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ダーククリムゾン  作者: amo
ダーククリムゾン
16/16

そして日常へ

伝説ではなく日常です。

 ゼダンが去ったのを確認した悪魔は、残された大護、水夜、健一、ルイス、ガイアを順番に見た後、その後ろの培養器に浮かんでいるクローン体へと目を移す。


「複製品か。紛い物のやる事はよく分からんな。」


 複製品。それが何を指して言った言葉か理解した瞬間、水夜は悪魔へと魔力を向けた。


「『我は望む、業炎の槍を』!!」


「ほう、なかなかの魔力だな。」


 自分に向けられた魔法を見ながら、悪魔は感心したように息を吐く。だが、それを避ける事も防ぐ事もせず、炎の槍をその身で受け止める。悪魔の体を焼き、それを貫通した炎の槍は、勢いを衰えさせる事なく、悪魔の後ろの壁をも貫いていった。


「小童だと見縊っていたが……なかなかの使い手だな。」


「な…なんだよ、それ…?」


 炎の槍が通り過ぎた悪魔の体を見て、大護は掠れた様な声を喉から絞り出す。


 悪魔の体の真ん中には、水夜の魔法で作られた穴が大きく開いていた。だが、それだけだ。悪魔の身体が倒れる訳でもなく、そこから血が吹き出る訳でもなく、表情さえ変わる事もない。ただ、そこに穴が開いているだけだった。


「ああ、これか?我に元々肉体は存在しない。召喚する際の魔力を元に、この次元における肉体が生み出されるのだ。端的に言えば、この肉体は魔力の塊だ。だから、こうして魔力を込めれば…」


 悪魔はそう言って、穴のあいた胸元に手を当て、魔力をそこへと流し込む。すると、開いていた穴が塞がり、何事もなかったかのように元に戻る。


「こうして、壊れた個所を直す事も出来る。」


 悪魔の言葉を聞いて、大護と水夜は口を閉ざしたまま、顔を見合わせる。そんな二人の様子を見ながら、健一は額に汗を溜めている。


「お二人さん、こりゃあかなりの強敵だよ。一体どうす…え?」


 健一が二人の方を見ると、なぜか二つの笑顔があった。


「水夜。あいつの体、意外に脆いよな?」


「ああ。しかも、さっきの話を聞く限りでは、あいつの魔力を全部削り切ればいいみたいだな。」


 笑顔で顔を見合わせていた二人は、にやりと口の端を吊り上げると、同時に魔力を放ちながら悪魔へと向き直る。


「自分の不幸を呪いな。今から元の世界にのしつけて帰してやるよ。」


「私の前で人殺しが出来るなんて思うなよ?」


 不敵な笑みを浮かべて自分に敵意を向けてくる二人を見て、悪魔は僅かに笑みを浮かべた後、大きく表情を軋ませる。


「紛い物が…!立場を弁えるがいい!」


 怒気とともに、悪魔から魔力が放たれる。大護はそれが無言詠唱(サイレントマジック)だと悟り、水夜を肩に担いで横に飛ぶ。大護が飛んですぐに、大護達のいた場所を目に見えない何かが抉り取る。


「風の魔法か…!『フライマジックナックル』!」


 大護は頬を撫でるように流れる風を感じ、魔力の感知を怠らないようにしながら、悪魔へと魔法を飛ばす。悪魔はそれを避けようともせず、そのまま大護の方へと突っ込んでくる。当然、大護の魔法は悪魔の脇腹辺りを突き破るが、それを物ともせずに、勢いもそのままに接近してくる。


「おいおい、何でもありかよ!?水夜!」


「任せろ!『我は望む、灼熱の壁を』!」


 水夜の詠唱で、悪魔の視界が赤く染まる。だが、それでも悪魔の勢いは止まらない。悪魔はその壁に左手を突き刺し、大きく横に薙いで壁を掻き消す。当然左手は表面と言わず焼かれるが、それも悪魔の障害にはなり得なかった。


「そなた等の魔法など…」


 大護へと魔法を放とうとしていた悪魔は、魔力を放出した所で動きを止める。炎の先にいた筈の二人の姿がいなくなっていた。


「『マジックナックル』!」


「っ、……猪口才な…!」


 大護の拳が悪魔の横っ面を捉え、悪魔は一瞬息を詰まらせて壁際まで飛ばされる。だが、怯んだのも一瞬で、悪魔はすぐに大護の方へと魔力を放つ。大護に向けて紫電が放たれるが、大護はそれを最小限の動きでかわし、悪魔の方へと踏み込んでいく。


「これしきの魔法で我を倒そうなどとは……笑止。」


 悪魔は壊れた個所に魔力を流して身体を再生しながら、こちらへ向かって来る大護を迎え撃とうとする。だが、そこである事に気付く。先程まで大護の肩に担がれていた水夜が、いつの間にかいなくなっていた。


「…?小童が…」


「誰が小童だ!?『我は望む、業炎の雨を』!!」


「なっ…!?おのれぇ…!」


 頭上から降り注ぐ火の粉から体を庇うように、悪魔は頭上で腕を交差させる。炎の雨が収まると、悪魔は頭上を飛んでいる水夜に向けて手をかざす。


「消えろ、小童!」


 水夜に向けて光の矢がいくつも飛んでいくが、それが水夜に当たる直前に、大護が横から水夜を空中で受け止めて魔法を回避する。


「ちょこまかと鬱陶しい。そんなに速さで勝負したいか?」


 悪魔の魔力が増加し、大護は警戒するように構え直す。だが、構え直した時にはもう遅かった。


「遅いな。」


「が、ふっ…!?」


 一撃。たった一撃腹部に悪魔の拳が入っただけで、大護の肋を数本砕き、かなり距離のあった壁まで吹き飛ばされる。壁に激突して、全身で衝撃を受け止めた大護は、意識が一瞬遠ざかる。


「だ、大護!」


 大護が殴られた際に、その場に落とされた水夜は大護の方へと駆け寄ろうとし、その足を止める。


「それほどあの男が気になるなら、我がそこまで飛ばしてやろう。」


「しまっ…」


 後ろから聞こえた悪魔の声に、水夜は慌てて身体を固めるが、一向に悪魔からの攻撃が来ない。何事かと後ろを振り返ってみると、悪魔が驚いた顔でなくなった右腕を眺めていた。


「そなたの体、一体どんなからくりがある?」


「そうか!?防魔法コーティングが効いたんだ!」


 これならいけると、水夜は握り拳を握って悪魔に殴りかかる。だが、魔闘士でもなければ魔剣士でもない水夜の拳が易々と悪魔に当たる訳もなく、それをかわされて隙だらけな水夜からは距離を取るため、悪魔は後ろへと大きく跳躍する。


「奇妙な体をしているな、小童。なかなかに興味深い。」


「貴様もそんな顔をするのか、意外だな。」


 珍しく純粋そうな笑みを浮かべている悪魔だったが、悪魔の純粋が水夜のそれと同じである筈もなかった。


「これだけ興味が湧いたのは久し振りだ。魔界にある紛い物を全て壊してから、そなたの体をあらためさせてもらおう。」


 純粋な顔でそんな恐ろしい事を話す悪魔を見て、水夜は背筋が寒くなるのを感じた。ゼダンと契約を結んだ時から、この悪魔が狂っているのを分かっているつもりだったが、その認識は甘かった。


「そんな事をさせるか!『我は望む、業炎の刃を』!」


 凄まじい熱量を持った刃は悪魔へと迫っていくが、悪魔はそれを再生した右手で横に弾く。表面が焼き爛れる事でさえなかった悪魔の右手を見て、水夜は大きく目を見開いた。


「紛い物の魔法がそう何度も通じると思うなよ。」


 悪魔は手から上がる煙を消すように手を振り払い、驚いている水夜の方を見て笑みを浮かべる。だが、今度の笑みは激しく歪んだ物だった。


「案ずるな。そなたの魔法は大した物だ。子供のドラゴンに匹敵する程度ではあるがな。」


「貴様はやはり、ドラゴンや魔獣のいる世界から来ているのか?」


「貴様らが時折呼び出している、あの下等生物の事をそう呼ぶならそうだろうな。」


「では、もう一つ質問だ。なぜ魔界を滅ぼそうとしている?そんな事をして、一体何の得がある?」


 水夜の質問に、悪魔は少し何かを考えるように顎に手を当てた後、頬を僅かに緩ませる。


「いいだろう。余興の一つとして答えてやる。」


 この時、水夜は悪魔の笑顔の意味を理解していなかった。

 悪魔は放出していた魔力を納めると、水夜の方をじっと見つめた後、ゆっくりと歪んだ口を開く。


「ずいぶんと昔の話になる。そう、あれは確か四千年前だった。」


「…?」


 四千年前にあった事と、先程の質問と何が繋がるのか分かりかねた水夜は、必死に理解しようと眉根を寄せる。


「四千年前、ある悪魔が魔界を追放された。悪魔の中でも奴は異質だったのだ。悪魔の長である魔神よりも魔力を持ち、奴の持つ特定魔法も脅威だった。つまり、奴はその強すぎる力を恐れられ、我らの世界から追放されたのだ。」


「特定魔法?」


「…悪魔にはそれぞれ、その悪魔にしか使えない魔法があるのだ。それを我らは特定魔法と呼んでいる。」


 話に水を差された事に顔をしかめながらも、悪魔は律義にその質問に答えてやる。


「奴は以前から、人間という生き物と、その世界に興味を持っていた。魔力を持たずに、それでも文化を発展させている生き物、魔力で文化を発展させいた我らとは相容れない存在。そんな人間に興味を持っていた奴は、世界の狭間に追放された後、二百年を掛けて人間界へと近付こうとした。だが、魔神が恐れた奴にさえ、不可能な事はあった。いくら近付こうとしても、人間の世界にはある次元以上は近付けなかったのだ。」


 悪魔はそこで顔を歪め、怒りを露わにする。


「だが、奴はそこで禁忌を犯した!人間界に近付けないならば、自分の周りに人間を作ってしまおうと!奴の特定魔法は『創造』。その力で、奴はある世界を作り出した。人間界に限りなく近い次元でありながら、何も無かった筈の次元に新しい世界を作ったのだ。」


「ま、まさか…」


 水夜は次の言葉が予想でき、全身を悪寒が襲う。悪魔はそんな水夜の反応を見て、口元を吊り上げた。


「奴、『ダーククリムゾン』が作り出したのが、この世界だ。」


 予想していたとはいえ、それを確定させられると、また別次元の衝撃が水夜を襲った。


「ば、馬鹿な!世界を創るだと!?そんな事、出来る筈が…」


「おかしいと思った事はないか?なぜこの世界には、明らかに見た目が違う生き物が存在しているのか。なぜ見た目が似ている人間界で存在していなかったのか。一度は考えた事があるだろう?答えは簡単だ。ダーククリムゾンが人間を模して創ったのが、そなた等のような紛い物なのだ。」


 ゼダンの言っていた事も、これで合点がいく、いってしまう。


「だが、やはり紛い物は紛い物。魔法で作られたそなた等の体には魔力が宿ってしまった。」


 憐れむような眼差しで水夜を見た後、また悪魔は怒りを表情に出す。


「しかし、まだそれだけならば良かったのだ。我らの世界の生物を勝手に呼ぶことも、まあ癪には触るがそれも許そう。だが、そなた等が生まれた事により、この世界に隣接した人間界にも影響を与えた。人間が魔力を持ってしまったのだ。世界の調和はその瞬間に崩れ、時折世界には次元の穴が開くようになったのだ。」


「そんな穴の話、聞いた事がないぞ。」


 水夜は必死に悪魔の言葉を否定しようとした。そうでもしなければ、自分が自分ではなくなってしまうような気がした。だが、悪魔の言葉は無情だった。


「そなたのような短命な生物の時折と、我の時折という言葉を同じように捉えるな。その次元の穴に落ちた者は、この世界へと飛ばされる。そうする事で、この世界に別の世界の生物が混ざるようになった。」


「何でこの世界なんだ?」


「世界は元々、全て等間隔に離れていたが、その真ん中から人間界に寄った次元にこの世界があるからだ。つまり、この世界は他のどの世界からも、一番近い次元にあるという事になる。次元の穴は不安定だが、その分遠い次元へと移動する事は出来ん。だから、その多くがこの世界へと通じるのだ。」


 水夜は聞かされた事が信じられず、荒い息で後ろへとじりじり下がる。今まで見てきた世界が創られた物だった。そんな事を急に聞かされても、それを受け入れる事は難しいだろう。


「ここまで長く話したが、要はこの世界が他の世界に影響を与えている事が、この世界を壊す理由だ。この世界を作ったのが我らの同胞なのだから、それが我らの義務だろう?そして、俺の特定魔法は『次元移動』。これも何かの運命だとは思わんか?五百年前から久しくこの世界に来る事は出来なかったが、今度こそは…」


「ふざけるな!!」


 それまで押し黙っていた水夜の怒号に、悪魔は面食らったように言葉を止める。


「そんな理由でこの世界の人々を殺すのか!?そんな事は私が許さんぞ!!」


 それまで絶望したような表情をしていた水夜だったが、今は決意を新たにしたような表情をしていた。そんな彼女の顔を見て、悪魔は鬱陶しそうに顔を歪める。


「ふん、紛い物風情が…」


 それまで顔をしかめていた悪魔が、何かを見つけて頬を吊り上げる。水夜は警戒して魔力を放出するが、悪魔は水夜に攻撃をするつもりはなかった。


「そう言えば、そなたはこれを随分と大事そうにしていたな。」


「っ!?」


 水夜が悪魔の姿を見失った時には、既に後ろから悪魔の声がした。悪魔は水夜の方に歪んだ笑みを浮かべながら、クローン体の浮かんでいる培養器に手を掛けていた。


「止せ!!やめろおおおおおおお!!!」


 これから悪魔が何をする気か分かった水夜は、大声でそれを遮ろうとする。だが、悪魔は何の躊躇いもなしにその培養器を破壊し、中にいるクローン体をばらばらに分解した。


「貴様ああああああああ!!!」


「っ!?末恐ろしいほどの魔力量だ。今この場で殺しておかねばならんな。」


 水夜から放たれた膨大な魔力に、悪魔は僅かに驚いた表情をしたものの、すぐに悪魔も魔力を開放する。先に仕掛けたのは、水夜の方だった。


「『我は望む、業炎の槍を』!!」


 水夜の目の前に炎の槍が生み出され、その場で更に魔力を込められる。てっきりすぐに炎の槍が向かってくると思っていた悪魔は、一向にこちらに飛んでこない魔法を見て、つい動きを止めてしまう。


「二重詠唱『我は望む、蒼炎の槍を』!!」


「なっ!?蒼い炎だと!?」


 赤かった炎が蒼へと色を変えるのを見て、悪魔は初めて驚愕を露わにする。目の前で起きた事に目を奪われた悪魔は、自分に向かってくる槍をかわす事が出来ず、その身で水夜の魔法をまともに受けてしまう。蒼い炎は一気に悪魔の体を焼き貫き、その体に燃え広がる。


「ぐっ、ぅうぅぅ…!おのれぇ!紛い物の分際で!!」


 悪魔は怒りに任せて壁を砕き、出来た瓦礫を水夜に向けて投げつける。水夜はそれに気付いていたが、それをかわすほど素早く動けなかった。直後、水夜の体に真っ赤な液体が降り注ぐ。


「これ、くらい…避けなきゃ……いけ、ないよ…」


「け、健一!?貴様、どうして!?」


 自分の前に倒れ込んだ健一を見て、水夜はやっと我を取り戻し、倒れ込んだ健一に駆け寄る。瓦礫に突き刺さった箇所からは止め処なく出血し、このままでは命に関わるほどの怪我だった。


「あ、ぁあ…け、健一……そんな…どうして……」


 目の端から涙を溢れさせながら、自分のせいで重症になった負い目から健一に触れる事も出来ず、水夜はその場に座り込んでしまう。そんな彼女のうろたえている姿を見て、健一は力なく笑い、水夜の頬を流れる涙を弱々しく震える手で拭ってやる。


「お、譲ちゃん……そんな顔、しないでくれ、よ…俺は恩人を、助けられて………本望…」


 そこで健一の言葉が途切れ、力を失った手が地面に落ちた。水夜は慌てて健一の手を取って胸に抱えるが、その手が自分の手を握り返してくる事はなかった。


「あああああああああああああああ!!!」


 目の前で起きた事が受け入れられず、水夜は天に向かって吠えるように叫んだ。


「悲しいか?ならばそなたも殺してやる!!」


 いつの間にか焼かれた体を再生した悪魔が、水夜の後ろに立っていた。そして、悪魔はすぐどい瓦礫を振り上げ、水夜の首筋にそれを振り下ろす。


「『マジックナックル』!!」


 だが、その瓦礫が水夜に振り下ろされる直前、悪魔は横から顔面を殴りつけられ、先程砕いた壁を突き破って隣の部屋まで飛んでいく。


「だ、ぃごぉ……健一が、健一がぁ…」


 泣き崩れるように大護にしがみついてきた水夜の頭を、大護は優しく撫でてやりながら、健一の首筋に指を当てる。


「水夜、健一を焼け。」


「ぇ…?」


 大護の言葉の意図が分からず、水夜は大護から離れて彼の顔を覗き込むが、その顔は真剣そのものだった。


「大護……どうしてそんな…」


「まだ生きてる。お前は、健一の傷口を焼いて塞いでやれ。このままじゃあ、本当に死んじまう。」


 健一がまだ生きている。それを聞いて、水夜の目には先程とは別の涙が浮かぶ。


「『我は望む、赤き壁を』。」


 水夜の魔法が健一の傷口を覆うように広がり、健一の傷口を焼き塞いでいく。健一の出血が止まったのを確認すると、水夜は嬉しそうに頬を緩めて彼に抱きついた。


「この、馬鹿者…!心配掛けさせおって!」


 大護は嬉しそうに健一に頬擦りをしている水夜をその場に置いて、ずっと目の前で起きている戦闘に腰を抜かしていたガイアの方へ足を向ける。


「な、何じゃ!?わしは何も出来んぞ!?わしは戦う事に関して…」


「健一の怪我の応急手当てをしろ。もし健一が死んだら、俺はお前を許さねえ。」


 ガイアだけにしか聞こえない、しかしガイアの心臓を震え上がらせる声で、大護はそう呟くように言った。ガイアは心底怯えたように顔を何度も上下に振った後、慌てて健一の方へと這っていった。


 ガイアが健一の方へ向かったのを見送った後、大護は悪魔が吹き飛んだ方へと歩みを進める。すると、タイミングを合わせたかのように、悪魔も土埃の中から姿を現した。悪魔はこちらに向かって来る大護の瞳を見て、ある事に気付く。


「そなた、紛い物と人間のハーフか。この世界ではめず…」


「うっせえよ。」


 言葉を遮ってきた大護の声は、僅かに上ずって震えていた。その声同様、手の平に爪が喰い込むほど握られた、震えた拳に魔力を込める。


「魔界を壊す?そんなもん好きにすりゃあいい。魔界中の奴らを殺す?そんなもん好きにすりゃあいい。だがな…」


 殺気を込められた魔力を向けられ、悪魔はここへ来て初めて心の底から大護の事を警戒する。本能的に、この男は危険だと気付いたのだ。


「俺の相棒を、水夜を泣かせる事だけは許せねえ!!!今からあいつを泣かせた落とし前、つけてもらうぞ!!」


 大護はそう叫ぶと、悪魔に向かって地を蹴った。

 大護は悪魔が間合いに入った瞬間、右手に魔力を込める。


「『マジックナックル』!!」


「そんな魔法、効かんわ!」


 大護の拳に、悪魔は自分の拳をぶつけ、その勢いを相殺する。部屋中に衝撃を与えた後、二人の腕は後方へと大きく弾かれる。大護は一旦距離を置くと、不敵な笑みを浮かべて悪魔を睨みつける。


「俺は魔界じゃ『血染めの死神』なんて呼ばれてんだ。悪魔と死神。なかなか乙なもんだろ?」


「『血染めの死神』?敵の返り血でも浴びてそう呼ばれているのか?だとすれば、とんだ過大評価だな。」


 悪魔の皮肉を聞いて、大護はなぜか不敵な笑みを深くする。


「そうだよな。普通、『血染めの死神』なんて聞けばそう思うよな?」


 そう言いながら、大護はまた右手に魔力を込める。だが、先程の微量な魔力よりも数段魔力の量が多い。


「呼ばれている理由、教えてやるよ。『ハイマジックナックル・シャドー』!」


 大護の右手が黒く染まり、悪魔の顔へと向かって突き出される。悪魔はそれをまた迎え撃とうとして、拳同士がぶつかる直前である事に気付き、その動きを急に避ける物へと変えた。理由はただ一つ。大護の魔力がひどく歪んで感じたからだ。


「ちぇっ、よけやがったか。」


 大護は攻撃を避けられた事を不満げに口にしながらも、更に左手に魔力を込める。


「『ハイマジックナックル・シャドー』!」


「くっ…!」


 悪魔は目の前に迫りくる拳を何とか両手で受け止めたが、予想以上の衝撃を受け、後方へと弾き飛ばされる。吹き飛ばされた悪魔はすぐに体勢を立て直し、大護の方へと目を向ける。


「いてて。はぁ、やっぱりこうなったか。」


「な、何だ…?その傷は?」


 悪魔は大護の手を見て、大きく目を見開く。大護の両手、先程の魔法で魔力が込められた個所の皮膚がなくなって、そこから血が滴り落ちていた。


「あんだけ大量の魔力は半分人間の俺の肌には合わないらしくてな。手甲なしでシャドーかダークを使っちまうとこうやって皮がずる剥けちまうんだよ。だから『血染めの死神』だ。」


 大護は血塗れの両手を見せるようにかざしながら、またそこへと魔力を込める。


「ま、さっきの一手でお前の弱点が分かっただけでもよしとするぜ。」


「弱点だと?我にそんな物は存在しない。」


「いや、ある。頭だ。」


 大護の言葉に、悪魔は苦々しげに顔を歪ませる。大護はその反応で確信し、にやりと笑みを浮かべた。


「やっぱりな。お前の身体は確かに魔力で出来てるみてえだけど、脆すぎるんだ。どうせ魔力なしじゃこの世界にいられねえからケチってたんだろ?その上、お前は頭への攻撃だけは敏感に反応しやがる。それじゃあ馬鹿でも分かるってもんだぜ?」


 大護の言葉を聞いた後、諦めたように息を吐いた後、悪魔は全身に魔力を滾らせる。


「よく分かったな。そなたの言う通り、我唯一の弱点は頭だ。頭を潰されれば、我は息絶える。だが…」


 大護の視界から、悪魔が消えた。


「その前にそなたを殺してしまえばいい。」


 一瞬で大護の横に回り込んだ悪魔は、そのまま大護の心臓へと手を突き出す。だが、急に何かに重心を崩されて、悪魔は膝から崩れ落ちる。何事かと悪魔が足元を見てみると、右膝から下の部分がなくなっており、崩れた足元には刀が突き刺さっていた。


「私がいる事を、忘れるな!」


 声のする方へ顔を向けると、そこには床に倒れたままのルイスがいた。


「余計な真似を!!」


 悪魔の手から見えない風の刃が飛び出し、倒れたままのルイス目掛けて飛んでいく。今の投擲で、完全に動く魔力も尽きたルイスは、自分の死を感じて目を閉じた。だが、自分に向けられている膨大な魔力を感じ、ルイスはその魔力が放たれている方向を見る。そこには、自分の方へと手をかざした水夜がいた。


「無駄だ!我の風の魔法を、そなたの炎の魔法で消せる訳が…」


「『我は望む、灼熱の破壊を』!」


 悪魔の嘲りを無視し、水夜は魔法を発動させる。水夜の魔力が詠唱によって激しい爆発を起こすが、悪魔の言った通り、風の刃は勢いこそ弱めたものの、それが消える事はなかった。風の刃は爆炎立ち上る中を、その進路を変える事なく進んでいってしまった。


「ふん、無駄な足掻きを…」


「何を言っているんだ?私の目的は果たしたぞ。」


「何だと…?」


 悪魔は水夜の笑みが消えないのを見て、ルイスのいた方を見る。


「ぅ、なかなか乱暴ですね。カトレア、いや、水夜様。」


 ルイスは生きていた。なぜ魔法が防げなかったのにルイスが無事なのか悪魔が目を凝らすと、先程までルイスが倒れていた位置から大きくずれていた。相殺は無理だと悟った水夜は、ルイスを動かすためにあの魔法を使ったのだ。


「おのれぇ!紛い物の分際で邪魔ばかりしおって!!」


 悪魔は怒りに顔を歪めて水夜へと魔法を放とうとし、後ろに歪んだ魔力を感じて振り返る。そこには、左手を大きく引いた大護がいた。


「おいおい、余所見も大概にしとけよ!『ハイマジックナックル・ダーク』!!」


 闇に包まれた大護の拳が悪魔の頭目掛けて突き出されるが、悪魔は背中にある蝙蝠のような羽を羽ばたかせて上空へと舞い上がり、何とかそれをかわす。だが、大護は更に右手に魔力を込めるのを見て、悪魔は警戒して更に上空へと舞い上がろうとするが、今度は自分の頭上に膨大な魔力を感じ、咄嗟に左手で頭を庇う。


「逃がさんぞ!『我は望む、業炎の破壊を』!!」


「ぐっ!」


 頭を庇った左腕は完全に消し炭となり、爆風で叩き落とされる形となったが、悪魔の頭には傷一つなかった。だが、悪魔は気を抜く暇もなく、残った右腕に全魔力を注ぎ込み、右手の強度を最大限に高める。


「悪魔!さっきの言葉通り、落とし前つけてもらうぜ!『ハイマジックナックル・ダーク』!!」


「くそっ!紛い物と人間のハーフがぁ!!我を誰だと心得る!!」


 大護の拳と悪魔の拳がぶつかり合い、衝撃が悪魔の体を伝わって床を砕き、破損部分は壁にまで広がっていく。強度が最大となった悪魔の腕は、しっかりと大護の拳を止めており、じわじわとその拳を押し返し始めていた。


「我に!そなたのような紛い物のハーフが!!敵うとでも思ったか!!!」


 凄まじい力で押し返していながらも、悪魔の体が再生を始めない事から、他に魔力を回している余裕がないのが見て取れる。大護は押されつつある黒い拳に、更なる魔力を込め始める。


「まだ足掻くか!!無駄な事を!!」


 大護は失敗する可能性が多い事を自覚しながらも、もうこれしかないと覚悟を決め、横目で自分の相棒を見つめた。


「手甲なしでこの魔法は初めてだし、見よう見真似で不安だらけだけど、仕方ねえよな?」


「大護…?何を言って…」


 突然大護に視線を返され、水夜の胸に言い様のない不安がよぎる。大護は自分の下で顔を歪めて押し返してくる悪魔を見下ろし、不敵に笑ってみせる。


「行くぞ、悪魔!!二重詠唱『ハイマジックナックル・エボニー』!!!」


 大護の詠唱が唱えられた瞬間、悪魔の腕が一気に押し返され、顔ぎりぎりの所まで高度が下がる。


「ぐっ…!!おのれぇ!!我は負けん!!!そなたのような者に負けてなるものか!!!」


 悪魔は渾身の力を込めて押し返そうとするが、顔と拳との距離は徐々に迫っていく。このまま大護が勝つと、この場にいる全員が、悪魔さえもそう思った。


 だが、悪魔より先に大護の限界が来た。膨大な魔力を、半分人間である大護の血が拒否し始めたのだ。


「が、はっ…!」


 大護の限界を知らせるかのように、彼の口からは大量の血液が溢れ、悪魔の腕がまた押し返し出す。


「ははははは!!!やはり紛い物が我に勝つなど、未来永劫有り得んのだ!!!」


 悪魔は余裕が出てくると、身体の再生にも魔力を回し出し、自由な左腕を大護の心臓に向けて突き出す。


「大護!!」


 水夜の悲痛な叫びが大護の耳に聞こえたのと、悪魔の体に血が飛び散ったのはほぼ同時だった。


「そ、そなた……まさか…!」


 だが、悪魔が恐れ慄いたような声を出したのも、水夜の声とほぼ同時だった。大護は咄嗟に体をずらして心臓を悪魔の左腕の進路上から反らすと、更に魔力を込めた左手を引く。


「何、驚いて…んだよ…?片手で駄、目なら、ごふっ、両手で、だ…!!」


「ま、待て!!そ、そんな事をしたら、そなたの身体は…」


 大護は血が噴き出している口の端を何とか吊り上げ、無理矢理笑みを浮かべる。


「黙って、ろ!『ツインハイマジックナックル・エボニー』!!!」


 両手で悪魔の右手ごと、大護が悪魔の頭を押し潰す。押し潰された瞬間、断末魔のような雄叫びを上げながら、悪魔の体がしばらく痙攣し、その後そこには何もなかったかのように霧散した。


「大護!!待ってろ!!すぐに医者を呼んでやるからな!!だから死ぬなよ!!死んだら貴様の事を許さんぞ!!」


 大護はその場に倒れ込み、自分の方へと涙を溢しながら駆け寄ってくる水夜の姿を見ながら、朦朧としていた意識を完全に手放した。






 悪魔が召喚されてから二週間が経ったが、黒河請負所に大護達からの連絡は入ってこなかった。華田姉妹は相変わらず、都合のつく日には請負所に寄り、大護達からの連絡を待ったが、魔界との唯一の繋がりである彼岸の門(フリークゲート)が修繕されないため、連絡を取るのは絶望的だった。


 その日も華田姉妹は夕方まで請負所で過ごしていたが、結局まだ連絡はこず、今日はもう引き上げようとして席を立った。その時、請負所の扉を叩く音がした。


「お姉ちゃん、もしかして…」


「うん、早く行こっ!」


 予感めいた物を感じながら、二人は大急ぎで玄関へと駆けていき、恐る恐る扉を開ける。だが、そこに立っていたのは、二人の予想していた人物ではなかった。


「すいません。道をお尋ねしたいんですが、よろしいですか?」


 そこに立っていたのは、見知らぬ青年だった。大きなカバンをいくつも持っているのを見ると、上京してきたばかりで道が分からない人だったのだろう。だが、二人の落胆は隠しきれないほどの物だった。


「あ、あの~…す、すいません!やっぱりタクシー使いますね!」


 二人の重苦しい空気を察した青年は、その場から逃げるように去っていった。二人はどちらともなく大きな溜め息をつき、戸締りをして帰ろうとする。


「おい、何してやがんだ?あれじゃあ客に印象が悪いだろうが!」


 戸締りをしていた所に、後ろから掛けられた懐かしい、ずっと待ち望んでいた声。


「大護さん!」


「みぃちゃん!」


 二人が振り返った目の前には、まだ包帯を全身に巻いている大護と、いつもと変わりのない水夜の姿があった。


「待たせたな。副署長様が帰ってきてやっ、ごへぇ!?」


「もう、遅いよ!ずっと連絡待ってたんだから!何で連絡くれなかったの!?」


 水夜が威張ったように胸を張った所に、沙織は飛びこむように抱きつき、倒れ込んだ水夜に避難の声を浴びせかける。


「ごほっ、ごほっ、…ちょ、ちょっと待て…彼岸の門(フリークゲート)が壊れてて、連絡のしようが…」


「いい訳なんか聞きたくないよ!いきなり飛び出してって、連絡もしないで…!心配したんだから!!」


 珍しく鋭い目つきで自分を見ている沙織を見て、自分がどれだけ心配を掛けたのかを痛感し、水夜は申し訳なさそうに俯く。


「……すまん。」


「違う。私が聞きたいのはそんな言葉じゃないよ?」


「…………ただいま。」


 水夜がそう言った瞬間、それまで険しかった沙織の顔が崩れ、いつものにこやかな顔に戻る。そして、倒れている水夜に覆い被さるように抱きつくと、心の底から気持ちを込めて言葉を贈る。


「お帰り、みぃちゃん。」


 いつもの光景に大護が心を和ませていると、不意に香織に服の袖を引っ張られる。


「ん?どうしたんだ?」


「あの……すいません、こんなに怪我してしまって。全部、私のせいで、きゃっ!?」


 謝るように下げていた香織の頭を、大護は軽く下に押し込む。いきなり上から押されて、足元をふらつかせていた香織に、大護は頭を掻きながら声を掛ける。


「あほか、お前。俺は自分の我儘で魔界に行ったんだよ。この怪我はお前のせいじゃねえし、水夜のせいでもねえ。勝手に責任感じてんじゃねえよ。」


「ふふっ。その照れ隠しが相変わらずで安心しました。」


「なっ!?そんなんじゃねえよ!っていうか、別に照れてねえ!」


 大護は必死に取り繕おうとしていたが、香織はどこ吹く風で、そんな彼の言葉を受け流している。


「とにかく。お帰りなさい、大護さん。」


「おう。」


 大護はぶっきらぼうにそう言うと、請負所の中へと入ろうとする。だが、そんな言葉で納得するような香織ではなかった。


「大護さん、ただいまって言ってくれないんですか?水夜さんでさえ言ってくれたのに…」


「ぅ…」


 ぼそりと呟いた香織の声が大護の耳に届き、良心が彼の足を止めさせる。大護は額に汗を掻きながら、どうしようか迷っていると、不意に足を何かに掴まれ、足元を見て固まる。


「大護!!香織を悲しませたら承知せんぞ!!」


 大護の見下ろした視線の先には、殺気が込められていそうなほどに鋭い眼光で、沙織に馬乗りされながらもこちらを見上げてくる水夜の顔があった。この瞬間、大護の選択肢は一つに絞られた。


「ただいま、香織。悪かったな、待たせちまって。」


「ちょっと棒読みな所が不満ですけど、まあ合格です。」


 そう言う香織の顔には、依然と変わらない柔らかな笑みが広がっていた。


 こうして、大護達はいつもの場所へと戻ってきたのだった。







 大護の怪我が完治してから、請負所で軽いパーティが開かれることになった。顔触れは請負所の四人と、なぜか健一まで混ざっている。


「いやぁ、美女に囲まれていい気分だねぇ。あんた、たらしのテクニックでもあんのかぃ?」


「そんなんじゃねえって言ってんだろうが!残った片腕も斬り落とすぞ、この野郎!」


 健一が大護をからかっているのを見ながら、水夜は魔界から帰って来た日の事を思い出していた。







 彼岸の門(フリークゲート)の修繕が済んだので、大護と水夜、健一は人間界へと帰ろうとしていた。そんな三人の前に、王とルイスが現れた。王は神妙な顔をして水夜の顔を見ると、急に涙を流し始めた。


「わわっ!?いきなり何だ!?急に泣き出しおって!」


 自分を見るなりいきなり泣き出した王に、水夜はどうしていいか分からずにおろおろしていたが、ルイスは王を支えながら説明を始めた。


「今回の件は本当に申し訳なかった。だが、これだけは理解してほしい。私も王も、ガイアに利用されていたんだ。」


「は?どういう事だよ?」


 大護の言葉に、ルイスは苦々しげに拳を握りしめる。


「ガイアは特異魔法を使う魔導士だった。その魔法は『支配』。自分より魔力の少ない者の意識を奪い、自分の意のままに操る魔法だ。ガイアは王を魔法で操り、俺を騙してあんな実験をさせたのだ。謝るのもおこがましいが、本当に申し訳ない…!私が王の異変に気付いていれば…」


「貴様は悪くない!」


 ルイスの言葉を遮る水夜の強い言葉に、ルイスは顔を上げる。


「悪いのはガイアだった。そうだろう?」


「それはそうですが……私さえ気付いていれば…」


「それ以上言うな。過ぎた事を言っておっても前には進めんぞ。貴様は今から、やっと王に仕える事が出来るんだぞ?だったら、過去なんぞに囚われず、前だけ見て進め。」


「………はいっ…!」


 思わず緩んだ涙腺を引き締め、ルイスは水夜に向き直り敬礼をする。


「歪曲玉の魔力供給の時にでも来るから、またその時にな。」


「警備隊長さん。あんたも大変だろうけど、まあ頑張りなよ。」


「ルイス。お前はもっと強くなれよ。」


 三者三様の声を浴び、ルイスは頬を緩める。水夜は彼岸の門(フリークゲート)をくぐりながら、そう言えばルイスの笑顔を見たのは初めてだったな、と思い、自分も最高の笑顔でそれを応えてやるのだった。


 門をくぐって初めに見た光景が、歓迎とは言い難い雰囲気を帯びた竜次と冬馬の姿だった。


「おう、竜次。随分待たせちまったか?」


 大護はそう声を掛けると、竜次はとぼけたようにこう言う。


「何の話だ?俺は魔界へ逃げた山本健一を待っているだけだ。」


 その竜次の言葉を聞き、水夜は竜次と健一の間に割って入る。


「ま、待て!こいつは今回色々と助けてくれたんだ!だから…」


 水夜の必死の問い掛けにも、竜次の瞳に迷いは映らない。ただ、健一に視線を移し、不審そうに眉をひそめる。


「誰だ、そいつは?」


「え?」


 竜次の言葉に、水夜はもとより、大護と竜次も驚いたような顔をする。だが、冬馬はいかにも不満げな顔をしつつ、竜次に合の手を入れる。


「どこの誰だか知らねえが、俺達が探してる山本健一は両腕がある奴だ。てめえなんか知らねえよ。」


 冬馬は明らかに竜次に嫌々合わせていると言った感じだが、竜次はわざと知らない振りをして健一を逃がすつもりなのだろう。竜次の思わぬ心遣いに水夜は喜んで健一の方へと振り返るが、そこに嬉しそうな顔はなかった。


「同情なら受け取れないよ。俺は間違いなく人を殺してるし、刑務所で罪を償うつもりだからね。」


 健一を見逃すのは気に入らないが、竜次の心遣いを無碍にされるのはもっと気に入らないのか、冬馬は健一に掴みかかろうとする。だが、竜次はそれを手で制すると、健一の前へと歩み出る。


「人殺しの事を償いたいと思うなら、それ以上の人を救って償え。刑務所にいても誰も救われん。人助けをしたいならば、こいつらと仕事をするといい。大小色々な仕事にありつけるぞ?」


 そう言い残し、竜次は冬馬を連れてその場を去っていった。残された三人は互いに顔を見合わせた後、強引な総統の態度に噴き出すしかなかった。







「おい、水夜!聞いてんのか?」


「えっ!?あ、あぁ。悪い、ちょっと考え事をしていた。」


 大護の声ではっと我に返った水夜は、差し出されたコップを受け取る。水夜がコップを受け取るのを待ってから、大護は部屋の中心に立ち、わざとらしく咳をする。


「あ~。こんな時になんて言っていいのか分からねえんだけど…」


 大護は頭を掻きながら、部屋にいる香織、沙織、健一、そして水夜を一通り見渡した後、大きく息を吸い込み、頬を緩める。


「とりあえず、ここに戻ってこれた事に乾杯!!」


「「「「乾杯!!」」」」


 部屋でコップ同士がぶつかり合って甲高い音を響かせた後、請負所にはいつものように騒がしい空気に包まれるのだった。

かなり強引な題名回収がありましたが、一応これで終わりです。 まだまだ書きたかった話もあったのですが、これ以上だらだら続けてもなあと思い、これでお終いとさせて頂きます。 ここまで読んで下さった方々、ありがとうございます。少しでも楽しんで頂けたなら光栄です。

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