようとする。
以前に一度だけ、人違いで一般人に怪我をさせてしまった事がある。怪我自体が大した事が無かった事もあり、被害者の方も許してはくれたのだが、水夜はその事を深く心に刻み込んでしまっていた。
そんな水夜に気付いた大護が、やれやれと彼女の頭をくしゃくしゃと撫でつける。
「あの時の事は気にすんなって言っただろ?大事なのは、失敗をどう生かすかだ。それさえ出来りゃ、無関係の奴が傷付く事は無くなる。分かるな?」
「‥‥‥‥‥分かった。」
まだ納得しきれていない様子の水夜だったが、渋々手配書から視線を外す。
「俺がこいつの顔を覚えてるから大丈夫だって。そんなに神経質になるなよ。」
「‥‥貴様に言われなくても分かっている‥‥‥‥ただ‥」
「あぁ、うっせえな。お前が壊した玄関を直す金もいるんだよ。さっさと気ぃ引き締めろ。へまして足引っ張んなよ。」
頭を撫でつけていた力を強めると、大護は一息にそう言って、足早に行ってしまう。大護にとっての早足は身体の小さい水夜からしてみれば軽い走り程度の速さなので、慌てて水夜はそれを追った。
「誰が貴様の足など引っ張るか!それに、玄関も壊したくて壊したのではないぞ!貴様が悪いんだからな!」
そう悪態をつきながらも、水夜は大護に心の中でだけ感謝した。
さっきまで暗い気分になっていた自分の事を、大護は不器用なりに元の位置に引っ張り上げてくれる。水夜も大護もそれを認めるのが互いに気恥かしく、決してお礼を言ったり、優しい言葉を掛けはしない。だが、その言葉の中に含まれている気遣いは、お互いに感じられる。それだけで、二人が互いにどれだけ信頼しているかが分かった。
大護と水夜はトールの潜伏先であるホテルの前に立っている。そのホテル市街地からそこまで距離の離れていない、ごく一般のホテルであった。勿論、その周りには一般人が賑やかしく行き来している。
「さて。まずは周りをどうするか、だな。」
周りに買い物袋を提げた主婦や友達と遊ぶ子供たちで賑わう中、大護は面倒くさそうに腕を組んでホテルを見上げる。こんな中で戦闘を起こせば、一般人を巻き込む可能性は極めて高くなってしまう。請負所を出た時の水夜の心境を鑑みれば、それはあまりよろしくない。
人通りの少ない夜中にでも出直そうかと、水夜の方を見るが、そこに彼女の姿は無く、少し離れた所で何かしているのが視界の端に入る。また何か見つけたのかと、大護は重くなる足を引き摺るようにして、自由奔放な彼女の方へ近付くと、彼女の前で泣いている小さな男の子がいるのに気がつく。
「うぇ、ええぇえぇぇぇん!おがあざああん!」
「ほ、ほら。泣くな。私も一緒に探してやるからな?だから泣かないでくれ。」
どうやら迷子の子らしく、水夜はその子の親を探してやろうとしているらしい。泣いている子供をあやす事など出来もしないのに、何とか泣き止んでもらおうとあたふたしている水夜の後姿を見ながら、犯罪者を捕まえに来て何を呑気な事を、と大護は息を吐く。
そんなふうに気を緩めていたからなのか、それとも神の悪戯なのか。大護達が捕まえに来たトールが男の子の後ろを歩いていた。
トールは何かを買いに出ていたのか、右手に袋を提げながら、大声を出して泣いている男の子を鬱陶しげに見下ろしていた。そのままトールが通り過ぎていけば何事もなく終わったのだろうが、一瞬大護が警戒して魔力を放出させてしまう。
それは本当に微かな、一般人ならばまったく気付く事も無いほどに微量な物であったが、トールはそれに気付き大護の方へと目を動かす。そして、その魔力の主が誰かを見た瞬間、手にしていた袋を手放し、懐に忍ばせていたナイフを、あろうことか目の前で泣いていた男の子の喉元へと突きつけた。
「‥‥‥‥え?」
自分の身に何が起こったのか分からない男の子は、泣くのを止めて状況を理解しようと脳を働かせる。水夜も似た様なもので、突然目の前で起こった事が理解出来ずに、ただトールの顔を見上げる事しかできなかった。そして、理解した瞬間、その表情に怒りや悔しさが滲み出す。
少し驚いた様子だったトールも、人質を得て少し冷静になったようで、大護を人混み越しに見つめ、にやりと口元を歪める。
「まさかお会いできるとは思わなかったぞ、『血染めの死神』。」
「俺もまさか、こんなに早く会えるとは思わなかったぜ?トール=ギート。」
大声で泣いていた男の子は少なからず周りから注目を浴びていたらしく、トールが声を発したのを切っ掛けに、一気にパニックの輪が広がり、周りの人々は悲鳴を上げながら逃げ出す。しばらくすると、遠巻きに様子を見ている数人の野次馬と大護に水夜、トールと人質の男の子以外に人がいなくなる。
大護と水夜はトールに刺激を加えないよう動かずにいるが、トールは相変わらず笑みを浮かべたまま、手に持ったナイフを少し揺らして遊ばせている。
「で?血染めの死神様が俺如きに何用だ?」
「子供の頃に人と話をする時はナイフをしまってからって習わなかったのか?俺が母親なら顔を覆って泣くね。」
「ふん!冗談を言うな。どうせ俺を殺しに来たのだろう?生憎俺は‥」
トールの言葉が突然途切れた。その沈黙は大護ではなく、目の前で座り込んでいる少女の魔力によってもたらされたものだった。
トールは、水夜はただ腰を抜かして逃げ遅れた一般人だという認識でしかなかった。その一般人だと思っていた少女から、絶大な魔力が放出されたのだ。トールは突然の危険分子の出現に大きくうろたえた。だが、その魔力が別の魔力で塗り替えられる。
「『暗幕』。」
大護の詠唱とともに、大護の周りに拡散していた魔力が、大護の手甲から黒く色づき、トールの視界を黒く染める。それが大護の目暗ましだとトールが理解した瞬間には、左頬に衝撃を感じて吹き飛ばされていた。
「よく合図に気付いたな。なかなか上手いもんだったぜ。」
「ふんっ。これくらい造作でもないわ。」
大護の言う合図と言うのは、先の会話の『顔を覆って』である。この言葉によって、大護は目暗ましする事を水夜に伝えたのだ。水夜は注意を自分に惹きつけるように魔力を放出し、トールが水夜に気を取られている間に大護が魔法を立ち上げたのだ。
即興のコンビネーションではあるが、男の子に傷一つつける事無く保護する事が出来た。
「っぐ!?鬱陶しい真似を!」
トールは吹き飛ぶ身体を無理矢理捩じり、闇から姿を現した大護に向けてナイフを向ける。口元を歪めたトールは、ナイフに自分の魔力を流し込む。
「『ウィンドソード』!」
「風属性の魔剣士か!?」
叫ばれた詠唱によって、トールの魔力が風へと変化していき、ナイフへと纏わりつく。トールを殴ったままの姿勢の大護に向けて、目に見えない風の刃が伸びていく。魔力の質でそれが攻撃だと察知した大護は、首を可能な限り曲げてかわすが、刃はその頬にいくつかの線を刻んでいく。
二人が戦闘を繰り広げている間に、水夜が茫然としている男の子を安全な場所へと連れて行こうとするが、それを大護がかわした風の刃が遮った。トールの魔法による風が、水夜の目の前を塞ぐように吹き荒んでいる。
「『ウィンドドーム』。そのガキにはここにいてもらおう。貴重な人質だからな。」
トールは懐に仕込んでおいた剃刀の刃を周囲にばら撒き、それをトールの魔力が繋げていく。それは大護達の周囲を囲い、詠唱とともに目に見えない刃の壁と化す。四人は姿を持たない監獄に入れられたのだ。
「ちっ、面倒な真似しやがって。水夜、その子は任せたぞ。」
大護の言葉に水夜は無言で頷き、いつでも魔法を使える様に魔力を練る。この場から離れる事が出来なくなった男の子を横目で見ながら、大護は頬を流れる血を拭いて構えを取る。トールも風を纏ったナイフを構え、二人の間の空気が張り詰めた瞬間、同時に地を蹴って間合いを詰める。
「『魔拳』!」
詠唱を唱えた大護の、魔力を込められた右手がトールのナイフを迎え撃つ。だが、ナイフに纏わりつく風が大護の右手を切り裂いていく。大護は切り裂かれる痛みに顔を歪める事無く、更に左手に魔力を込める。
「『魔剛拳』!」
先程以上に魔力の込められた左拳が、更にナイフへと叩き込まれる。右手同様に左手も切り裂かれるが、拮抗していた力関係は一気に大護へと傾き、風を纏ったままのナイフがトールの顔へと押し込まれる。
「ぐっ!?この馬鹿力が!」
自分の風に切られる前に大きく後ろに跳躍したトールを見て、大護は口元を吊り上げながら、傷だらけの両手に魔力を込めてそれを追う。
トールには、何故傷を多く受けている大護が笑みを浮かべているのかが分からない。不気味な感覚を覚えたトールは、更に後ろに飛ぼうとして、そこで大護の笑みの理由に気付く。気付いた切っ掛けとなったのは、大護の後ろに見えた男の子だ。
「しまっ‥!?ぐあああ!!」
気付いた時には既に時遅く、トールは身体の後ろ側をズタズタに切り裂かれる。鮮血が傷口から吹き出し、トールは痛みに膝をつく。
トールの背中を切り裂いたのは、先程立ち上げた自分の魔法だった。人質を逃がさないように作った監獄で、自らを不利に追い込んでしまったのだ。自分の力が大護に敵わないと思っての人質だったが、そんなものがあった所でまだ実力差は埋まってはいなかった。
先程の無理矢理にも見える攻め方も、おそらく自分を精神的に追い込むために、わざと余波で傷を作り、その上で笑みを浮かべて迫って来たのであろう。
―もともと俺は戦闘の実力ではなく、手段の卑怯さとある一点を評価されて、150万という懸賞金を掛けられた。だが、おそらく目の前の男は、戦闘力だけで150万を掛けられた犯罪者とだって対等以上に戦って見せるだろう。だったら、どうすれば自分はこの男に勝てるだろうか。答えは簡単だ。150万という評価を受けた、その『ある一点』でぶつかればいいだけだ。―
トールは周辺の環境が、今からする『ある一点』の条件に見合っている事を確認する。そして、自分の立っている地点がそれを満たしている事に満足すると、魔力を一気に吐き出した。
「『サイクロン』‥」
呟く様なトールの詠唱は、枯渇寸前までひり出された彼の魔力に乗り、彼を中心とした円を描く風へと成り替わっていく。
トールの最後の抵抗に気付いた大護は、男の子と水夜に安全な場所へ移動するよう指示を出し、自分は構えを取る。だが、今までとは質の違う魔力である事に気付き、大護はその魔法を見極めようとする。
「こりゃあ骨が折れそうだぜ‥‥」
目の前で形成されていく魔力の乗った風の竜巻に、大護は苦笑いを浮かべる。今はまだ完成する前の段階の為なのか、風には何かを切る様な力は無いが、それでも中心に引き寄せられる力に抗うため、大護は普段より深く腰を落とす事を強要されていた。
その中心部で、トールは魔力を殆ど使い切った疲労から跪いていたが、大護に鋭い視線を向けている。
「これが普段は魔剣士である俺の唯一にして、最強の魔法だ。魔力の消費と魔法が立ち上がるまでに掛かる時間のせいであまり使いたくは無かったが、『血染めの死神』を相手にしているんだ。これぐらいは礼儀だろう?」
「そんな礼儀はいらねえんだけどな‥‥」
二人が会話をしている間にも、風は勢いを増し、さっきまでいた野次馬達が落としていったカメラや、近くに設置されていたゴミ箱などを、その勢いに任せて舞い上がらせ、トールの周りに作られている風の同心円上へと運んでいく。
大護もそうならないように、しっかりと足を地面に擦らせるが、じわじわとその距離を詰められていく。このままでは巻き取られると感じた大護は、足へと魔力を集める。
「大した吸引力だぜ。『魔剛脚』!」
魔力で強化された足で地面をへこませながら飛び上がり、大護はトールの頭上へと移動する。大護は引き寄せられる力を利用してトールの反対側にあるホテルの部屋へと飛び移ろうとした。だが、それはある場所を通過する事で失敗に終わる。そこはトールの真上の、引き寄せられた風が舞い上がっている場所であり、大護はその風を受けて高く舞い上がってしまう。
トールは大護の動きを目だけで追って、大きく口元を歪ませる。大護は気付いていないが、この魔法が完成する条件は、対象が巻き上げられる事なのだ。引き寄せられた後に風で切り裂かれると考えていた大護は、意図せずトールの格好の的となる位置へと移動してしまったのだ。
「自分から巻き上げられたか。馬鹿な男だ。この魔法は巻き込んだ物質を標的に一斉にぶつけるものだ!死ねぇ!!」
遂に近くに止められていた自動車まで引き寄せ始めていた風の流れは、トールの指示で向きを一変し、一斉に目標を大護へと変えて吹き荒ぶる。
空中にいた大護は自分に向けて飛来する大小さまざまな物を目の端で確認したが、予想と違った形で吹き上げられてしまった時に体勢を崩し、それに対応する事が出来ないまま、宙を舞い続ける。
トールが勝利を確信し、大護も襲い来るであろう痛みに身構えた瞬間に、その両者を違和感が襲う。初めは違和感だと思っていた物が、水夜の魔力だと気付くのに時間を要したのは、それほどまでに彼女の魔力が絶大なものだったからだ。それが大護へと飛来している物体を覆い包むと、その魔力の持ち主の詠唱が轟く。
「『我は望む、灼熱の破壊を』!!」
大声で叫ばれた水夜の詠唱は、壮絶な爆音でかき消され、轟いたそれは付近の建物の窓ガラスを悉く砕いていく。爆発した地点の上にいた大護は、爆風で今まで以上の勢いで上方へと弾き飛ばされ、下にいたトールも、まるで潰された蛙のように地面に突っ伏した。爆発の中心地点にあった飛来物は、跡形も無く砕かれ燃え尽き、周りに灰として降り注ぐ。
「全く、手間を掛けさせおって。」
あれだけの魔力を消費してなお、水夜の顔に疲労の色は見えない。この少女の魔力量に驚きながらも、トールは為す術も無く地面に突っ伏すのだった。しばらくかけて地面に戻る事が出来た大護は、着地した時に痺れた足を庇いながら、水夜の側へと歩いてくる。
「お前は俺を殺す気かっ!?力のコントロールも上手く出来ねえお前があんな規模の魔法を使えば、避難した奴らまで怪我する可能性だってあるんだぞ!!」
「なっ!?助けられておいてその口の聞き方は何だ!?貴様が危機に窮していたから、私は良かれと思って‥」
「あれくらいじゃ死なねえよ!!それよりもお前は‥」
助けてやった大護の開口一番が、自分の行動に対する非難で始まるので、水夜もそれに返すように声を張り上げるが、何かに袖を引かれる。
まだ何か言っている大護を無視して振り返ると、そこには先程助けた男の子と、その母親と思しき女性が立っていた。大護もそれに気付き、会話を邪魔しないようにその場を離れ、魔力を消費して動けずにいるトールの拘束をしに行く。
「ど、どうした?」
偉そうな口調と仕事柄、普段から大護以外とはあまり人と関わり合いの無い水夜は、目の前にいる少年に何を言えばいいのか分からず、とりあえず視線の高さを合わせて、ぎこちない笑顔を浮かべる。少年は水夜の袖を持ったまま、勢いよく上半身を水平になりそうなほど倒した。
「おねえちゃん、たすけてくれてありがとー!」
元気よくそれだけ言うと、その子は母親に手を引かれて、手を振りながら去っていく。トールを拘束し終わり、警察に連絡を入れた大護は、立ち尽くしていた水夜の頭をぽんと押さえる。
「あの子が無事なのは、お前が頑張ったおかげだな。」
「‥‥うるさい‥貴様に言われなくても‥」
人を助ける度に何かを壊してしまう水夜にとって、あのように真っ直ぐお礼を言われるのは滅多に無い事だった。嬉しさに緩みそうになる口元をぎゅっと真一文字に結んだまま、水夜は難しい顔をして腕組みし、嬉しい心の内を知られないように大護から顔を背けた。
そんな、誰が見ても照れている彼女を見て、大護も頬を緩めるのだった。
しばらくすると、連絡を受けてパトカーが大護達に寄って来た。だが、そのパトカーに乗っていたのは、意外な人物だった。
「黒河、水原。お疲れ。」
「竜次じゃねえか!?どうしてお前がこんなとこに?」
「たまたま近くにいたから、ついでにな。」
パトカーから降りた男の名前は篠原竜次。彼は、警察の中でも現場で働く実戦部隊と呼ばれる部隊のトップに位置する男であり、事実上では警察最強の実力の持ち主である。なぜか大護と交流があり、時々こうして会いに来たりしている。
出会ってまだ4年の水夜には、竜次となぜ親しいのか分からない。それに、先程トールが言っていた『血染めの死神』という、魔族の犯罪者が恐れている呼び名についても知らない。前に聞いた事もあったのだが、大護は過去の話だ、と言って取り合ってくれないし、竜次に聞いても本人に聞けと返されてしまう。大護の過去について何も知らないのを、水夜は竜次に会う度に思い知らされるのだ。
「今日は冬馬の野郎は一緒じゃねえのか?」
「なんだ?一緒の方が良かったか?」
「冗談言うんじゃねえよ。いつもお前の後ろについて回ってやがるストーカーがいねえから清々するぜ。」
大護が酷く罵っているのは、竜次の部下の日向冬馬の事だ。竜次に憧れを抱き、つい最近竜次の直接の部下へとなった男である。直接の部下と言っても、階級は一般の警察官であり、そこまで権力も発言力も無い。それでも、他の一般の警察官に比べれば、より多くのそれらを持っている。そんな冬馬は、大護と何処か馬が合わず、顔を合わせては口喧嘩を繰り返している。
竜次は大護との会話を終えて、改めて周りを見渡し、誰かのような溜め息を大きくつく。
「水原。治安向上に協力してくれるのは有難いが、この有様は‥」
竜次の視線の先には、クレーターのようにへこんでしまっている地面やひび割れた道路、粉々に割れてしまっている窓ガラスという、先程の戦闘の爪痕だった。
「私のせいではない!大護が負けそうだったから手を貸しただけだ!」
「悪いな、竜次。始末書と賠償金は出すからよ。」
「はあ、まったく‥‥ここで話していても仕方ない。警察署で請求書と始末書を渡すから、お前らも乗れ。」
拘束されていたトールとパトカーの後部座席に詰め込みながら、竜次は大護達にも乗るよう顎で座席を指す。車を持っていない二人は、歩いて帰るよりはずいぶん楽になったと喜んで乗り込み、そのまま警察署へと向かうのだった。
こうして大護達は仕事を終えたのだったが、水夜の魔法による被害は前の仕事の比ではなく、結局は数日間玄関を閉じられない生活を送る事になるのであった。
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