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朝霧すみれの洋裁探偵譚 ―横浜ハイカラ事件帖

大正横浜怪異譚 ――洋裁師朝霧すみれは、霧の桟橋で消えた花嫁の嘘を縫いほどく

大正時代の横浜を舞台にした短編ミステリーです。

朝霧すみれが主人公、いつかシリーズにしたいと思っています。


他サイトにも投稿しています。

第2話と第3話も本エピソードの続きに書きました。完結済み

 ――春の霧は、音を奪う。


 横浜港の朝は、白く沈黙していた。

 汽笛の余韻だけが耳の奥に残り、

 海と空の境はゆるやかに溶け合っている。

 桟橋も倉庫も、人影さえもぼんやりと滲み、

 すべてが輪郭を失っていた。


 霧は、この街の記憶そのものだ。


 私は朝霧すみれ。

 大正の横浜で、洋裁師見習いとして働いている。

 今朝は、結婚写真用ドレスの最終調整を頼まれ、

 山下埠頭近くの洋館へ向かうところだった。


 調整を終えた白いベールを丁寧に包み、

 霧で湿らぬよう気をつけながら坂道を下る。

 革靴の底が、石畳の水気を拾い、きゅっと小さく鳴った。


 ――どうしてかしら。

 この朝は、胸の奥が妙に落ち着かない。


 港に近づくにつれ、潮の香りが濃くなる。

 霧の向こうに、人の気配を感じた。


「朝霧さん」


 振り向くと、新聞記者の小田切が立っていた。

 外套の肩に霧をまとい、

 いつもより少し表情が硬い。


「奇遇ですね。こんな朝に」

「ええ……本当に」


 彼は一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せ、

 低い声で告げた。


「実は、昨夜からこのあたりで、少し騒ぎがありまして」

「まあ、そうなんですね」


 私は一礼し、先を急いだ。


 洋館に着くと、

 門前には落ち着かない空気が漂っていた。

 使用人たちは声を潜め、

 互いに視線を合わせようとしない。


「花嫁さまは……?」


 私が尋ねると、

 年配のメイドがぎゅっと唇を結んだ。


「……昨夜から、姿が見えません」


 花嫁の部屋へ通される。

 奥さまがすすり泣いている。

 執事が奥様に紅茶を勧めている。

「奥様、紅茶を少しお飲みください。水分をとらなくては体調を崩しておしまいになりますよ。さあ、お嬢様の無事を祈りましょう」

 奥さまは紅茶を受け取った。

 執事が声をひそめた。

「上のお嬢様もそろそろいらっしゃると思います」

「あの子が来るものですか。薄情な子よ。結婚式にも来ないと言ってきたのよ」


 すると、メイド頭が慌てた様子で声をかけてきた。


「朝霧様、ここに掛けてあったドレスが無いのです。

 お嬢様がおひとりで着てお出かけになったとしか思えません」


「ひとりで着られるはずがありませんわ」

 私は即座に言った。


 メイド係が奥様の様子を伺いながら、静かに続けた。

「いつもは私が着替えを手伝います。

 けれど今回は頼まれていません。

 皆にも聞き取りましたが、誰も手伝っていないそうです」


 私は少し考えてから告げた。

「そのドレスは、私がデザインし、縫ったものです。

 背中はリボンで編み上げる仕様。

 ひとりで着ることは、不可能ですわ」


 そのとき――

 若いメイドが、震える小さな声で言った。


「……誰にも聞かれたくない話があるんです。

 朝霧様にだけ、聞いていただきたいんです」


 小田切さんが、彼女の耳に口を寄せてつぶやいた。

「ボクも同席していいだろうか」


 若いメイドは首を振った。

「奥様や、他のメイドには、絶対に知られたくないんです」

「よかろう」


 小田切は使用人たちに向き直った。

「皆さん、仕事に戻ってください。

 奥様もお部屋でお休みを。

 何かわかり次第、すぐお知らせします」


 若いメイドは唇を噛み、ためらっていた。

 私はそっと彼女の手を握る。


「秘密は守るわ。話してちょうだい」

「……あたし、見たんです。昨夜、霧の中で……」

 震える声で、彼女は続けた。


「夜中の十二時に、ある人と会う約束をしていました。

 誰にも内緒です。

 お互いに思い合っている男性です」


「お屋敷の門の脇で、彼を待っていました。

 すると、白いドレスの女の人が、あちらへ歩いて行くのを見たんです」


「よく考えたら……あちらへ行くと、桟橋に続くんです」


 小田切が、私を見る。

「海へ向かって?」

「……ええ」


「花嫁かもしれないのか?」

「お嬢様かどうかは、わかりません。

 でも……横浜で噂になっている港の白い女だと思いました」


「霧の夜に、行き場のない女を連れていくという噂です」


「怖くなりました。

 連れていかれると思ったんです。

 だから、行き場はあるって、何度も口に出しました」


「そして、約束を破って屋敷に戻りました」


「お嬢様のお部屋には灯りがついていました。

 また、つけっぱなしでお休みになっているのだと思いました。

 時々、そういうことをなさる方ですから」


 小田切は静かに手帳へ書き留めた。


 港町には、明治の頃から伝わる話がある。

 ――港の白い女の伝説。

 霧の日に現れる、港の白い女。

 行き場のない者を、海の底へ連れていく存在。

 連れていかれた女の衣類だけが、桟橋に残されるという。


 私は、はっと気づいた。

「……桟橋を、見に行きましょう」


 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 霧の中、

 私たちは並んで歩いた。


 桟橋は、

 まるで世界から切り離された場所のようだった。

 波は静かで、

 風もない。

 ただ霧だけが、ゆっくりと流れている。


 そのとき――

 小田切が、足を止めた。


「……あれは?」


 桟橋の端に、白いものが見える。


 近づくと、それは――

 花嫁のドレスと、手袋だった。

 ドレスはきれいに広げられている。

 片方の手袋は、真珠の留め具が外れている。

 私は、そっと拾い上げた。


「これは……

 わたしが縫ったドレスと手袋ですわ」


第2話 


 港町には、明治の頃から伝わる話がある。

 ――《《港の白い女》》の伝説。

 霧の日に現れる、《《港の白い女》》。

 行き場のない者を、海の底へ連れていくという。

 連れていかれた女の衣類が、桟橋に残されるという。


 わたしには《《港の白い女の伝説》》そのものに見えた。

 花嫁は伝説の通り、港の白い女に連れ去られ、桟橋から海の底にいざわなわれた。

 脱がれたドレスが残されていた。

 それが何よりの証拠だわ。




 小田切さんは言った。

「すみれくん、これを怪談とか都市伝説とかで片づけず、事実を拾い集めろ」

 彼は手帳の古いページをめくった。


「確か……数年前、同じ桟橋でよく似た失踪事件があったんだ。

 港の白い女が海に連れて行ったと信じられた事件だ。

 遺体のない女性が死亡扱いになった。

 後でわかったんだが、花嫁に多額の保険金がかけられていた。


 ボクは確信するよ。

 これは怪異ではなく、仕組まれた殺人事件だ。

 《《港の白い女》》のせいだと皆が噂する。

 それを利用した犯罪だ」


 一方、私・朝霧すみれは――

 洋裁師としての目で、静かに真実を見たいと思った。

 白いドレスを手に取った。


「まず、裾。よく見てみましょう」


 私は指先で、そっと絹をすくい上げた。

 光を受けて、やわらかく揺れる布。


 ……濡れていない。


 海へ向かって歩いたのなら、裾には必ず、潮の気配が残る。

 塩のざらつき、歩道の汚れがドレスに移るはず。

 けれど、このドレスには、それが一切ない。

 ていねいに裾をつまんであるいたようだ。

 もしくは、誰かが裾を持ってくれたのか。

 結婚式で世話係の女性がドレスの裾を持つ姿を見たことがあるわ。

 メイドが見たときはひとりだったけれど、途中から誰かが手伝ってくれたのかもしれない。


 「背中のリボン。よく見てみましょう」

 ――ていねいにほどかれている。

 「リボンを通すための布製の細い半円リングに破れはないわ。

 乱暴に脱ぎ捨てたものではないわ。ていねいにゆっくりと外した証拠」


 ドレスの匂いを吸い込んでみた。

 そして私は、静かに息を吐いた。

「わたしが振りかけた香水の香りがする。

 そして、甘い体の香りがするわ。

 若い女性がこのドレスを着たまぎれもない証拠」



 つまり――

 花嫁は、霧の中で、 白いドレスを手伝ってもらいながら丁寧に脱ぎ、下に着ていたであろう薄手の衣類でどこかに消えた。手袋のひとつをここに残して。


 港の白い女に海に連れていかれたというのは、見せかけの光景。

 誰かが、そう見せたかっただけ。


 私は顔を上げ、霧を見つめた。


 ――港の白い女。


 もし、それが本当にいるのだとしたら。

 人を攫うためではなく、

 人を隠すために現れたのかもしれない。


 真実は、霧の向こうではない。


 丁寧に脱がされたこのドレスが、

 すべてを語っていた。


 小田切さんが保険金のことを気にしている。

 多額の保険金をかけ、死亡したことにして受け取る。

 そんなことができたのは、両親か? 姉か? 婚約者か?


第3話


 霧が薄れ、港の輪郭が少しずつ戻ってくる。

 小田切さんが花嫁の家に行き、保険金のことを聞いてきた。

「保険など誰もかけていない。そんな話は聞いたこともない」


 婚約者のところにも行ったようだ。

「ボクの保険金を彼女の受け取りにしようと思っていた。彼女に保険などかけていない。失敬な!」

 花嫁の失踪で混乱していた彼に、怒鳴られたそうだ。


 わたしは小田切さんの話を聞き、ご家族と婚約者の喪失感を気の毒に思った。

 そして、制服姿の警察官が現場に集まってきたのを遠目に眺めていた。 


 その時、気づいた。

 桟橋の向こう、倉庫の影にひとりの女が立っている。


 年の頃は三十前後。

 流行のモダンガールの装いだ。

 すとんとした黒いドレスにベージュのベレー帽をかぶっていた。

 きっと職業婦人に違いない。

 警察の様子をじっと見ている。


 私たちは彼女に歩み寄った。

 そして気づいた。

 黒いレースの長手袋をつけたその手がぶるぶると震えていることを――



「あなたが、ドレスを縫ってくれた朝霧さんですね……とうとう見つかってしまいましたわ」

 低く、けれど凛とした声。


 小田切が一歩前に出る。

「あなたが、港の白い女ですね」


 女は一瞬、目を伏せたあと、静かにうなずいた。

 私は驚いた。

「小田切さん、この人は黒いドレスを着ているわ」


 小田切さんは言った。

「彼女は花嫁の姉なんだよ」


「え?」

 私は思いがけない言葉に驚いた。


「ええ。そうです。花嫁の姉ですわ。

 妹は……もう、ここにはいません」

 まだ震えている。緊張しているんだ。


 私は、そっと近づく。

「安心なさって。 警察には言いません」


 女の肩から、ふっと力が抜けた。

 小田切さんが詰める。

「……あなたが海の底に連れて行ったのですか?」

「いいえ」

 姉という人は首を振った。

「ただの霧と、人の噂です」

 そして、唇を噛んだ。


「それで十分でした。

 この港は……

 女が消えることに、慣れていますから」


 その言葉には見つかりっこないという自信が見えた。

 小田切さんは続けた。

「あなたが殺した。保険金をかけて。そうですね?」


 彼女は遠くを見た。

「妹は、生きています。

 もう、別の名前で。別の町で」


 私たちは顔を見合わせた。小田切さんの目が真ん丸になっていた。


「妹は、本当に好きな人との結婚が許されないことを嘆いていました。その人と結婚できないのなら死にたいと言いだしました。私は妹に生きて欲しくてこの茶番を提案したんです。妹は家族も名前も捨てることを決めました。ドレスを脱ぎ、薄手のワンピースになった妹と抱き合いました。……それから、どこに行ったのか、私も知りません」


 私は、白い手袋を差し出した。

「これを……」


 女は受け取り、

 胸に抱いた。

 そして、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」

 それだけ言って、

 霧の名残の中へ歩いていった。

 そして、もう振り返らなかった。


 ――その後、

 警察は形式的に調査を行い、

 花嫁は《《事故死》》として記録されたらしい。

 誰も、深くは追わなかった。

 横浜とは、そういう街だ。


 夕方、港に大きな客船の光が灯った。

 小田切さんと私は桟橋の端に立ち、海を見つめた。


 穏やかな水面。

 朝の霧が嘘のように澄んでいる。


 濡れた白い手袋が一つ、波間に漂っていた。


 小田切が棒を使って掬い取ってくれた。

 私は手に取り、手袋をよく見た。

 真珠の留め具が揺れた。

 私が縫った手袋だわ。


 あの女は本当に姉なのだろうか。

 妹が生きているというのは本当なのだろうか。


 汽笛が鳴る。

 遠くで、人力車の鈴が揺れる音。

 横浜は、今日も何事もなかったように

 息をしている。


 私はトンボ眼鏡を押し上げ、歩き出した。

 小田切さんが言った。

「この手袋は警察に届けよう。海難事故の証拠になる」


 花嫁の行方は結局わからないまま。でも、《《花嫁は別の街で今も生きている》》に一票。

 わたしがドレスを縫った花嫁は、みんな幸せになるはずだから!

 きっといつか私に会いに来てくれるわ。


お読みいただき、ありがとうございました。

読者様の存在が励みです。

またお越しくださいね。



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