絶望と希望
冬馬が遂に目立ちます。
ゼダンに召喚された悪魔は、閉じていた目をゆっくりと開ける。うっすらと開いた瞼の間から、魔族と同じ紅い瞳を覗かせ、悪魔は何度か左右を見渡すと、側に立っているゼダンの所でその動きを止める。
「そなたか?我を呼び出したのは?」
「ああ、そうだ!私がお前を呼び出したんだ!」
今までにない興奮具合で捲し立てるゼダンを見て、悪魔は鬱陶しそうな顔をする。だが、召喚した者に従うのは魔獣と同じなのか、ゼダンに敵対するような事はしなかった。
「望みは何だ?可能な限りは手を尽くそう。」
悪魔が自分の言う事に従う、その事実がゼダンの鼻息を荒くさせる。ゼダンは目の前で起きた出来事に呆けていた大護達を指しながら、悪魔に口早に命令を出す。
「まずは奴らを殺せ!その後、魔界で出来る限りの殺戮をしろ!」
悪魔に指示を出すゼダンの姿は、既に誰の目から見ても狂っているように見えた。今までにも狂気を感じさせる言動をいくつもしてきたが、悪魔を召喚出来たことによって理性が壊れたのだろうか、今のゼダンは全ての言動が異常だった。
だが、悪魔はその狂気に応えた。
「面白い。そなたの命令は我の目的と似通っている。契約成立だ。」
悪魔がゼダンの命令を受諾したのを聞いて、大護と水夜はすぐにでも魔法を立ち上げられるよう魔力を開放する。だが、悪魔はそんな二人に興味も持たず、まだゼダンと向き合ったままだ。
「他に命令はないか?なければ、そなたにはどこか遠くへ行ってもらいたい。戦いの邪魔になる。」
悪魔の戦う姿を見る事が出来ない。そんな惜しい事は出来ないと、何とか食い下がろうとしたゼダンだったが、不意に頭の片隅に追いやられていた人物の顔が思い浮かぶ。その顔を思い浮かべると、急に自分が冷静になるのを感じた。
「…私を人間界へと送る事は出来ますか?」
「人間界に?まあ、この次元からなら飛ばせるな。『ディメンションゲート』。」
悪魔から放たれた魔力に警戒の色を濃くした大護達だったが、悪魔は二人に目もくれず、足元に手の平を向けると、放った魔力で真紅のアーチを作り出す。作り出されたアーチの向こうは、何があるという訳でもなく、その中はただ闇が広がっていた。
「ここを通れば人間界だ。この門は持って二日。戻りたくばそれまでに戻ってこい。」
「次元を超える魔法……やはり素晴らしい!」
目の前のアーチを興奮気味に見つめながら、ゼダンは思い出したように大護達へと振り返る。
「もう会う事はないでしょう。お別れです。」
勝ち誇ったような笑みを浮かべたゼダンは、そう言い残すとアーチをくぐっていった。
大護達が魔界へ行った後、竜次は彼岸の門に異常が発生したとの報告を受け、門の前まで来ていた。いつもなら、向こう側が見えない筈の彼岸の門だが、今日はなぜか向こう側の景色が普通に見え、門をくぐっても魔界へと繋がる事はなかった。
「…あいつら、向こうで何をやらかしたんだ?」
「だから反対したんですよ!あんな奴を野に放つなんて!」
心を落ち着かせようと煙草をいつも以上に強く吸っている竜次に向けて、珍しく冬馬は怒りを露わに喚いていたが、覆水盆に返らず。一度牢から解放された健一は帰ってこない。もっとも、彼岸の門がこの状態では、本人に帰ってくる意思があっても、戻ってくるのは不可能だろう。
「この門を起点に電波を飛ばしていたから、電話なんかも使えないな。となると…」
「…現状打つ手なし、ですね。」
歪曲玉への魔力供給は魔界側で行っていたため、人間界で出来る事は何も無かった。自分達の行った事が原因だと思い込んでいる二人は、同時に溜め息をついた。そんな二人に、後ろから声を掛ける者がいた。
「お久しぶりですね。私のおかげで総統になられたようで何よりです。」
「…っ!?」
忘れる筈もない声。昔恋人を殺した仇の声だった。
「ゼダン…!」
「あなたに会うために、わざわざ魔界からやってきましたよ。」
初めて聞く竜次の殺意を剥き出しにした声を聞き、冬馬もゼダンを警戒するように構えを取る。だが、ゼダンの風貌は、お世辞にも整っているとは言い難いものだった。額からは血の流れた跡があり、服も焦げて汚れ、濡れて色が濃くなっている。
みすぼらしい恰好のゼダンを見て、冬馬は露骨に顔をしかめているが、竜次はそれを窘めるように声を掛ける。
「冬馬、気を付けろ。あいつは水の魔法を使う。」
「水?そんな魔法が、ぅげっ!?」
ゼダンの魔力を感じた竜次は、怪訝そうな顔をしていた冬馬の首根っこを思い切り後ろへと引っ張る。蛙が潰されたような声を上げて後ろへ倒れ込んだ冬馬の足元が、ゼダンの魔法で大きくへこむ。
「げほっ、ごほっ…詠唱もない魔法…?」
急に首を絞められたような形となった冬馬は、咳き込みながらも、目の前でへこんだ地面を見つめた。
「無言詠唱だ。奴は詠唱なしに魔法を使ってくるから、魔力を感知して避けろ。」
竜次の言葉に、冬馬は俯きながら肩を震わせる。それが、未知なる物を見た事に対する恐怖から来る震えだと思ったゼダンは、いやらしい笑みを浮かべた。
「ふふ。あなたの部下は役に立ちそうにないですね。見てください。恐怖で…」
「ふざけんじゃねえ!!」
「っ!?」
ゼダンが冬馬を小馬鹿にしていた最中に、その本人が急に顔を上げて立ち上がると、空に向けて大声を上げた。いきなり怒声を上げた冬馬に驚いたように、竜次とゼダンはびくりと肩を跳ねさせる。
だが、そんな二人の挙動に構う事なく、冬馬は不満に満ちた目をゼダンに向ける。
「水の魔法があるって事は俺の氷を操る力も魔法って事だよな?その上、無言詠唱だぁ?そんなもんがあるって事は、俺の夢が駄目になったって事じゃねえか!」
冬馬の夢は、魔法を使わずに警察の実戦部隊隊長になる事だった。竜次が魔法を使い始める前から警備隊隊長へと上り詰めたのを知っていた冬馬は、あえて魔法の鍛錬をせず、ただひたすらに体を鍛え抜いていた。
冬馬が氷の魔法を覚えた時は、便利な能力だとは思っていたものの、それ自体を魔法だとは考えず、それを使うことに躊躇いを持っていなかった。この能力に目を付けられ、竜次直属の部下として勤められる事になり、より一層その能力に磨きをかけていた。
だが、ゼダンの使った水の魔法に無言詠唱。これは、冬馬の夢を否定するものだった。だから冬馬は耐えきれず、誰に向ける事も出来ない怒りを空に向けて叫んだ。
冬馬の言葉の意味が分からず、竜次は頭に疑問符を浮かべていたが、ゼダンはそんな言葉の意味よりも、冬馬の顔に絶望が浮かんでいないのを見て、不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
大護達もそうだった。どれだけ自分が強大な魔法を使って見せても、目の前で悪魔を呼び出しても、決して絶望で戦意を喪失する事はない。たとえ絶望を表情に出しても、それはほんの一時でしかなく、すぐにその絶望に立ち向かっていく。
他人が絶望する様を見るのがこの上ない楽しみのゼダンにとって、絶望しない大護達の存在が邪魔で仕方なかった。
「…お前も奴らと同じか。いいだろう、この場で絶望を与えてや、っ!?」
ゼダンは再び魔法を冬馬に向けて放とうとするが、光る何かが視界に入り、立ち上げた魔法でその方向へ水の壁を作る。水の壁が作られてすぐに、弾丸がそこへと撃ち込まれる。
「俺の事を忘れてくれるなよ。」
竜次は新しい煙草に火を着け、ゼダンの方に煙を吐く。邪魔されたゼダンは、大きく表情を歪めながら、殺意を込めた視線で竜次を射抜く。
「いいだろう……この場で二人とも地獄へ送ってやる!」
ゼダンが怒りに魔力を放出すると、竜次は古びた銃を、冬馬は腰に下げていた警棒を向ける。
「この前付けられなかった決着、今度こそ付けてもらうぞ。」
「地獄に落ちんのはてめえだ!」
三人はしばらく互いに睨みあった後、ほぼ同時に攻撃を仕掛けた。
ゼダンは竜次の頭上に魔力を集中させ、いくつもの雨粒を形成する。それが竜次へと振りかかろうとしていたが、竜次はそれに目もくれない。
「冬馬、任せたぞ!」
「任せてください!」
冬馬の魔力が雨粒を覆うように放たれると、熱を奪われた水分は氷となる。冬馬は氷となった雨粒を砕き、竜次への攻撃を無効化する。
「どうやら氷は専門外らしいな。『光弾』。」
「くそっ!『ウォーターブロック』!」
光を放つ弾丸が竜次の銃から放たれるのを見て、ゼダンは魔法で水の壁を作る。だが、水を圧縮して作った強固な壁に弾丸が当たった瞬間、壁が粉々に砕け散った。壁を貫通した弾丸を、ゼダンは何とか体を捻って避けようとするが、完全には避けきれずに肩を掠めていく。
「ぐうっ!……また凍らせたのか!」
弾丸が掠めた肩を押さえながら、ゼダンはこちらに手をかざしている冬馬を睨みつける。だが、その視線を遮るように何かが飛び込んでくる。
「『光脚』。」
「ぎぁっ!?」
竜次が近付いている事に、ゼダンは全く気付けなかった。竜次が銃を撃った時には、まだかなり距離の開きがあり、これだけ短い時間でその距離を詰められるとは思っていなかった。ゼダンは蹴られて崩れた体勢を何とか立て直そうと、足を地面へと叩きつけて後ろに倒れそうになる体を支える。
またしても自分の油断で無様な様を晒してしまい、ゼダンは怒りを込めて竜次へと魔法を放とうとする。
だが、既に先程竜次が立っていた場所には誰もいなかった。
「どこを見ているんだ?『光弾』。」
「くっ!?」
ゼダンは声のした方へと、反射的に水の壁を作る。今度は顔を向ける事さえ間に合わなかった。それほどまでに、竜次の動きが常人離れしていた。ゼダンが声のした方へと振り返った時には、すでに竜次は冬馬の側まで下がっていた。
「無言詠唱は厄介だな。いくら水を凍らせる事ができても、それが間に合わなければ意味がない。」
「すいません。俺が間に合わなかったばっかりに…」
「気にするな。俺でも完全にあいつの魔法を読むのは無理だ。」
二人がそんなやり取りをしているのを聞きながら、ゼダンはある事を思い付き、にやりと口角を吊り上げる。
「『魔力を代償に、招来せよ』。」
ゼダンの足元に赤い紋章が浮かび上がり、その中心から巨大な腕が飛び出してくる。
「魔獣?あいつ、召喚士でもあるのか。」
「冬馬っ!」
竜次が声を掛けた時には、すでに冬馬の目の前に水の刃が迫っていた。魔獣に気を取られ、冬馬はゼダンの魔法に気付けなかったのだ。だが、その刃が冬馬へと到達する寸前に、竜次が彼の身体を突き飛ばし、代わりにその凶刃をその身に受ける。
「が、は…」
ゼダンは竜次の体から大量の血が噴き出したのを見届けると、先程蹴られて切った口の端の血を拭い、残忍な笑みを浮かべる。
「まずは一人。それにしても、まさか自分の身を顧みず、他人を庇うとは。」
「てめえ…!」
冬馬が怒りに任せて魔法を放とうとして、ゼダンの魔力を感じてその動きを止めた。自分の方に向けられた訳でも、ましてや竜次に向けられた訳でもない彼の魔力は、先程召喚された魔獣の体を切り刻み、その命を奪う。
「なっ!?てめえ、一体何してやがんだ!?」
自分で召喚した魔獣の命でさえ、用がなければ何の躊躇いもなく殺すゼダンを見て、冬馬は怒りを抑え切れずに叫ぶが、ゼダンはその質問に呆気に取られたような顔をする。
「邪魔だからですよ?それとも、何かを殺すのに理由が要りますか?」
ゼダンが自然にそう話すのを聞いて、冬馬は今更ながらに理解する。自分とゼダンとでは、どうあっても相容れない事を。
だが、そうなると、気になる事が一つ浮かんでくる。
「てめえ、何で竜次さんにばかり手出ししやがるんだ!?」
冬馬の言葉に、ゼダンは遠い目をして口を開く。
「正確には彼に、ではなく、彼の恋人に興味があったんですよ。」
「何…?」
竜次に、ゼダンが恋人の仇だという事を聞いていた冬馬は、眉間に深く皺を付け、有らん限りの眼光でゼダンを睨みつける。だが、ゼダンはそんな冬馬を無視するように、召喚した魔獣の死体の周りを歩きながら、更に話を進めていく。
「彼女は人間の身でありながら、特異魔法を使えた。だから、彼女の体を研究するために私の研究室へと呼びだしたのです。ですが、その時に、あろうことか、恋人と一緒に私の研究室へと足を運んだ。」
そう言うゼダンは、倒れ伏している竜次を忌々しげに見下ろした。
「私が何をしようと知るや否や、彼は私から彼女を逃がそうとした。当然、私は彼を殺そうとした。だが、それを彼女が邪魔し、私の魔法をその身で受け、死んでしまった。それ以来、彼が私を殺そうと追ってくる。つまり、私はただ迫りくる身の危険を取り除こうとしているだけなんですよ?」
自分勝手な言い分を、さも当然であるかのように語るゼダンに、冬馬はもう何を言っても無駄だと思い、何も言い返さない。そんな冬馬の沈黙を、ゼダンは話の終わりだと勝手に受け止める。
「さて、くだらない昔話も終わった所で…始めましょうか?」
ゼダンの言葉が終わるとともに、ゼダンから魔力が放たれる。冬馬はその魔力に自分の魔力をぶつけ、水と化したゼダンの魔力を氷にして無効化する。
「さっきの攻撃で、本当はあなたを殺したかったんですがねえ。まあ、それも時間の問題みたいですが。」
「うっ!?」
冬馬の腕に鋭い痛みが走り、思わずその個所を押さえる。そこには薄らと赤い線が刻まれ、押さえた指の間から血が滲んでいた。
「あなたの魔法は私にとって相性が悪いものですが、見切れなければ意味がない。」
一対一という状況になり、またゼダンの心にゆとりが生まれる。先程の攻撃で残ったのが竜次ならば、おそらくこうはいかなかっただろう。嬉しい誤算にゼダンが口元を吊り上げていると、それが冬馬には気に入らなかったのか、警棒を上段に構え突っ込んでくる。
「にやにやしてんじゃねえよ!」
大きく地を蹴った冬馬の警棒は、ゼダンの魔法に防がれる。
「考えもなしに攻撃してくるなんて愚かしいですね。」
「うっせえ!こんな水の壁なんか…」
冬馬は警棒を防いでいる水を凍らせようと魔力を放出するが、その魔力が魔法になる寸前にそれを止める。警棒の表面を覆うように水が蠢き、冬馬の腕ごと取り込もうとしているのだ。
「くそっ!」
冬馬は警棒を手放して距離と取ろうと後ろに飛ぶが、飛んだ先の頭上に水の刃が降り注ぐ。冬馬は可能な限り体を丸め、魔力を開放して水を凍らせる。勿論、それで全てが避けられる訳ではなく、ゼダンの支配を失って自由落下した氷の刃に、何カ所も身体を刻まれる。
「ぐぅっ!この野郎…!」
体中に血を滴らせながら、冬馬は苦々しげにゼダンを睨みつけるが、ゼダンは睨まれてもまるで気にしていない。険しい表情の冬馬とは対称的に、ゼダンは余裕綽々の態度で、水の中に取り残された警棒を手に取る。
「警棒で殺される警察、というのもなかなか乙ですね。」
「誰がてめえみたいな野郎に殺されるかよ!」
冬馬はゼダンと同じように、彼の頭上に氷柱を形成するが、その攻撃も水の壁に阻まれる。ゼダンは砕け散った氷柱の破片を見ながら、呆れたように溜息を突く。
「なぜ彼があなた如きを守ったのか理解に苦しみますね。彼一人の方が幾分かましに立ち振る舞えたでしょうに。」
ゼダンは血溜まりの中に伏せている竜次を憐れむように見下ろしながら、彼を小馬鹿にしたように鼻で笑う。憧れの対象である竜次の事を馬鹿にしたゼダンに、冬馬はこれまでにない程の怒りを覚える。
だが、このままでは勝てない。ならば、どうすればいいのか。
冬馬はしばらく、普段は使わない頭を使って考え、ある一つの方法を思い付く。しかし、それはかなり危険な賭けになる。それでも、勝てない戦い方をして魔力を消費し切るよりはましだと、冬馬は覚悟を決めるのだった。
懐かしい声が聞こえた。遠い昔に失ってしまった、守り切れなかった恋人の声。
―私、君なら誰も殺されない世界を作れると思うの。だから、一人でも頑張っていってね。―
その恋人が最後に残した言葉。それがなぜか、急に頭の中に蘇ってきた。
冬馬の頭の中で、ゼダンを倒す作戦は決まった。あとは、それを実行するための条件を揃えるだけだ。その条件は待っているだけでは絶対に整わない。どうやってその状況にまで持ち込むか。また冬馬は考えを纏め始める。
それまでうるさく騒いでいた冬馬が、神妙な顔つきで黙りこんでいるのを見て、薄ら笑いを浮かべる。
「さすがに降参ですか?まあ、人間の割には頑張った方ですよ。あなたのような下等生物が魔族に勝てる訳ないですからね。」
地面と睨みあうようにして立ち尽くしている冬馬の姿を、ゼダンは諦めたと勘違いしたようだ。冬馬はまた憎まれ口の一つでも返そうとして、そこで口籠る。そして、ゼダンに言葉と同時に笑みを返してやる。
「おいおい、何勘違いしてんだよ?下等な人間を殺すだけでこんなに時間が掛かっちまうような野郎に降参なんてする訳ねえだろ?」
冬馬の不敵な笑みと皮肉を受け、ゼダンは顔に張り付けていた笑みを消し、激しく歪んだ表情をする。見下していた人間に馬鹿にされるのが、堪らない屈辱なのだろう。冷静さを取り戻すかのように、ゼダンは額に手を当てて大きく息を吐く。
「あなたで遊んでいた事が手こずっていたように見えたのなら謝りましょう。今すぐに殺してあげますよ。『ウォーターフォール』。」
ゼダンが詠唱を唱えると、大量の水が周りから冬馬の頭上へと集中していき、巨大な球体となっていく。
「私の扱う魔法の中でも最大の魔力を使う魔法です。光栄に思いなさい。」
ゼダンは上を見上げている冬馬の表情を見てみた。今度こそは絶望しているだろう。そして、その絶望を表情に出しているのだろうと。
だが、冬馬の表情は決して絶望に染まっていなかった。むしろ、嬉しそうにさえ見える。未だに希望を失わない冬馬が、ゼダンには鬱陶しくて堪らない。気付いた時には、自分らしさを忘れて叫んでいた。
「なぜだ!?なぜ諦めない!?もうお前は死ぬしかないんだぞ!!」
ゼダンの叫びを聞いて、冬馬はそちらへと顔を向ける。
「その魔法は周囲の水分をすべて集めて、それを敵に叩きつけるものだ!!総重量はおよそ1トン!!それが魔力で強化されてお前を押し潰すんだぞ!!」
なぜ自分がそんな事を叫んでいるのか分からなかった。だが、どうしても冬馬の顔が絶望に染まるのを見たかった。だから、冬馬がどれだけの危機に瀕しているのかを知らしめてやる。こうする事で、冬馬が絶望するように。
だが、そんな言葉を聞いて、冬馬の表情は嬉しそうなものに変わった。
「へっ、馬鹿野郎が。あんな安い挑発に乗りやがって。」
「何だと…?」
ゼダンの言葉が終わるか終らないかの途中で、冬馬から大量の魔力が放出される。大量といっても、それは冬馬にとっての大量であり、魔造生命体の魔力提供をするほど大量の魔力を持っているゼダンにしてみれば、それは少ないものだった。
そんな魔力で何をするのかと思っていたゼダンだったが、それが自分の作り出した水を凍らせていくのを見て、大声で笑い出す。
「無駄な事を!それだけ巨大な物を凍らせれば、お前は避けられないぞ!」
「うっせえな。そんなこと分かってんだよ。」
巨大な水が凍りついていくのを確認しながら、冬馬は懐からある物を取り出す。
「何だ、それは?」
冬馬が取り出したのは、かなり銃身の長い銃だった。リボルバー式のそれは、見るからに重そうであり、冬馬は両手でそれを持っていた。冬馬はそれを頭上の、既にほとんどが凍りついている球体に向けて構えながら、ゼダンに説明をしてやる。
「もともと竜次さんがお前の為に取り寄せた銃だ。名前はフェイファー・ツェリザカ・ハンドキャノン。威力だけならライフルやマグナムよりも上だぜ。その分、反動が洒落にならねえし、威力を上げる改造をしてあるから、魔闘士みてえに身体を魔力で強化してなきゃ撃つのも危険な代物なんだけどな。」
「くっ、させるか!」
冬馬の説明を聞いて、ゼダンは慌てて魔力を冬馬に向ける。だが、なぜか魔法が発動しない。魔力が枯渇した訳ではない。まだ、ゼダンには魔力残量に余裕がある。まして、自分が魔法の発動を失敗するとも思えない。
何度試しても魔法が発動しない事に動揺を隠し切れていないゼダンに、冬馬は思い切りの笑顔を向けてやる。
「何で魔法が使えねえんだ、って顔してんな。簡単な話だ。この周囲の水分は、俺が今凍らせたんだぜ?」
「なっ!?まさか、お前…!」
そう、ゼダンは水分がなければ魔法を発動できない。だから、周りの水分を全てなくしてしまえば、ゼダンは魔法を使えなくなるのだ。冬馬はそれが可能なのは、ゼダンが周りの水分を一カ所に集めた時だと思い当たり、わざと怒りを誘うような言葉を掛け、その条件を満たした。
そして、ゼダンは呆気なくその誘いに乗ってしまった。人間を、冬馬を見下していた事と、まだ心の何処かで油断していた事で、こんな単純な事に気付けなかったのだ。
だが、この作戦の最大の肝は、この魔法を退けなくてはいけない事だった。しかし、その関門もこの銃で突破できると踏んで、冬馬はこの作戦に打って出たのだ。
「一カ月は有給で過ごさなきゃいけねえな。」
「や、やめろ!!」
ゼダンの叫びを無視し、冬馬は銃の引き金を引いた。大きな銃声の後に、更に大きな破裂音が鳴り響き、冬馬へ落ちようとしていた巨大な氷の塊を粉々に粉砕した。銃の反動で後ろへと倒れ込んだ冬馬は、痛む腕を何とか動かして上半身だけを起こす。
「あとは任せましたよ、竜次さん。」
「冬馬、御膳立てご苦労だったな。有給の話、俺が何とかしておいてやる。」
「なっ…!?」
死んだと思っていた竜次の声が聞こえ、ゼダンは彼が倒れていた方へと顔を向ける。そこには、ゼダンに銃口を向けている竜次が立っていた。彼の傷口には、冬馬の魔法で作られた氷が張り付き、止血されていた。
「安心しろ、殺しはしない。憎しみはあいつの形見とともにここに置いていく。これが、あいつの望んでいた『誰も殺されない世界』への第一歩だ。」
「くそっ!『魔力を代償に、招来せよ』!!」
竜次の魔力が腕、銃、弾丸の三つにそれぞれ込められていく。ゼダンは最後の手段とばかりに、自分の目の前に魔獣を召喚して盾にするが、頭ではそれでも竜次の魔法を防げないと分かっていた。
だからだろうか。先程大護の言った『お前、詰めが甘いぞ』という言葉が、ゼダンの頭をよぎった。
「合成魔法『極光』!!」
銃身を破壊するほどの威力を持った弾丸は、ゼダンの前に立っていた魔獣の体を貫通し、ゼダンの視界を白く染め上げる。
「私が人間如きに…」
その言葉を最後に、ゼダンは体に襲い来る衝撃に耐えきれず、白い世界の中で意識を手放した。
今回は冬馬が目立ちましたが、おいしい所は竜次に譲りました。